竜の帰還 (弐)
 
   
 
「よくぞ、無事でいてくれた……
 楊孫徳は片手で目頭を押さえながら、もう片方の手で、節くれだった手を強く握り締めていた。
 
「全く、恐れ入ったぜ。おまえみたいに悪運の強いやつもそうはいるまい
……
 張梁もそう言って、一段と逞しくなった肩をポンと軽く叩いた。
 
「ご心配をおかけして、申し訳ありませぬ」
 深々と頭を下げ、慎ましやかに答える声にも、
「俺らは別に、何も心配なんてしてなかったぜ」
 と、減らず口を叩く伝六の顔には、またもや、涙の跡がくっきりと現れていた。
 
「よく言うよな。この俺様に、真っ先に食ってかかって来たのは、どこのどいつだったかな?」
「あれは
……、弥太の方が先だったろ!」
 などと、張梁と伝六の二人が言い合っていると、
「おい、俺がどうしたって?」
 戸口で仁王立ちになる弥太に、振り返った顔は莞爾
(かんじ)と微笑み、そのまま、まっしぐらに歩み寄った。
 
「よく帰って来たな
……、竜……
 竜は従容
(しょうよう)としてうなずくと、差し出された手を万感の思いで握り締めた。
 
「また、えらく日に焼けたんじゃねえのか?」
「ああ
……。ずっと、漁に出ていたから……
 照れくさそうに答える竜に、弥太もわずかに目を潤ませていた。
 
「さて
……と。桔梗! いつまで、そんな所に突っ立っているつもりだ?」
 弥太の大声にも、何の返事も返ってこない。
「仕方のないやつだな
……
 呆れたふうにつぶやいて、弥太は一旦扉の向こうへ消えると、程なく、桔梗を抱え込むようにして、再び姿を現した。
 
 向かい合った二人は、一瞬、互いに目を見開いた。が、次の瞬間、
「ただいま
……
 出て行った時そのままの
……、何度も夢に思い描いた笑顔を前にして、桔梗も思わず肩を震わせた。
「お帰りなさい
……
 そう答えるのがやっとだった。そのまま、ふっと倒れそうになる桔梗を、竜は慌てて抱き止め、これを支えた。
 
「桔梗!」
「大丈夫よ
……。驚き過ぎて、気が抜けてしまっただけ……
 と、小さくつぶやく桔梗の、ひどくやせ細った両の肩に、竜は愕然とした。
 
「何だか、夢のよう
……。これがもし夢なら……、お願い、覚めないで……
 必死に胸に縋り付いて来る桔梗に、竜はいっそう力を込めて、強く抱きしめた。
 
「夢なものか! 約束どおり、帰って来たんだ! 桔梗の許へ
……
「そうね
……。夢のはずがないわね。信じていたもの……。きっと、生きて帰って来るって……
 桔梗の涙声に、竜もまた、胸がカッと熱くなるのを感じていた。
 
(俺なんかのことを、こんなにも心配してくれていた
……
 
 俄かに胸を覆う悔恨の念
――。あんなにも、戻ることをためらっていた自分は、何と愚かであったか……
 竜は桔梗を抱きしめながら、その実、いつも不安に揺れ動き続けてきた己の心こそ、その暖かな胸に、しかと抱きとめられたような深い安堵を覚えていた。あるいは、これが、今の自分には、記憶のかけらすらもない、母の温もりというものなのだろうか
……と。
 
「すっかり驚かせてしまったようで
……、誠に申し訳ない……
 楊孫徳は、改めて桔梗に詫びの言葉を掛けた。
 
「主殿は、あの嵐の後も、方々に手を尽くして、ずっと、竜の行方を追っておられたんだ
……
 張梁が得意げに謎解きをすると、竜も桔梗も驚きを露わに、楊を返り見た。
 
「必ず生きていると
……、その桔梗の言葉を私も信じたいと思うてな……。肥前、肥後、薩摩……と、商いを通じての知己(ちき)をたどり、文を遣わしておいたのだ。それで、肥前の松浦から、それらしき者の所在を知らせる便りが舞い込んで来たのが、一月ばかり前のことであった。しかし、確たる証があるわけでなし、また仮に、それが事実、竜に間違いなかったとして、それならば、何ゆえすぐに戻っては来ぬのか……、その意味を考えてみたのだ。どれほど皆が案じていることか……、それがわからぬ竜でもあるまい。恐らくは、やむにやまれぬ事情があるのに相違ないと……
 
 楊の的を射た推測を、竜は忸怩
(じくじ)たる思いで聞いていた。
「したが、とりあえずは、確かめるだけでもと、竜の顔を見知った者を松浦へ遣った所、丁度、こちらへ向かうのと行き会ったらしく、それを知らせる早馬が、昨夜遅くに参ってな
……
 
「なれば、すぐにも、お知らせするようにと申し上げましたものを
……、主殿が妙な悪戯心を起こされるゆえ……
 と、咎め立てる天趙にも、楊は意味ありげに、ほくそ笑んで、
 
「そう申すそなたこそ、いそいそと帯を見立てておったくせに
……
 それを聞いて、竜も初めて気がついたようで、桔梗の腰に結わえられた、鮮やかな紅の地に、金糸で精緻
(せいち)な文様が織り込まれた帯紐を見て、急に目を輝かせた。
 
「あの時には、これと思うものがなくて、宋から戻る時に、持ち帰るつもりだったんだ
……
 そう言って、竜が天趙を見返すと、
「いや、何
……。先月入った荷の中に、丁度、似合いそうなものを見つけたのでな……
 やけに気まずそうな返事が返って来た。
 
