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「誰か! 助けてくれ!」
頼りなげなか細い叫びが、馬の背から切れ切れに聞こえて来る。
一向にその足に衰えを見せない暴れ馬を竜は必死に追っていた。
(何とか追いついてくれ……)
ただそれだけを心に強く念じる。
流星もその思いに応えるように、猛然と大地を蹴散らし、一足ごとに確実にその差を縮めて行った。
(後少し……)
ようやく前を行く馬の尻に手が届きそうな所まで追いついて、竜は馬上から大声で叫んだ。
「大丈夫か!」
ところが何の返事もない。その間にも流星が並び掛け、わずかに前に出た隙に顔をのぞき込もうとしたが、どうやら少年は馬の鬣(たてがみ)にしがみついたまま気を失っているらしかった。
(どうしたものか……)
追いついてはみたものの、これほどまでに荒れ狂う駒をなだめるのは容易なことではない。かと言って、下手に乗り移って態勢を崩されれば、それこそ少年の命にもかかわる。
いっそ駒が疲れ果てるのを待つか……。
いや、それまで振り落とされずに持ち堪(こた)えられる方が、むしろ奇跡に近いかもしれない……。
どうにも考えあぐねて、竜は一度辺りを見回した。
広大な草原の中を当てどなくひた走る二頭――。
しかし、流星の息はそれまでよりも確実に荒くなって来ていた。
(そろそろ限界か……)
竜は静かに目を閉じ気持ちを落ち着ける。
(こうなったら一か八かの賭けだ!)
意を決した竜は、わずかに手綱を引いて流星を少し後ろに下げ、やにわに膝立ちになると、ひと呼吸置いてふわりと宙に舞い上がった。そして、跳び掛かりざまに少年の身体を抱え取ると、そのままの勢いで馬体の向こう側へ倒れ込んでいた。
激しく地面に打ち付けられながら、二人が二度三度と草の上を転がり続けてようやく止まったのと、空になった暴れ馬がけたたましい奇声を発して横倒しになったのは、ほとんど同時のことだった。
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九郎を乗せた国衡と泰衡の駒もすぐに追いついて来た。
草原に立ち尽くす流星の姿を認めて、国衡が慌てて駒を止める。流星が首を下げたその先には、少年を抱え込んだままの竜が横たわっていた。
「竜!」
九郎は血相を変えて飛び降りると、一目散に駆け寄った。
目を閉じたまま、身動き一つしない竜の様子を目の当たりにして、九郎の脳裏には瞬時にあの忌まわしい木曽での惨事が甦っていた。
「竜……」
必死に取り縋ろうとする九郎に、
「待て! 今は動かすでない!」
国衡が咄嗟に背後から肩をつかみこれを制した。
「忠衡を抱えて落ちたのだ! 頭を打っておるやもしれぬ!」
青ざめる九郎の傍らで、少年の方はどうにか正気を取り戻していた。
「忠衡、大事ないか?」
恐怖未だ覚めやらず、震えの止まらない様子の忠衡に、国衡はなだめるように軽く肩に手を置き、穏やかにうなずいて見せた。
「竜! 聞こえるか!」
国衡は一転して、竜の耳元に顔を近づけ大声で叫んだ。
「竜! しっかり致せ!」
九郎も負けじと声を張り上げる。
「そのように大声を出されずとも、よう聞こえておりまする……」
そう小さくつぶやいて、竜はゆっくりと目を開いた。
「竜!」
九郎は思わず竜の首にしがみつく。
「驚かすでない! 心の臓が止まるかと思うたぞ……」
今にも泣き出しそうな顔をする九郎に竜は笑いかけた。
「またもや、死に損なったようにございますな……」
「何を申すのだ!」
半ばおどけたように答える竜を、九郎は真顔で叱りつけた。
「怪我はないか?」
国衡が甲斐甲斐しく上半身を支え、ゆっくりと起き上がらせようとする。が、竜はわずかに顔をしかめ、小さくうめき声を上げた。
「すまぬ! どこが痛む?」
国衡は慌てて動かすのを止め、不安げに竜の顔をのぞき込んだ。
「肩を少し……。それに足が……」
そう答える間にも、右の足首の辺りが、みるみる赤く腫れ上がって来ているようだった。
「ともかく館へ戻るぞ! それまでしばしの辛抱じゃ! さあ、わしの肩につかまれ」
と、その時、これまでじっと傍観するばかりだった泰衡がさっと歩み寄った。
「泰衡……」
驚く国衡に泰衡は無言でうなずく。
二人に支えられ、どうにか竜が立ち上がったのを見て、今度は流星が一声嘶(いなな)いた。
「すっかり、おまえのことを主人と思っておるようじゃのう……」
国衡の呆れ果てたような口振りに、居合わせた皆の顔もふと和んだ。
「竜を連れて帰るのだ。流星、わしも乗ってよいか?」
流星は『承知した!』と言わんばかりに、いっそう高らかに嘶く。
国衡は苦笑しつつ、竜を流星の背に押し上げると自らも跨(またが)った。
「泰衡、後のことは任せたぞ!」
「承知した」
泰衡がしかとうなずくのを見届けて、流星は颯爽と平泉の町をさして駆け出した。
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