岐路に立つ (弐)
 
   
 
 思いがけない口論の末、気まずい思いのまま別れた二人に、ついに再会の時は来なかった。
 その後も、幾度となく六波羅を訪れてはいるものの、重衡の姿を垣間見ることすら叶わず
……。それが他でもない、自分を避けてのことと、竜も薄々気がついていた。
 
 そう、竜もまた、あの時、わずかながら、互いの思いの先にあるものの違いを、はっきりと感じ取っていたのである。
 己を犠牲にしてもと言い切る重衡が、そこまでして守ろうとしているもの
……、それが何であるのかは、竜にもおぼろげながら、わかるような気もするのだが……、なぜか、重衡に歩み寄ることができない……
 
 以前なら、相槌
(あいづち)を打つことぐらいはできたものを……、今は、頑ななまでに、心がそれを受け入れることを拒むのである。そして、そのために、重衡が自分から離れて行くことになろうとも、引き止めることはできまい……、諦めにも似た思いの中で、そう悟ってもいた。
 
 しかしながら、茜のみならず、重衡までも失なったつらさは、竜に新たな苦痛をもたらすことになった。
 表面上は、それまでと何一つ変わらぬように、振舞っているつもりでも、心にポッカリと開いた穴を埋めるすべもなく、胸を覆う言いようの無い喪失感に、日々苛まれる様には、弥太のみならず、伝六でさえも不審を抱くほどであった。
 
 そして、奇妙と言えば
……、気づかぬはずのない玄武が、なぜか、今回ばかりは沈黙を守り、静観しているのもまた、何やら不可解なことでもあった。
 
 ところが、そんな鬱々
(うつうつ)とした日々も、あっけなく終りを告げることになる。それは、奥州下向を間近に控えた吉次によって、突如として、もたらされた。
 
「平泉に一緒に行ってくれぬか?」
 あまりに唐突な申し入れに、竜も始めのうちは、まともに取り合わなかった。
 
「実は、人足の一人が、急に奥州行きを取り止めたいと言い出してな
……
……
「どうやら、ねんごろにしている女に泣いて懇願されてのことらしいが
……。まったく、この出立の間際になって、そんなことを言い出されてもな、簡単に後釜が見つかるものでもないし、実の所、もうお手上げなのだ……
 と言って、吉次は、またいつもの、泣き落としを始めた。
 
「それに
……、こう申すのも何だが、平泉の御館(みたち)も、おまえに会うてみたいと仰せだったのでな……
「平泉の
……御館?」
 出し抜けに出て来た人物に、竜の頭の中は更に混乱する。
 
「ああ
……。奥州藤原氏の総帥―― 秀衡様だ。以前、何かの折におまえの話をしたら、いたく関心を持たれてな……。是非とも一度、平泉に連れて参れとの仰せだったのだ。どうか頼む。この吉次を助けると思って……
 いつものように手を合わせられて、さすがに竜も答えに窮した。
 
「けど、頭が何と言うか
……
「玄武にはもう話した。おまえに任せると言っている
……
 はっきりとしない竜に、吉次はここぞとばかり、最後の切り札を突きつけた。
 
……俺に?」
「ああ
……。おまえが決めることだと……
 玄武が承知のことと聞いて、一層うろたえた竜は、
……少し、考えさせてくれないか?」
 そう答えるのが、やっとだった。
 
「いいだろう
……。だが、もう時もない。何としても、明日の晩までには返事をくれ……
 吉次はそう言い置いて、そそくさと宿を出て行った。
 
 人足に逃げられたという話は、おそらく、作り話だろう。仮にそれが事実としても、他に比して、格段に実入りの良い奥州下りの人足仕事である。ほんの一声かければ、十人やそこらは、何の造作もなく集まるに違いないし、ましてや、陸奥国を束ねるほどの大人物が、自分に会いたいなどと
……、どう考えても奇異としか言い様がない。
 全ては、近頃の自分のふさぎようを慮
(おもんぱか)ってのことと、竜にも容易に察しがついた。
 
 とはいえ、心のどこかで、行ってみたい
……という思いがあるのもまた事実だった。それは、かつて楊孫徳に宋行きを勧められた折の、あの胸の沸き立つような衝動にも、どこか似通っている。
 
 あの時は、玄武が行けと言ってくれた。しかし、今度は自分で決めろと言う
……。これまで、筑紫に下る時も、京に上る時も……、どんな時も玄武の命に従って来たものを、今回に限って、なぜ……
 竜には、突然自分を突き放した、玄武の本心が見えず、苦慮するばかりだった。
 
