西の果ての漂流者 (五)
 
   
   夜もふけて、一人手酌(てじゃく)で飲んでいた寿老の前に玄武は静かに腰を下ろした。そして、おもむろに傍らの瓶子(へいじ)に手を伸ばすと、空になった盃に静かに酒を注ぎ入れた。
 
「なあ、寿老
……。どう思う?」
……何のことで?」
 寿老は生返事をしただけで、注がれた盃を口に運ぶ。
「竜のことだ
……
 玄武は手にしていたもう一つの盃にも酒を注いだ。
 
「お頭はどう思っているんで?」
 寿老に逆に問われて、玄武はいささかの戸惑いを胸に一気に濁酒
(だくしゅ)を飲み干した。
「わからん、俺にも
……。なぜ、ここまで連れて来たのか……
……
「ただ、一目見た時からどうも気に掛かってな
……
 
「お頭は情に脆
(もろ)……
「おまえに言われたくないな
……
 玄武は大人げもなく拗
(す)ねてみせ、寿老は白いものが目立つ頭をかいた。
 
「何だか、昔のおまえさんを見ておるようじゃ
……
……うん?」
「初めて会った頃の
……。あの時の命知らずの猛々しいばかりの猪(いのしし)も今では立派な商人――。変われば変わるものよな……
 寿老はしみじみとつぶやいて、また瓶子に手を伸ばした。
 
「人とは、その気になればいくらでも生きて行けるものだな
……。何もかも失い、死を待ち望んでいたはずが……、今もまだこうして命永らえている……
 そのどこかしら淋しげな響きに、寿老は盃を置いて玄武の目を見返した。
 
「後悔しているのか?」
……
「だとすれば
……、わしは余計なことをしたのかもしれぬな……
 寿老の言葉に、玄武は束の間困惑を浮かべ、やがて静かに首を横に振った。
 
「いや
……、そうではない。やはりあの時俺は……、一度死んだのだ。そして、寿老、あんたのおかげで新たな命を手に入れることができた……
……
「俺の目を大きな世界に向けてくれた
……。そのあんたに感謝こそすれ、恨みなどありはしない……
 聞きながら寿老は静かにうなずくと、また盃を口に運んだ。
 
「いったい、何のお話?」
 ひょいと桔梗が顔をのぞかせた。
「何だか、二人とも深刻そうな顔をして
……
 寿老と玄武は顔を見合わせた。
 
「昔の頭の話だ」
「おい、寿老!」
 玄武は俄かに慌て出した。
 
「まあ、私も聞きたいわ」
 桔梗は玄武の隣に腰を落ち着けると、飲みかけの盃を取って一気に飲み干した。
「ほう
……、いつ見てもいい飲みっぷりだ。もう一杯どうだ?」
 寿老は空になった盃にさらに注ぐ。
 
 桔梗は生娘
(きむすめ)と呼べるほどに若くはないものの、匂い立つような女の色香が漂い、都人と言ってもおかしくないほど垢抜けたところがある。
 
「それで
……、昔のお頭って、どうだったんです?」
「それがなあ
……
 
 言いかけて、寿老は玄武の顔色を伺った。が、当の玄武は知らぬ顔を決め込んでそっぽを向いている。寿老は思案顔でしばらく宙に視線を泳がせていたが、やがて、
「はて
……、何であったかのう……
 そのとぼけた口振りに桔梗も呆れた微笑を浮かべた。
 
「どうも近頃、物忘れが激しくてかなわぬ
……。年は取りたくないものじゃ……
 そう言って、ふらりと立ち上がりかけた寿老を桔梗が慌てて支えた。
「ちょっと、大丈夫?」
「大丈夫じゃ! さて、寝るとするか
……
 桔梗の手を邪険に払いのけると、寿老はそのまま鼻歌混じりによろよろと奥へ消えて行った。
 
