西の果ての漂流者 (弐)
 
   
   宋国の商人楊孫徳(やん・そんとく)は、港に程近い目抜き通りに店を構えていた。
 
 その外観はごく普通の商家らしい佇
(たたず)まいながら、中に一歩足を踏み入れると伽羅(きゃら)の香も芳しく、どこからともなく漏れ聞こえる胡琴(こきん)の調べが、突如、異世界に迷い込んだような錯覚を起こさせる。
 が、そこかしこに漂う異国の風雅も決して華美ではなく、この家の主の趣味の良さを感じさせるものであった。
 
 これほどの大商人ともなると、自身は本国に留まり、信頼のおける者を代理に遣わすに留める場合も少なくはないのだが、この楊孫徳は生来海の暮らしを好み、年に幾度となく大きな唐船を仕立てては、危険も多い航海ながら自ら船に乗り込み、宋と筑紫を往来していた。
 
 それだけに商う品に対する自負も並大抵のものではなく、事実、大きな蔵の中は数々の七珍万宝で埋め尽くされていた。
 玄武は店に着くや、まっすぐにその蔵へと向かうと、山のような宝物を前にひたすら品定めに没頭し出した。
 
 ところでこの玄武という男、傍目
(はため)にはいささか商人らしからぬ風采(ふうさい)で、上背のある肉付きの良い体格はどこかしら武人の香りをも漂わせる。未だ三十そこそこといった若さながら、京の都にあっては公卿や殿上人の屋敷にも出入りを許されており、筑紫でも少しはその名を知られる商人の一人であった。
 
 が、自らは大した店を構えることはせず、もっぱら金に飽かせて舶来品をむさぼる貴族達の注文に応じて望みの品を探し出し、利を稼いでいるのだが、品を目利きするその眼力は秀逸で、この男が認める品はとりわけ高値で売りさばかれると評判だった。
 
「いかがです?」
 楊の声もろくに耳には入っていないのだろう。目はおろか、五感の全てを一つの品に傾けて
――、そこには誰にも立ち入ることのできない張り詰めた空気が充満していた。
 
「遅くなりました」
 蔵の外から呼びかける声がして、楊は振り返った。
「おう、弥太か」
 下男の風体の男が軽く会釈をする。
「お頭は?」
「早速始めておられる
……
 楊の返事に弥太はうなずくと、足音をしのばせて蔵の中に歩を進めた。
 
 相変わらず玄武は目に止めた白磁の壷を特に念入りに吟味していた。弥太も息を詰めて傍らに腰を下ろす。が、それすらも気づかぬかのように、玄武の意識は手の中の壷
――ただ一点に向けられていた。そのあまりの眼光の鋭さには、楊といえどもさすがに緊張の色を隠すことはできなかった。
 
「こいつは凄い
……
 玄武の感嘆の声を聞いて、楊もホッと胸を撫で下ろした。
「恐れ入ります。玄武の頭の目利きはとりわけ厳しゅうございますから
……、手前も力が入ります」
 楊は流暢
(りゅうちょう)な大和言葉で答える。
 
「白磁でこれほどのものは初めてだ
……。青磁と違って、まだまだ日本では珍しいからな……
 玄武の目は稀に見る極上の品に遭遇した、その興奮で生き生きと輝いていた。
 
「我が宋では今や白磁が主流となっております。いずれこの国でもそうなりましょう
……
「白は殊のほか尊ばれる
……。公卿のお歴々もこぞって求められよう。とりわけ腹の黒いお方ほどな……
 玄武の揶揄
(やゆ)するような物言いにも、楊は苦笑混じりにうなずくだけだった。
 
 それから一刻
(いっとき)余りを玄武はこの蔵の中で過ごした。傍らでは、見定められた品を弥太ともう一人、伝六というまだ子供の使い走りが蔵から運び出し、次々と荷車に積み込んでいった。
 磁器を始めとして、織物に香木、薬草と扱う品は多岐に渡る。そして、それらを判じるに足る確かな知識、その造詣
(ぞうけい)の深さこそ玄武の本領であった。
 
 やがて、延々と続いた根気の入る作業もあらまし片がついた頃
――、それを見計らったかのように再び姿を現した楊孫徳は、海を臨む客間に玄武を誘(いざな)うと、秘蔵の葡萄酒(ぶどうしゅ)を振る舞い労をねぎらった。
 
「また、すぐにも京にお戻りですかな?」
「ああ。二三日のうちにはな
……
「それはまた慌しいことで
……
 楊は玻璃
(はり)の杯に、蘇芳(すおう)にも似た深い色合いの雫を静かに注ぎ入れる。
 
「近頃の京の様子はいかがにございますかな?」
 杯を手に取り、玄武はふうっと吐息をもらした。
 
「何かと騒々しい
……。この春、内大臣平清盛公が太政大臣となられ、御一門の威光は留まることを知らぬ。それに……、春宮(とうぐう)様は平氏のお血筋――。この勢いでは代替わりも近いやもしれぬ……
「それほどまでに
……
 楊の驚きも一通りのものではなかった。
 
「摂関家を始め、公家諸侯も戦々恐々となされておいでだ
……。武門がこの国の覇権を握る――。ありえぬはずのことが、今にも現実になろうとしている……
 有史以来、皇族、そして藤原摂関家によって治められてきた、その長い歴史が一気に覆ろうとしている
――
 そうした時流の激しい波も、市井
(しせい)に生きる玄武は冷静に読み取っていた。
 