「なぜ、行けと言ってやらぬのだ? 自分で決めろなどと
……
 珍しく素面
(しらふ)の寿老が、呆れたように言う。
 
「真は、行かせたくないのではないのか?」
……
「吉次の旅は陸路だ
……。海を行くことしか知らぬ竜には、少し、酷(こく)やもしれぬしな……
 寿老の投げかける当て推量に、玄武もとうとう根負けしたか、ようやく重い口を開いた。
 
「今まで、あいつは、筑紫に宋にと、俺の言いなりだった
……
「そりゃあ、お頭の言うことは絶対だ。それが当り前のこと
……
 玄武も大きくうなずいた。
 
「俺もそう思っていた。この俺が決めてやらなくては
……とな。それゆえ、宋行きの話が出た時も、俺の口から行けと言ってやったのだ。だが、今にして思えば……、間違っていたのかもしれん。あいつが、自分から行くと言い出すのを待つべきだったのではないかと……
……
 
「俺の一存で、宋行きを決めた折に、桔梗が申したのだ。自分で決めた道ならば、結果はどうであれ、悔いはないだろう。だが、人から押し付けられたことで、もし、取り返しのつかぬことにでもなったら
……。それこそ、竜が救われぬと……
 
「桔梗らしい
……
 寿老も思わず苦笑を浮かべた。
 
「確かにその通りだった
……。もし、あの時、命を落としていたとしたら……。俺が、あいつの命運を自由にして良いはずがなかろう……
 
 文覚の言う宿命が真実であれば、必ずや、竜は東国へ向かうことになるのであろう
……。だが、それを自分が強要してはならない。そうでなければ、あの嵐の二の舞になるかもしれない……。玄武の目は、既に、遥か先を見据えていた。
 
「竜が自分から行くと言うのなら
……、その時は、喜んで送り出すつもりだ……
 
 玄武の言葉に、嘘はなかった。そして、その端々に、竜に対する確かな信頼と、親子のそれにも勝る情愛を感じ取った寿老は、もはや何も言うことはできなかった。
 
 
 
 そんな玄武の胸の内など知る由もなく、吉次の誘いに、揺らぐ心の落ち着き先を定めることもできぬまま、まんじりともしない一夜を明かした竜は、その早暁、居ても立ってもいられない思いで、こっそりと宿を抜け出した。
 人影一つない朝靄
(あさもや)に煙(けぶ)る町を西へ……、そして北へ……。向かった先は洛北高雄――かの聖の住まう庵であった。
 
「何を迷っているのか
……
 突然の竜の来訪にも、文覚はそうと知っていたかのように、何ら驚く素振りも見せなかった。
 
「俺に与えられた天命とはいったい何なのか
……
 竜は思い詰めた目をして、文覚と向き合った。
 
「嵐で流れ着いた島の巫
(かんなぎ)が言っていた。俺は天の御遣いだと……
 そう言って、竜は腰に下げた翡翠
(ひすい)の玉を取り出して、文覚に見せた。
 
「この玉と、腕の紋が、そのしるしだと
……
 竜の手の中で、妖しい光を放つ件
(くだん)の玉を、文覚もじっと眺めていた。
 
「そして、その天命を全うせぬ限り、死をも許されぬとも
……
「なるほどのう
……
 文覚は静かにうなずく。
 
「御坊
(ごぼう)も前に言われた……。この腕の青龍の紋は、容赦なく試練を与えると……。俺は、いったい何者なのか? 天は、何をしろと命じているのか?」
 竜の憤慨をよそに、文覚はしばし瞑目
(めいもく)する。
 
「人の一生とは、己に課された命題を探す旅じゃ
……。その本当の意味は、他の誰にもわかりはせぬ。おまえの天命もまた、おまえ自身が見つけるより他ないのだ……
 
 佐古も文覚も、どちらも言っていることに、何ら変わりはない。はっきりとした答えを、誰も教えてはくれない。自分で見つけろと
……、そればかりである。
 
「見つけることができるのか? 俺に
……。いったい、どうやって!」
 竜は苛立ちの思いを隠そうともせず、さらに文覚に詰め寄った。
 
「何も特別なことをする必要はない。おまえはただ、己の思うがままに生きれば、それでよいのだ
……
 思うがままに
……、それこそ、今の竜にとって、何より難しいことのようにも思われる。
 
「自然の流れに従えば、自ずと道は開けて行く
……。いかに、思い迷うたところで、行き着く所は同じなのだ。流れに逆ろうたつもりでも、いずれ流され、また元の道筋に戻るだけのこと……
 
(自然の流れ
――、それは東国へ行くことなのか?)
 
