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合わせ鏡の悲哀 (壱) |
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降って湧いたような姉の恋患い――。
相生から知らされた時には、正直言って、重衡も驚きを隠せなかった。これも、2人が、あまりに身近すぎる存在だったためか……。
しかし、それだけに、重衡の興味はいやが上にも増し、どうにかして、事の真相を確かめたい……との衝動に駆られたものの、肝心(かんじん)の竜が、一向に六波羅には姿を見せないため、なすすべもないまま、いつしか、半月余りが過ぎようとしていた。
それにしても、これまで在京の間は、5日と置かず訪れていたものが、いったい、どうしたことか……。
重衡は妙な胸騒ぎを覚え、明日あたり、思い切って、玄武の宿を訪ねてみようと考えていた矢先のこと、荷車の一行が、六波羅の門をくぐるのを目にして、慌てて後を追った。その中には、案の定、伝六の姿があった。
「あっ……」
重衡の顔を見るや、伝六はきまり悪そうに、落ち着きない素振りを見せた。
「どうした?」
「いや……、別に……」
伝六は、誤魔化(ごまか)すような作り笑いを浮かべて、中々、重衡とは目を合せようとはしない。
「この所、とんと現れぬゆえ、気になっておったのだぞ。それにしても……、あの連中は何者だ?」
重衡は、先ほどから、伝六の背後で荷降ろしに勤(いそ)しむ、2人の見慣れぬ男達を指して尋ねた。
「ああ、あれは吉次の所の……。手が足りねぇんで、何人か回してもらっているんだ」
「手が足りぬとは……、そんなに忙しいのか?」
「そりゃあ、急に、皆いなくなっちまったからな……」
つい口が滑った……とばかりに、伝六は慌てて、両の手で口元を覆った。
「……いなくなった? どういうことだ!」
「いや……、それは、その……」
伝六の返答はしどろもどろで、どうも要領を得ない。しかし、少なくとも『皆』の中に、竜が含まれていることは、重衡にも容易に察しがついた。
「竜はいかがしたのだ! はっきりと申さぬか!」
重衡のあまりの剣幕(けんまく)に、伝六はあっさりと観念した。
「おいら達が行くといったら……、一つしかないだろう?」
言われて、重衡もようやくピンときた。
「よもや……、筑紫へ下ったと申すのではあるまいな!」
血相を変えて詰め寄る重衡の勢いに、伝六は卒倒(そっとう)しそうになりながら、夢中でうなずいた。
「いつ!」
「かれこれ……、十日近くなるかな……」
「なぜ、それを早く申さぬ!」
「そんなことを言われても……。お頭から、当分の間、重衡様には黙っておくようにと、きつく言われていて……」
「……玄武が?」
重衡も、すぐには、事の次第が飲み込めなかった。何ゆえ、玄武もわざわざ口止めなどしたのか……。そうまでして、筑紫への下向を隠さねばならなかった理由とは、いったい何なのか……。
「そもそも、おかしいではないか! いつも京を離れる時には、必ず挨拶に参るものを!」
「とにかく急な話で……。決まった次の朝には、もう、宿を発って、鳥羽の津へ向かったんだ……」
筑紫と京を、年に幾度となく行き来するのが、常のこととはいえ、竜が自分に黙って出立するなど、これまで一度としてなかったことである。それだけに、今回のあまりに慌しい筑紫下向には、重衡も只ならぬものを感じた。
「こんなことは初めてだ……。どういうわけか、俺らは置いてきぼりにされちまうし……」
伝六にしても、一人のけものにされたようで、面白くないのだろう、ふて腐れた顔をして、その不満を隠そうともしなかった。
「しかし、何があったというのだ! 何ゆえ、これほど慌てて、京を離れねばならなかったのだ!」
なおも、重衡は執拗(しつよう)に問い詰めるものの、まるで事情を知らされていないらしい伝六が相手では、納得の行く答えなど、とても引き出せるものではなかった。
「もう、よい……」
重衡も諦めて、くるりと背を向けかけた時、ふと、伝六が思い出したようにつぶやいた。
「そういやあ……、あの日、お頭は、小松谷(こまつだに)に呼ばれていたな……」
重衡は、咄嗟(とっさ)に向き直っていた。
「もしかしたら……、そちらの御用だったのかもしれねえ……」
俄かに出て来た兄重盛の名に、重衡はハッとした。
「……小松谷? それは真か!」
「……ああ」
伝六がうなずくのを見て、重衡は、すかさず踵(きびす)を返した。
「おい! どこへ行くんだよ!」
何が何やら、皆目わからぬままに、伝六は、重衡の後ろ姿を、呆然と見送るだけだった。
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重衡は、泉殿を後にすると、真っ直ぐ、小松谷の重盛の館へと向かった。
「小松殿はおいでか!」
取り次ぎに出て来たのは、甥の維盛(これもり)だった。
「いえ……、今は不在にございます」
兄重盛の嫡男である維盛は、重衡より一つ年下の15歳。やや線の細い貴公子然とした風情は、宮中の女房達の羨望(せんぼう)を一身に集め、『光源氏もかくや……』と評されるのにも、うなずかざるを得まい。
が、その双眸(そうぼう)は、どこか人を拒むような冷たさに彩(いろど)られ、日頃、決して本音を表に出さないこの甥が、重衡はどうも苦手だった。
「いつ戻られるのだ!」
「伺ってはおりませぬ。差し支えなくば、代って、私が承りまするが……」
