|
「あれほど出歩くなと申しておいたのに……」
竜が木曽館に帰り着くと、案の定、蒼白な顔をした吉次が待ち受けていた。
「木曽殿は……、何か仰せになっていたか?」
「……」
「どうなのだ!」
いつにも増して険しいその目つきに、竜は吉次も全て承知のこととすぐに理解した。
「吉次……。自分が普通の人間でないことぐらい、俺自身が一番よくわかっている。あんなことがあって……、嫌でもそれを自覚せざるをえないだろう……」
「竜……」
察した吉次は少しうろたえながらも竜を見返した。
「木曽殿が……、俺にここに残れと……」
「それで、おまえは何と?」
「もちろん断ったさ。俺には平泉に行く役目があると……、そう申し上げて……」
それを聞いて、吉次はふっと一つ息をついた。
「けど、こんな俺が本当にこのまま付いて行っていいのだろうか……。もしあの話が真のことだとすると……、これから先も何が起きるか……。吉次や遮那王殿にこれ以上迷惑はかけられない……」
と苦しげに言う竜に、吉次は急に顔を真っ赤にして怒り出した。
「馬鹿を申すな! 迷惑も何もあるものか!」
「……」
「そもそも、平泉に一緒に行ってくれと頼んだのはこの俺だぞ。もしここでおまえを置いて行ったりしたのでは、それこそ玄武に顔向けができぬ! それに、遮那王殿のことも……、これから御館(みたち)を説得せねばならぬのだぞ! 言い出した張本人のおまえがおらねば……、俺が困る……」
「吉次……」
最後はふて腐れたように声を低めた吉次だったが、その仏頂面(ぶっちょうづら)の裏に潜む心遣いが、竜には何よりも嬉しかった。
「第一……、木曽殿の仰せの話とて、果たして、どこまで信用のできるものかわかったものではない。そう気にするな……」
言われて、竜もわずかながら心が軽くなる思いだった。
天下をめぐる争いの中にこの身を置くことが、真実、自らに与えられた天命なのか……。
小さき存在と悟ったそばから、俄かに突きつけられたその壮大なまでの命題――。
深い靄(もや)が立ち込める中、竜は向かうべき道を見失い、立ち竦(すく)むばかりであった。
しかし、だからと言って、ここで京に戻った所でどうなる……。
散々悩み抜いた末に出した答えが、この東国行きではなかったか……。
ならば、今はただ前に進むしかない……。
道が見つからなければ、自らの手で切り拓(ひら)いてでも……。
そして、今の竜には平泉に行くことがその道と……、そう信じることでしか、新たな活路を見出すこともできないのであった。
「しかし……、あの木曽殿がそれで納得なされたのか?」
あの夜、義仲の見せた野心に満ちた目が思い出されて、吉次の胸に幾ばくかの不安が募った。
「ああ……。俺の好きにしろと……。平泉へでもどこへでも参るがよいと……、そう仰せ下された」
一転、晴れやかな表情で答えた竜に吉次は目を細めた。自分ですら身構えた義仲に、この竜がどのように相対したか……、その程も伺えた。
「おまえは大したやつだよ……。こうと決めたら、どんな横槍が入ろうともその道を真っ直ぐ突き進む。相手が誰であろうと己を曲げることを知らぬ……」
「俺はただ、心に思うことを、ありのまま木曽殿に伝えただけだ。そして、木曽殿もわかって下された……」
「……」
「頭の言った通りだ……。思いを伝えることができれば、いつかわかり合える……。そう言う吉次だって、あんなに嫌がっていた遮那王殿のことを、今じゃ、どうにかしてやりたいと思ってるだろう?」
「それは……」
図星を指されて、吉次はぐうの音も出ないといった所だった。
「大丈夫さ……。平泉の御館殿にしても、心をこめてお話すればきっと……」
「言っておくが、俺にはまるで説得できる自信はない。おまえだけが頼りなのだからな……」
それは吉次の偽らざる本心であった。
(今の竜ならば、あの御館をも説き伏せるやもしれぬな……)
その思いは、吉次の中でより確信に近いものとなっていた。
「かくなる上は、明日にもここを発つことに致すか…。今さら隠し立ても不要となれば、少しでも早い方がいい。木曽殿の御心が変わらぬうちにな…」
