修 羅 の 門 (参)
 
   
   この日、中御門(なかみかど)の自邸に戻った摂政基房は、闘諍(とうじょう)の相手が、重盛の二男 資盛だったと知り、慌てふためいた。
 従者のしたこととはいえ、よりによって、あの清盛の孫を相手に、何とも大人げのないことを、仕出かしてくれたものだと
……
 
 翌朝、基房は、狼藉に及んだ当事者に勘当を言い渡すなど、保身のためとはいえ、いささか冷酷に過ぎる処断を下し、小松谷の重盛の館へも、謝罪の使者を送った。
 ところが、重盛からは何の返答もなく、以来、基房は日々、不安と恐怖に苛
(さいな)まれることとなった。
 
 摂政とはいっても、弱冠27歳
――。また、老練な清盛や、賢明の誉れの高い重盛を相手にするには、余りに脆弱(ぜいじゃく)な気質の持ち主でもあった。
 
(何ゆえ、このようなことになったのか
……
 
 今回の事件の根をたどる時、忘れてはならないことの一つに、数年来の摂関家と平家一門との確執があった。
 
 基房の前の摂政は、兄の基実
(もとざね)であったが、摂関家との結びつきを深めるため、清盛は自身の娘をその基実に嫁がせていた。重衡と同い年の異母妹盛子(もりこ)である。
 
 当時22歳の基実に、花嫁の盛子はわずか9歳。さらに、基実には、先妻との間に生まれた5歳の嫡子基通
(もとみち)がおり、まさに絵に書いたような政略結婚だった。
 ところが、それからわずか2年後に、基実は24歳の若さで急逝
――。この時ばかりは、さしもの清盛もひどく慌てた。
 
 そもそもこの縁組は、摂関家との融和を図ることを第一議としたものではあったものの、あわよくば、盛子との間に生まれた男子を氏の長者となし、外戚として、摂関家を操るという絵図面も、無論、清盛の頭の中にはあったわけで、その目論見
(もくろみ)が、こうもあっけなくついえようとは、全く思いもよらぬことだった。
 
 しかし、そこで簡単に引き下がる清盛でもなかった。
 次なる策として、未だ幼少の基通を盛子の養子とし、基通の受け継ぐべき所領などを、養母が管理するという名目で盛子に相続させ、その結果、代わって摂政の位に就いた基房の手には、ほとんど渡ることはなかったのである。
 が、その盛子とて11歳。いとけない童女に何ができるわけでなく、実のところは、全て清盛の思うがままであった。
 
 摂関家領の横領
――。基房がこれを不服としたことは言うまでもない。しかし、かつての権威を失いつつある摂関家に、日の出の勢いの平家を敵に回して、あからさまに抗するだけの力はなく、結局の所、理不尽な沙汰も甘んじて受け入れるより他なかった。
 が、さりとて、その胸中を占める恨みの心が消えるはずもなく、そうした日々のわだかまりの積み重ねが、今回の騒動の引き金となったことも否めないであろう。
 
 騒動から数日の後、騒ぎを聞きつけた右大臣九条兼実
(くじょう・かねざね)が、基房の許を見舞いに訪れた。兼実は、基房の5歳下の異母弟にあたる。
 
「京中は、先日の噂でもちきりですぞ」
 兼実はニヤリと笑って、口調も実に滑らかだった。
 
「とんでもないことになった
……
 方や基房は、青白い顔を両手で覆った。
 
「平相国の孫を相手に、あのようなことを
……。後が恐ろしい……
「殿下に非はあらず。小松殿の公達にこそ、非があるのではありませぬか」
 兼実は、その若さに似合わず、古式に通じた博学者だけに、物の道理を公然と並べ立てた。
 
「さような理屈の通る相手ではない! 先日遣わした使者にも、未だに何の返答もない
……。何でも、小松殿の怒りは、凄まじいばかりと申す声もある。いったい、これから先、いかがしたものか……
 基房はもはや頭を抱えるばかりであった。
 
「小松殿は温厚にして、誠実なお人柄
――。よもや、常軌を逸(いっ)した振る舞いには及びますまい……
 言葉を尽くして慰撫
(いぶ)する兼実にも、
「他人事
(ひとごと)と思うて悠長な! あの入道相国の子ぞ! いざとなったらわからぬ!」
 
