光 明 (五)
 
   
 
「どうだ? 少しは落ち着いたか?」
 
 小さな桶を抱えて部屋に入って来た吉次は、竜の傍らに腰を下ろすと、挫いた右足に当てていた湿布を取り除け、汲んで来たばかりの冷水にくぐらせた。
 
「よくもまあ、この足でここまで歩いて戻って来られたものだ。こんなに腫れちまって
……。痛むか?」
 軽く絞った湿布をまた当て直しながら、吉次は竜の顔を見上げた。
 
「いや
……、そうでもない……
 竜は平然と答えてみせたが、そんなはずのないことは吉次の目にも明らかだった。
 
「おい、竜
……、痛い時は痛いと申すものだ。やせ我慢も大概にしておけ!」
「別に我慢などしていないさ
……。冷たくていい気持ちだ……
 と、なおも笑って言う竜に、吉次もほとほと呆れ果てたように大きくため息をついた。
 
「それより
……、九郎殿はもうお休みになられたか?」
「ああ。つい先ほどまで鬼若相手にブツクサと文句を並べておられたようだがな
……
 
 九郎は例によって竜の介抱をすると言ってきかなかったが、案に反して当の竜からその必要はないときっぱりと断られ、ひどく不満げな様子で部屋へ引き上げて行ったのだった。
 
「それにしても、竜
……。此度は忠衡殿の命を救ったのだから、あまり説教じみたことなど言いたくはないが……、しかし、もう少し己を大事にしたらどうなのだ?」
……
 
「おまえにもしものことがあれば悲しむ人間がいる
……。それだけは決して忘れるな!」
 急に吉次の目が真剣になった。
 
「おまえは何も一人で生きているわけではない
……。そのくらいのことはわかっているはずだろう? 九郎殿はともかく、こんなことが京の玄武に知れてみろ……、俺は殺される!」
 最後は吐き捨てるように言った吉次に、竜もふと神妙な顔になった。
 
 京を離れて既に半年余
――
 しかし、どんなに遠く離れていても、その心はすぐ傍らにあるように感じられた。
 過ぎた日を思い返すほどに、竜の中での玄武の存在は何にも増して大きなものとなっていた。心の奥底に同じ悲しみを抱える二人にとって、この出会いそのものがやはり運命だったのだと
……、今はそう確信して疑いもない。
 
「遠い昔
……、筑紫に流れ着いてすぐの頃……
 ふいに、ぽつりぽつりとつぶやき出した竜に、吉次も大人しく耳を傾けた。
 
「道行く人々も誰も彼もが俺を避けて、目を合わすことさえ忌み嫌った。ただ淋しくて、人恋しくて
……、とにかく誰かに振り向いてもらいたかった。俺のことを見て欲しかった……。なのに、目の前にいても、まるで存在しないかのように俺からすり抜けて行く皆の視線……。この世に俺ほど孤独な人間はいないと……、そう思い込まずにいられなかった……
 
……
「そんな時だった、玄武の頭に出会ったのは
……。すっかり切れかけていた人を信じる気持ちを頭が繋ぎ止めてくれた。今ではあの荒(すさ)んだ日々も何もかも夢だったように思える……
……
 
「あのまま野垂れ死んでいてもおかしくなかったものを
……。存外、俺ほど運の良いやつもいないかもしれない……
 珍しく感情のままに思いを吐露した竜に、吉次は少し驚きながらも深い感慨を覚えていた。
 
「だからなのか? いつもそんなに人のために躍起になるのは
……
 急に吉次に尋ねられ、竜は答えに躊躇
(ちゅうちょ)した。
 
「忠衡殿を助けたことは、まあいいとして
……。なぜこんな無理をしてまで戻って来た? たかが一晩ぐらい、辛抱のできぬおまえでもあるまい……
……
 
「九郎殿のためではないのか?」
 ひたと見つめる吉次の視線をようやくかわして、竜はおもむろに天を仰いだ。
 
「よくわからない
……。ただ……、誰であれ、悲しい顔や声を見聞きするほどつらいことはない。その悲しみが俺に孤独だったあの頃のことを思い出させる……
……
 
「さっきも九郎殿の泣き声が聞こえたような気がした
……。とても悲しげで、何だか胸がしめつけられるようで……。そうしたらもう、居ても立ってもいられなくなって……
「竜
……
 
「こんなことを言うと、やっぱり俺のことおかしいと思うか?」
 悩ましげに揺れる瞳を前にして、吉次は静かに首を横に振った。
 
「いいや、そんなことはない。誰よりも孤独のつらさを知るおまえだからこそ、他人の心の痛みをも我が事のように受け止められる
……。それは他の誰にも真似のできぬ得がたい才だ。そのおかげで救われた人間もどれだけいるか……。かくいう俺も、おまえのそういうところが好きなのだからな……
 その吉次の言葉に、竜もまた救われる思いだった。
 
 今回の奥州下向で、吉次という人間の大きさに初めて触れたような気がしていた。京にいた頃に感じていた軽薄さなどほんの一面に過ぎなかった。その表面とは打って変わって、真実は熱い血の通った漢
(おとこ)なのである。
 そして、秀衡や京の公卿連中、時には後白河院までも相手にして引けを取らない吉次は、やはり只者ではないと竜も再認識していた。
 
「やれやれ、すっかり俺もおまえに感化されちまったようだな
……
 吉次は苦笑いを浮かべつつ、そう口にしたのも束の間、
 
「だが、一つ気がかりなこともある
……
 一転して、それまでの温和な表情もふと潮が引くように暗くなった。
 
「このままでは、ますます九郎殿の心もおまえに傾くばかりだ。いずれはやって来る別れの時を思うと
……、どうにも案じられてならない」
 
 吉次の心配ももっともだった。
 この平泉に留まることを望んでやって来た九郎と、年が明ければ再び京に戻ることになる竜
――。二人に残された時間も後わずかしかない。必ず訪れる別れの時から目を背けるわけにもいかなかった。
 
「時には突き放すことも必要だ。どんなにつらくても
……
「わかっている
……
 竜はここに至って、ようやく自らの成すべきことがはっきりと見えて来たような気がした。
 
「御館殿が九郎殿のことを認めて下されば
……、それで俺の役目は終わる……
……
 
「九郎殿も確かな居場所が見つかれば、俺になど頼らずとも生きて行ける
……。だからこそ、何としてもそのための道を切り拓きたい……。それが九郎殿のために俺ができる、ただ一つのことだと思うから……
 真っ直ぐに向けられた双眸
(そうぼう)の奥に、吉次は竜の固い決意を見て取っていた。
 
「そうか
……。しかし、わかっているだろうが……、御館はそう易々(やすやす)とは落とせぬぞ!」
 強く念を押す吉次に、竜もしかとうなずいた。
 
「ああ、首を打たれることも覚悟の上で臨まなくてはな
……
「ん
……? おい! 竜!」
 
 咄嗟のことに吉次も大いに焦った。今の竜ならば、そのくらいのこともやりかねないと
……
 しかし、そんな吉次の心配をよそに竜は穏やかな笑顔を見せた。
 
「大丈夫だ。確かに御館殿は頑固だが、決して理不尽なお方ではない。正面から向き合えばきっと耳を傾けて下されるはず
……
 
 その妙に落ち着き払った様子が、吉次には頼もしくもひどく不安に感じられた。 
 
 
   
   
   
  ( 2006 / 12 / 01 )
   
   
 
   
 
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