葛 藤 (四)
 
   
 
 その夜、玄武は竜を前にして、楊孫徳に従い、宋の国へ行くようにと告げた。
 
「俺も常々、一度は大陸に渡ってみたいものと思っていたのだが
……、近頃では、商いが大きくなりすぎて、とても身動きがとれぬでな。そのような大それた望みなど、当分叶いそうもない」
……
 
「そこでだ、竜。俺に代って、宋という大国をその目でしかと見て来い。そして、あの楊孫徳をも唸
(うな)らせた目利きの才で、この玄武のために、最高の品を持って帰って来い」
 半ば命令という形で、玄武は竜の宋行きを、後押しすることにしたのである。
 
(これ以上、ここに縛り付けておくわけには行くまい
……
 それが、玄武の出した結論だった。
 竜も、始めはひどく驚いていたが、玄武の心情に察するものもあったのだろう。後は、ただ黙って、うなずくだけだった。
 
「本当に、これで良かったのかしら
……
 玄武と二人きりになると、桔梗は急に不安げにつぶやいた。
 
……どうした? おまえも、その方が良いと思っていたのではないのか?」
 と、玄武は笑って桔梗を見返す。
 
「今の竜の苦しみを思えば
……、そうすることが一番なのでしょうね。ただ……
「ただ
……、何だ?」
 いつもの桔梗らしからぬ、歯切れの悪さが、玄武にはどうも解せない。
 
「私は、竜に自分でそれを決断してほしいと
……、そう思っていました。頭の命令などではなく、竜自身の口から、その決意を聞きたかった……
……
 桔梗の発言は、玄武の心に小さな波紋を投げ掛けた。
 
「あの子は、いつも自分を押し殺してきたわ。初めてここにやって来た時から、ずっと
……。頭はもちろん、私や他の皆の前でも、どこか一歩引いて、決して、我を押し通すようなことはなかった……
……
「最初に出会った経緯
(いきさつ)もあって、引け目のようなものを感じているんでしょうけど……。今度のことでも、私に心配かけまいと、無理に平気な振りをして……。意地らしくて、見ているこっちがつらくなるくらい……
 言いながら、桔梗の瞳は切なげに揺れた。
 
「わかってはいるんです。心の底では、宋に行くことを望んでいる竜の気持ちも、その思いを汲
(く)んで、あえて行けと言ったお頭の心も……。でも……、何かが違うような気がしてならなくて……
……どういうことだ?」
 玄武に問われ、桔梗は一瞬ためらいを見せたものの、また、静かに話を続けた。
 
「今の竜には、何より、自分でけじめをつけることが大事なのではないかしら
……
……
「自分で決めたのなら、どんなことになろうと、それで本望でしょう
……。でも、人から押し付けられたことで、それで取り返しのつかないことにでもなったら……
 桔梗の言わんとすることが、玄武にも、おぼろげながら見えてきた。
 
「いつでも、お頭は、何もかも自分で背負おうとされる
……。それがお頭の優しさだから……。けれど、時には、その優しさが仇(あだ)になることもあるわ……
……
「今度の宋行きで、竜の身に、もし、万一のことでもあれば
……、お頭はご自分を責めずにはいられない……。でも、本当に哀れなのは……、それでもきっと、誰を恨むこともなく、その運命を受け入れてしまう竜自身だわ……
 そこまで言って、桔梗はまた、口籠
(くちご)もった。
 
「ごめんなさい。出過ぎたことを
……。私もあの子を宋に行かせてやりたいと思っていたのに……。でも、いざ、それが現実のことになってしまうと、何だか急に怖くなって……
 そう言って、うろたえる桔梗を、玄武は逆に、ひどく落ち着いた気持ちで眺めていた。
 
「いや
……、おまえの心配も、もっともだ。大陸に渡るとなれば、それなりの覚悟もせねばならん」
 この時世、外洋を行く航海に、命の保証などあったものではない。一たび嵐にでも見舞われれば
……、海の藻屑(もくず)と消え去る定めをもはらむ、まさしく、危険な賭けに他ならなかった。
 
