京に集う者の横顔 (参)
 
   
   翌日、さっそく吉次は、竜と伝六を従え、法住寺殿(ほうしゅじどの)へ向かった。砂金を始めとする、奥州藤原氏からの献上の品々を届けるためである。
 
「やっぱり重てえな
……
 荷車を引きながら、ぶつぶつと文句を並べる伝六とは対照的に、竜は後ろから黙々と押していた。
 
「ほら、しっかり頼むぞ」
 そう声をかけて、吉次は少し遅れて悠々とついて来る。
 
 六波羅と目と鼻の先にある法住寺殿は、後に、高倉天皇と呼ばれる今上帝の父母である両院の住む仙洞
(せんとう)御所である。
 
 父院とは、昨年、出家して法皇となった後白河院
――。天下人と呼ばれる平相国入道清盛でさえも、その意のままにはならない、数少ない人物といえよう。
 
 そして、生母 建春門院
(けんしゅんもんいん)は、清盛の正室時子の妹であり、早い話が、今の平家一門の権勢は、この義妹の生んだ皇子が、帝の位にあったればこそ、その手にできたものであった。
 
 しかし、ごり押しにも近い鮮やかな交代劇には、少なからず閉口する向きもあり、それがために、建春門院についても、その美貌をもってして、院の寵を独り占めにし、あまつさえ、我が子を帝位に就けるため、並居る皇太子候補を退けた、したたかな女性との風聞が、世間にも流れていた。
 
 真夏の、じりじりと焼けつくような強い陽射しの許、竜も汗だくになりながら荷車を押し続け、ようやく法住寺殿の門柱が目に入る所まで来たものの、突如として、押し返されるような重みを両の手に感じ、そこからいくら押しても、車は前に進まなくなった。
 不審に思い、前を見遣ると、伝六がその場でへたり込んでいた。
 
「おい、どうした? 後もう少しだ。早く中へ運び込んじまってくれ!」
 吉次も荷車の前までやって来て、声を低めて伝六を促した。
 
「もう限界だ
……。一歩も動けねえよ……
 例によって、伝六は気の抜けた声を上げて足を投げ出すと、そのまま座り込んで、梃子
(てこ)でも動こうとはしない。
 
「おい、伝六! 何を寝ぼけたことを言ってやがる! 冗談は大概にしろ!」
 吉次も焦り出した。院の御所の門前で、立ち往生などとは、京童
(きょうわらわ)達には、格好の物笑いの種である。
 
「嫌だね。あんな安い手間賃で
……、割に合わねえよ……
 その開き直った言い草で、吉次もすぐさまその真意がわかったらしい。伝六としては、これで吉次が折れるものと高を括っていたのであろうが、意外や、予期せぬ展開をもたらすことになった。
 
「だったら、そこをどけ! 俺が引く!」
 そう吐き捨てると、伝六を軽々と押しのけて、自ら荷車の持ち手に手をかけた。
「おい、竜、押してくれ!」
「吉次
……
 思いがけない成り行きに、竜も目を丸くする。
 
「伝六、おまえの手間賃はなしだぞ! 途中で仕事を投げ出したんだ
……、文句はあるまい!」
 途端に、伝六の顔は青ざめ、竜も、いったいどうしたものか
……と思案に暮れた。
「ほら、早くしろ! 竜!」
 急き立てられて、やむなく荷車の後ろについた竜を、伝六は恨めしげに眺めた。
 
 やがて、気合十分に引き始めた吉次だったが、竜は伝六の胸中をおもんばかって、どうも力が入らない。思うにまかせない状況に、吉次はわずか2−3歩進んだだけで、額から汗を吹き出していた。
 
「おい、竜! 何をしてやがる! やる気があるのか!」
 厳しい怒声に、竜はつと手を止めると、意を決して、吉次の傍らに回った。
 
「何だ? 竜、おまえもか?」
 汗ばむ顔を袖で仰ぎながら、吉次は意外や、冷めた目を竜に向けた。
 
「吉次、伝六に引かせてやってくれ
……
……
「伝六が前を引いてくれないと、俺も押しづらい
……。吉次、頼む……
 そう言って、竜は頭を下げた。それをしばらくの間、じっと眺めていた吉次だが、やがて、伝六に視線を向けた。
 
「どうするんだ? 伝六
……。竜のやつが、こんなことを言っているぞ……
 思いの他、穏やかな吉次の口調に、伝六の青ざめた顔にも、心なしか、ほんのりと赤みがさしていた。
 
「竜がそこまで言うなら
……、しょうがねえな……。もう少し、頑張ってみるか……
 伝六は照れ隠しからか、わざとすげなく返答して、何事もなかったかのように、車の先頭についた。
 
「よし、竜、しっかり押してくれよ!」
 かくして、荷車は車輪を軋
(きし)ませ、門をくぐり抜けると、ようやく御所の内へと無事に納まった。
 
 法住寺殿の中に入ると、吉次は荷を竜達に任せて、わずかばかりの砂金袋を手に、姿を消した。二人は院の役人の指図で、大きな蔵の中に、次々と荷を運び入れた。
 
「六波羅も広いが、ここも相当なもんだな
……
 荷を運び終えるや、先ほどのしょげようもどこへやら、いつものように、好奇心の虫をうずうずさせて、伝六は辺りを見回し出した。
 
 御所というからには、同じ敷地に、郎党の館まで、所狭しと立ち並ぶ六波羅とは、根本的に趣も異なり、眼前に広がる、木立の深閑
(しんかん)としたたたずまいなど、庭にしては、あまりに広大すぎる感もある。
 