維盛の落ち着き払った応対に、重衡も、とうとう苛立ちを抑えきれなくなった。
「そなたでは話にならん! 小松殿に直接お話しする!」
つい大声を出した重衡にも、維盛は顔色一つ変えることはなかった。
「御用の向きは……、大方、竜とか申す者のことでございましょう?」
平然と言ってのけた維盛に、重衡は瞠目(どうもく)した。
「そなた……、何か存じておるのか?」
「……」
「やはり、小松殿が竜を京より追い出したのか!」
興奮のあまり、身を乗り出した重衡は、あわや、維盛の胸座(むなぐら)につかみかかりそうな勢いだった。
「……追い出したわけではありませぬ。唯、京より遠ざけるようにと、忠告したまでにございます」
「同じことではないか! 何ゆえそのような……」
怒り心頭の重衡に対し、維盛はどこまでも冷静さを欠くことはなかった。
「あの者がいては、後々、厄介(やっかい)なことになりますゆえ……」
「どういうことだ!」
維盛の言わんとすることが、重衡には一向に見えてこない。
「ご自分の母君や、叔父殿の動きぐらいは、いつでも把握(はあく)なさっておかれるべきでしょう……」
「何と!」
重衡は、キッと眉(まゆ)を吊り上げて、維盛を見返した。
「叔母上のことにございます」
「……姉上の?」
「近頃、六波羅に仕える女房どもが、何やら騒いでおることぐらいは、お耳にしておられましょう……」
それを聞いて、重衡も絶句した。
「叔母上の恋のお相手は、いったい誰であろうかと……、詮索好きの女房連中が、あれこれ、噂し合っております。それが、竜と知れる前に……」
重衡自身は、相生に言われるまで、まるで気づかなかった2人の関係――。それを、維盛がいとも簡単に口にしたことは、二重の驚きだった。
「維盛……。そなた、何ゆえ、それが竜と……」
「先日、京の市中を忍び歩く2人を見かけました」
重衡は、ふいに冷水でも浴びせられた思いだった。
万に一つも、そのような所を、一門の誰かに見咎められることなどあるまいと、安易に2人を送り出した己が思慮の浅さ――、悔やんだ所で、後の祭りだった。
「よもや、そのことを小松殿に……」
尋ねるまでもない。維盛が二人のことを、兄重盛に告げ口した……。それがために、竜は京を去らねばならなくなったのだ……。
途端に、維盛に対する憎悪が込み上げてきた。
「何と、余計なことを!」
涼しげな維盛の目には、何のやましさも見受けられない。それがまた、重衡の怒りを煽(あお)り立てた。しかし、その燃えさかる気炎も、次の一言によって、瞬く間にかき消されていた。
「入内(じゅだい)の話が、内々に進められています」
維盛のあっさりとした語り口に、その言葉の持つ意味の重大さに気づくまで、少しの間がかかった。
「……入内だと?」
「既に、一院(後白河)の御内諾も取り付け、年内には実現の運びと……」
重衡には、まるで寝耳に水の話で、とても、俄かに信じられることではなかった。
「……武門の娘の入内など、前例のなきこと。いかに父上でも、そのように大それたことまで、お考えにはなるまい」
いくら、政(まつりごと)に疎い重衡でも、朝廷内の不文律ぐらいは心得ている。
これまで、幾多もの前例無視の昇進を繰り返し、今や、一大勢力を成す平家一門といえども、所詮、武家は武家。未だかつて、皇女あるいは公家の娘にしか許されたことのない入内など強行すれば、暴挙の謗(そし)りを受けることは必定であった。
「前例など、いかほどのものにございましょうや……」
重衡の切り返しに応じた維盛は、まるで動じる様子もなく、むしろ、冷笑すら浮かべていた。
「そもそも……、平家の血脈が、帝の御位にあることからして、もはや、前代未聞のことではございませぬか。それを、今さら前例がどうのこうのと……」
「しかし!」
「一門の権威を保つには、何としても、外戚の座を手放すわけにはゆきませぬ。そして、相国殿は他の誰でもない、茜の姫君こそ、その任を担うにふさわしいと……、そうお決めになられたのです」
驚きのあまり、言葉もなかった。自分の預り知らぬ所で、そのような計画が、密かに進められていようとは……。思いがけない話の展開に、重衡は頭の中が真っ白になった。
「それに……、相国殿はともかく、時忠卿は……、こうと思われたら、手段を選ばぬお方。もし、今二人のことが明るみになれば……、果たして、竜は無事にいられましょうや……」
毅然とした維盛を前にして、重衡は今さらながら、己の無知の程を思い知らされ、ひどくみじめな気分だった。
「あの者には借りがある……、資盛(すけもり)の一件で。それゆえ、せめて命だけは……、助けてやりたかった……」
この時、維盛の憎らしいほど冷たい眼(まなこ)に、一瞬、暖かいものが通(かよ)ったように見えたのは気のせいか……。
「本来なら、あなたがもっと気を配って然るべきことでしょう……。それを、よりによって、2人きりにさせて……」
「……」
「あまつさえ、その事の重大さにも、まるでお気づきにならない……。一門の内に身を置くからには、今の平家がいかなる立場に置かれているか……、今一度、とくとお考えいただきたいものです」
維盛の畳み掛けるような口説(くぜつ)の前に、さしもの重衡も返す言葉がなく、その場はただ、黙って引き下がるよりほかなかった。
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( 2003 / 12 / 26 ) |
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