それぞれの想い (壱)
 
   
 
 竜の突然の回復ぶりには、さすがに遮那王も鬼若も驚きを隠せなかった。
 
 気がついた竜は、何事もなかったかのように自力で立ち上がった。それは、ほんの少し前まで、生気のない顔をしていたのとは、とても同じ人間には思えないほどであった。
 しかも、驚くべきことには、右肩に負ったはずの太刀傷が、まるで何もなかったかのように、跡形もなく消え去っていたのである。
 
 考えられることは唯一つ。これはもう、あの光の塊が、瀕死の竜に生命の息吹
(いぶき)を吹き込んだのだとしか思えないのだが、しかし、果たしてそんな非現実的なことがあり得るものか……。やはり、夢を見ていたのではないか……
 遮那王も鬼若も、いつまでもそんな戸惑いを拭い去ることはできなかった。
 
 だが、当の竜にすれば、さほどの驚きもなかった。
 かつて、嵐の中で、我が身と隼人を助けた緑の光
―― それが、あの翡翠の玉の力に寄るものだと、巫(かんなぎ)の老婆佐古は告げた。そして、おそらくは、最初に筑紫に流れ着いた時にも……
 
 三度までも己が命を救ったその玉の力が、竜には今さらながら恐ろしいと感じられた。
 あのまま死んでいれば、あるいは、楽になれたのかもしれない
……。しかし、こうして命を取り留めた今、自分をその運命の渦から『決して逃さぬ!』との天の強い意思をまざまざと思い知らされた気がしていた。
 
『腕の紋は厳しい試練を
……、玉はそれに立ち向かう力を与える……
 文覚の予言めいたあの言葉が、今また心に重くのしかかる。
 
(俺は死ぬこともできぬのか…)
 
 そんな自虐的な想いに捕らわれつつ、しかし、その一方では、命存
(ながら)えたことを素直に『よかった……』と思える自分もいた。今、目の前で涙を流して喜び合っている遮那王と鬼若―― その彼らと過ごす日々が、今しばらく続くことにささやかな安堵も覚えながら……
 
 かくして、それぞれが喜びと驚きの内に、連れ立って帰途についた三人は、ほどなく木曽館に帰り着こうかというそのすんでの所で、思いがけず吉次と行き会った。蛻
(もぬけ)の空の部屋を目にして、慌てて探しに出たのだが、しっかりとした足取りで歩み寄って来る竜に、驚きの声を上げたのは言うまでもない。
 
 遮那王も鬼若も湖での不思議な体験を夢中で語って聞かせた。あの緑の光が起こした奇跡を
……
 しかし、二人の興奮ぶりとは裏腹に、吉次の頭の中には、早くも次なる懸念が渦巻いていた。
 
(これが木曽殿に知れては、また面倒なことになる
……
 
 こんな尋常でない回復の仕方をしたとあっては、例のお告げを裏打ちするようなものではないか。先日は他愛もない夢の話として、どうにか躱
(かわ)しておいたが、これから先、またどんな無理難題を突きつけられるかわかったものではない。
 
 今にして思えば、下手に騒ぎ立てずに忍び出て来たのは正解であったと思い返しつつ、吉次はすぐさま次に打つべき手に考えをめぐらせ、まずはこの夜の奇跡を決して誰にも漏らさぬよう三人に堅く口止めした。
 湖まで出掛けたことも、そこで起きた一切の出来事も、今この場より全て忘れ去るようにと
……
 
 そうして、人目を忍んで急ぎ館へ連れ帰ると、竜を寝床に押し込め、向こう三日は外へ出ることはおろか、起き上がることすらも厳禁した。
 義仲の野望のほどを知るだけに、事は慎重を要する。多少の不自然はやむを得ないとしても、どうにか誤魔化しの利くギリギリの所まで、既に竜の傷が完治してしまっていることを知られるわけには行かなかった。
 
 竜も吉次に説得されるまま、とりあえずは枕も上がらぬ風を装ってはいたものの、折に触れ甲斐甲斐しく見舞う巴に、そうそう気づかれずには済むまい。何よりいつまでも欺き続けることに竜もひどい罪悪感を覚え、それはもう、針の筵
(むしろ)に横たわっているかのような毎日であった。
 
 かくして、我慢に我慢を重ねた三日間もついに明けると、竜は待ちかねたように部屋の外へと飛び出た。が、久しぶりに浴びる朝日の眩しさに、ふと軽い眩暈
(めまい)を覚え、思わず傍らの柱に手をついた。
 
「そら、言わぬことではない。まだまだ、本調子ではないものを
……
 と言って、手を貸そうとする吉次を跳ね除け、竜はよろよろと歩き出した。
「あんな暗い所で横になってばかりいたのでは、真に病になってしまう。早う身体を慣らさねば
……
 
「一時は命も危ぶまれるほどの深手を負って、半月近くも床に臥せっておったのだぞ。そんなおいそれと元気になられては、こっちも言い訳のしようがないからな。いま少し病み上がりらしく見せかけるには、これで丁度よいぐらいだ」
 吉次は冗談混じりに言いながら、中庭へと下りる階
(きざはし)に竜を誘(いざな)い腰掛けさせた。
 
