葛 藤 (参)
 
   
 
 宋から楊孫徳の船が筑紫に入港したのは、それから数日後のことであった。
 
「これは玄武のお頭
……。お久しゅうございます」
「おまえも相変わらずのようだな」
 楊の来航を知るや、早速、玄武は一人、店へと赴いた。
 
「此度は竜が、随分と世話になったようで
……。改めて礼を申す」
 と、いきなり玄武が頭を下げたのには、楊もさすがに慌てた。
 
「何をなさいます。むしろ、手前の方が礼を申さねばなりませぬ。何しろよく働いてくれるので、ついこちらも、あれこれ便利に使わせていただきました。今さらのことではありますが、無断で竜を拝借いたしたこと、申し訳なく思っております」
 逆に、楊に頭を下げられ、玄武はいっそう心苦しい思いだった。
 
「いや、あれで役に立ったのであれば、某の方は何とも
……。それに、何かと商いのことを仕込んでもらったとも聞いている……
「あまりに覚えが早いので、天趙も面白がって色々と教えたようですな。良い弟子ができたと、大そう喜んでおりましたゆえ
……
 にこやかに語る楊孫徳に、玄武は感謝の意を表しつつも、内心、複雑な思いもあった。
 
「して、此度はいつまでこちらに?」
 玄武の胸の内を察してか、楊もそれとなく話をそらす。
「残念ながらあまり長居はできぬ。相国殿に無理を申しての下向ゆえ、すぐに福原へ戻らねば
……
「いつものことながら、慌
(あわただ)しいことで……
 楊もいささか呆れ顔で言う。
 
「それで、悪いがまた、無理を聞いてもらわねばならぬことがある」
「何なりと
……
 商売の話となるや、楊もすぐに居住まいを正した。
 
「内裏への献上の品を相国殿が御所望でな
……
「噂のお后様の許に
……でございますな」
 すかさず答えた楊に、玄武も大きくうなずく。
 
「察しがよくて助かる。御入内より三月余り経つが、あれこれと足りぬ物が出てきて見苦しいゆえ、取り急ぎ整えるようにとの御下知なのだ」
「そのようなことならば、容易
(たやす)いこと。此度は、とりわけ、おもしろい品々を集めて参りましたゆえ、ご期待に沿うものが必ずや見つかりましょうぞ」
 と、楊は、さも得意げに請合った。
 
「これはまた、大そうな自信ではないか。ならば、とくと吟味させてもらうとしようかのう
……
「それはもう、どうぞお気の済むまで、ご存分に
……
 日頃から人一倍、商いに対する自負の強い男とはいえ、これまでになく、強気の姿勢で臨む楊が、頼もしい半面、玄武には少し気に掛かった。
 
「いやはや、玄武のお頭だけでなく、竜の目をも納得させる品をと、大そう苦労いたしましたが、どうやら、それも無駄ではなかったようにございますな
……
……竜が何と?」
 いぶかって尋ね返す玄武にも、楊孫徳は、先だっての桔梗同様、曖昧
(あいまい)な微笑を浮かべるだけで、これをはぐらかすと、一旦、その場を離れ、すぐにまた、小さな桐の木箱を二つ手にして、戻って来た。
 
「手前と一つ、賭けを致しませぬか?」
「何だ? やぶから棒に
……
 首をかしげる玄武をよそに、楊は二つの箱を目の前に並べ置くと、手早く中身を広げて見せた。それは以前、竜に見比べさせた、あの白磁の香炉であった。
 
「どちらがより優れた品か
……。見事お当てになれば、そっくり玄武の頭に差し上げまする」
「いったい、どういう風の吹き回しだ? 随分と気前の良い話ではないか」
 一目で上物とわかるだけに、玄武も興をそそられたが、しかし、楊孫徳ほどの男が、何の思惑もなしに、このようなことを持ち掛けて来るはずもない。
 
「賭けと申すからには
……、某が負けた場合には、何を望むつもりか?」
 楊の心底を探ろうと、玄武の眼差しにも鋭さが増す。
 
「さようでございますな。その時は、竜を
……いただきとうございます」
 瞠目
(どうもく)する玄武を、楊はしたり顔で見下ろした。
 
……竜をいかがするつもりだ?」
 玄武は努めて平静を装い、楊に問い返す。
「次の帰国の際には、是非とも宋へ連れ帰りたいと
……、そう願うております」
 
「宋へ
……?」
 茫然とする玄武に、楊は寸暇も与えず、にじり寄る。
「いかがなされますかな?」
 
 絡み合った視線の間に、熱い火花が散った刹那
――、玄武も、楊孫徳の本気を、はっきりと認識した。平素は冷静沈着で慣らした男が、突如として見せた強い執着には、驚く他ない。
 しかし、当の玄武にしてみれば、竜を手放すことなど、これまで一度として考えたことはなく、たとえ、目前に千両の黄金を積まれようとも、そのような申し出を受ける気は、さらさらなかった。
 
「せっかくの話なれど、これは承知しかねる。竜は品物ではない。あいつの身の上を己の自由にするわけにはいかぬ。ましてや、賭けの道具になど、できようはずもなかろう」
 玄武は吐き捨てるように答えた。しかし、楊の方も負けてはいない。
 
「これは異なことを
……。そこまで申されるのであれば、一つ伺わせていただきますが、昨年の春以来、竜をこの筑紫に長らく留め置かれているのは、いったい、いかなる仕儀にございましょうや?」
「それは
……
「これまでとて、京に置くも、筑紫に置くも、全てはあなたの御心のままに。竜が自ら望んでいたしたことなど、何一つありますまいに
……。それを、今さら己の自由にするわけにはいかぬとは……、とんだ逃げ口上にございますな」
……
 
