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「よかったな。柾房(まさふさ)と森房殿が無事仲直りできて……」
舞草(もくさ)からの帰路、流星を牽(ひ)いて竜は九郎と並んで歩いていた。
「これも九郎殿のおかげにござります」
「そうではない……。何の考えもなしに柾房を連れて参って……。今は向こう見ずなことを致したと反省しておる。竜が先に森房殿の心を解いてくれていたゆえ大事にならずに済んだ。もし、そうでなければ……、あの親子はもっと心を隔てることになっておったやもしれぬ……」
「そのようなことはありませぬ。踏み迷う柾房の背を押した九郎殿の力がなければ、どうにもならぬことにございました……」
竜の言葉に思わず照れ笑いを見せた九郎だったが、次の瞬間には淋しげな影がさしていた。
「何とも悲しいことだな。親子の心が通い合わぬとは……。私は父上のお顔すら知らぬ。どのようなお声で、何と言って叱られるのか……、まるで想像もつかぬ。それゆえ、目の前に確かにいる親とどうにも向き合おうとせぬ柾房が歯痒う思われてな……」
いかに望もうと決して手に入ることのない父親という存在――。それを持つ柾房を羨(うらや)む思いを九郎は素直に表した。
「何とかできるものなら……、その一心で柾房を引っ張って来てしまった。どうやらおまえのお節介が移ってしまったようじゃ……」
そう言って、苦笑いを浮かべる九郎に竜も笑顔を返す。
「それにしても、どのような太刀ができるのであろうな……。楽しみだ……」
隣で竜もうなずいた。
『人が背負う悲しみ、苦しみ、憎しみ――、人が人である限り逃れられぬ、あらゆる業(ごう)を断ち切る……』
そんな太刀を打ちたいと熱く語った柾房の決意は、竜の心にも強く響くものがあった。
己の背負わされた宿命――、それをも断ち切ることができるなら……。無理とわかってはいても、心の底から願わずにはいられなかった。
「実はな……、もし柾房の念ずる太刀ができたなら、何としてもこの手で断ち切りたいものがあるのだ……」
急に立ち止まった九郎に、竜も歩みを止めておもむろに振り返った。
「竜……、おまえの心の中にいる私以外の者の存在――。それを根こそぎ薙(な)ぎ払ってしまいたい……」
「九郎殿……」
一転、真剣な面持ちで見つめる九郎に、竜は思わぬ不意打ちをくわされたようで愕然(がくぜん)となった。
「おまえの気に掛ける者がこの九郎だけならどれほど良いか……」
九郎の自分に寄せる思い――、それは少なからず自覚していたものの、しかし、よもやこれほどまでの激しさとは……。
いつしか九郎の心の奥深くにまで踏み込んでしまっていたことに、今さらながら気づかされた思いだった。そして、未だに京の重衡や茜のことを忘れられずにいるこの胸の内も、九郎の目にはとうに見透(みす)かされていたことも……。
「おまえはその心の中にいくつもの人間の思いを抱えておる。並みの人間ならば、あふれるほどの数多(あまた)の思いを抱えて、それでもなお余りある懐(ふところ)の深さ――。したが、この天空のように果てしない……、そんなおまえの大きな心を私一人のものにすることができるなら……。この底知れぬ孤独に沈む我が思いも、どれほど満たされるであろう……」
悩ましげに揺れる瞳を前にして、竜は何の答えも返すことができなかった。
いっそ木曽で義仲に詰め寄られた時のように、きっぱりとはね付けることができれば……。
しかし、この九郎の思いを退けるのは、竜にとっても身を切られるほどにつらいことだった。なぜなら、九郎の存在もまた、既に竜自身の心の奥深くに刻み込まれてしまっていたのだから……。
今となっては、重衡の存在を打ち消すこともできなければ、九郎を拒むこともできない。
二つの魂の間に横たわる大河に浮かぶ一艘の小舟は、どちらの岸につけることもできず、ただ流れのままに漂い続けるより他ないのか……。
すっかり途方に暮れている竜の表情に、九郎もまたその激しい心の鬩(せめ)ぎ合いを敏感に感じ取っていた。
「余計なことを申した……。気に致すな。そもそも考えてみよ。さような太刀などそう簡単にできるはずもない……」
九郎は懸命に笑顔を取り繕って見せる。
(また竜を困らせてしまった……)
こうなるとわかっていながら、言わずにはいられなかった己の堪(こら)え性の無さを九郎は悔いた。
(どうして九郎殿の御心を受け止められぬのか……)
自分への強い思いを知ってなお、何の言葉も返すことのできない己の意気地の無さに、竜もまたひどい自己嫌悪に陥っていた。
九郎も竜も互いを思い遣るがためにそれ以上踏み込むことはできず、いつ果てるともない重苦しさにどっぷりと沈み込もうとしていたその刹那(せつな)、ふと流星が妙に落ち着き無く、聞き耳を立てるような素振りをし始めた。
「……どうした?」
次の瞬間、二人も遠くに悲鳴のような叫び声を耳にしていた。
「何だ?」
九郎の声に竜も慌てて辺りを見回し、やがて、草原の向こうに見え隠れする小さな影をかろうじて認めた。
(あれは……)
見る間に大きく、明らかな形を現して行くその影の正体が、九郎の目にも一頭の駒ものと見分けられた時には、砂塵(さじん)を巻き上げ一陣の風の如く駆け抜けて行った後だった。
「暴れ馬だ!」
九郎が叫ぶのと同時に、竜は流星に飛び乗っていた。
「竜!」
九郎が止める間もなく、竜は流星の横腹を蹴って暴れ馬を追いかけた。
そして、ただ呆然と見送るばかりの九郎の背後には、さらに二頭連れの駒も猛然と迫って来ていた。
「暴れ馬が行かなかったか!」
鋭い嘶(いなな)きと共に、九郎の目の前で前足を蹴上げて止まった駒のその鞍上から、慌てた様子で尋ねたのは国衡だった。もう一方は異母弟の泰衡。二人とも矢を収める箙(えびら)を背負ったやけに物々しい姿だった。
「ああ。たった今、ここを真っ直ぐに駆け抜けて行ったぞ! 竜がすぐに後を追ったが、果たして追いつくであろうか……」
「竜だと?」
国衡は驚いて、九郎の指し示す先に目を凝らす。
「流星ならば、あるいは追いつくか……」
国衡と泰衡は顔を見合わせた。
「ともかく我らも追うぞ!」
国衡の叫びに、泰衡も無言で応じた。
「待ってくれ!」
今まさに鞭を入れんとするところを、九郎が大声で呼び止めた。
「我も連れて行ってくれ! 竜の身がどうにも案じられてならぬ!」
国衡はわずかに逡巡(しゅんじゅん)したものの、直に九郎の身体をひょいと抱えて自分の前に乗せた。
「よいか、しっかりつかまっておれ!」
そう言い放つや、国衡は力いっぱい馬に鞭を当てた。
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