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平泉にやって来てからというもの、吉次は陸奥という国のあらゆるものを竜に見せようと、ほとんど休む間もなく方々へと連れ回った。
西国の馬が貧相に思えるほどの力強さにあふれた毛艶の良い奥州駒。
この北国の地より、さらに海を隔てた北の果ての渡島(おしま)から送られて来るあざらしの皮。
他にも鷹(たか)の羽根に漆や絹――、商う品を一つ一つ挙げて行けばそれは途方も無い数にも上った。
何かを目にする度に掻き立てられる好奇心――、その新鮮な驚きの数々に、これまで奥州と言えば『黄金の国』という印象しか持ち得なかった竜の既成概念などいともたやすく覆されていた。
しかし、それらのこと以上に、何より竜にとって大きな衝撃だったのは、宋を始めとする異国の商船との交易までも、京や筑紫を介すことなく独自に行っているという事実だった。
「宋との交易と申せば筑紫と思われがちだが、津軽の十三湊(とさみなと)の賑わいなどその比ではない。筑紫で手に入るもので手に入らぬものなどないのだからな……」
事あるごとに吉次がそう言うのにも、竜はどこか本気にはしていなかった。が、こうして実際に訪れてみて、日々、目にするもの耳にするものと言えば、全てが奥州藤原氏の底知れぬ財力の強大さを裏打ちするものに他ならなかった。
平泉の町のあちらこちらには、京のそれを思わせる佇まいの建造物も数多く立ち並んでおり、それらは京や宋より招いた仏師や職人の手によるものであった。
黄金を元にした交易で、紫檀(したん)や伽羅(きゃら)は言うに及ばず、螺鈿(らでん)に用いる夜光貝(やこうがい)や象牙(ぞうげ)のような稀少な産物までも容易に手に入れることができ、そうした高価な資材を惜しげもなく投じつつ、洗練された技を持つ匠達によって丹念に仕上げられた壮麗な堂塔伽藍(どうとうがらん)は、京のものと比べても決してひけを取らず、むしろ勝っているとも思われるほどの見事さであった。
京とよく似た世界を具現しつつ、京にはないものをも取り入れようとするある意味の貪欲さ――。
それもまた、何ものにもとらわれぬ東人らしい大らかさの為せる技――。
何かと言えば、体面や古めかしい慣習に固執する京の大宮人には到底真似のできないことであった。
「全く、京の公卿のお歴々にも、とくと御覧に入れたいものだ。この北の辺境の地に拓かれた平泉の栄えのほどを……。どなた様もきっと度肝を抜かれるに違いない……」
吉次はそう豪語して憚らない。
(確かにこの様を目の当たりにすれば、さしもの平家一門もさぞや顔を青くすることだろうな……。真に上を見ればきりがない……)
その考えには竜も全く異論はなかった。
こうして忙(せわ)しなくも充実した日々を送っていたある日のこと、吉次はそれでもまだ飽き足りないのか、急に思い立ったように竜を平泉郊外にまで連れ出した。
「今日はいったいどこまで参るのだ?」
いささかうんざりしたように尋ねる竜にも、吉次は一笑に付しながら、
「そのような顔をいたすな。この奥州平泉の秘宝を拝ませてやろうというのだからな。光栄に思え」
「秘宝……?」
首を傾げる竜に、吉次はまた例によって得意げな顔をして、
「この辺りの土地は舞草(もくさ)と申してな……」
「……舞草?」
そうと聞いて、竜もすぐにピンと来た。
「この陸奥国の中でもとりわけ良き鉄、そして良き刀を産する地だ。舞草刀(もくさとう)と申せば京では何倍もの値がつく。おまえもよく存じておろう?」
蝦夷刀(えみしとう)の一つ舞草刀――。
未だもって直に目にしたことはないものの、その評判の高さは竜もよく知るところである。
