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「御館(みたち)は何と仰せだったのだ?」
秀衡の許を辞し、御所を後にしようとしていた竜をふいに泰衡が呼び止めた。
「いえ、取り立てて何も……」
「隠すでない! 人払いまでなされて……、何ぞ大事を仰せられたのではないのか!」
泰衡と会うのはこれで二度目だが、初対面の時の気安さとは打って変わって、この日はどこかしらその瞳の奥に敵意のようなものも垣間見られた。
「舞草(もくさ)の太刀のことで、何くれとなくお教え頂いただけにございます」
「……舞草刀の?」
訝(いぶか)る泰衡に竜はしかとうなずいた。
「真にそれだけか!」
「はい」
竜がきっぱり答えると、泰衡は急に憮然として黙り込んだ。竜はその心中を推し測るにつれ、どうも釈然としないものを感じた。
「一介の商人の、たかが人足に過ぎぬ者に仰せになることなど、さしたるものではありませぬ。ほんの世間話にござりますれば……」
なお瞬きもせず、ただ真っ直ぐに見つめ返す竜に対し、泰衡はその心中を表すかのように、あちらへこちらへと視線の先を定めることができなかった。
「いかがなされたのでございますか?」
やわらかな声音で問い掛けられ、少しばかり躊躇(ちゅうちょ)を見せた泰衡だったが、やがて支(つか)えを吐き出すかのようにその胸の思いを口にし始めた。
「父上……、いや、御館はこの泰衡を何の頼りにもならぬ者とお思いなのじゃ。何か事ある時にも、我には何も話して下されぬ。昔からそうじゃ。思えば並の親子のように親しく語り合うたことなど一度もない。お声をかけられるのはただ命ずる時だけ……」
「……」
「それが、いかなるゆえあってか、その方にはすっかり気を許しておられて……。このようなことがあってよいものか!」
語るほどに、泰衡の言動はいっそう激しい昂(たか)ぶりを見せた。
「この泰衡は嫡男ぞ! それとも嫡男など……、所詮は名ばかりのものか!」
悲壮なまでの叫びには、竜も鬼気迫るものを感じた。しかし、これほどまでに泰衡の心を悩ませる、その大元にあるものとは何なのか……、そこの所がどうにも理解できなかった。
「何ゆえご自分から向かって行かれませぬのか?」
竜の穏やかな中にも、時折、氷の矢のような鋭さも偲ばせる眼差しが泰衡をきっと見据えた。
「その御心の内をありのままお伝えになれば、御館殿も必ずやお答え下されるはずにございます」
「我の申すことになど、耳を貸すようなお方ではない!」
端(はな)から取り合おうともしない泰衡に、それでも竜は構わず続けた。
「そのように決めてかかっておられては、伝わるものも伝わりますまい……」
「……何と?」
「人は語らずとも相手の心を読むすべを心得ているのやもしれませぬ。なれど、それが全てではありませぬ。人は様々な思いを抱えているもの……。時には、口に出して伝えねばわからぬこととてござりまする。御館殿が何も話して下されぬと嘆かれる前に、何ゆえ、ご自分から尋ねてごらんにならないのでございますか?」
「……」
「御館殿も、むしろそれを待っておられるのではござりますまいか?」
泰衡は明らかな動揺を見せ、何ら言い返すこともできずに黙り込んだ。
竜はそんな様子を見るにつけ、先ほどの秀衡の翳(かげ)り――、あのいわくありげな表情の真の意味を悟ったような気がした。
頼りにされぬ虚しさを抱く子と、頼りにできぬ苛立ちを抱える父――。
互いに相似通う思いを抱き合いながら、意地と畏怖(いふ)が複雑に交錯して、親と子の関係にも微妙な影を落としていた。
各々(おのおの)の胸の内を知ってさえいれば、いずれ時がその溝を埋めてくれることもあろうものを……、知らぬゆえに心はいっそう隔てられて行く……。
わずかな思いの掛け違い――。
ほんの些細な綻(ほころ)びからも生み出される猜疑心という名の幻惑の猛威に、竜はひどくもどかしい思いを抱きながらも、真に人と人とが心を通わせることの難しさを改めて思い知らされていた。
「泰衡、そなたの負けよな……」
不意に投げ掛けられた声に振り返ると、そこに国衡が立っていた。
二人を眺める目には欺瞞(ぎまん)に満ちた笑みが浮かんでいた。
泰衡は抑えきれない焦燥に駆られながらも、それをどうにか無理にもかみ殺して、無言でその場を去って行った。
「可哀想なやつじゃ……。嫡男という立場と御館という大きな存在に押し潰されそうになっておる……。器にあらざる任を背負わされれば苦労が尽きぬか……」
「……」
「その点、この国衡は何の苦もなく気ままに過ごせて、真、幸せ者よのう……」
国衡のつぶやきには、泰衡よりも己の方が……、その自負もはっきりと見て取ることができた。
「それにしても、おまえは怖いもの知らずよな。泰衡に面と向かってあのようなことを申すなど……」
「……」
「もっとも、そういう人を人とも思わぬ申し様が御館の心をもとらえたのであろうが……」
と誉めそやすばかりの国衡にも、竜は顔色一つ変えなかった。
「ところで……、この間の駒、覚えておろう?」
急に話の腰を折られ、竜は少し怪訝に思いながらもうなずいた。
「おまえ、あの駒に何ぞ致したか?」
「……は?」
「いや……、どうにも手に負えなんだのが……、あの後、いたくおとなしくなってのう……。何やら狐につままれたような妙な具合でな……」
そうは言われても、竜には何のことかさっぱりわからず、首をひねるよりほかなかった。
「ありえぬことだな……。ふと、そんなことを思っただけじゃ。気に致すな」
と笑ってごまかしながら、
「一度、おまえも牧に参るがよい。商人ならば、舞草刀だけでなく、奥州駒の良きところも具(つぶさ)に存じておかねばなるまいぞ」
それだけ言って、国衡も足早に去って行った。
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