「だがな、桔梗。たとえそうだとしても
……、今のままでは、あいつはいつまでも己の本心を欺き続けて、苦海をさまようことになる。俺に助けられたという思いがあるから、その俺から離れて行くことなど、とんでもない裏切りだと思っているに違いない。あるいは、知らず知らずのうちに、あいつにそういう気持ちを植え付けてしまっていたのやもしれぬ……
……
 
「思えば、俺に出会ったことが、あいつの身の不運
――。京へ連れて行きさえしなければ……。今さら言っても、後の祭りだがな……
「お頭
……
 
「竜を縛っているのは、他ならぬこの俺だ。ならば、もういい加減、自由にしてやりたい
……。それには、俺があいつの背中を押してやるしかない……
 
 その目には、深い思いやりの心があふれていた。玄武も考え抜いた末に出した結論なのだと
……、そうと気づいて、桔梗は、もはや何も言うことはできなかった。
 
 
 
 玄武と伝六は、竜の旅立ちの日を待たずに、京に戻ることになった。
「見送りはできぬが、気をつけて行って来い」
「はい
……
「楊孫徳殿には、俺からもよく頼んでおいた。いい旅になることを祈っている
……
 玄武も竜も、それ以上、言葉にならなかった。
 
「俺らも行きたかったな
……
 伝六は、竜の宋行きを知って、自分も一緒に行きたいと玄武に訴えたが、遂に、その許しを得ることはできなかったのである。
 
「土産を楽しみにしているからな
……。絶対に忘れるなよ!」
 と、悔し紛れに何度も念を押す伝六に、竜はいささか呆れながらも、ともかくうなずいた。
「いい加減にしたらどうだ」
 さすがに焦
(じ)れてきた玄武に促され、伝六も渋々船に乗り込む。
 
「全く、しようのないヤツだ
……
 そうつぶやいて、玄武は苦笑を浮かべると、ふいに、竜に右手を差し出した。一瞬、驚いたように目を見開き、やがて、おずおずと右手を差し出してきた竜に、玄武はもどかしげにその手を取ると、固く握り締めてそのままグイと肩を引き寄せた。
 
「おまえは俺の誇りだ!」
 突然の玄武の行動に、竜は戸惑いながらも、抱かれたその胸の大きさ、温かさに深い安堵を覚えた。
 
「己の可能性を信じろ! 心に信念さえあれば、いかに困難と思えることにも、必ず道は見つかるものだ」
……
「おまえは
……、自分で思っている以上に、真は強い人間なのだ。もっと自信を持て! そして、大陸の風の許、己の力のほどを存分に試して来い!」
 
 熱い抱擁
(ほうよう)の下で、声を震わせ叱咤(しった)する玄武に、竜もまた、胸に込み上げてくるものをこらえながら、何度も何度もうなずいた。
 
「必ずや、また会おうぞ!」
 最後にそう言い置いて、玄武は筑紫を後にした。
 
 それを見送る竜の脳裏には、この五年の間に起きた、さまざまな出来事が、走馬灯
(そうまとう)のように浮かんでは消えた。この港での玄武との出会い、厳島、そして京――。数え切れないほどの喜びと悲しみが、自らの内を駆け抜けて行った。
 しかし、思い返すほどに、竜の心に強く脈打つものは、玄武という最良の理解者を得ることができた、その奇跡にも近い、めぐり合わせへの深い感慨であった。
 
 玄武に出会えたからこそ、今の自分がある
……
 
 その大きな翼の下に守られ、過ごして来た安穏の日々
――。そこから飛び立つ勇気を持てずにいる雛鳥(ひなどり)の背を、あえて押し出した親鳥の心は、竜にも十分すぎるほどわかっていた。
 
(いつの日か、この恩に報いるためにも、とにかく、今はただ、目の前に開かれた道を進んでみるしかない
……
 
 竜はその思いを胸に、もうかすかにしか見えなくなった船影を、いつまでもいつまでも、追い続けていた。
 
 
  ( 2004 / 09 / 28 )
   
   
 
   
 
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