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「吉次は何よりもまず商いが第一なのだな……」
舞草(もくさ)より戻る道すがら、どうもすっきりとしない物言いをする竜に、
「これで飯を食うておるのだ。仕方あるまい……」
吉次はさも当然という顔で言い返した。
「そうだよな……。別に非難しているわけではない。けど……」
竜の冴えない表情に、吉次もその意味を察していた。
「柾房(まさふさ)のことか?」
「やりきれないだろうな……。その手で作り出した太刀が人の命を奪うなど……」
「太刀とはそういうものだ。まさしく、人を斬る道具なのだからな……」
吉次はなおも平然と答える。
「なら、それを商う側はどうなのだ? 俺達もまた同罪ではないのか?」
「……」
「こんなことはどこかおかしい……。人を不幸にするもので利を稼ぎ、それで成り立っている俺達の暮しなんて……、人の道理から外れている!」
竜はその場の勢いでつい声を荒げた。
それでも吉次はさして顔色を変えるふうもなく、
「おまえの言うことももっともだ……」
と、まずは穏やかに受けながら、
「したが、竜……。太刀の商いで生まれる利潤がなければ、この国が立ち行かなくなるのもまた事実だ。それは、ひいては多くの民の暮しを窮(きゅう)させることにもなる。人は所詮、道理の中だけでは収まり切らぬもの……」
「吉次……」
「争いがある限り、太刀を欲する者も絶えることはない。そして、欲する者がいる限り、太刀を造り商うことをやめることもできぬのだ」
きっぱりと言い切った吉次に、竜は反論もできず憤然とするしかなかった。
「もっとも、この世の中、皆が皆おまえのような人間ばかりなら、そんな必要もないのだろうがな……」
吉次の言うことは竜にもわからなくはないのだが……。しかし、頭ではわかってはいても、心がそれを解することを拒むのである。そんな竜の心の葛藤は吉次にもそれとなく伝わっていた。
「無理にわかろうとする必要は無い。第一そんな俗塵(ぞくじん)にまみれた考えなどおまえには似合わん。清廉(せいれん)に過ぎるおまえにはな……」
「……」
「知らぬことを知ろうとするのは殊勝な心がけだが、人の言葉にいちいち己の節を曲げることはない。おまえはおまえで、己の信ずるものをとことん信じ続ければよいのだ……」
「俺が……信ずるもの?」
吉次は静かにうなずく。
「俺は……、まずは現実の、目先のことにこだわる。絵に描いた餅ではどうしたって空腹を満たすことはできぬからな。多くの民を飢えさせぬためにも、太刀の商いはやめぬ――。それがこの吉次の信念だ。おまえの考えとは合い入れぬものであろうと変えるつもりはない」
「……」
「しかし、だからと申して、それをおまえに押し付けようとも思わぬ。人は十人寄れば、十人それぞれの信念があって当然だ。おまえは、人の命の尊さこそ大事と思うなら、それを貫き通せばよい……」
そうまで言われても、竜の心は少しも晴れなかった。
利を求めるなら、なぜ他の物にそれを求めようとしないのか……。
不条理にどんな弁解を付け足しても、それは人の傲慢でしかないのではないか……。
(こんなことを考える方がおかしいのだろうか……)
鬱々(うつうつ)とした思いが胸の内を占め、竜は息苦しさを覚えていた。
と、その時、ふいに馬のいななきが耳に響いた。
おもむろに辺りを見回すと、少し離れた場所に一頭の放れ駒の姿があった。
竜はついと吸い寄せられるように歩み寄った。
近づく竜にも、駒は見向きもせず一心に草を食(は)んでいた。
漆黒の輝くばかりの毛艶に、額に浮かぶ白い紋様が映え、夜空にきらめく星を思わせる。
その威風堂々とした様は王者の風格をも表していた。
「どこぞの牧より逃げて参ったのであろう……。気をつけろ。あまり近づくと蹴られるぞ」
吉次の忠告にも構わず竜はさらに近づいて、やがて手綱を手にしたものの、駒は意外なほど何の抵抗も見せることなくおとなしく従った。これには吉次も少し呆気に取られた。
竜が優しくその首筋を撫でてやると、駒も竜に鼻を摺り寄せて来た。
「おかしなやつだ……。奥州駒は気性が激しくて、主以外の者には容易に懐(なつ)かぬものなのだが……」
「そうなのか?」
吉次の戸惑いも笑って受け流し、竜はなおも駒を撫でていた。
指の先から伝わってくる温もり――、それが忽ちに心を落ち着かせてくれるようにも感じられた。
「おまえは温かいな……。それに優しい目をしている……」
竜のつぶやきに応じるように、駒はまた一声いなないた。
と、そこへ俄かに馬を駆る武者が近づいてきた。
「このような所におったのか……」
馬上の男の顔を見て、吉次は急に畏(かしこ)まった。
「これは、西木戸殿(にしきどどの)……」