 畳み掛けるような楊孫徳の勢いの前に、玄武は明らかに狼狽
(ろうばい)していた。
 しかし、予想外の反論に切り返すこともできず、ついには黙り込んでしまった玄武に、楊もまた、いつになく感情的になっていたことを自省した。
 
「いささか言葉が過ぎましたな
……。どうかお許しを……
……
「賭けなどとは、手前も本気で申したわけではございませぬ」
 急に態度を軟化させた楊に、玄武はますます、その真意を測りかねた。
 
「どうか、今一度、この二つの品を、しかと、ごらん下さりませ」
……
「もちろん、賭けの話はつまらぬ戯れ言
(ざれごと)と、ここは、ひとまず水に流していただいて……
 玄武はしばらく、楊を睨
(ね)めつけいたが、やがて、息を吐いて心を落ち着けると、香炉の一つを手にとった。
 
 冷たく滑らかな感触が指に心地よい。透き通るような白さは、これまで目にしたどれよりも、美しい輝きに満ち、玄武は湧き上がる興奮を抑えきれなかった。
 ところが、残るもう一つを手にとるや、その表情はたちまち豹変した。
 姿形は元より、指から伝わる感触も、目に入る光彩も、先ほどのそれと、まるで同じものではないか
……
 
「この二つに、真、違いなどあるのか?」
「もちろんにございます」
 なおも疑わしげに見返す玄武に、楊はほくそ笑む。
 
「竜は
……、その違いを確かに見分けましたぞ」
……何と?」
 
 玄武は耳を疑いつつも、その目が俄然、本気になった。そして、熱心に二つの香炉を見比べること小半時、ようやく片方を楊の前に差し出した。
 
「それでよろしゅうございますのか?」
 再度、念押しする楊に、玄武は無言でうなずく。
 
「手前の負けにございますな
……
 楊は、さほど驚く様子もなく、恭
(うやうや)しく頭(こうべ)を垂れた。が、玄武の表情は、なおも強張ったままであった。
 
「これを、竜が見分けたとは
……、真なのか?」
 玄武は真剣な目で問う。
「宋に連れ帰りたいと申し上げた、その意味もおわかりいただけましょう」
 楊はうなずく代わりに、玄武をまっすぐに見返した。
 
 自分がやっとのことで見つけた違い
―― それを竜が見極めたという事実は、玄武の胸に、驚きとも嫉妬ともつかぬ奇妙な思いを沸き立たせた。
 
「あの者は、磨けばまだまだ光る
……。あるいは、我々の想像を遥かに越える大器やもしれませぬ。それを、このまま埋もれさせておくなど、あまりにもったいない話とは思われませぬか?」
「しかし
……
 
「私は、ただ、竜に広い世界を見せてやりたい
……、そう思っているだけにございます。あれも多くは語りませぬが、京で何やらつらい思いをして参った様子。いかに、この筑紫が京より遠く離れた地とはいえ、所詮は、同じ日本の国の中――、あれこれ風聞も聞えて参りましょう。しかし、宋に渡れば……、少なくとも、そのような雑音からは逃れることができまする」
 痛い所を突かれ、玄武は返す言葉もなかった。
 
「実は
……、昨年の帰国に際して、一度は、竜に共に参るよう勧めたのです」
……
「なれど
……、断られました。玄武のお頭の許しもなく、ここを離れることはできぬと……
「竜がさようなことを?」
 玄武はこの時、ようやく桔梗の言っていた事の意味を解した。
 
(竜も、心の底ではこの国を離れたがっている。しかし、それを拒むのは、俺に対する気兼ねからなのか
……
 図らずも、筑紫に戻って以来、漠然と抱いていた不安の正体に気付かされ、玄武は強い衝撃に、愕然とする思いだった。
 
「手前としては、どうにも諦めがつかぬのです。何も、永久になどと申しておるわけではありませぬ。この私とて、年に幾度も、宋と筑紫を行き来しております。ほんの三月か四月の間のことと思し召して
……、何卒(なにとぞ)……
 楊孫徳は平身低頭で許しを求めた。しかし、玄武の覚悟はどうにも決まらず、結局、その場で答えを出すことはできなかった。
 
 
 どうにか一夜の猶予を得て帰途に着いた玄武は、その道すがら、竜と初めて出会った日のことを思い返していた。
 言葉もわからぬ異境の漂流者は、この五年の間に、玄武にとっても、肉親にも勝る大きな存在となっていた。
 生まれ育った国は違っていても、二人の置かれた境遇はどこか似通っており、今の竜の苦悩も、かつて自らが抱えていた思いそのままに、重ね合わされるのだった。
 
(あの時、侍を捨てることでしか、己を救う道はないと感じたように、あいつもこの国を捨てることでしか、救われぬと考えているのやもしれぬ
……。ならば、どうして俺にそれを止めることができよう……
 
 その思いがわかるだけに、行かせてやりたい。が、そうなれば二度と自分の許には戻って来ないかもしれない
……。二つの思いが玄武の中で激しく鬩(せめ)ぎ合う。そして、玄武にはわかっていた。竜が自分からは、決して、それを言い出せないことを……
 
(俺が決断しなくてはならない
……
 
 日は既に落ちていた。辺りを包み始めた闇にも似た深い物思いの中で、玄武は自らの取るべき道を定めようとしていた。
 
 
  ( 2004 / 09 / 22 )
   
   
 
   
 
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