 基房は差し詰め、蛇ににらまれた蛙
(かえる)のように怯(おび)えきって、兼実の言にも、聞く耳すら持とうとはしなかった。
 
「恐ろしゅうて、外にも出られぬ
……。そうじゃ! 当分出仕は致さぬ! 万事は、右府のその方に任せるゆえ」
 兼実は唖然とした。
 
「殿下
……
「良きに計らうがよい!」
 
 日頃より、摂関家の権威の失墜を憂える兼実は、氏の長者たる異母兄のあまりに不甲斐ない姿に、もはや、呆れ返るばかりであった。
 
   
 
 
 
 
   
 
 
 
  「この間は大変だったそうだな……
 
 資盛の起こした騒動以来、一向に竜が六波羅に姿を見せないため、事の顛末
(てんまつ)を知りたくてうずうずしていた重衡は、ある日、こっそり館を抜け出し、自ら玄武の宿に赴いた。
 
「おまえ達が、資盛を小松谷まで運んだそうではないか
……。父上の許にも遣いの者が参って、事の仔細(しさい)を報告しておったぞ」
 傍らの竜は、重衡の話に聞き入る様子もなく、ただ、黙々と薪
(まき)を割り続けていた。
 
「全く、あの資盛も短慮なことをしたものだ
……。従者を制すこともせず、挙げ句の果てには、醜態(しゅうたい)をさらし……。おまえ達がおらねば、どうなっておったか……。小松殿も事を重く見て、資盛を伊勢に下らせ、謹慎させることになされたらしい……。おい、聞いているのか?」
 
 さすがに重衡も、竜が相槌
(あいづち)の一つも打たず、己一人が喋っていることに、いささか気分を害した。
 
「聞いている
……
 竜は、鉈
(なた)を振るう手を休めることなく、素っ気無く答えた。
 
「父上も誉めておられたぞ。頼りにならぬ従者達に替り、資盛をよくぞ連れ帰ってくれたと
……。商人といえども、侍に優る忠義よとな……
 
 竜の手柄を我が事のように喜び、重衡は少しばかり有頂天になっていた。が、手にしていた鉈を放り捨て、ようやく向き直った竜は、ひどく不機嫌そうな顔をしていた。
 
「別に、誉められたくて、したことではない
……
「それは、そうだろうが
……
 
 どうにも竜が怒っているように思われて、重衡も俄かに緊張の面持ちになった。しかし、竜はそのままくるりと背を向けると、一人さっさと裏庭から出て行った。
 
……何だ? 変なやつだな……
 重衡は、何やら狐につままれたような心地だった。
 
「あいつの気持ちも
……、わからなくはありませんがね……
 ふいに現れた弥太が、散乱した薪を拾い集めながら、おもむろにつぶやいた。
……どういうことだ?」
 重衡に真っ直ぐな瞳を向けられて、弥太も一瞬言い淀んだ。
 
「己の姿を見ているようで
……、たまらなかったんでしょう……
……己の姿?」
 重衡は首をかしげた。
 
「私は、その場を見たわけではありませんが
……、小松の若様は、それはひどいやられようだったそうで……
「ああ
……。私もそう聞いている……
 六波羅に仕える郎党達の噂話から、重衡にも大よそのことは想像がついた。
 
「重衡様は御存じないかもしれませんが
……、昔、竜のやつも、ひどい目に合ったことがあるんですよ」
……ひどい目?」
 弥太の遠回しな言い様に、重衡も次第に焦れてきた。
 
「あいつは見ての通り、少し他の者とは違いますからね
……。そのせいで、盗みの疑いをかけられて、袋叩きにあったことがあるんですよ……
……
 
「無論、濡れ衣でしたが
……、言葉が通じないばっかりに、反論もできずに……。そりゃあ、ひどいものでした。お頭が止めに入らなかったら、ひょっとすると、命を落としていたかもしれませんよ……
 初めて聞く話に、重衡は大きな動揺を見せた。
 