西国に多く見受けられる直刀(じきとう)に比べ、深い反りを持つ湾刀(わんとう)――。
その強靭(きょうじん)且つ切れ味の良さは他の追随を許さず、ことに腕に覚えのある武者ならば誰しもが望む品であったが、それに加え、腰に帯びた折におさまりの良い自然な反りの美しさが、武とは無縁のはずの公家の間にも人気を呼び、昨今は奥州渡りの太刀と言えば引く手数多(あまた)、当然高値がついた。
「もちろん黄金の価値には揺ぎ無いものがある。したが、これからの世には鉄もまた重要な商いの品となるのは必定。そして、鉄を黄金にも勝る価値に変える腕を持つ……、これから訪ねて参るのはそのような男だ」
そうこうしているうちに、続けざまに古びた小屋をいくつも見かけるようになった。
山深い里の中に不意に現れた小さな集落――。
その中を吉次は構わずどんどん先へと進み、やがて、とある小屋の前で足を止めた。
と、急に目の前の扉が荒々しく開け放たれたかと思うと、一人の若者が飛び出して来た。あいにくと吉次と思いっきりぶつかり、はずみでつんのめりそうになった若者を寸でのところで竜が支えた。
思わず合った目の暗く澱(よど)んだ瞳――。竜はふとその心に広がる底知れぬ深い闇を見たような気がした。
「待って! 兄様!」
追って出てきた若い娘に目もくれず、若者は荒々しく竜の腕を振り払い、無言のまま走り去った。そして、それを見計らったかのように、白髪混じりの初老の男が扉の奥から姿を現した。
その眼光は鋭く冴え渡り、人も己をも厳しく律する名匠にふさわしい顔がそこにあった。
「放っておけ!」
「なれど、父上!」
男は吉次の来訪を知り、俄かに表情を緩めた。
「これは吉次の頭……」
気づいて娘も慌てて会釈をする。
「相変わらずのようじゃのう、森房(もりふさ)」
「お恥ずかしいところをお見せしましたな」
と受けながら、森房と呼ばれた男は苦笑いを浮かべた。
「柾房(まさふさ)のやつ、いかがしたのだ?」
「いえ……、大したことではありませぬ……」
「……そうか?」
走り去った柾房なる若者の背に、なお訝しむような視線を向ける吉次――。その気を逸らすように森房は続けた。
「いつ、こちらにお戻りに?」
「十日ほどになるか……」
「それはまた早速のお越し……、恐悦に存じます」
と言って、森房は吉次の傍らの竜に目を遣った。
「そちらのお方は?」
「ああ。竜と申して、京より連れて参った者だ。竜、これは舞草太郎森房(もくさ・たろう・もりふさ)。平泉の宝とも言うべき御仁(ごじん)だ」
竜はぺこりと頭を下げた。
「また、そのような……」
「謙遜するでない。刀を打つ腕では御館も一目置く名匠が……」
「恐れ多いことにございます」
森房は恭しく腰を落とした。
「実は、今日ここへ参ったは、この者の目利きの力がいかばかりか……、是非とも、平泉一の名刀を打つそなたの腕前を見せて、計ってみたいものと思うてな……」
「それは……」
一転して、森房は顔を曇らせた。
「刀鍛冶の技は門外不出、その掟(おきて)はよう存じておる。したが、此度ばかりは御館(みたち)にもお許しを得た上で連れて参ったのじゃ。決して怪しい者ではない。技を盗み、他国に売るようなことなど断じてありえぬ!」
吉次は力説した。
「そのようなことなど……、夢にも考えてはおりませぬ。吉次の頭のことはこの森房、心より信用致しておりますゆえ……。なれど……」
「……いかがしたというのだ?」
奥歯に物が挟まったような森房の言い様が吉次にはどうも解せない。
「申し訳ございませぬ。今日はとても刀を打てはしませぬ」
「……何と?」
「刀は打つ者の心を映しまする……。今の乱れた心では鉄も言うことを聞きはしませぬ。どうか、今日のところはご勘弁を……」