吉次と認めるや、男も破顔した。
「吉次か……。このような所で何を致しておる?」
「先刻舞草へ参り、その帰りにございます」
「おお、さようか……」
「西木戸殿こそ、いかがなされましたのか?」
「いや何、そこな駒を捜しておったのだ。調教の最中に急に暴れ出し、乗り手の若い者を振り落とした挙句に、勝手に牧を放れおって……。随分と探し回った……」
男はひどく呆れた様子で答えて、駒の傍らにいる竜に目を遣った。
「その方は……?」
「竜と申します」
馬上の男は少し驚いた顔をしながらも、
「噂は聞いておる……。御所への出入りを許されたそうじゃのう……」
そう言って、一しきり竜の顔を眺めた。
「なるほど、おもしろきやつじゃ……。御館がお気に召したのもわかるような気がする……」
竜は進んで駒を牽いて行くと、手綱を男に委ねた。
見上げた竜にふと男が見せた穏やかな笑顔……、それは、どことなく御館・秀衡の面差しと重なり合うような気がした。
「また、そのうちに会おうぞ!」
そう力強く言い放ち、男は放れ駒を牽いて駆け去って行った。
「吉次……、今のお方は? 西木戸殿……とか言っていたが……」
「あれは御館のご長男、国衡(くにひら)殿だ」
「国衡殿……?」
竜はしばしじっとその後ろ姿を見送った。
秀衡に似ていると思ったのも道理だった。
が、同時にその胸には別の疑問が浮かんでいた。
長男であれば国衡は泰衡の兄ということになる。
にもかかわらず、何ゆえ弟の泰衡が嫡男なのかと……。
それを察したように吉次は続けた。
「少々お気の毒な身の上であられる。御館の御子の中で一番年嵩(としかさ)にもかかわらず、母御が蝦夷(えみし)の出のために、十歳以上も年の離れた御舎弟、泰衡殿に生涯仕えねばならぬ」
「……兄が弟に仕える?」
「公家の世界では珍しいことでもあるまい。同じ兄弟であっても、母親が違えばその立場も大きく異なる。泰衡殿の御母堂は御館の御正室だ。それゆえ嫡男も泰衡殿と定められた……」
「面倒なものだな……」
吉次もうなずきながら、
「しかし、それも醜き骨肉の争いを避けるためにはやむを得ぬこと。嫡腹の泰衡殿には大殿という強い後ろ盾もある。京の藤原摂関家の縁にも繋がる大殿は、内裏の事情に精通しておられることもあって、今や、御館にとって舅殿以上の重き人物。ゆえにその意向を蔑(ないがし)ろにもできぬのだ」
「……」
「とは申せ、あの国衡殿に大殿にも有無を言わせぬだけのご器量があれば、また話は別なのだがな……」
「平家の小松殿のようにか?」
「まあ……、そういうことだな……」
一瞬虚を衝(つ)かれ、吉次は思わず口籠もった。
なるほど、血筋という意味では、国衡と平家の小松殿重盛、そして、泰衡と宗盛の立場はそれぞれ似通っているようにも思える。
正妻を母としない兄に対し、一回り近く年の離れた嫡腹の弟――。
重盛の場合は先妻の子ということで必ずしも同列に語れるものではないが、しかし、もし仮に重盛が凡庸の愚者であったならば、主上の伯父という名分を有する時忠の加勢も手伝って、とうの昔に弟宗盛との立場は覆っていたかもしれない……。
そう見るなら、あえて『長幼の序』に従い重盛を嫡男の座に据えた平家と、あくまで『嫡庶の序』にそって弟の泰衡を嫡男とした奥州藤原氏。この相異なる道を選んだ清盛と秀衡の決断が、今後どのような事態を招くのか……。
吉次はこれまで考えてもみなかったことを、何気なく口にした竜のその聡明さに改めて感じ入っていた。
「国衡殿は武芸の才には明るいが、残念ながら家臣を強く惹きつけるだけの人望はない。仮にお跡取りとなられても、御館亡き後、国を束ねる総領としては絶えず不安が付きまとう……」
「それは泰衡殿とて同じではないのか? あの御館殿の懐(ふところ)の大きさにはどなたも及ばぬだろう?」
これにも吉次はうなずく他なかった。
「したが、泰衡殿であれば人の和は乱さぬ」
「……人の和?」
「国というものは、何もそれを治める只一人の王だけで成り立っているのではない。むしろ影で支える者の存在こそ肝要なのだ。たとえ王がいかに心弱き者であったとしても、家臣達が一致団結すればこれを支えて行くこともできる」
「……」
「何であれ、四方八方全て丸く治めることなど、どだい無理な話なのだ。誰かが涙を飲まねばならぬ。そして、それが国衡殿の生まれ持った宿命ということだ……」
吉次の言うことは正論に違いない。
しかし、人の心を踏みにじってまでも守ろうとするものが、果たしてその価値のあるものなのか……。
竜はその心に立ち込める靄(もや)をどうにも振り払うことができなかった。
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