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木曽では思いがけず長の逗留となった吉次一行もようやく彼の地を離れ、再び奥州平泉を目指してさらに東へと向かっていた。
険峻な山々の間を縫うように走る道筋には、これまで以上に大小の難所がいくつも待ち構え、多くの荷駄を擁しての旅は決して楽なものではなかったが、また一つ困難を乗り越えた竜には、それもさして苦にはならなかった。
これ以上遅れを取るようでは、ひいては吉次の信用にも関わる――。
不慮のこととはいえ、自らの負傷のために生じた遅れを少しでも取り返さなくては――。
そんな責任感にも似た思いが竜の気持ちをいっそう鼓舞(こぶ)していたこともあろう。
加えて、あるいは木曽で失くしていたはずの命――、それを運良く取り留めた自信のようなものが、これまで何かにつけ悲観的な考えにとらわれがちだった竜に、少しは物事を前向きにとらえさせるようになったことも大きかったかもしれない。
そして、そうした心境の変化に竜自身も少なからず戸惑いを覚えていた同じ頃、共に行く遮那王の身の上にも一つの大きな転機が訪れていた。
長く慣れ親しんだ稚児姿を捨て去り、遮那王は自らの手で元服を果たすと、その名も源九郎義経と改めたのである。
素性を隠しての旅の道すがらでは、武家の御曹司らしい盛大な儀式などとても望むべくもなく、立ち会う者も鬼若と竜の二人のみと、吉次にすら内密にしての形ばかりの簡素なものであったが、それでも当の九郎は何ら憂えるふうもなく、むしろ、これで奥六郡(おくろくぐん)の長(おさ)にも正々堂々と挑むことができると喜び勇んだほどであった。
「しかし、御曹司。その『義経』という御名は、いかようにしてお決めになられましたのか?」
鬼若の問いを待っていたとばかりに、九郎はいそいそと懐(ふところ)に手をやった。
『鞍馬山の天狗より授けられた……』
と冗談めかして言いながら、得意げに二人の前に広げて見せたのは小さな巻物。
そこには、清和源氏累代の将の名が連綿と書き連ねられていた。
その中でも一際目を引いたのが、かの八幡太郎義家(はちまん・たろう・よしいえ)以来、九郎の父義朝(よしとも)も含め多くの先人の名に用いられた『義』と、その源流に位置する経基王(つねもとおう)の『経』の二つの文字――。
今や平家一門の権勢の下では風前の灯(ともしび)の源氏の再興を必ずやこの手で成し遂げ、新たな歴史をも拓(ひら)かんとの強い決意も込めて、九郎がこの名を選んだことは尋ねるまでもなく竜にも容易に察せられた。
が、それにしても『鞍馬山の天狗』とは……、それがどうも引っ掛かった。
己の氏素性も知らされることなく、無為に鞍馬寺での稚児暮らしに甘んじていた遮那王に、その出自や血筋の貴(とうと)さを説き、密かに剣術や兵法までも指南したという謎の人物。
果ては此度の奥州行きも、彼の人の強い勧めがあってのことと聞かされては、この九郎の背後には何やら一方ならぬ大きな力がうごめいているような気もしてならない。
始めに『天狗』と聞いて、竜は真っ先に高雄の文覚を思い浮かべた。
その文覚が院御所で騒動を起こし、遠く伊豆国へと流されたことは、京での徒然を知らせる吉次宛の報告によって、竜も既に知るところであったが、よもやそれと何がしかの関わりがあるのでは……。
当の九郎でさえ、その天狗の正体は知らぬ存ぜぬでは、これ以上詮索のしようもなかったが、この時、漠然と抱いた疑惑の影は、小さな棘(とげ)のように人知れず竜の胸の内に留まり続けることとなる。
かくして、木曽を経っておよそ一月の後。
吉次一行が奥州平泉に到着した頃には、既に夏の盛りを迎えていた。
「御館(みたち)にはいつお会いできるのだ?」
平泉の中心部に程近い吉次の宿に落ち着くや、九郎は一も二もなく御館――藤原秀衡(ふじわらの・ひでひら)との対面を求めた。
「さあ、これからすぐにも参ろうほどに!」
「そう急がれますな。まずは、某(それがし)がご挨拶に参りまする。その折に、それとなく御館に申し上げて……、万事はそれからのことにござりますれば……」
吉次に軽くいなされ、出鼻を挫(くじ)かれた九郎は憤然とした面持ちで、
「何ともまどろっこしい! 少しも早うお目にかかりたいものを……」
吉次の苦衷(くちゅう)を察するでもなく、唯々、秀衡との対面を心待ちにする九郎――。
元服したとはいえ、未だ十五でしかない世間知らずの身に、これから成そうとしていることがどれほどの重大事であるかなど、真にわかりえるはずもなかった。
「九郎殿、お忘れではあるまいな。御館は決してあなた様を歓迎してはおられぬということを……」
「わかっておる。したが、お目通りさえ叶えば……。後はどうとでもしてみせる!」
と無邪気に言い張る九郎に、
「ともかく、今日の所はおとなしく待っていて下され……」
吉次は力ないため息をついてやっと重い腰を上げると、表で荷の算段をつけている竜に声をかけた。