「平清盛公とは、いかなるお方にございましょうや?」
 楊の問い掛けに玄武はふと言い淀んだ。
「さて
……。一度お目にかかったことがあるだけだからな……。何せ、六波羅に入り込むのは難しい。恐らく向こうはこちらのことなど覚えてはおられまいが……。ただ……、あの折、某(それがし)の感じたままを申せば……
 玄武は杯を置いて外に広がる大海原に目を遣った。
 
「この海のようにその御心があまりに大きすぎて
……、果てが見えぬ。何をどこまで考えておられるのか……。あるいは我々には想像もできぬ、ずっと遙か先を見つめておられるのやもしれぬ」
 
 なぜか玄武はこの雲の上の、まさしく雲上人たる平清盛という人物を時に身近に感じることがあった。
 勿論、言葉すら満足に交わしたこともない。にも関わらず、その心の内に思いを馳せている己がまた何とも奇妙にも思われた。
 
「良いお話を伺えました。我が宋にとりましても、この国の政
(まつりごと)は重大な関心事。交易にも大きな影響を及ぼしますからな……。玄武のお頭の目ほど確かなものはございますまい」
「それは買い被りすぎというものだ
……
 玄武は苦笑を浮かべつつ杯を干した。
 
「いいえ。時流を読むことも、品を見極めることも同じにございます。そもそも、嵐というものは渦中にあってはただ翻弄されるばかりで真の姿は見えぬもの。外から眺めておればこそ、その大きさも激しさも、正確に見極めることができるのでございます」
 
 楊の目はいたって真剣だった。しかし、そうした手放しの賛辞も玄武には面はゆく、何とはなしに心が落ち着かない。その様子を見てとってか、楊はさらに葡萄酒を勧めた。
 
「いつものことながら、何とも奇妙な心地よのう
……。何やら生き血を食ろうておるようじゃ……
 そう口にしながらも、玄武は勧められるままに杯を重ねていた。
 
「これは西方より渡来したるもの。我が宋では長命の妙薬と珍重されております」
「世界は果てしなく広いということか
……。宋の国よりさらに西にも、また違った国が存在するとは……
 
 未だ目にしたこともない大陸
――。京と筑紫を行き来するばかりの玄武には、その数十倍ともいわれる広大な国土を領する宋という国すら想像もつかないことだった。
 
「我が国には、それこそ世界中からあらゆる国の商人が集まって参ります。砂漠の果てから参る者には髪が黄金色
(こがねいろ)の者や、青い目をした者もおります」
……目が青いだと?」
 玄武はしきりに目を瞬
(しばた)かせた。
 
「手前も初めて目にした折には肝を潰しました
……
 楊の大仰な言い様にも玄武は真顔でうなずく。
「そのような者がこの国に現れれば
……、物の怪の騒ぎどころでは済まぬであろうな……
 と、この時、玄武の脳裏に、ふと昼間見た異形の男が思い浮かんでいた。
 
「そう言えば
……、ここへ参る途上に見かけた男だが……
 ポツポツとつぶやく玄武に楊は首をかしげる。
「子供の身代わりになって鞭で打たれた
……
 楊も思い出したと見えて、大きくうなずいた。
 
「どこの国の者であろうか
……。宋の人間ではないようであったが……
「手前もよくは存じませぬが
……、恐らくは安南(あんなん)か呂宋(るそん)辺りから流れて来た者でございましょう。この春先に季節はずれの大嵐がございましたゆえ、あるいはその折にでも……
 ふいに玄武の表情に表れた小さな影、それを見逃す楊ではなかった。
 
……いかがなされましたか?」
「いや
……、何やら気に掛かってな……
 玄武とは長年にわたり親交を結び、また人心をつかむすべにも長けた楊には、その暗雲の正体も容易に察せられた。
 
「確かに
……。あの様を目の当たりにしては、手前も少々辛うございました。人として、本来であれば賛辞にも値する行い……。しかしながら、それに対してあまりに冷たい衆人の目――異郷の地に生きることの難しさを改めて思い知らされましてございます」
 苦渋の色を見せつつ答える楊に玄武も神妙にうなずいた。
 
「日本は海で他国と遮られておる
……。それゆえ異国の者と触れ合うことに慣れておらぬ。宋の民であれば言葉は違えど、長年にわたりよしみを通じて参った間柄なれば、さほど怖れを抱きはせぬが……
「あれほどあからさまに風貌が異なれば、やはり戸惑いが恐怖を呼ぶのも致し方ありますまい
……
 楊孫徳は大和人の心にも理解を示した。
 
「宋ではどうなのだ? 異国の者に対しては、どのように接しておるのだ?」
 問われて、楊はつと瞳を翳らせた。
「全ての民が仲睦まじうとは
……、残念ながら申せますまい。やはり国力の違いによって虐げられ、蔑まれ、不当に低い立場に置かれる者が存在するのもまた事実にございます」
……
 
「ただ
……、異国の民を目にするのも日常茶飯なれば、一々それに驚くようなこともありませぬ。この世には多くの異なる種族が有ることを知り、共に暮らすこともやむを得ぬ仕儀と認めてはいるのです。しかし、その実、心底打ち解けるという所まではいかない……。悲しいかな、それが我が宋国の現状にございましょう……
「なるほどな
……
 
「何せ言葉の壁は中々に難しきこと
――。ましてや、心を解するのはさらに至難の技にございますからな……
 
 紛れもない異国人である楊の、その真実味を持った言葉を聞きながら、玄武は胸中を渦巻く焦燥にも似た思いと共に、最後の杯を飲み干した。
 
 
  ( 2003 / 07 / 01 )
   
   
 
   
 
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