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この日、生まれて初めて甲冑なるものを身につけた遮那王は、予想を上回るその重みに、思わず悲鳴をあげそうになった。のみならず、籠手(こて)や脛当(すねあて)などの身体中を覆った防具に自由を奪われ、槍を振り上げることはおろか、足を一歩前に踏み出すことすらも、ひどく大変な労作に思えるほどであった。
「これは……、大丈夫か? 足許もおぼつかぬようだが……」
笑いをかみ殺しながら、憐れみすら感じられる眼差しを送って来る義仲に、
「心配ご無用!」
遮那王も弱みを見せまいと、精一杯の虚勢を張った。
「して、私の相手は?」
「そこに、控えておる……」
義仲の指し示した先を見ると、一人の武者が、ひざまずいて待っていた。やはり、甲冑に身を固め、しかも顔には面をつけている。
遮那王には、いささか拍子抜けの感も否めなかった。義仲自らとはいかずとも、まずは兼平辺りを予想していたものを……、並み居る者達の中でも、とりわけ小柄で華奢ななりをしたその武者を相手に選ぶとは……。
(随分と侮られたものよな……)
不快の色を隠そうともしない遮那王に、
「決して侮られるまいぞ! 一つ間違えれば、御命にも関わるゆえな。手心を加えるなど論外のことぞ!」
すかさず義仲も釘を刺した。
「では、そろそろ、よろしいかな?」
これに遮那王は無言でうなずき、ゆっくりと庭に降り立った。相手の武者もおもむろに立ち上がり、双方とも槍を構え対峙(たいじ)する。
「始めよ!」
義仲の声を合図に、勝負は始まった。
機先を制し、遮那王がまず仕掛けるも寸での所で避けられ、はずみでつんのめりそうになった上体をようやくこらえると、一呼吸置いた後、二度三度と突きかかった。
が、慣れない格好にどうも動きの鈍い遮那王に対し、相手の武者は、鎧の重さなど微塵も感じさせない俊敏さで悉(ことごと)くこれを交わしながら、時折、容赦ない鋭い突きを繰り出してくる。それでも、人一倍の負けん気で、遮那王も果敢に応戦していたのだが……、それも、初めの内だけだった。
(この鎧、何とかならぬか……)
身の軽さでは、これまで誰にも負けたことはないものを、この姿では、どうにも身動きがとれない。また、槍の扱いに不慣れなのも、遮那王の焦りに拍車をかけた。
ほんの一瞬の隙を突かれ、ふいに態勢を崩すや、後はもう防戦一方となり、追い詰められた遮那王は、足を滑らせて尻もちをついた。と同時に、槍の鋭い切っ先が、その喉元に突きつけられていた。
「そこまでだ!」
勝者の将は、すかさず槍を納め、義仲の方に向き直った。
「さすがよのう、巴!」
遮那王は、一瞬耳を疑った。しかし、冑(かぶと)を脱ぎ、面をはずしたその顔は、紛れもなく巴その人であった。
「驚かれたかな? この巴は女ながらも、家中で五本の指に入るつわものなれば……」
「ご無礼の段、どうかお許しを……」
向き直った巴は、遮那王に丁重に頭を下げた。
「いかがであったかな? 存外、見るとやるとでは大違いであろう?」
「……」
「いかに剣の腕を磨こうとも、それだけでは無用の長物――。我が身を守るべき鎧が、己の自由をも奪うのよ。真の戦となれば、これの比ではない。それゆえ、こうして、日頃から慣れておかねば、いざという時にも、何の役にも立たぬということじゃ……」
遮那王は、なおも、その場にへたり込んだまま、呆然とした面持ちで、義仲を見上げていた。
「そろそろ日も暮れて参ったな……。今日はこれまでと致そうかのう……」
と声をかけて、義仲は足早に立ち去り、巴も遮那王に一瞥して後に続いた。これを潮に、兼平や兼光を始め、集まった郎党達も、三々五々に引き上げて行った。
一人取り残された遮那王は、そのまま足も投げ出して仰向けになり、暮れかけた空を見上げた。そして、そんな主の姿を、鬼若はただ黙って見守ることしかできなかった。
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「殿は……、いったい、何を考えておいでなのか?」
そう尋ねながら、巴は義仲の盃に酌をした。
「……何のことだ?」
「昼間の槍試合のことにございます。遮那王様も相手が私と知って、さぞやご気分を害されたことでしょう……」