そう言って頭を下げると、森房はそそくさと立ち去った。
「父上!」
残された娘は困った顔をして吉次の方に向き直った。
「申し訳ございませぬ……」
娘の平身低頭には吉次も苦笑いを浮かべた。
「いや……。それより小菊(こぎく)、いったい何があったのじゃ?」
「……」
「先ほどの柾房の様子、只事ではあるまい……。それに、いつもは冷静な森房があのように……」
「何でもございませぬ……」
そう口にしながらも、小菊の様子は見るからにおかしい。
「刀のことにかけては頑固一徹の森房じゃ……。若い柾房にはその厳しさが時に煩わしいこともあろう……」
うつむいたまま、すっかり黙りこくっている小菊をこれ以上問い詰めることもできず、吉次はおもむろに振り返って見た。と、竜の姿が見えない。
「おい、竜!」
いつの間にか竜は一人小屋の中に入り込んでいた。
「何をしておるのだ? 勝手なことを致すでない!」
吉次が言うのにも素知らぬふうに、竜は立て掛けられた一振りの抜き身の刀身をじっと眺めていた。
「これが……、舞草刀か?」
「そうだ。立派なものだろう……。京でもまず、これほどのものにはお目に掛かれまい」
「手にとって拝見してもよろしゅうございますか?」
小菊がためらいがちにうなずくのを見て、竜は恐る恐る手を伸ばした。
ずしりとかかる重み――。
差し込む光を受けて、妖しい輝きを放つ刃紋のきらめき――。
竜は眩しさを覚えながらも、そこからどうしても目を離すことができなかった。
「森房、会心の作じゃな……」
そう言って、吉次は小菊を返り見るものの、
「父はいつも申しております。これで最高などというものはない。もっと良いものができるはずだと……」
「森房らしい……」
根っからの職人気質が染み付いた妥協を許さぬ姿勢――。
吉次が平泉一の刀工と評する所以(ゆえん)でもあった。
「鋭く冷たい……。心まで凍りつくようだ……」
吉次と小菊は顔を見合わせた。しかし、二人のそんな様子などまるでよそ事のように、ひとしきり見入っていた竜は、やがて、ふとその脇に無造作に置き捨てられたままの刀に目を止めた。
「それは……」
小菊が急に慌てる素振りを見せたが、竜は構わずそれも手に取ると、二つの刃を光にかざして交互に見比べ始めた。その別人のような鋭い眼差しに、吉次は噂に違わぬ目利きの素養を見て取っていた。
「人の心を映すというのは真なのだな……。同じ太刀でもこんなにも違うものか……」
「……どこが? 俺にはどちらも同じようにしか見えぬが……」
吉次は不思議そうに、二つの太刀を見比べた。
「何かに迷っている……?」
「……」
「心の迷いがこの太刀を曇らせている……」
「心の……迷い?」
竜のつぶやきには一々首をかしげるばかりの吉次だったが、咄嗟にまたうつむいた小菊の動揺は見逃さなかった。
「いかがした? 小菊」
吉次の視線に耐えかねたように、小菊は思い切って顔を上げると、
「それは……、兄が打ったものにございます」
「柾房がか? また腕を上げたようじゃのう……」
思わず感心する吉次にも、小菊は大きく頭(かぶり)を振って、
「なれど、父はこれを舞草刀とは認められぬと……」
「相変わらず厳しいのう……。これも立派なものだと思うが……」
小菊はどこか心苦しげに、強張った微笑を見せるだけだった。
「俺は……、この太刀はあまり好きにはなれない……」
「……」
「何だか、これは人斬りの道具だと……、そう訴えかけられているようで……。こうしてただ眺めているだけでも、ひどく頭が重くなってくる……」
ぽつりぽつりとつぶやく竜に、吉次は目を白黒させた。
「何だと?」
瞬時に小菊の顔も青ざめていた。
「どうして……、どうして、そのようなことがわかるのです!」