「けど、それだけまた旅が遅れる
……。いつまでも足手纏いになっているのには、もう耐えられない!」
 焦りの思いを露わにする竜に、
「そう慌てるな。旅の遅れなど、後からどうとでも折り合いはつけられる。それよりも、今は何事もなくここを発てるよう、まずは一つ一つ手順を踏むことだ。少しの疑いも持たれぬよう
……
 
「疑いって
……?」
 竜はまだ義仲が見たという夢の話を知らない。吉次自身も依然として半信半疑のことなれば、うまく説明のしようもなくて、ついぞ切り出せないままに、今日に至っていた。
 
「吉次、いったい何をそんなに恐れているのだ? 木曽殿が何を疑われると
……?」
「いや
……、その……、なんだ。例えば、我らが運ぶ品に、不老不死の妙薬なぞ潜ませておるのではないかなどと……
 と苦し紛れに取り繕ってはみたものの、竜はなお怪訝そうに吉次を見詰めていた。
 
「ともかく、今日の所はあまりウロウロと出歩くな。何と言おうと、おまえは病み上がりなのだからな。そこの所を忘れてもらっては困る
……
 
「わかっているさ
……。けど……、どうにも落ち着かないものだな。何もしないで、じっとしているっていうのは……
……
「この三日間は死ぬほど辛くてたまらなかったよ
……
 急にうなだれた竜を見て、
 
「そういえば、おまえがボーッとしているところなんぞ、これまでついぞ見たことがなかったな
……。何かというとすぐ怠け癖を起こす伝六のやつと違って、いつも忙しなく飛び回っていたもんな……
 吉次はどこか懐かしげにつぶやいた。
 
「けどな、竜
……
……
「そうやって、遮二無二
(しゃにむに)突っ走ってばかりいると……、いつか、ボロボロになっちまうぞ……
……?」
 
「おまえはいつでも、何でも、一度こうと思ったら歯止めが効かなくなる
……。今度のこともそうだ。太刀の心得もないくせに、丸腰で修羅場へ飛び込みやがって……。そうやって、いつも、己の感情のままに無茶ばかりしておっては、そのうち、本当に命を落とすことになるぞ!」
 
 吉次の言いたいことは、竜にもよくわかっていた。
 今回のことに限らず隼人を助けた時も、そして、もっと以前に、厳島で重衡を助けようとした時も同じであった。自分がどうなるか
……、そんなことを考える前に、気づくとその身を投じていた。
 今にして思えば、確かに無茶なことばかりである。しかし、だからと言って、この衝動はどうにも抑えることができないのだから仕方があるまい。
 
「まあ、そこがおまえのいい所でもありのだがな
……
……
 
「おまえが助けなければ、遮那王殿はどうなっていたかわからない
……。この俺にしても、鏡の宿でな……。そのことでは、大いに感謝もしている」
 見返す竜に、吉次は笑ってうなずいた。
 
「だがな
……、時には、立ち止まって、自分の今いる場所を確認することも大事なことだ。むやみやたらと走り回って、それで真の行くべき道を見失っていては、元も子もないからな……
……
 
「竜
……、何もしないからと言って、それで時を無駄に過ごしているなどと考えるのは大きな間違いだぞ。それもまた、時には必要なことなのだ……
「吉次
……
 
「だから、これもちょうどよい骨休めと思って
……、せめて今日一日ぐらいは、頭の中を空っぽにして、のんびりと空を流れる雲でも眺めてろ……
 最後にはそう窘
(たしな)めて、吉次はどこへともなく姿を消した。
 
 何もせずにいることの焦り
―― それは竜にとって、苦痛以外の何物でもなかった。
 
『おまえの安息の場所は、激動の嵐の中にこそある
……
 あの佐古の言葉も、いよいよ胸にこたえてきた。
 
 安穏な日々を願いながら、その中では自分自身を持て余し、苛立ちを抑えることができない
……
 そして、その思いの捌け口を求めてさまよううちに、気づけば、また新たな苦悩を抱え込んでいる
……
 その皮肉なまでの輪廻
(りんね)の渦から逃れるすべもなく、唯々途方に暮れるばかりなのである。
 
(いったいどうしろって言うんだ!)
 やるせない思いを抱えて、竜はおもむろに空を見上げた。
 
 どこまでも広く高い、抜けるような青い空を、静かに流れ行く大きな白い雲
――
 吹き過ぎる風の赴くままに、悠然と揺蕩
(たゆた)うその様を前にしては、自分の運命の行き先に思い迷い、未だ起こりもしないことに怖れ慄(おのの)く我が身が、何とも情けなくも思えてくる。
 
 この大自然の営みに比べれば、人の為せることなど小さきもの
……、どんなに齷齪(あくせく)したところで、何も変わりはしない……
 そう諭されているような気さえした。
 
 やがて、そんな竜の耳にふと何か響くものがあった。歌うような心地よい調べ
……。その優しげな声に誘われるままに、竜はおもむろに歩き出していた。
 
 
  ( 2005 / 11 / 20 )
   
   
 
   
 
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