「何、おまえとなら、よい勝負になると思うたのだが……。どうやら、わしの見込み違いだったようじゃ……」
と答えて、義仲は一気に盃を飲み干した。
「本気でそのようにお思いか?」
「……」
「あのお方を甘う見ては、足をすくわれることにもなりかねませぬぞ……」
立会いの最中、ほんの一瞬ながら垣間見られた、遮那王の内に眠る武者の本能――。巴自身、背筋が凍るような衝撃を覚えたほどだった。
「あのお方は……、恐ろしゅうございます。今日は、身軽さの分だけ、わずかながら、こちらに分があった……、ただそれだけのこと……」
「ほう……。巴がさようなことを申すとは……」
「殿!」
からかうような義仲の物言いに、巴も少しばかり拗ねて見せた。
「相変わらず、察しのよいことじゃ……」
義仲はほくそ笑みながら、その顔をのぞき込む。
「まだまだ子供なれど、末恐ろしい奴よ……。味方にすれば心強いばかりだが、万一、敵に回せば……、これは厄介なことになるやもしれぬな……」
「……」
「真の力量の程を測ってみたいものと思うたのじゃ。兼平でもよかったが……、あやつが本気にでもなろうものなら、それこそ、ただではすまぬからな。その点、おまえならば、いかな時でも冷静さを失うことはあるまい。ましてや、手心を加えるようなことも……。そうであろう?」
義仲の偽らざる本心であった。それを聞いて、巴は心のどこかでホッと胸を撫で下ろしていた。彼の妻であると同時に、最も心強い戦友でありたい……、その自負を義仲が認めてのことであったと……。
が、その一方では、この義仲までも本気にさせた遮那王という人間を、心底、恐ろしいとも感じていた。
「あるいは、盗賊相手に、命を落としておいてもらった方がよかったのかもしれぬな……」
巴が感じた思いを、義仲もまた、痛感していた。
「竜のやつめ、余計なことをしおって……」
軽く舌打ちする義仲の盃に、巴はさらに酒を注ぎ入れた。
「して、その後、竜の様子はどうなのだ?」
「あまり、はかばかしくはござりませぬ……。熱こそ下がりましたが、一向に食が進みませぬゆえ、未だに傷もふさがらず、身体が弱るばかりで……」
「今しばらくは、長旅など到底無理な話よのう……」
とつぶやいて、義仲は深いため息をついた。
「実は、先ほども、吉次に竜をここに置いて行けと申したのだ……」
巴は驚きの表情で見返す。
「それで……、吉次殿は何と?」
「一人残しては行けぬと……、相変わらず、その一点ばりよ。たかが、人足一人のこと、代りの者をいくらでも、望みの数だけ付けてやると申したのだが……」
「吉次殿は情に厚いお方なれば……。たとえ、人足たりとも、責任がおありなのでございましょう……」
「それにしても……」
こと竜のことになると、途端に、目の色を変える義仲が、巴にはどうにも気に掛かってならなかった。
「まだ、夢のお告げとやらを気にしておいでなのでございますか?」
「……」
「天下をもたらす青龍……」
言われて、義仲は言い淀んだ。
「殿は、天下など取って、いったい、いかがなさるおつもりか?」
向けられた強い眼差しに、義仲はそこから目を逸らして、つと天を仰いだ。
「さて……。いかが致すと申して……、天下を取るということがいかようなものか……、それすらも、皆目、見当もつかぬゆえな。だが、わからぬからこそ、一度、この手に納めてみたい。天下人となれば、我が身の上がいかように変わるか……、そこの所が、知りたいのじゃ」
「殿……」
「あやつが、かのお告げの通りの者でなければ……、恐らくここで命潰(つい)える定めなのであろう……。したが、万に一つ、その命を取り留めたなら……、その時は、是が非でも我がものと致したいものじゃ……」
この時、巴は義仲の目に妖気が走ったような気がした。しかし、それもほんの、ごく一瞬の間のことで、今はもう、いつもの表裏もない、穏やかな瞳があるだけだった。
「さて……」
ふいに、よろめきつつ、義仲は立ち上がった。
「殿……、今宵もあちらへ?」
巴の問い掛けに、義仲は少し気まずそうな表情も浮かべて、無言のまま部屋を後にした。
それを黙したまま見送った巴は、その背に縋り、引き止めたい衝動を、一杯の濁酒と共に飲み込んだ。
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