「もし、気に入らぬようなら
……
「いいえ、これ以上のものはありませぬ」
 竜は即座に答え、桔梗も頭を下げた。
 
「そうか
……。ならばよかった……
 ぶっきらぼうな口調とは裏腹に、心なしか頬を緩めた天趙に、張梁は楊孫徳と顔を見合わせて、
「どういう風の吹き回しかね? やけに気の利いたことをするじゃねえか
……
 からかい半分に言ってやると、天趙は一つ咳払いをして、張梁をじろりと睨みつけ、それを見た一同の間には、誰からともなく、朗らかな笑い声が上がっていた。
 
 と、その時、
「おい、一人で何やってんだ?」
 
 何の前触れもなく、唐突に飛んだ弥太の声
―― それにつられて、皆が一斉に振り返ると、いつの間にやら、伝六が並べられた料理を口一杯に頬張っていた。
 
「おまえな
……、こういう時に、そういうことをして、許されるとでも思ってんのか?」
 呆れ返る弥太に、伝六がばつが悪そうに頭を掻くと、さらに場はドッと沸いた。
 
「構わんぞ。さあ、どんどんやってくれい」
 楊孫徳の声をきっかけに、心づくしの宴も幕を開ける。その頃には、桔梗にもいつもの笑みが戻っていた。
 
「しかし
……、いったい、今まで、どこで、何をしてやがったんだ?」
 ほんの少しの酒で、既にほろ酔い気分の伝六は、この半年の間のことを、しきりに聞きたがった。竜は、嵐で孤島に流れついたこと、隼人のこと、佐古や匡・沙希の兄妹のこと、そして島での暮しなど、思いつくままに話した。
 
「馬鹿じゃないのか? 人のことばっかり考えて
……
 聞きながら、伝六は横柄に言い捨てる。
「一歩間違えたら、死んでたかもしれねえんだぞ! お節介も、ここまで行くと、ほとんど病気だぜ
……
 などと、矢継ぎ早にまくし立てる伝六に、竜も神妙な面持ちで、黙ってこれを聞いていた。が、
 
「おい、伝六。そのくらいにしておけ」
 見かねた弥太が、間に入って諌めた。
「こいつらしくていいじゃないか
……。何はともあれ、こうして、無事に、戻って来たんだから……
「弥太も、いつから竜にそんなに甘くなったんだよ!」
 
 伝六と弥太の、相変わらずのいつもの遣り取りに、改めて竜も帰って来たのだと実感していた。そして、この半年の間の空白の時も、一瞬にして埋められたような、そんな心地さえしていた。
 
「二人とも、いい加減になさいよ」
 最後は、桔梗がその場をおさめるのも、お定まりのことだった。
 
(本当に帰って来てよかった
……
 多くの笑顔に囲まれて、この夜は、竜にとって至福の時となった。
 
 
 
 楽しい宴も果てた、その三日後には、楊孫徳の一行は宋への帰国の途につき、さらに、その二日後には、弥太と伝六も、予定通り、京に向けて旅立って行った。
 竜にしても、すぐさま玄武に会いたい思いは、もちろんあったが、今しばらくは、桔梗の側にいようと、結局、筑紫に残ることにしたのである。
 
「一緒に行けばよかったのに
……
……
「私は、あんたが生きているってわかったら、それでよかったのよ
……
 桔梗は、竜の気遣いを察し、無理に強がって言った。
 
「別に、桔梗のためだけに、残ったわけじゃない
……。本当のことを言うと、今はまだ、京に戻って、やって行ける自信がないんだ……
……
「島を出る時、もう二度と逃げないと、心に決めたんだ
……。けど、いざとなると、また不安になって……
 竜は、今なお揺れるその心中を、素直に打ち明けた。
 
「どんなに遠く離れても、簡単には、思いを断ち切ることはできない
……
「そうね
……
 しみじみと桔梗もうなずいた。
 
「無理に、忘れようとすることはないわ
……
……
「別れを悲しむのではなく、出会えたことを喜びと感じられれば
……、人は生きて行けるものよ」
「出会えたことが
……喜び?」
 
「誰かを真剣に想い続けることができるって、それだけでも素晴らしいことよ。たとえ、実を結ぶことはなくても、そこから、かけがえのない何かを受け取っているはずだから
……
「桔梗
……
「竜にとっても、そうではなくて? それとも
……、出会わない方が良かった?」
 そう言って顔をのぞき込む桔梗に、竜は少しの間をおいて、やがて、静かに首を横に振った。
 
「だったら、済んだことをくよくよ考えずに、真っ直ぐ前を向きなさい。あんたの目の前には、大きな世界が広がっているのよ。いつまでも、こんな所に留まっていないで、この大空に飛び立って行かなくては
……
……
 
「それで、もし、また傷ついたら
……、その時は、いつでも翼を休めに戻ってらっしゃい……
「桔梗
……
「ここは竜の故郷
(ふるさと)だもの……
 暖かい響きだった。
 
(故郷
……
 
 いつも、己の居場所を探し、さまよい続けて来た竜にとって、初めて見つけた、確かな拠
(よ)り所だった。
 どんなにさすらい、身も心もボロボロになったとしても、暖かく迎え入れてくれる場所がある
……。そう思えることが、どれほど、大きな心の支えとなったか……。あるいは、今度のことは、それを、よく知らしめるための試練だったようにさえ思われた。
 
「俺の故郷なんだよな。この筑紫が
……。そして、この海が……
 そう言って、笑顔で答えた竜は、この日の抜けるような青天の如く、一点の曇りもない、澄み渡った目をしていた。
 
 
  ( 2004 / 12 / 17 )
   
   
 
   
 
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