修 羅 の 門 (弐)
 
   
   強い西日も、山の端(は)に隠れた黄昏時(たそがれどき)、3人は、ようやく洛中に入った。
 
 夏の盛りも過ぎ、日増しに早まる暮れ時のこと、足早に家路に急ぐ人影が行き交うのは常日頃の光景ながら、この日は、どこか様子がおかしいようにも思われた。
 
 雑然とした空気は、玄武達にもすぐに感じ取られ、猪熊堀河
(いのくま・ほりかわ)辺りの大路に差し掛かるや、眼前には、我先にと集まる京雀(きょうすずめ)達の人垣ができていた。
 
「何だろう?」
 例によって、伝六は脱兎
(だっと)の如く駆け出し、玄武と竜もそれを追った。
 
「どうしたんだ?」
 伝六は早速、そばにいた京童
(きょうわらわ)から聞き込み始めた。
「摂政様と平家の御曹司の諍
(いさか)いだ」
 
 なるほど、人垣の合間を縫って通りを見ると、一輛の女車
(めぐるま)が、無惨な状態で転がっていた。
 その車の端には、従者とおぼしき幾人かが、これまた見るに堪
(た)えない姿を露にして……。しかし、よく見ると、そのどれもが、顔見知りの者達だった。
 
「あれは、小松谷の
……
 伝六は、すぐさま玄武を仰ぎ見た。
 小松谷
――権大納言 平重盛の館の侍達で、中の一人は、重盛の二男 資盛(すけもり)の従者と、はっきり見てとれた。
 
 近くにいた者の話によれば、事の起こりは、法勝寺
(ほっしょうじ)の御八講(みはっこう)に参上する途上の、摂政松殿基房(まつどの・もとふさ)の行列に、資盛の一行が下馬の礼も取らず、そのまま、横切ろうとしたことにあったらしい。
 
 公家社会のしきたりとして、上位の者の車と行き会った時には、下位の者は道を開け、馬に乗った者は馬から下りて、通り過ぎるのを見送るのが作法とされていた。
 
 従一位にして摂政という、人臣にあって最高の地位を占める基房の行列に対して、平家一門とはいえ、未だ公卿ですらない者が、この下馬の礼を取らなかったことは、身の程をわきまえぬ振る舞いと言えよう。
 
 案の定、基房の従者達は非礼を咎めた。
 しかし、資盛に付き従う者は、揃いも揃って年も若く、日頃から平家の威勢を笠に来て、都大路を我が物顔で闊歩
(かっぽ)するような輩であったから、こちらは天下の平家一門との自負を胸に、一向に道を空けようとはしない。
 双方相譲らぬ構えから、ついには小競り合いとなり、いわんや、この惨状を招いたのだった。
 
「しかし、またひどくやられたものよ
……
「入道相国の孫ともあろうお方がな
……
 冷笑のささやきが、そこかしこから、漏れ聞こえてきた。
 
「伝六、小松谷に一っ走りして、事の次第をお伝えしろ。それから、すぐに迎えの車を寄越していただくよう
……
 事情を飲み込んだ玄武は、すかさず伝六に指示を与えた。
 
 郎党達の様子からして、館まで駆け戻った者がいるのか、それすらも疑わしい。皆、とりたてて深手を負った様子はないのだが、といって、自力でこの苦境を脱する気概
(きがい)のありそうな者も、一人として認められない。
 自業自得の所行とはいえ、玄武としても、このまま黙って見過ごしにすることはできなかった。
 
「おい、竜
……
 伝六の声に、玄武もハッとした。傍らにいたはずの竜が、いつの間にか、身を乗り出すようにして、未だ闘諍
(とうじょう)の余韻覚めやらぬ惨状を、一心に見つめていた。
 
「どうした? 竜」
 そう玄武が口にするやいなや、竜は人の波を押し分け、前に進み出た。
「どこへ行くんだよ!」
 伝六の声にも、つゆとも振り返ろうとはしない竜に、玄武も一抹の不安を覚えた。
 
 竜はそのままゆっくりと女車に歩み寄ると、目を細めて、御簾
(みす)の破れ目から中をのぞき見た。
 
 資盛が車の奥で震えていた。未だ、13歳の世間知らずの少年とはいえ、さすがに、事の重大さに気付いたのだろう、頭を抱えている。
 牛飼い童も逃げ出したと見えて、轅
(ながえ)の外れた牛は、気が立つあまり、近づく竜に、何度も角を突き立てようとした。
 
「危ねえぞ!」
 伝六もたまらず、飛び出した。が、竜はそれには目もくれず、牛の傍らに立つと、その背中にそっと手を置いた。
 
「怖がらなくてもいい。何もしないから
……。誰も、おまえを傷つけたりしないから……
 諭すように牛に語り掛ける竜に、皆が呆気に取られた。
 
「何だい、ありゃ? 牛と話をしてやがるぜ」
 あからさまな嘲笑
(ちょうしょう)が、どっと沸き起こる。
「おい、竜! よせよ! 牛飼いがいないんじゃ、どうにもならねえだろう!」
 傍らで、伝六がわめくのも一考だにせず、竜はなおも牛と向き合っていた。
 
「伝六!」
 ふいに、玄武が伝六の肩をつかんで制した。
「お頭
……
 玄武は、静かに首を横に振ると、黙って成り行きを見守った。
 
「大丈夫だ
……。皆おまえを笑っているわけではない……。心配するな……
 
 周囲の雑音をよそに、竜のなだめの言葉は、牛の荒い鼻息を確実に和らげ、その明らかな変化を目の当たりにするや、辺りも俄かに鎮まり返った。
 やがて、竜は轅を持ち上げると、牛を軛
(くびき)に繋いだ。もちろん牛も抗いはしなかった。
 
「良い子だ。さあ、帰ろう
……
 牛は竜の言うままに、車を曳
(ひ)いて歩き出した。居並ぶ衆人は、誰一人として、声を上げることもできず、ただ呆然と見送るだけだった。
 
「お頭
……。あいつ、いったい何なんだよ……
 伝六は、恍惚
(こうこつ)とした面持ちで、小さくつぶやいた。
 
「さあな
……。俺にもわからん……
 そう答える玄武の目も、不思議なものを見たように、呆
(ほう)けていた。が、すぐさま我に返ると、伝六を促し、急ぎ轍(わだち)の後を追った。
 
 
  ( 2003 / 08 / 26 )
   
   
 
   
 
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