最果ての島 (壱)
 
   
 
 玄武を始め多くの人間が、ひたすら無事を願い、その安否を気遣っていた頃――、当の竜は、西海に浮かぶ小さな島に、流れ着いていた。
 
 荒れ狂う海の中で、ようやく隼人を捕まえ、波間に浮かぶ船板に、必死にしがみついた
……、そこまでは、どうにか憶えているのだが……、後はただ、うねる波に身を任せ、漂うほかすべはなかった。
 
 照りつける太陽の眩
(まぶ)しさで正気づいた時、竜は白い砂浜に打ち上げられていた。なおも、朦朧(もうろう)とする意識と戦いつつ、辺りを見回してみるものの、いったい、ここがどこなのか……、皆目(かいもく)、見当もつかない。
 ただ、傍らに、同じように横たわる隼人の姿を認めて、少しホッとした竜は、どうにか身体を起こすと、隼人の方へにじり寄り、肩の辺りを揺すった。
 
「大丈夫か! 隼人!」
 何度も揺すって、ようやく、隼人も気がついた。
 
「ここは、あの世か
……?」
 ぼんやりとした目をして、うわ言のようにつぶやいた隼人に、
「おい、しっかりしろ!」
 と、竜はその頬を、思いっきりひっぱたいた。
 
「痛えな!」
 隼人も、思わず目を剥く。
「こんな所で、ゆっくり眠っている暇はない!」
 
 真夏の焼け付くような強い日差しが、じりじりと、照りつけていた。このままでは、正真正銘、あの世行きである。
(とにかく、どこか日陰へ逃れねば
……
 竜は隼人を抱え起こし、立ち上がろうとしたが、途端に、隼人は悲鳴のような叫び声を上げて、そのまま倒れ込んだ。
 
「どうした!」
 なおもうめき続ける隼人を、仰向けに抱え直すや、竜も愕然
(がくぜん)とした。
 左足の脛
(すね)の辺りがひどく腫(は)れ上がり、鉛のように黒く変色している。そのまま静かに横たわらせ、慎重に足の具合を見てみるが、わずかに触れただけでも、苦痛に声を上げる隼人に、竜の表情は俄かに険しくなった。
 
「折れているかもしれんな
……
 そうつぶやくや、竜は、再び隼人を抱え起こし、やにわに肩に担ぎ上げた。
 
「おい、何をしやがる! 降ろせよ!」
 その時ばかりは、隼人も足の痛みもそっちのけで、竜の肩の上で、ジタバタともがいたが、びくとも動くものではなかった。
「少しの辛抱だ! 我慢しろ! 干物になるよりはましだろう!」
 声を荒げて、吐き捨てる竜の勢いに、隼人も呆気にとられ、直におとなしくなった。
 
「すぐに手当てをしてやる
……。それまで、我慢してくれ……
 そう言って、一歩踏み出そうとした竜の目の前に、突如として、鋭い刃が突きつけられた。気づけば、いつの間にか、数人の男達に取り囲まれていた。
 
 今にも斬りかからんばかりの、殺気立った空気は、逆さに担がれ、辺りを見回すことのできない隼人にも、すぐに察せられたものの、恐怖心のあまり、声を上げることもできなかった。
 
「おまえは、何者だ!」
 太刀を構えた男が、竜の目を真っ直ぐに見据えて問う。
「よそ者が、こんな所で何をしている!」
 髭
(ひげ)で覆われた赤ら顔を、更に紅潮させて、その切っ先を竜の喉許(のどもと)に突きつけた。
 
「嵐の海に投げ出されて、流れ着いたらしい
……
 竜は刃の恐怖をこらえ、静かに答える。
「どこから来た!」
「筑紫だ。筥崎
(はこざき)の港から、宋へ向かう途中だった……
 竜もまた、男の目を、しかと、見返していた。
 
……筥崎だと?」
 訝
(いぶ)しげに、眉間(みけん)に皺(しわ)を寄せた男に、竜は一瞬の隙(すき)を見て取るや、
「けが人の手当てをしたい! 手を貸してほしい!」
 男達の長
(おさ)と思しき髭面(ひげづら)に、訴えかけた。
 