「上機嫌ね
……
 桔梗は盃を玄武に返し酒を注いだ。玄武はそれを手に取り静かに飲み干す。
「あいつは
……、どうした?」
「よく眠っていますよ
……。安心しきった顔をして……。弥太の高いびきも少しも気にならないみたい……
 そう言って小さく笑う桔梗に玄武は再び盃を勧めた。
 
「相変わらず酒には強いな」
「お互い様ですよ」
 飽きることなく一つ盃を酌み交わす二人には、長年連れ添った夫婦のような落ち着いた趣もある。
 
「それにしても、不思議な子
……。始めはあの外見に少し驚いたけど……、よく見ると中々愛嬌(あいきょう)のある顔をしていて……。それに……、とてもいい笑顔を見せるの。ひとかけらの邪心もないような……。きっと根は純粋で、心の優しい子なのでしょうよ……
 桔梗の独り言を玄武は黙って聞いていた。
 
「なのに、あんなになるまで殴るなんて
……。ひどいことをする連中がいたものね。どう見ても、盗みを働くようには思えないのに……
 真剣に訴えかける桔梗に、玄武は急に笑いが込み上げて来た。
 
「おまえみたいなのは珍しい
……
……
 
「どこの馬の骨ともわからんやつを仲間に引き入れて
……。それも言葉も通じぬ異国の者で、盗みの疑いまでかけられていたのだからな……。普通は弥太みたいに反対するものだろう?」
 それを聞いて、桔梗はまたククッと小さく笑った。
 
「ここに普通の人間なんていたかしら?」
 平然と見つめ返す桔梗に、玄武はしばし呆気に取られながらも、じきに首をすくめて素直に降参した。
 
「それに、あの子が盗みなどしていないと察したから
……、だからお頭も助ける気になったのでしょう?」
……
「私は信じていますよ。お頭のことも、そのお頭が信じた竜のことも
……
「桔梗
……
 
「大丈夫ですよ。利発そうな目をしていますもの。きっと言葉なんてじきに憶えてしまうわ」
 思い掛けず桔梗の後押しを受けて、玄武はその心の片隅にほんの少し残っていた迷いも吹っ切れた思いだった。
 
「京にはいつ?」
 盃に酒を注ぎながら、桔梗がふと訪ねる。
「明後日には発つつもりだ
……
 酌をする手が一瞬止まった。
 
「また急なこと
……。それで、竜も連れて行くおつもりですか?」
「ああ
……
……大丈夫かしら? 京はこの筑紫よりも、もっとあの子には生きにくい場所のような気がするけど……
 桔梗は胸をよぎる幾ばくかの不安をそのまま口にした。
 
「どこでも同じことだ。要はあいつ次第
……。これから先、この国で生きて行く覚悟があるかどうかだ……
……
 
「外見が異なるからこそ、己の方から心を開き打ち解けて行く
……、そうした努力が人の何倍も必要になるだろう。だが、あいつなら……、挫けることなくやりおおせるような気がする……
 
 始めは気まぐれで拾って来たものと
……、そう思っていた。しかし、先ほどからの言動を聞くにつけ、玄武があの素性も知れぬ異邦人を己と対等の人間と認め、さらには深い思い入れさえ抱いていることが、桔梗にも次第に飲み込めてきた。
 
 抜きん出た目利きの才を持つと評される男を、そこまで惹き付けてやまないもの
――それは、当の玄武よりも、案外、この桔梗の方が、見抜いていたのかもしれない。
 
「そうと決まれば大急ぎで着物を繕ってしまわないと
……。いくら何でも着たきり雀(すずめ)ではかわいそうだわ……
 玄武は瓶子を手に取ると、盃になみなみと酒を注ぎ桔梗に差し出した。
 
「いつも世話をかけてばかりで
……、すまん……
 玄武のいたく神妙な顔つきに、桔梗は微笑んでみせた。
 
「本当に手のかかる人間ばかりで
……、おかげで退屈する暇もありませんよ……
 そう言って盃を手に取るや、一気に飲み干した。
 
 
  ( 2003 / 07 / 01 )
   
   
 
   
 
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