 波紋のように広がるその思いが、やがて、竜に次なる言葉を促した。
「吉次が
……、平泉に行って欲しいと言っている……
 意を決して告げた竜にも、
……それで?」
 と、文覚の返事は相も変わらず素っ気ない。
 
「頭は俺に決めろと
……。けど、俺にはどうすればいいのか、わからない……
 竜は、途方に暮れた眼差しを、文覚に向けた。
 
「おまえの心は、もはや決まっているはずだ
……
 そう言って、文覚は驚愕に揺れる竜の目を、真っ直ぐに見据える。
 
「ここに来たのは、わしにその決意を、後押ししてほしいからに他ならぬ
……。玄武に替わって、その背を押してくれる者を求めて……
 
「別に、平泉に行きたいわけではない!」
 竜は向きになって言い返した。
「それはどうであろうかな?」
 
 文覚は、なおも執拗に、竜の顔をのぞき込む。その瞳の中に、己の本心が映し出されているような気がして、竜はたまらず目を逸らした。
 
「言いたいことがあるなら
……、申してみよ。聞いてやるぐらいのことは、わしにもできる……
 そうつぶやいた文覚の目は、俄かに穏やかになった。それを見て、竜の心も、幾分、落ち着きを取り戻した。
 
「京に戻って、少しずつ、前とは何かが違ってしまっていることに気がついた
……。あんなにも、身近に感じていた重衡の言うことも、今はわからない……。何だか、俺一人、取り残されてしまったようで……
 
「当然のことだ
……。おまえと重衡とでは、この二年の間におかれた境遇が、あまりにも違いすぎる……
 文覚は淡々とした口調で続ける。
 
「以前にも申したはずだ。立場が違えば、己の大事とするものも、自ずと変わるものと
……
……
「重衡は、いわば支配する側の人間
――。支配者の傲慢(ごうまん)は、我が手にしたものを失うことへの怖れ―― その裏返しに他ならぬ」
……
 
「己が手からこぼれ落ちるものを、逃すまいと必死になる様は、失うもののないおまえから見れば、さぞや愚かしい所行に映ろう。だが、当のあの者達にとっては、それこそが、何より大事とするものなのだ」
 
「重衡まで俺から離れて行く
……。平泉に行きたいと思うのは、その淋しさから逃れたいから……
 
「それでも構わぬではないか? 逃げることが悪いこととは思わぬ。どんな理由であれ、おまえ自身が望むことを、誰も咎
(とが)めることはできまい……
 そうまで言われても、竜はまだ、最後の決断に迷っていた。
 
「人のために生きて何とする! おまえの人生ではないか!」
 ふいに、文覚の叱咤
(しった)が飛んだ。
 
「己の望むままに
……、それでよいではないか……
「俺が
……望むままに……
 不安げに見つめる竜に、文覚はしかとうなずく。
 
「したが、竜
……。その逃げた道とても、必ずしも平坦(へいたん)とは限らぬのだぞ。むしろ、より険しい道を行くことになるやもしれぬ。そして、それもまた、選んだおまえの宿命……
 文覚の言葉は、出口の見えない迷路をさまよう竜の心に、一つの方向を指し示した。
 
 未知なるその行く手に待ち受けるものが何であれ、今、この時に、目の前に開かれた東国への道
――。それを選ぶことが、自分の運命なのかもしれない……
 
「今一度、先ほどの玉を見せてみよ」
 言われて、竜はおずおずと、手の中の翡翠の玉を差し出した。
 
「決して、手放すでないぞ! それがある限り、天はおまえを見放しはせぬ。いかなる窮地に陥ろうとも、必ずや、おまえを護ってくれるであろう」
……
 
「腕の紋は厳しい試練を
……、そして、この玉は、試練に立ち向かう力を与える。そのどちらが欠けても、おまえはおまえでなくなるのだ……
「俺が
……、俺でなくなる?」
 竜は目を見開いて、文覚に問い返した。
 
「おまえの命そのものだ
……
「俺の
…………
 竜は、手のひらの小さな玉を握り締めた。すると、不思議と、力が漲
(みなぎ)る思いがした。
 
(今はただ、怖れず進むしかない
……
 
 この日、宿に戻った竜は、玄武に奥州下向を願い出た。それを聞いて、吉次が大いに喜んだのは言うまでもないが、当の玄武もただ、言葉少なにうなずくだけだった。
 
 
  ( 2005 / 04 / 25 )
   
   
 
   
 
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