「よそ者を、ここから先に通すわけにはいかん!」
 にべもない返事にも、竜は、怯
(ひる)まず叫ぶ。
 
「早く手当てをせねば、足を切り落とさねばならなくなる!」
 隼人は竜の肩の上で、瞬時の内に身体を強張らせていた。
「一刻を争うのだ!」
 
 竜のただならぬ剣幕
(けんまく)に気押され、男達も一様に顔を見合わせる。その背後では、三々五々集まってきたこの島の民達が人垣を作り、固唾(かたず)を飲んで様子を伺っていた。
 
「太刀を納めよ!」
 ふいに、威厳に満ちた低く太い声が、男達に命じた。と同時に、人垣の中から、一人の老女が進み出た。
 
「しかし、巫
(かんなぎ)! よそ者を、おいそれと、陸に上げるわけにはいかぬ!」
 髭面が果敢に反論する。
 
「黙っらしゃい! その者に傷でも負わそうものなら
……、おまえ達は地獄に落ちようぞ!」
 老女の有無を言わせぬ強い口調に、男はたじろぎ、ついに太刀を下ろした。
 
「こちらに参られよ
……
 そう言って、老女が踵
(きびす)を返すや、目の前の人垣もさっと二手に分かれ、そこに道が現れた。竜は呆気に取られながらも、男達に一瞥(いちべつ)すると、恐る恐る、その後に続いた。
 
( 2004/11/19 )
 
 
 小さな集落の中央に位置する、社とおぼしき建物――、その離れの小さな棟に、竜達は案内された。
 
「ともかく、まずは怪我の手当てじゃ
……
 
 隼人の足は、やはり折れていた。老女は竜に、しっかり押さえつけておくようにと指図すると、どす黒く腫れ上がった左足を持ち上げ、力を込めた。隼人は襲い掛かる激痛に耐えかねて、凄まじい悲鳴を上げたかと思うと、すぐに、気を失っていた。が、それには目もくれず、老女は馴れた手付きで、腫れた足に泥のようなものを塗りたぐり、添え木をあてがった。辺りには、薬草の鼻をつく臭いが広がっていた。
 
「しばらくは、動かさぬ方がよい
……。と申して……、とても、動けるものではなかろうが……
 処置を終えた老女は、そう言いながら、手桶の水で両の手を洗い清めた。
 
……大丈夫なのか?」
 竜は、不安げに老女の顔をのぞき見る。
 
「これしきのことであれば
……、半年もすれば、元通り歩けるようになるじゃろう……
「よかった
……
 安堵の思いに、竜は急に全身の力が抜けた。
 
「おまえの方こそ、大丈夫か?」
 竜は苦笑しながらうなずくと、すぐさま、居住まいを正し、手をついた。
 
「ありがとうござりまする。助けていただいた上に、怪我の手当てまで
……
「雑作もない
……。この島の男どもも、同じようにして、しょっちゅう、ここへ運ばれて来るのでな……
 事もなげな老女の言に、竜はわずかながら、心が軽くなる思いだった。
 
「ここは何処
(いずこ)にござりますのか? 日本の言葉が通じると言うことは……
「もちろん、日本の国の中じゃ。松浦
(まつら)の領内……
 
 松浦
――聞き覚えのある名だった。そして、すぐに肥前国を本拠とする、土着の武士団――松浦党のことだと思い出していた。
 
「しかし、おまえこそ、おかしな者よのう
……。大和の言葉を話しながら、大和人には見えぬ……。名は?」
「竜と申しまする。仰せの通り、私は日本人ではありませぬ。五年前に、漂流して筑紫に流れ着き、以来、筑紫と京を行き来する暮しをしておりました
……
 それを聞いて、老女は何やら含みのある眼差しを竜に向けた。
 
「しかし、あの嵐の中、よう命拾いをしたものよ
……
 言われて、竜もうなずくほかなかった。後先も考えず飛び込んだものの、容赦なく牙を剥
(む)く、自然の脅威の前には、人間など無力なものと、死をも覚悟した。今こうしているのは、まさに、奇跡と言うより他あるまい。
 