「おい、用意はできたか?」
「ああ」
「では、そろそろ参ると致すか」
十台余りの荷車が順に宿を後にして行く。竜も吉次に従いその最後尾についた。
「竜、頼んだぞ……」
九郎は声にもならない声でつぶやくと、逸(はや)る心を抑え、努めて笑顔で一行を見送った。
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京においてはこの陸奥国を指して「東夷(とうい)」「蝦夷(えみし)」などと呼び、いにしえより蛮族の住む僻地(へきち)とこれを蔑視する風潮にあった。
市井(しせい)でも「蝦夷の民はその身に毛皮をまとい、穴を掘って住まっている……」といった噂が実(まこと)しやかに囁かれるほどであったが、しかし、長い過酷な旅路の果てにたどり着いた場所は、そんな噂など打ち消してなお余りあるほどの繁栄を誇るまさしく都であった。それは吉次の言に違わず、京のそれを凌(しの)ぐと言っても過言ではなかろう。
その平泉の街の中心を成すのは、猫間ヶ淵(ねこまがふち)を挟んで並び立つ二つの広大な館。
御館――藤原秀衡が三年前に京の朝廷より鎮守府将軍に任じられて以来、政庁めいた役割を果たすようになった柳ノ御所(やなぎのごしょ)と、それに伴い近年新たに造営された伽羅ノ御所(きゃらのごしょ)と呼ばれる秀衡の私邸である。
吉次が向かった先は伽羅ノ御所だった。その名にある通り、高価で知られる香木の伽羅を随所に取り入れた豪奢(ごうしゃ)な館は、京の公卿の邸宅はおろか、今をときめく平家一門の居館にもひけをとらぬ壮大な佇まいを見せた。
「まるで西八条第のようだな……」
「だとすると、これからお会いする御館は、差し詰め平相国殿というところか?」
しきりに目を瞬(しばた)かせている竜を吉次は鼻で笑った。
「これしきのことで驚かれたのでは困る。こんなものはまだまだほんの序の口だぞ。この国の財力を持ってすれば、このような館などいくらでも建つのだからな……」
聞きしに勝る奥州藤原氏の力のほどを早速見せつけられ、竜は毒気にでも当てられたように、呆然と辺りを眺めるばかりだった。
荷車から降ろされた品々は、吉次の指図のままに御所の一角にある大きな倉の中へと納められた。そして、それが終わると他の人足達はさっさと宿へ引揚げて行く中、竜だけは一人倉の前に残され、御館に拝謁すべく館の内へと入って行った吉次の帰りを待つことになった。
蝉しぐれが耳に痛い。それはあたかも、過ぎ行く夏を惜しむかのような早急さ……。
天を仰ぎ見ても、強い日差しは照り付けているものの、真夏の盛りの勢いは認められない。
京より遥かに短い奥州の夏の日は、早終わりを告げようとしているかのようであった。
(ようやくたどり着いたのだな……)
竜にとっては初めての陸路の旅の終着――。
幾多の困難を経た後だけに、その感慨もひとしおである。筑紫に流れ着いた頃を思えば、京はおろか遠く離れたこの北国の地に、今こうして立っていることさえも信じられないことであった。
(この先どうなるのか……)
一つの役目を終えて安堵したのも束の間、再び襲い掛かってくる不安――。
普段は考えないようにしていることが、一人になると途端に頭を擡(もた)げて来る。逃れても逃れても逃れ切れない物狂おしさ……。こうして京を離れた今も何一つ変わりはしない。
(死ぬまでこんなことを繰り返すのか……)
そんな絶望にも似た思いに打ちのめされる。が、それでも思い惑った挙句に行き着く最後の答えは決まっていつも同じだった。
(なるようにしかならぬ……)
そう心に強く言い聞かせて、頭の片隅へと無理にも追い遣る。ほんの一時の気休めとわかっていても、それで少しは心も落ち着いた。
しかし、いったいいつまでこのような所で待っていればよいのか……。
吉次は一向に戻って来る様子もない。手持ち無沙汰に腕を組みなおした竜は、ふとすぐ間近に人の気配を感じておもむろに振り返った。
少し離れた物陰から密かにこちらを盗み見ている少年の姿があった。気づかれて一度は慌てて身を隠したものの、不審に思いつつ竜が再び背を向けると、今度は恐る恐る歩み寄って来た。その足音を聞きながら、竜もまたゆっくりと振り向いた。
まだ十やそこらの小さな少年だが、その身なりからして御館の御曹司とすぐに見当がついた。物問いたげにじっと見つめる少年に、竜は膝をついて姿勢を低くした。
「……何か?」
「京から参ったのか?」
「……はい」
「京にも蝦夷(えみし)はおるのか?」
真面目な顔をして尋ねる少年にも、竜はその意味がわからず首をかしげた。
と、そこへ背後からふいに話し声がもれ聞こえて来たかと思うと、
「忠衡(ただひら)? そこで何をしておるのだ!」
よく通る声が竜の耳に響いたのと同時に、驚いた少年は飛び上がるようにして大慌てで逃げ去っていた。
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