合わせ鏡の悲哀 (参)
 
   
   法住寺殿を後にした重衡は、さらに重苦しい思いを抱えて、六波羅の館へと戻った。
 
 よもや、姉の恋が、このような大事になろうとは
……。二人の恋心を知ってほくそ笑んだことも、今となっては、自らの愚かさをいや増す種でしかない。
 
(それにしても、竜の筑紫下向を、姉上にいったい何と説明すればよいのか
……
 これには、重衡もさすがに頭を抱えた。
 
 入内の話は、未だ公にされていない現状にあっては、茜自身もまるで預り知らぬことであり、到底、真相を口にするわけにはいかない。
 が、だからといって、他にうまく納得させる口実があるのかといえば、これもまた、簡単には見つかりそうにはなく、願わくば、今日だけは茜に会いたくないものと、人目を避けるように、こっそりと自室に向かった重衡だったが、あにはからんや、相生につかまり、当の姉の前に引き出されることになった。
 
……お呼びにございますか?」
 顔を上げて、重衡は愕然とした。これほどまでに、やつれ果てた姉の姿を目にしようとは
……
 
「重衡、待っていたのよ。どこへ行っていたの?」
……はあ。いえ、大したことでは……。それより、御用の向きとは?」
 茜の問い掛けに、どぎまぎしながら、これをごまかすと、重衡は恐る恐る尋ねた。
 
……ええ。そなたにしか頼めないことです」
 いつもの姉らしくもなく、慎ましやかに切り出した。
「明日、竜をここに連れて来て!」
……
「どうしても、竜に会いたいの!」
 予想していたこととはいえ、やはり重衡の動揺は大きく、視線の先を落ち着けることもできない。
 
「姉上、それは無理にございます
……
「重衡、この通りよ」
 そう言って、手をついた茜に、重衡は目を見張った。
 
 一つ違いとはいえ、年上で、どちらかといえば、気の強い茜は、これまで重衡に対して、尊大な態度を取ることはあっても、へりくだることなどありえなかった。
 その姉が、今こうして自分に額ずいている
……
 事ここに至っては、重衡も、茜の恋心が、真実偽りのないものと、確信せざるをえなかった。が、それだけに、竜が既に京を離れたことを告げるのは、あまりに残酷で、忍びなくも思われた。
 
「姉上、無理なものは、無理にございます!」
 そう答えるのが、やっとだった。しかし、そんな返答で、茜が納得するはずもない。
 
「わかりました。そなたにはもう頼みませぬ! 私が自分で参ります! 館を抜け出してでも
……
 重衡の苦衷
(くちゅう)など知る由もなく、茜はきっぱりと言い放った。
「姉上!」
 
「この何日かの間、私がどんな気持ちでいたか
……。自分でも、もうどうしていいか……、わからない……
……
「竜に会って、はっきりさせたいの。この胸の苦しさが、竜への想いゆえなのか
……
 
 もう幾夜も深いまどろみを妨げられた眼差しは、艶冶
(えんや)な愁いをにじませて、目前の重衡へと一心に向けられた。
 かくも悲痛なまでの風情を見せられては、これ以上のごまかしは、かえって姉を傷つけることになると、重衡もとうとう覚悟を決めた。
 
「姉上
……、竜は、もはや京にはおりませぬ……
……えっ?」
 思い切って告げた重衡の言葉に、茜は呆然自失となった。
 
「今日、六波羅に参った伝六の口から直に聞いたので、間違いありませぬ。10日ほど前に筑紫へ向けて旅立ったと
……
「そんな
……。嘘よ! 私に一言の挨拶もなしに……
「急に決まったことらしゅうございます」
 姉の表情には、動揺の色が、ありありと見てとれた。
 