小菊の取り乱し方は尋常ではなかった。
「物心ついた頃からずっと父や兄の打つ太刀を見て参りました。でも、私には何も見えませぬ!」
妙に思いつめた様子の小菊に今度は吉次が慌てた。
「いや何、こやつは少々変わったやつなのだ。時に見えぬものも見え、聞こえぬはずのものも聞こえる、そういう不思議な目と耳を持っておってな……。おかしいのはこいつの方なのだ」
妙な言い訳をする吉次に、竜は珍しくムッとした顔をした。
「吉次、そういう言い方はないだろう?」
「並の人間にはとても真似のできぬ芸当だからな。この俺にもおまえの言うようなものは何一つ見えはせぬ」
「そう言われても……、そのように見えるものは仕方がないだろう?」
拗ねたように口を尖らせる竜に、吉次は思わず苦笑した。
「別に悪いとは申しておらぬだろう。むしろ、大したものとほとほと感心しておる。そもそも何ゆえおまえをわざわざこのような所まで連れて参ったと思う? それもこれも、玄武からおまえが人並み外れた目利きと聞かされておったゆえではないか……」
二人の言い合いを聞いているうちに、取り乱した小菊の心も幾分か落ち着いて来た。
「いったい、何の話であったかな?」
思い出したように問い掛ける吉次に、小菊もいささか躊躇(ちゅうちょ)はしたものの、やがて事情を語り始めた。
「兄が刀鍛冶を辞めると言い出して……」
「……何と?」
吉次は瞠目して小菊を見返した。
「先ほどもそのことで父と諍(いさか)いに……」
「何ゆえそのようことに?」
さらに問う吉次に、小菊はまた言い淀んだ。
「あれほど刀を打つことに夢中になっておった柾房が……、どうにも信じられん!」
吉次の疑念に満ちた表情に、小菊はしぼり出すように答えを返した。
「人斬りの道具を造るのは嫌だと……」
「……人斬り?」
思わず問い返した吉次に、小菊は無言でうなずく。
「それはまあ……、確かにそうに違いないが……。しかし、何ゆえ急にそのようなことを……」
「それが……」
「何があったのだ?」
なおも詰め寄る吉次に、小菊も意を決してそのわけを口にし始めた。
「二月ほど前のことにございます。所用で白河へ参ったその帰り道に、偶然旅の者が追い剥ぎに斬られる場を見てしまったそうにございます。そして、その亡骸(なきがら)のそばに打ち捨てられていたのは、他でもない、兄がその手で打った太刀であったと……」
さすがに吉次も顔色を変えた。
「それからにございます。ろくに仕事もせず、昼日中からふらふらと出歩いて……。たまに戻って来たかと思うと、ああして父の勘気(かんき)を蒙(こうむ)り、また飛び出して行く……、その繰り返しにございます。毎日、いったいどこで日を暮らしているのか……」
「よほど、こたえたのであろうな……。よりによって、目前で己の打った太刀が人の命を奪うところを見てしもうたとあっては……、並みの神経では耐えられまい」
神妙な口ぶりの吉次に、小菊も黙ってうなずいた。
「おまけに森房もあの性分じゃ。間に立って小菊もさぞや大変であろう……」
「いいえ、私は……」
「しかし、これであの森房の様子がおかしかったのにも合点が行くというものだ。森房とて、己の後継者として柾房には大いに期待しておったはず……。それがこのようなことになって……、心中穏やかでないのも至極当然……」
「はい……。父はもう幾日も刀を打ってはおりませぬ」
「何だと? それは困る……。森房の太刀が無うては商いにも障りが出る。これは何とかいたさねばならぬぞ!」
真剣な面持ちの吉次にも、しかし、竜はどこか覚めた目でそれを眺めるだけだった。
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