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「源氏の御曹司とお会いになられるとか……」
足音高く現れた泰衡は、文机に向かい書状をしたためていた秀衡の前に座すや、いきなり切り出した。
「どういう風の吹き回しにござりますのか? あれほど頑固に目通りは許さぬと仰せになっておられたものを……」
しきりに尋ね掛けても、秀衡は聞く耳を持たぬとばかりに一向に筆を休める様子もない。
泰衡はいささか焦(じ)れながらもさらに続けた。
「やはりあの男のせいにござりますか?」
「……」
「あの者の言葉に耳を傾けられ、それで突如としてお考えを翻(ひるがえ)させられたわけにござりますな」
最後は当てこするように言い放った泰衡に、秀衡も一つ息を吐(つ)いてようやく筆を置いた。
「何をそのように苛立っておる? そちらしゅうもない……」
至って落ち着いた口調の秀衡に、泰衡も急に気勢を削がれたものか、憮然とした面持ちでそのまま黙り込んだ。
「そちは既に会うておったのだな」
「……?」
「先だっての忠衡が落馬いたしたあの折に……」
「はあ……」
九郎義経のことと合点して、とりあえず泰衡もうなずく。
「何ぞ話でもいたしたか?」
「いえ……、戻る道々に、忠衡とは何くれとなく言葉を交わしておったようにござりますが、某はさして……」
こちらが尋ねていたはずが……、いつの間にやら立場が入れ替わっており、泰衡はどうも釈然としないものもあったが、さりとて、問われればそれに答えずにもおけない。
「率直に申して、九郎義経を何と見る? その人柄、才気……、そちの目にはいかような人物と映ったか?」
「それは……」
矢継ぎ早に尋ねられて、思わず泰衡も口籠もった。
そもそも、父が自分に対し、これほどまでに話しかけるなど、未だかつてなかったことである。
(いったいどういうおつもりか……?)
と訝(いぶか)る気持ちの反面、いつもはどこか遠い存在にも思われた父との距離が急に縮まったようでもあり、我知らず妙に心の浮き立つような思いもあった。
「何もそう大そうに考えずともよい。ただそちの感じたままの印象を申してみよ」
穏やかに促され、泰衡は少しの間考え込んだ後、
「されば……、何と申しますか……、どうもうまく言葉では表せませぬが……、人を惹きつけずにはおれぬ何かを生来その身に備われているように……」
「……」
「あの折も……、初対面の我らに対しては親しく言葉を交わしておる間にも、真には打ち解けきらぬ用心深さのようなものを見せておられましたが、ひとたび心を許した者のことになれば、人前であっても泣き叫ぶことも歓喜に涙することにも何のためらいもないその感情の起伏の激しさ……。あれほど強い思い入れを持たれれば、某(それがし)とて放ってはおけぬ気持ちにもなろうかと……」
思いを掛けられれば、それに応えたくなる……。
泰衡は今まさに父に対し己の抱く思いも重ね合わせながら、一つの答えを導き出した。
「人を惹きつける……か」
秀衡も思う所があるようで、これに小さくうなずく。
「考えてみれば、竜もまたあの御方の一途な想いに深く打たれ、御館への直訴という無謀をあえて冒(おか)したとも言えましょうから、あながちその力も侮れますまい。真の所、父上もさようお考えになられて、対面を許す気になられたのではござりませぬのか?」
逆に尋ね返した泰衡に、秀衡は我が意を得たりというふうに破顔した。
「あやつめ、気に入らねば斬ってもよいと……、さよう抜かしおったわ……」
「は……?」
それを聞いて泰衡も瞠目(どうもく)する。
「大胆なことを申しおって……。裏を返せばそれだけの自信があると言うことであろうが……、それにしても小癪(こしゃく)な物言いを……。そこまで言われては、平泉の御館の面目に賭けても受けて立つより他あるまい」
秀衡は苦笑混じりに言い捨てたものの、泰衡の目にはどこか楽しげなようにも見えてならなかった。
「それに……、なるほど、あやつの申し状にも一理ある」
「……?」
「斬るなら今のうちということじゃ……。京表(きょうおもて)よりの正式な沙汰の下らぬうちであれば、許しなく我が領内に逗留せし不届き者をどう処分致そうとこちらの勝手。いかな咎め立ても受ける筋合いはない」