……いつ戻るの?」
 縋るような目で見つめられて、重衡は答えに窮
(きゅう)した。
……わかりませぬ」
 他に返答のしようもあるまい。
 
 いつもなら、三月もすれば、京に戻って来るところだが、今回ばかりは、茜と引き離すために、兄重盛が玄武に命じたことだった。とすれば、あるいは、2度と戻っては来ないのかもしれない
……
 安易な気休めを言うことは簡単だったが、それでは、いっそう、姉自身が傷つくことになると、重衡もここは自重した。
 
「姉上
……
 慰めの言葉も浮かばず、重衡もすっかり途方に暮れた。
 
「もう退がりなさい
……
 長い沈黙の後、茜はようやく声を振り絞った。
 
「私を一人にして!」
 
 涙こそ見せなかったものの、茜はうなだれたまま、身動き一つできずにいる。重衡はやる方ない思いを胸に、無言のまま部屋を後にした。
 
 
 
 
 
   
 
 
  「重衡様……
 廊
(ろう)に出ると、不安げに様子を伺う相生の姿があった。
 
「私は無力だな
……
 ふいに、重衡はひどい脱力感に襲われていた。
 
「あのような姉上を初めて見た
……。愚かしいまでに一途な……
「恋の力にございましょう。姫様はそれほどまでに
……
 相生の言葉に、重衡も静かにうなずいた。
 
「そうなのだな
……。だが、私には、どうすることもできぬのだ……
「重衡様
……
 
「追いかけて
……、竜を連れ戻して済むことなら……、今すぐ筑紫にでも、どこにでも参ろう……
……
「しかし、そのようなことをすれば
……、今度は、竜の命が危うくなるのだ!」
 相生の顔が、瞬時に青ざめた。
 
「私は、何も見ていなかったのだ
……。政(まつりごと)など、どこか遠く離れた、この身には、まるで無縁のものと……、そう思っていた……
……
「しかし、一門の人間である以上、断じて、見落としてはならなかったのだ! 今少し、そのことに目を向けておれば
……。今日という今日は、己の馬鹿さ加減に、ほとほと嫌気がさした……
 
 事あるごとに、ただ一人の友だと
……、そう豪語しておきながら、肝心な時に、何の力にもなりえなかった自分が、何と頼りない、情けない存在であったか……
 
 ただ、自らを責め苛むことしかできない重衡を前にして、相生も胸が塞
(ふさ)がる思いだった。
 
「姉上をここまで追い込んでしまった
……。何もかも、私のせいだ……
「そのようなことはございませぬ!」
 相生は、重衡の袖にひしと取り縋り、何度も首を横に振った。
 
「姫様の御心
(みこころ)……、もうずっと以前から、竜を求めておられました……
……
 
「あの厳島の社で、初めて出会った時から
……。二人の見つめ合う眼差しには、誰にも遮(さえぎ)ることのできない、強い光が宿っていましたもの……。私は、それがとても恐ろしいことに思われて……、何度も、姫様にその場から離れて下さるようにと、申し上げました。けれど、姫様は……、どうしても、竜から目を逸(そ)らすことができなかった……
「相生
……
 
「きっと
……、運命だったのでございます。たとえ、重衡様や私がどんなに邪魔をしようと……、姫様の御心が変わることはなかったと思います」
 
 あるいは、これも天の啓示か
……。重衡は相生の真摯(しんし)な眼差しを前に、小さく息をついた。
 
「運命か
……
 重衡は虚ろな笑いを浮かべた。
「だとすれば
……、何とも残酷な仕打ちだな……
 結ばれえぬ恋のつらさが、未だ、恋を知らぬはずの重衡にも、ひどく切なく思われた。
 
「相生、姉上を頼む。せめて、そばにいて、お慰めしてくれ
……。おまえの前でなら……、涙をこぼすことも、恨み言の一つも、口にすることもできよう……
 
 涙で全てを洗い流すことができるなら
……。無理とは承知でも、今の重衡には、それくらいのことしか思いつかない。
 そして、相生も、そんな重衡の意を察したように、黙ってうなずくだけだった。
 
 
  ( 2003 / 12 / 26 )
   
   
 
   
 
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