北国の勇将 (四)
 
   
 
「私……、何か余計なことを申しましたか?」
 廊を渡りながら、巴は心もとなげに吉次に尋ね掛けた。
 
「いや
……
 と言葉を濁す吉次の背中を、巴はなおも怪訝そうに見つめる。
「巴殿」
 ふいに足を止め吉次が、巴を返り見た。
 
「先ほどの女人の御名にござりますが
……、今後二度と、口にはなさらずにいただきたい……
 
 やはり
……との思いに、巴の表情も見る間にかき曇った。
 
「これから申し上げることは、どうか、巴殿の胸一つに収めておいていただきたいのだが
……
……
 
「あの者は、かつて、御大家の姫君に身のほど知らずの恋をいたしましてな
……。元より叶うべくもないこととは、当人も重々承知のこと。無論、それ以上のことを望む気持ちなど毛頭ござらなんだが……、さりとて、周りがそれを捨て置くはずもなく、挙句は、一時、京を追われることにもなりましてな……
 
「さようでございましたか
……。そうとは知らず、私としたことがうかつなことを……
 
 しきりに恐縮する巴にも、
「いや、決して、巴殿を責めておるわけではございませぬゆえ、そこの所は、どうか誤解のなきよう願わしゅう
……
 と、吉次は和やかに返した。
 
「それで、そのお相手の姫君は、今は
……
 
 巴に問われ、吉次もわずかに逡巡したものの、
「大そう高貴な身分の御方の許へ嫁がれまして
……、もはや、生きて再び相見えることもござりますまい。それゆえ、あれも早う思い切らねばと、日々、努めておったのじゃが……
 
「なれど
……、恋と申すものはままならぬもの。いかに封じ込めたつもりでも、人が最後に縋るのは、そんな一途な思いなのでございましょう……
 
……そういうものですかな?」
「ええ
……
 真顔でうなずく巴に、今度は吉次が首をかしげる番だった。
 
「吉次!」
 廊の先に目を向けると、鬼若を従えた遮那王が、立ちはだかっていた。
 
「もう話は終わったのだな?」
 先刻『大事な話がある』と、吉次に無理やり部屋から追い出された遮那王は、すっかり待ちくたびれた様子で歩み寄って来た。
 
「随分と待たせおって
……
 と吐き捨てて、遮那王はその脇をすり抜けて行こうとしたが、
 
「お待ち下さりませ!」
 吉次は強い口調でこれを制した。
 
「まだ、何ぞ用でもあるのか?」
 遮那王はひどく苛立った様子で振り返った。
 
「どうか、今はまだ、ご遠慮下さりませ」
「それは
……、いかなる意味か?」
 不服そうに尋ね返す遮那王に、
「今しばらく、竜を一人にしてやっていただきたい
……
 吉次はいつになく恭しく頭
(こうべ)を垂れた。
 
「吉次殿、それはあまりな申され様ではないか! 御曹司はどれほど竜の身を案じておられるのか
……
 
 血相を変えて詰め寄る鬼若にも、吉次はあえてこれを遮り、
「遮那王殿のお気持ちは、この吉次とて、ようわかっておりまする。いかに、竜のことを大事に思うて下されているかも
……。竜とて、さぞかし喜んでおりましょう……
 
「ならば、なぜ止める!」
 憤慨する遮那王に、吉次は毅然と向き合った。
 
「一頃の危険な状態は脱したとはいえ、今の竜はひどく弱っておりまする。どうにか、薬湯だけは無理やりにも飲ませておりますが、未だに他の物はまるで受け付けませぬ。となれば
……、今はただ、静かに眠らせてやることこそ肝要」
……
 
「そうでなくとも、人一倍周りに気を遣うヤツなれば
……、遮那王殿にそのおつもりがなくとも、そばにおいでになれば、あの竜のこと、またあれこれと余計な気を回しましょう。それでは、かえって疲れさせるばかりにございます」
 
「私が竜を疲れさせるだと
……?」
 この一言には、さすがに遮那王もうろたえた。
 
「今も、己の身体のことより、出立の遅れることばかりを案じておりましたからな
……。そういう性分なのでございます。ここはどうか一つ、聞き分けて下され……
 吉次はもう一度深々と頭を下げた。
 
「もうよい
……、相わかった……
 素っ気無いばかりの返答を耳にしながら、吉次もようやく頭を上げた。が、その淋しげな横顔を目の当たりにするにつけ、ひどく心苦しい思いがして、巴と顔を見合わせた。
 
 と、丁度その時、ふいに、どこからともなく、威勢の良い男達の歓声が聞こえてきた。
「巴殿、あれは
……、何事にござりますかな?」
 渡りに船とばかり、もっともらしく尋ねる吉次に、
 
「ああ、あれは殿にござりましょう。また、郎党を集めて遊んでおいでじゃ
……。いつまでも子供じみたことがお好きな御方なれば……
 とつぶやいた巴は、ふと思いついたように、
 