いつにない秀衡の強気の姿勢には、泰衡も唖然とするより他なかった。
「むしろ、下手に密勅など賜った後では、万一、我らにはとても手の負えぬ無法者であったとしても、丁重にこれを迎え入れねばならなくなる。とすれば……、この奥州平泉の命運をかけてまでお匿(かくま)い申すに値する人物か……、今のうちに我が目でしかと確かめておく方が賢明というものであろう。そちもさよう思わぬか?」
急に話を向けられ、咄嗟のことに泰衡も答えに窮した。
(いったいどこまで本気なのか……)
いくら何でも少々話が飛躍しすぎてはいないか……。
今はすっかり落ちぶれ果てているとはいえ、相手は元は紛(まご)う方なき都の貴種・清和源氏のそれも嫡流である。盗賊の類(たぐい)とはわけが違う。現に大蔵卿より庇護を求める書状も届いている今、それを黙殺して処断に及べば、咎(とがめ)めを受けぬはずがない。そのことは他でもない、父こそが最も怖れていたはずではなかったか……。
「大殿も……、ご承知のことにござりまするのか?」
どうにかそう尋ね返し、泰衡は顔色を伺うように秀衡を見上げた。
「いや、まだ誰にも漏らしてはおらぬ。無論、国衡にもな……」
そう答えて何やら含みのある眼差しを向ける秀衡に、いつも自分に対する時とは明らかに違う父の様子を見て取り、泰衡もいっそう困惑する。
「泰衡……、そちにだけ我が胸の内を明かしておる。いずれこのわしの後を継ぎ、四代目御館となるそちだけに……」
「父上……、今何と……?」
思いがけない言葉にひどく驚きながらも、泰衡は瞬時に胸の奥がカッと熱くなるのを実感していた。
四代目御館――。
この世に生を受けし時から、それが当然の定めと周囲も自らも認めながら、しかし、これまで父の口からはっきりとそれを耳にしたことはなかったような気がする。
父も本音を言えば、若輩の自分よりも国衡兄にこそ後を託したいのではないか……。
ただ祖父基成への義理立てのためだけに、やむなく自分を嫡子としたに過ぎないのではないか……。
昨今はそんな果てもない懐疑の念にとらわれ続けて来た泰衡である。
しかし、そうした長きに渡る苦悩も、たった今耳にしたばかりの一言によって瞬く間に淡雪の如く融(と)け去り、替りにこれ以上ない確かなものを手に入れた自信のようなものが、腹の底から沸々と湧き上がって来るかのようでもあった。
「何をそのように驚いておる。年が明ければそちも早二十歳。そろそろ真剣に政治向きのことも考えてもらわねば困るのだぞ」
「は……」
感涙に潤む目を見られまいと泰衡は慌てて大仰に平伏する。
それを秀衡も目を細めて眺めていたが、やがて、一転して表情を改めると、
「よいか、泰衡。この奥州平泉は京の朝廷を立てながらも、しかし、それにすっかり取り込まれるようなこともあってはならぬ」
「……」
「たとえ朝廷の意向であろうとも、著しく不利益をもたらす危険があるものと判断すれば、何としてもこれを退け回避する手立てを講ぜねばならぬ。それは此度の九郎義経の扱いでもまた然(しか)り……」
御館の威厳を持って語られる言葉に、泰衡もそれを噛み締めるように一心に耳を傾ける。
「かの者が我らに何がしかの利をもたらすと思われれば、とりあえずは平家の目を欺き、この平泉に留め置くのもよかろう。したが、さもなくば……、即座に身柄を取り押さえ、生きながらに平家へ引き渡すか……、あるいは、いっそのこと御首(みしるし)を京へ送りつけ、朝廷や平家に対する恫喝(どうかつ)の具といたすのもまた一興……」
さすがにあまりに大それた話だと、泰衡も身を竦(すく)めた。
(本気か、それとも詭弁(きべん)か……)
いずれともつかぬ秀衡の不敵な笑いが、再び泰衡に新たな疑念を抱かせる。
それと同時に、いったいどのようにして九郎義経の器量の程を測るつもりか……。
これから臨む対面に思いを馳せるにつけ、泰衡もまた、言いようのない不安を覚えずにはいられなかった。
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