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「巴殿……」
廊に立ち、ぼんやりと空を眺めながら考え事をしていた巴は、その声を耳にするまで、背後の気配にもまるで気づいてはいなかった。
「遮那王様……」
振り向き様にその姿を認めて、巴は驚いたようにつぶやいた。
「……いかがなされたのか?」
「いえ、何でもありませぬ」
慌てて居住まいを正した巴を遮那王はなおも訝しげに見つめる。
「遮那王様こそ……、どうかなさいましたか?」
巴の問い掛けに、遮那王は少しはにかみながら、後ろ手に隠していたものをおずおずと差し出した。
「これを……、巴殿に差し上げようと思うてな……」
目の前に現れたのは白い山百合の花の束だった。
「まあ、美しいこと……」
巴は女性らしい華やいだ笑顔を見せた。
「裏山にたくさん咲いておったゆえ……」
と言って、花を手渡す遮那王の表情はあどけないばかりの少年の顔だった。
「私の好きな花にございます。ほんに嬉しいこと……。されど、何ゆえこれを私に?」
「いろいろと世話になった礼のつもりだ。それに……、この花はどこか巴殿に似ている。凛とした気高さの中にも、どこか淋しげな影も感じられて……」
巴はつと遮那王を見返した。
「……淋しい? 私が?」
巴はいささか呆気に取られた。しかし、遮那王の目はいたって真剣だった。
「そのようなことを言われたのは初めてにございます。私ほど気の強い男勝りの女子(おなご)はいないと……、そういつも周りから言われ続けて参りましたから……」
と苦笑を浮かべる巴にも、遮那王は真っ直ぐにその目を見つめて、
「気が強ければ孤独ではないと……、そう申されますのか?」
「……」
「むしろ逆にございましょう。気丈であるがゆえに、他人には決して弱味を見せたくなくて……、それで、ついつい自らを孤独へと追い込んでしまう……」
遮那王の言葉に、巴は言い返すこともできず黙り込んだ。
「私と同じ物思いをなさっておられる……」
「……遮那王様?」
「この世で何よりも大事と思う御人に、いついかなる時も、ただ自分一人だけを見つめていて欲しい……、そう願うておられましょう?」
「それは……」
悩ましげに揺らめく瞳を前に、巴は懸命に心の動揺を抑えようと努めた。
「私は竜のことが好きだ……。それは、ただ単に命を助けられたからではない。この孤独な心をこそ救われたからだ……。私の淋しさをわかってくれた、たった一人の存在なのだ。なればこそ……、竜にとっての私もまた、同じ重さの人間でありたい……、そう思うていた」
「……」
「したが竜は……、私を前にしながらいつも別の誰かを見ている。私ではない他の誰かを……。この身にとって、竜は他の誰よりも大事な者であるのに、竜にとっての遮那王はその誰かの次……。いつまでたっても一番目にはなれぬ……」
遮那王のあまりに淋しげな横顔に、巴の胸にも切ない感情が広がっていた。
「そのようなことはございますまい……」
そう口にはしたものの、巴も心のどこかでその思いがわかるような気がしていた。
義仲もまた、自分にとって、ただ一人の人に違いない。しかし、義仲からすれば、いったい自分はどれほどの存在なのか……。その答えを知ることにも恐れを抱き、立ち竦(すく)むばかりの己が姿を見る思いだった。
「気休めはおやめ下され! 巴殿もそう思うておいでのはず!」
「……私が?」
射るような遮那王の強い視線に、巴は縫いとめられたように身動きができなくなった。
「木曽殿にとって、この世の誰よりも大事な存在でいたい……。そう願うこと自体、現実はそうでないと思うておられる証にござりましょう!」
巴は愕然とするあまり、軽い眩暈(めまい)を覚えた。
「先だって、図らずも槍を交えた折に、私には向き合うた武者の悲しみが見えたのだ。突き掛かるその切っ先に込められた心の叫びが……。それが他でもない、巴殿であったと知って大そう驚きもしたが……」
返す言葉もなかった。こんな年端もゆかぬ少年に、己が心の奥底までも見透かされていたとは……。
義仲の子を生んだ初音に対する妬みの心――。
その幸いを受けるのが、なぜ自分ではないのか……。
どんなに平気な振りをしていたところで、この胸に抱える怨念にも似た悲嘆は、とても隠し遂(おお)せるものではないことをはっきりと思い知らされていた。
「あの夜、勝負に負けて愚痴をこぼす私に竜が申したのだ。ただ一度の負けで諦めるのは愚かだと……。次に負けねばよい。そして、次も負ければその次に……。命ある限り幾度でも挑めばよいと……」
「……」
「私もその通りだと思うた。それゆえ、決して諦めたりはせぬ。いつの日か、その誰かにも打ち勝って、必ずや、竜を我一人のものにしてみせようぞ!」
「遮那王様……」
「なれば……、巴殿ももっと心を強う持たれよ。あの槍試合での借りも、いつか返さねばならぬからな……。それまで、倒れずに待っていてもらわねば……」
そう言って、笑いかける遮那王に、巴はなおも揺れる心を押し隠して微笑み返した。
「御曹司――!」
と、そこへ、ひどく慌てた様子の鬼若が庭先から駆け込んで来た。
「このような所においででしたか……」
息を切らした鬼若を遮那王は怪訝に見返す。
「何を騒々しい……。いかがしたというのだ、鬼若!」
「それが……、今しがた、木曽殿が竜を連れて馬でお出かけになられたようにござりまする……」
「……何と!」
遮那王は巴と顔を見合わせた。
「わずかな供だけを連れて……。いったい、どちらにおいでになったものか……」
「竜を……? 何ゆえじゃ!」
唯々、不審に思うばかりの遮那王と鬼若――。だが、巴には義仲のその行動の意味も理解できた。
例の夢に現れた託宣――。
青龍の化身を我がものにしたいと言った……、あの義仲の妖気に満ちた目が思い出されていた。
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