と、互いにうなずき合った所に、突如として、静寂を破る大きな叫び声が響き渡った。
「竜ー! どこじゃー!」
鬼若が血相を変えて飛び込んで来た。
「……いかがしたのだ?」
吉次の問い掛けにも鬼若は見向きもせず、
「詳しい説明は後じゃ! とにかく早う!」
と言うや、鬼若は竜の腕を引っつかみ駆け出した。
|
|
|
|
鬼若に引きずられるように館の内を経(へ)めぐり、ようやく裏庭へとたどり着いたところ、そこには、抜き身を手に、互いに刃を向け合う遮那王と義仲の姿があった。
「これは何としたことにござりますのか!」
驚いた竜は、すぐ間近で見守る兼平と巴に事の経緯(いきさつ)を尋ねた。
「有り体(てい)に申せば、原因は竜、おぬしよ……」
と答える兼平に、竜は顔をしかめた。
「おぬしはこのまま木曽に留まることになった…と聞かされて、ひどく立腹なされた遮那王殿が真剣勝負を挑まれたのよ。自分が勝てばおぬしを奥州へ連れて参ると……」
「そのお話は、先ほどはっきりとお断りいたしました! 木曽殿も確かに承知と……」
「わかっておる……。おぬしにものの見事に断られて、殿も悔しまぎれにさよう申されただけのことじゃったのだが、それを遮那王殿がまた、すっかり真に受けてしまわれてな……」
竜は唖然とするしかなかった。些細な行き違いが元とはいえ、そんなことのために、下手をすれば命にもかかわる真剣勝負などされてはたまったものではない。
「すぐにお二人を止めて下さりませ! このようなことは全くの無意味にござります!」
竜は必死の形相で懇願するも、
「それは無理な話よ……。こうなったからには、白黒はっきりつけねばどちらも引っ込みがつかぬ」
と兼平の返答はひどく素っ気無い。
「なれど!」
焦りの色を露わにする竜に、
「何も案ずることはありませぬ」
今度は巴がやんわりと制した。
「殿も遮那王様の力はようわかっておられます」
「……」
「こう申しては何ですが、今の遮那王様の腕前では、とても我が殿の敵ではありませぬ。互いの力量にさしたる差もなければ、物の弾(はず)みということもあるやもしれませぬが……」
巴の言を継ぐように、兼平がさらに続けた。
「何、我が殿もあれで大そう楽しんでおいでじゃ……。遮那王殿の剣は大そう型破りゆえ、次にどう出てこられるか中々に先が読みづらい……。したが、殿もああやって手古摺(てこず)っておられるように見えても、寸での所できっちりと躱(か)わしておられる……。まあ、直に勝敗も決しよう……」
言われてみればなるほど、息つく間もない打ち合いを繰り広げているわりに、それほど切羽詰ったものは感じられない。二人の表情にも、どこか余裕を感じさせる笑みが浮かんでいた。
のみならず、何より竜を驚かせたのは、いつもは邪悪な気をまとわせている遮那王の剣が、今はまるで別人のように、清々しいまでの熱い心の迸(ほとばし)りにあふれていたことだった。
ここ木曽での逗留は、思い返せばさして長いものでもなかったが、それでも、遮那王の心に確かな変化をもたらしたことだけは容易に見て取れた。
「竜……、そなたには、この勝負を最後まで見届ける義務があります。遮那王様と我が殿の思い、その胸にしかと留めておきなされ」
全てを見通しているかのような巴の言葉は、竜に一つのある覚悟を促した。
天下をもたらす青龍―― その宿業から逃れられぬ限り、これから先もこうした局面に数限りなく遭遇することになるのであろう。
いずれの勝ちも喜べず、ただ空しさばかりが残る不条理な争い……。果ては、こんな戯れ事などとは比ぶべくもない、まさしく血で血を洗う壮絶な修羅の闘いも……。
しかし、それを自分は最後まで見届けることができるのだろうか……。
今こうしていても、鎬(しのぎ)を削る二人から思わず目を背けそうになるものを……。
こんな心弱いばかりの身に、かくも非情な役割を与えようとするのは、いったい何の因果によるものか……。
容易に答えの出るはずのない自問を何度も繰り返す竜――。その前途には、今また厚く重苦しい暗雲が垂れ込み始めていた。
| |