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重衡と維盛は、控えの間に通されていた。
茜と二人きりで話がしたいとの建春門院の意向から、同席することは許されず、二人は何を話すでなく、無言のまま坐していた。
口を開けば、また、意見が真っ向からぶつかり合うことは目に見えており、場所柄を考えれば、口をつぐんでいるほかなかったのである。
やがて、そんな妙に張り詰めた空気の漂う中に、二人の女房が現れた。
一人は、名を健御前局(たけるごぜんのつぼね)といい、歳は重衡と同じ弱冠15歳ながら、既に、12の時から女院の元に出仕しており、また、歌人として名高い藤原俊成の娘ということもあって、昨今は、才媛(さいえん)の誉れも高い。
それとは対照的に、その傍らに控える人は、さらに歳若く、女房というより、女の童といった方が似つかわしい風情であった。
「そちらの方は? 度々、こちらには伺うておりますゆえ、大抵の方は存じておりますが……」
重衡は、顔なじみの健御前に、それとなく素性を尋ねた。
「はい、まだこちらに出仕して間もない、新参の女房にございます。名を新大納言君(しんだいなごんのきみ)と申します」
「新大納言にございます」
額ずいて、そう名乗った女房の声には、緊張のほどが伺えた。
「新大納言と申されると……」
「成親(なりちか)卿の御息女(そくじょ)にございます」
重衡が尋ねようとするのを、維盛が遮(さえぎ)って答えた。
「小松の少将様には、縁(ゆかり)の方……、よくご存知でいらっしゃいますわね」
健御前は、思わせぶりに、維盛とその女房を交互に見遣った。
「弟清経(きよつね)らとは、従姉弟にあたられますゆえ……」
維盛は相変わらず、顔色一つ変えず、平然としたものだった。
新大納言藤原成親とは、後白河院の第一の側近であり、その妹を正室とする重盛とは、義兄弟の間柄にあるが、維盛の母はその正室ではないため、直接には血の繋がりはない。維盛の実母は、重盛同様、さして身分の高くない女官だったらしいが、早くに亡くなっていた。
「私も維盛も、こちらには、しばしば伺う身――。何かと世話をかけようが、何卒(なにとぞ)よしなに……」
重衡は、身を固くしてうつむいているその人に、優しく語りかけた。
「もったいない仰せにございます。私の方こそ、至らぬこともありましょうが……、何卒、よろしゅうお願い申し上げます」
そう言って、再び新大納言君は額(ぬか)ずいた。その様を凝視している維盛に、重衡は、ふと、いつもと違う何かを感じて、これを不審に思った。が、これより程なくその意味も明らかとなった。
翌年、維盛は、この新大納言君を正室に迎えた。院の仲介による政略結婚である。
後白河院と平家の関係は、院の寵愛厚い建春門院の存在によって、一応は良好に進んでいたものの、水面下では、互いに、主導権をめぐる駆け引きを繰り返しており、院としては、自分の息のかかった成親の妹が、次代の総領重盛の正室であることをこれ幸いに、今度は、その嫡男にも成親の娘を送り込み、平家本家を、自陣に取り込もう……との、目論見(もくろみ)でもあったのであろう。
「人々は、我等の結婚を、政略のためと申しましょうな……」
一門を上げての、華々しい結婚の祝宴の夜、維盛は新妻に尋ねた。
「維盛様も……、そうお思いなのでございますか?」
真意の読み取れない維盛の無表情に、一抹の不安を抱きながら、彼女は問い返した。
「私は、平家宗家(そうけ)を継ぐべき身――。己の意志と関わりなく、何事も、相国殿や父上の仰せのままに、ただ従うより他に道はありませぬ。それは、無論、結婚についても……」
それを聞くや、花嫁の顔は、瞬時に青ざめていた。
「これまでも、どれほど多くの事を諦(あきら)めて参ったか……。何ゆえ、嫡男になど生まれついたのかと、幾度も、己の運命を呪いもしました……」
一門の総帥(そうすい)という栄誉も、実のところ、維盛には重荷でしかなかった。それでも、そんな心の弱さを、表に出すことも許されず、唯々、虚勢を張り続けねばならない日々――。
人生を熱く生きることをやめ、冷徹という名の仮面をかぶるようになったのは、いったい、いつの頃からだったか……。
以前、『命を賭しても……』と、重衡が言い放った時にも、その無謀さに呆れながらも、内心、そこまで言い切ることのできる絶対無比の自信が、維盛には恐ろしくもあり、また、まぶしくもあった。
(守るべきものがある……、ただ、それだけで、人は、強くなれるものなのか……)
維盛は、改めて、目前の花嫁の顔を、じっと見つめた。
わずかながら潤んだ瞳に、揺らめく不安の影――。それは、さながら、維盛自身の心の迷いを、そのまま、映し出しているようにも思われる。
この人もまた、抗(あらが)えぬ運命により、奇(く)しくも、武門の妻となる定めを負わされ、途方に暮れているのだろう……。そう思うと、急に、親しみや愛おしさがこみ上げて来る。
自らを映す鏡――、その思いが、維盛の頑なな心を、わずかながら氷解させていた。
「なれど……、此度(こたび)の婚儀は、自らの意志で選んだことでもあります。あなたの前では、私も、心の仮面をはずすことができる……。ありのままの私を見せることができると……」
そう言って、かすかな微笑を浮かべる維盛に、青ざめていた新妻の顔が、見る間に上気(じょうき)していた。
「私は、世間で言われるほど、立派な人間ではありません。いつも、何かに迷い、己の力の無さを、くよくよと悩んでいる……、そんな弱い男です」
「……」
「それでも、構いませんか?」
維盛の問いかけに、彼女は、にっこりと微笑み返した。
「立派すぎるお方では、私も息が詰まってしまいます……」
16歳の花婿と14歳の花嫁――。
政略がもたらした縁(えにし)ではあったが、二人は、そんな周囲の思惑をよそに、この後、何よりも強い絆で結ばれることとなる。
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