第2章更新履歴簡単解説 過去ログ
 
 
   
2004年12月21日「竜の帰還」3をアップ
 
  1・2と少し軽め(?)のトーンで流してきましたが、今回の3は、締めにふさわしく(???)ドドーンと奈落に沈み込みそうな重い内容。サブタイトルには「今明かされる、知られざる玄武の秘密!」な〜んてね(笑)。なお、もう何度も書き飽きた文言ですが、これは創作です! くれぐれも史実だと早合点しないで下さいませ
とりあえず、これをもって、第2章は完となりまして、ここで、しばらく、充電期間を置かせていただきます。
再開時期については、まだ未定ですが、次なる第3章は、いよいよ、あの“有名人”も本格的に登場し、これまで以上に波乱に満ちた展開になる予定です。
   

   
2004年12月17日「竜の帰還」2をアップ
 
  今回は正真正銘、竜がご帰還! しかし、誰も、長期間の音信不通を咎めないのは、竜の人柄の所以か…?(若干1名、ブツクサと講釈を垂れてるヤツもいるにはいますが…)
それはさておき、「これにて、一件落着〜♪」と行かない所が手鞠流。やはり、最後はあの方に締めてもらわないといけないでしょう(ついでに、爆弾も一つ投下の予定……ってか?)。
   

   
2004年12月10日「竜の帰還」1をアップ
 
  そのものズバリ!のタイトルをつけながら、今回はまだ、竜は戻ってきていません(笑)。
弥太と伝六の凸凹コンビに、楊孫徳や張梁も加わっての悪巧み…。
次回こそは、感動(?)の再会と行きたい所ですが…。
   

   
2004年12月 3日「最果ての島」4をアップ
 
  今回のメインキャラの隼人。彼が、実は、竜の運命というか、この物語の端緒を開くキーマンだったという落ち(よくわからん?という方は、恐れ入りますが、第1章「西の果ての漂流者」をご覧ください)。
とりあえず、やさぐれ隼人くんとの和解も成り、これをもって、島流し生活は打ち上げ?となりますが、この島の人々とは、いずれ再会の時が来るかと思います。
そして、次回は、いよいよ第2章の最終節へ突入です。
   

   
2004年11月30日「最果ての島」3をアップ
 
  「佐古」に「沙希」と手抜き丸わかりのネーミング(漢字を変えたのが、せめてもの良心?)。これに限らず、オリキャラの名前は、ほとんど、その場のひらめきなので、大した理由もなく、強いて言うなら、呼び掛けた時の音の響きによる所が大きいでしょうか(文字は後から当てることが多い)。
名前を付けるというのは、私的には、結構、面倒な作業なんですよ。
「竜」についても、当初は二字名を付けるつもりでしたが、中々、これというのが思いつかず、仮に「竜」としていたのが、どうも馴染んでしまって、そのまま、定着したという裏話もあったりして(名付け親の玄武があんな性格ですから、単純明瞭なのが一番しっくりくるような気もしますしね)。
もっとも、実在の人物については、名前を考える手間が省けるので(幼名などは、わからないことが多いので、それなりに対処法を講じる必要がありますが)、その点では、大分、楽をしているとは思うのですが…。
   

   
2004年11月25日「最果ての島」2をアップ
 
  平安時代中期に、源頼光の四天王の一人として、酒呑童子の鬼退治などで、名を馳せた渡辺綱。その子孫と言われる肥前松浦家当主は、「久」「直」などのように、代々、一字名を名乗っていました(以仁王挙兵の際に、獅子奮迅の働きをする滝口武士の渡辺競も、元をたどれば同族)。
ということで、今回登場の髭面の島長は、松浦家嫡流ではありませんが(というか存在自体が創作ですから)、一応これに習い、匡(ただす)という名をつけてみました。
   

   
2004年11月22日「最果ての島」1-2をアップ
 
  竜達が流れ着いた島については、松浦党の領内と曖昧な書き方をしておりますが、大まかな感じとしては、長崎県五島列島付近を想像していただければよろしいかと…。
今回のメインキャラの巫の老女というのが、イメージ的に、文覚と被ってしまうのでどうかなと思いつつ、竜の“只者でない”感を出すには、やはり、こういう超然とした人物にズバリ語ってもらうのが、一番わかりやすいので、安直ですが、こういう設定にしております。
   

   
2004年11月19日「最果ての島」1-1をアップ
 
  とりあえず、竜の生存は判明しましたが、これから、またまた、一悶着起こりそうな予感も…。
今節は、竜と隼人のねじれた関係の修復がメインになりますが、あまり時間をかけず、サクサクと進めて行こうと思っています。(更新の方は、そうサクサクと行けるかどうかわかりませんが…)
   

   
2004年11月10日「乱調」2をアップ
 
  今回は回想形式になっているため、いささか時間軸が前後し、わかりづらい展開かもしれませんね。おまけに、重衡は最初と最後しか出てきませんし、二度目の登場の文覚さんは、すっかり預言者キャラづいて、わけのわかんないこと言ってますし…(笑)。
どうも中途半端な感じですが、今節はこの2話で終了。そして、次節は再び、竜の行方を追うことになりますが、はてさて、いったいどこへ飛んで行くことになるのやら…。
   