「ちょいと見せてもらうか
……
 言い終わる前に、伝六は足早に歩き出していた。
 
「おい、伝六!」
 慌てて制する竜に、伝六はシッと指を口元に立てた。
 
「おまえも来いよ。おもしろそうだぜ」
 伝六はそのまま役人の目をかすめて、庭の奥へと消え去った。いつもながらのすばしっこさである。
 
 何を言ったところで、聞き入れはしない
……。伝六の性分は知り尽くしていた。
 が、ここは仮にも院の住まう御所である。もし万が一、警護の侍にでも見つかって、揉め事を起こすようなことがあれば、吉次はおろか、その責めは玄武にまで及ぶかもしれない。
 
 竜はそう思い直すと、やむなく伝六の後を追った。
 
   
 
 
 
 
   
 
 
 
  (なんて広さだ……
 
 伝六を追って来たものの、途中でその姿を見失った竜は、我知らず、どうやら奥の御殿に迷い込んでしまったらしかった。
 
 生い茂る木立に陽射しも遮られ、厳
(おごそ)かなる静けさの中には、神域にも似た霊気が感じられる。
 築地塀
(ついじべい)の向こうに広がる喧騒(けんそう)とは、完全に一線を画した別世界がそこにあった。
 
(京の真ん真ん中に、こんな所があるとはな
……
 
 ふと、茂みの中から、館の方をのぞき見ると、庭を臨む濡れ縁
(ぬれえん)に、臈長(ろうた)けた一人の女人(にょにん)の姿があった。身に付けている装束からすると、かなり身分の高い人物であることは明らかだった。
 どこかしら、六波羅の茜姫を思わせる容貌のその人は、何やら物思いにふけっている様子で、竜の目には、ひどく淋しげに映った。
 と、その時、風のいたずらか、辺りの木々が俄かにざわめき、女人は咄嗟
(とっさ)に身を固くした。
 
「そこにいるのは誰か!」
 鋭い声に、激しい動悸
(どうき)が竜を襲う。
 
(どうしたものか
……
 
 恐怖に顔を強張らせ、こちらを伺う女人の様子では、とても、このまま知らぬ振りでやり過ごすことなどできそうにない。
 竜は覚悟を決めて進み出ると、両手をついて額ずいた。
 女人の方も、突然、目の前に現れた見知らぬ者に、いささかの動揺が走ったようだった。
 
「真に人が潜んでいようとは
……
 吹き抜ける風が、時に静かに、時に激しく、木々の葉を揺らしていた。
 
「何者です?」
 落ち着いた、張りのある声が、問い掛けてきた。
「金売り商人 吉次の用で参りました」
 竜は言葉を選ぶように、ゆっくりと答える。
 
……吉次の?」
「はい」
「それで、このような所で何をしていたのか?」
「あまりに広いお館で
……、迷うてしまいました」
 そう答えて、竜はひれ伏さんばかりに額ずいた。
 
「面
(おもて)を上げるがよい……
 言われて、竜は思い惑いつつ、ゆっくりと頭を上げた。が、突如、その目に飛び込んで来た女人の顔に、竜は驚きのあまり、声を上げそうになった。
 
 その華やかな美貌の人は、茜というよりも、むしろ重衡を思わせた。少しばかり切れ長の目元など、実によく似ている。じっと自分を見下ろすその眼差しでさえ、いつも見慣れた重衡のそれのように、好意的と受け取れるほどだった。
 
「その方ですか? 竜と申すのは
……
 この女人は、なぜ自分の名を知っているのか
……。竜はさらなる当惑を胸に、無言でうなずいた。
 
「重衡殿の申していた通りだこと
……。なれど、無断でこのような所まで入り込んで……。他の者に見つかれば、只ではすみませぬよ」
「申し訳ございませぬ
……
 竜は唯々もう、額ずくことしかできない。
 
「女院様!」
 ふいに部屋の奥から、女房の声がして、竜は息を飲んだ。
 
「もうお行きなさい
……。誰ぞに見咎(みとが)められぬうちに……。早う!」
 促されるままに、竜は慌てて立ち上がり、もう一度深々と頭を下げると、一目散に庭の奥へと駆け出した。
 
 女院
――他ならぬ建春門院、その人だった。茜や重衡に似ていると思ったのも道理、二人には、叔母に当たる人物であることを、ようやく思い出していた。
 しかし、その人は、風聞から想像していた、したたかで高慢な様子など微塵もなく、心の奥底に、何かしら、満たされない淋しさを抱えているようにも感じられた。
 
(世間の噂など、あてにならぬ
……
 
 そんなことを考えながら、木立の間を潜り抜けて行くうちに、ようやく先ほどの蔵が目に入った。伝六がいらいらとした顔つきで、待ち受けていた。
 
「どこへ行ってたんだよ!」
 何食わぬ顔で、平然と言ってのける伝六にも、
「ああ
……
 と、答えるだけで、竜はどこか上の空だった。その様子を伝六もいぶかしんだものの、問い詰める前に、吉次が姿を現した。
 
「さあ、帰るぞ!」
 ひと声かけただけで、吉次は、一人さっさと歩き出していた。それを、慌てて追いかけるようにして、竜も伝六と共に、空になった荷車を引いて、法住寺殿を後にした。
 
 その脳裏をよぎるのは、白皙
(はくせき)の麗(うるわ)しき面――。気高くも儚(はかな)げなその残像は、それからしばらくの間、竜の頭から消えることはなかった。
 
 
  ( 2003 / 07 / 18 )
   
   
 
   
 
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