「今じゃ、平気な顔をしていますが
……、あの時のことは、今でも、あいつの心の中に、大きな傷として残っているんでしょう。それで、小松の若様を見て、放っておけなかったんだろう……って、お頭も言ってました」
 
「そのようなことがあったのか
……
 重衡は、愕然
(がくぜん)とする思いだった。
 
 これまで、自分の前では、めったに暗い表情など見せたことのない竜だったが、その笑顔の下に隠された、もう一つの顔
――
 重衡自身は、一度としてこだわったことはないものの、人種の壁なるものの持つ理不尽なまでの非情さを、改めて突きつけられた思いだった
 
「私だって、偉そうなことを言えた義理ではありませんがね。お頭があいつを引き取ると言い出した時には、猛反対した口ですから
……
……
「盗人を仲間に入れる気か!ってね
……
「弥太
……
 
「けど、お頭の目に狂いはなかった
……。恥ずかしいですよ……。あいつの本当の姿を、見ようともしなかった自分自身が……
 
 重衡もハッとした。人が何と思おうと、いかに謗
(そし)られようと……、自分は竜という人間を信じている、それで十分ではないかと……
 
「だいたい
……、あんな、馬鹿のつくくらい人の良いやつは、そうはいませんからね……
 重衡にとっても、それが目の前の真実だった。
 
「とうに知っている。この重衡の命の恩人だからな
……
 
 そう言って、重衡は弥太に笑って見せた。同時に、その心の奥底に抱く信頼に、いささかの揺らぎもありはしないと、自らにもまた、言い聞かせていた。
   
 
 
 
 
   
 
 
 
   資盛の陵轢(りょうりゃく)の一件の後、摂政基房は平家の報復を恐れて、外出を控えるようになり、取り立てて何が起こるというわけでもなく、三月余りが経った。
 いつしか、京雀達の間でも、あの騒動が口に上ることはなくなっていた。
 
 そうした油断もあったのだろうか
……。基房は、久方ぶりに参内することになった。というよりも、この日の朝議が、今上帝の元服の儀式について仔細を取り決めるという、とりわけ重要なものであったために、摂政たる身が欠席するわけにはいかなかったのが実情である。
 
 やむなく、束帯を着け、威儀を正して、牛車で館を後にしたのだが
……。その日、基房が内裏に姿を現すことはなかった。
 
 300余騎もの甲胄
(かっちゅう)で身を固めた荒武者が、行列に襲い掛かったのだという。
 前駆
(さきがけ)の者を馬から引きずり降ろして追い回し、さらに、随身の髻(もとどり)を切り落とすなどの甚だしい狼藉の前に、ついには、基房も出仕を取り止める他なくなった。
 
 御簾も引き落とされ、無惨この上ない様となった車に、一人残った牛飼い童が付き従い、這う這う
(ほうほう)の体(てい)で、中御門の館まで戻ったという噂は、その日の内に、都大路を駆け抜け、洛中を震撼(しんかん)させた。
 
 兵を差し向けたのは、言わずと知れた平家一門であり、基房は強烈な報復を受け、摂政としての面目を失なうこととなった。
 ただ、それを指図したのが、重盛とも清盛とも噂が飛び交い、重衡にも、事の真相はよくわからなかった。
 
 折りしも、父清盛は摂津国の福原に下向中と、京を留守にしている間の出来事であった。が、だからといって、ただちに重盛の指図と断言できるものでもない。たとえ福原にいても、命令を出すことは可能だった。
 
 それに、温厚というよりは、どこか事なかれ主義とも取れる重盛の性格からして、我が子可愛さに逆上してとは、考えにくいことでもあった。
 
 むしろ、今なお平家を蔑視
(べっし)する公卿連中にとって、最後の砦(とりで)ともいうべき摂政の面子(めんつ)に泥を塗り、政(まつりごと)を真に動かす平家の力を認めさせる政治的効果を狙って、父や叔父時忠が仕組んだものと見る方が、よっぽど納得が行くと、重衡は考えていた。
 
 現に、この一件を境に、平家の専横は、さらにその度合いを増して行くことになる。
 しかし、それが、修羅道に足を踏み入れた最初であることを、一門の誰一人として、気づく者はなかった。
 
 
  ( 2003 / 08 / 26 )
   
   
 
   
 
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