「やはり、あのお告げは、真のことであったか
……
 老女は急に畏
(かしこ)まると、竜を前にして、大仰にひれ伏した。
「お待ち申し上げておりました
……
 竜には、突然の老女の行動が理解できない。
 
「何の真似にござりますのか?」
「あの嵐の最中
(さなか)、御託宣(ごたくせん)が下ったのじゃ……。天よりの御遣(みつか)いが、仔細(しさい)あって、この島に流れ着くと……
 老女は大真面目に言う。
 
……天の御遣い? ……俺が?」
 竜は、唖然とするしかなかった。しかし、向けられた強い眼差しは、あながち冗談とも思えない。
 
「その袖の下のしるしが、何よりの証拠
……
 竜は慌てて、着物の上から、右の二の腕の辺りを押さえて、老女を見た。
「この婆には、何でも見えますのじゃ
……
 老女は微笑をたたえて、竜の目を見つめる。
 
「これが
……、天の御遣いである証拠だと?」
 竜はためらいがちに袖をまくると、青龍の紋を露わにした。
「いかにも
……
 老女は冷淡に答えるだけで、少しも動じる素振りを見せなかった。
 
「そして、その腰のものが、おまえ達の命を救ったのだ
……
 言われて、竜は腰に下げていた袋から、翡翠
(ひすい)の玉を取り出して見た。
 
「あの嵐の後、緑の光の塊が波間を漂い、この島にたどり着いた
……。恐らく、その光の中に、おまえ達はいたのじゃろうて……
 
 俄
(にわ)かに、信じられることではなかった。こんな小さな玉の、いったいどこに、そんな力があると言うのか……
 そもそも、竜の記憶は、五年前に筑紫に漂着してより後しか定かでない。そして、その時すでに、この翡翠の玉は、竜の手の中にあったのである。腕の青龍の紋と共に
……
 
「以前も同じように、漂流して筑紫に流れ着いて
……。しかし、それより昔のことは、何も覚えておりませぬ。何ゆえ、このようなものを持っているのか……、この腕に刻まれた紋の意味も……。何のために……、そして、何をしろと言うのか……
 これまでに、幾度も感じてきた憤りを、竜は思わず吐露
(とろ)した。
 
「いったい、これからどうすればよいのか
……
 途方に暮れた竜の目を見て、それまで無言を通していた老女が、ようやく口を開いた。
 
「残念ながら
……、わしには、おまえの疑問に答えを与えることはできぬ……
……
「じゃが、一つだけ申せることは
……、その紋が決して消えぬのと同じように、おまえに与えられた天命もまた、消えることはない。それを全うせぬ限り、死をも許されぬということじゃ……
 
……死をも許されぬ?」
「時に、生きながらの地獄を味わうこともあろう
……
 竜は、気の遠くなるような心地の中で、かつての、文覚の言葉を思い返していた。
 
『おまえが、いかに目を背けようとも、この青龍はこれからも、容赦なく過酷な試練を与えるであろう
……
 
 そして、今再び、目の前の老女によって、突きつけられたその宿業
――
 しかし、未だ何をなすべきかもわからない竜には、ただ、天の気まぐれな風に、振り回されているだけのようにしか思えず、謂
(いわ)れのない枷(かせ)に縛られ続ける己が身の上が、恨めしいかぎりであった。
 
(何ゆえ俺ばかり
……
 
 これまでに受けた屈辱の数々、報われぬ恋情、そして、今回の遭難
――、それら全てが、自分に課された試練なのであれば……、その果てに待ち受けるものは……
 まるで正体のわからぬものを相手に、一人相撲を取る道化の虚しさ
――。竜は突如として、たとえようのない脱力感に襲われ、もはや、そこから立ち上がる気力すら萎(な)えていた。
 
「ともかく、おまえも少し休むがよい。後で、誰ぞに粥
(かゆ)など持たせるゆえ……
 
 察した老女が、そう促して、棟を出て行くと、竜はそのまま、ほとんど倒れるように意識を手放し、後はもう、ただ、泥のように眠り続けた。
 
 
( 2004 / 11 / 22 )
   
   
 
   
 
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