「そうじゃ、遮那王様もおいでになってみてはいかがです?」
……
 
「そう面白いものでもござりますまいが、ちょっとした退屈しのぎぐらいにはなりましょうほどに
……
 と妙に思わせぶりな言葉を残し、巴は一人、廊を渡って行った。
 
 しばらくその後ろ姿をじっと眺めていた遮那王は、
「吉次
……、あの巴殿はどういう女子(おなご)なのだ?」
 と、おもむろに問い掛けた。吉次は唐突なことに、少し唖然としながらも、
「木曽殿の奥方にございます」
 さも当然という顔つきでこれに答えた。
 
「それぐらい、ようわかっておる! そうではなくて
……
「鄙
(ひな)には稀な美形に、驚いておいでなのですかな?」
 吉次はニヤリとして、遮那王を見下ろした。が、
 
「おぬしじゃあるまいし
……、そのようなことは、どうでもよいことじゃ!」
 と、にべもない返答に、吉次も少しムッとした。
 
「何かこう、引っ掛かるのだ
……。あの隙のない身のこなし……、それでいて、どこかしら、淋しげな……
 遮那王は心に感じた何かを、うまく言葉にすることができず、何とももどかしいばかりだった。
 
「何が仰せになりたいのか、この吉次には、さっぱりわかりませぬ
……
 吉次は呆れたふうに言い捨てると、
「某も夜通し駆けて参って、いささか疲れましたゆえ、一休みさせていただきまする」
 と足早に立ち去った。
 
……御曹司?」
 何やら物問いたげに見つめる鬼若にも、遮那王はそれに見向きもせず、やがて、腕組みをして歩き出した。
 
「ちょっと、お待ち下され!」
 鬼若も慌ててその後を追った。
 
 
 
 
「これは、遮那王殿
……
 当てもなく庭をぶらつきながら、なおも考えに耽
(ふけ)っていた遮那王は、ふいに義仲に呼び止められた。
 
 先ほどの巴の勧めを真に受けたわけでもないのだが、いつの間にやら、義仲の「お遊び」の場に足を踏み入れていたらしい。が、遮那王も鬼若も、一瞬、我が目を疑った。鎧
(よろい)・兜(かぶと)に身を包んだ武者が打ち揃い、さながら、戦場とも見紛う異様な光景がそこにあった。
 
「遮那王殿もこちらに参られよ。木曽の山猿の真剣勝負、とくと御覧あれ」
 とりわけ立派な大鎧を身につけた義仲は、有無を言わせず遮那王を招き寄せ、その傍らに座を占めさせた。
 
「さて、次は誰じゃ?」
 
 義仲の声に、左右から二人の武者が進み出ると、颯爽と槍を構え合った。途端に、周りの郎党達がこれみよがしに囃し立てる。その声に気を良くしてか、一方のやや恰幅の良い侍が、頭上高くに槍を担ぎ上げ、力任せに振り回しだした。
 が、あまりに勢いがつき過ぎたものか
……、反動で足許がふらつくや、堪えきれずにガックと片膝をついた。
 
「何じゃ、そのへっぴり腰は!」
「もう降参か!」
 俄かに上がった嘲笑の間に、容赦ない野次も飛び交う。
 
「ほれ、さっさと組み合わぬか!」
 
 と苦笑混じりに声を張り上げた義仲に、すっくと立ち上がった武者は、一転して、今度は目にも止まらぬ速さで突きかかった。それをようやく交わした相手方も、これに負けじと鋭く槍を繰り出す。次第に白熱していく攻防に、取り巻く男達の熱気も一気に高まり、沸き立つ喚声は留まる所を知らない。
 
 義仲のみならず、いつしか、鬼若までもが身を乗り出すようにして、これに見入っていたが、片や、その傍らで、遮那王は一人、どこか覚めた心持ちでそれを眺めていた。
 
 そもそもが槍試合のはずが
……、既に双方とも槍は放り捨て、素手の取っ組み合いに変わっていた。
 もはや、恥もへったくれもないとばかりに、時に、足をもつれさせ、地べたを這いずり回る姿などは、滑稽を通り越して、ひどく情けないものとしか、遮那王の目には映らず、その勝敗もいったい何がどうなったのか
……、ついぞわからぬままに、いつの間にやら決着がついていた。
 
「大しておもしろうもない
……
 と言い捨て、座を離れかけた遮那王に、
「御曹司!」
 鬼若は慌てて制した。が、それを聞いた義仲は、急に、声を立てて笑いだした。
 
「それもそうよな
……。確かに、見ているだけではつまらなかろう……
……
 
「どうかな? 御身も、一番、やってみるか?」
……私がか?」
 思いがけない成り行きに、遮那王は眉をひそめる。
 
「怖うござるかな?」
 義仲はどこか挑戦的な目つきで見下ろしてくる。これに遮那王はキッと睨み返した。
 
「なりませぬ! 御曹司!」
「よかろう
……。この勝負お受けいたす!」
 鬼若の諫止
(かんし)も、時既に遅しであった。
 
「では、お支度を
……。兼光!」
 背後に軽く目配せした義仲は、さらに、乳母子の兼平を招き寄せ、二言三言、何やら耳打ちしていた。
 兼光はそれを目の端に止めながら、大げさに一つため息をつくと、遮那王を促し館へと向かって行った。

 
  ( 2005 / 10 / 01 )
   
   
 
   
 
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