   
2004年11月5日「乱調」1をアップ
 
  久しぶりの京話となる今回は、冷泉少将藤原隆房が初登場。
清盛の娘婿である彼は、「平家公達草紙」の作者とも推測され、風雅を好む典型的な貴族人間ながら、一方で、平家の浮沈に関わらず、終生、平家贔屓を通した骨太さもあり、筆者の中では、『源氏物語』でいう所の“頭中将”のようなイメージでしょうか。今後も、重衡の兄貴分であり、悪友として、ちょくちょく登場させようと思っています。
なお、隆房の正妻については、実母を時子とする説が有力ですが、本作では、既にご承知の通り、徳子を時子所生の唯一の娘と設定しているため、あくまでそれに従い、重衡らとは異母としています。また、いくつかの歴史小説に共通して「典子」という名も見えますが、正確な名前は伝わっておらず、中宮「徳子」の読みとの混同を避ける意味でも(あくまでもノリコと読ませたいので)、「公子」という名を創作しています。
   

   
2004年10月21日「波涛を越ゆ」3をアップ
 
  台風シーズンに何とタイムリーな(?)「嵐」の一節(秋ではなく、初夏の設定なんですけどね)。
内容的には、少し、カルトがかっている部分もあり、お気を害される方もいらっしゃるかもしれませんが、集団心理の怖さというか、追い詰められた人間の残酷さのようなものを表したくて、このような、流れになってしまいました。
さて、次節は、竜の行方はひとまず脇に置いといて、舞台は京へ。久しぶりに重衡も登場する予定です。
   

   
2004年10月12日「波涛を越ゆ」2をアップ
 
  いよいよ出航となりましたが、目的地となる「明州」というのは、現在の浙江省寧波市付近(上海より少し南)を指し、日宋貿易にとどまらず、後世、秀吉の時代に至るまで、中国の最重要港に位置づけられ、宋−元に続く「明」の時代に「波寧(やす)らか」との意味の「寧波」に改名されています。
日本からの往路は、博多より北へ向かい、朝鮮半島から大陸沿いに南下するルートをとる場合が多く、日数にしておよそ10日。一方、復路は東シナ海の南側を通り、黒潮の流れに乗って、わずか6日ほどで到着したと言われます。
さて、今回から新加入の隼人くん。かなりやさぐれた感じのキャラですが、彼の登場と共に、暗雲も垂れ込め始め、いよいよ波乱の幕開けとなりそうです。
   

   
2004年10月7日「波涛を越ゆ」1をアップ
 
  日宋貿易といえば宋銭。極端な話、砂金で銅製の銭を買うという不思議なことをしていたわけで、現代人から見ると、「何とまあもったいない!」という気もしなくはありませんが、当時の人にしてみれば、やはり、必要に迫られてのことだったのでしょう。(金高・銅安相場の交換差益で儲けるなんてこともしていたようですが)
さて、半年分の給料をつぎ込んで、竜が買い求めた品(何か婚約指輪みたいですが)。当時の貨幣価値をいろいろ調べて見たものの、結局よくわからず(江戸期と違い明らかに資料不足)、随分と曖昧な表現に終始しておりますが、話の筋には対して影響はないということで、そこの所はどうかご容赦下さいませ。
   

   
2004年9月28日「葛藤」4をアップ
 
  大きな決断を下した玄武に、またも、波紋を投げかける桔梗と、2と同じようなシチュエーションが続きますが、それにしても、自分の問題にもかかわらず、ほとんど出番なしで、全く人任せの竜。
ともかく、次節は、いよいよ船出と相なります。
   

   
2004年9月22日「葛藤」3をアップ
 
  今回は“ザ・対決!「玄武vs楊孫徳」”
前回の桔梗に続き、楊にも凹まされ、少々だらしない玄武ですが、要は、彼もまだ、発展途上の人間だということ。もちろん、重衡などよりはずっと大人ですが、平相国入道清盛の域に達するには……まだまだ修行が足りないようです。
   

   
2004年9月17日「葛藤」2をアップ
 
  玄武の許に集まる人間は、皆あっけらかんとしているようで、実は、訳ありの人物ばかりで、桔梗も例外ではありません。彼女の過去については、また、いつの日かお話する時が来るでしょうが、深い悲しみを心に抱えているからこその“優しさ”や“強さ”といったものも、この作品のテーマの一つになります。
   

   
2004年9月10日「葛藤」1をアップ
 
  再び筑紫に舞台を戻した今節より、しばらく史実を離れ(これまでもあまり史実にこだわった作りにはなっていませんが)、竜を中心に話を進めて参ります。
とはいえ、今節については、一年ぶりの再会を果たした玄武視点
―― よって、「葛藤」の主も、概ね、玄武ということになります。
   

   
2004年8月26日「訣別の涙」3をアップ
 
  茜姫―もとい、平徳子が法住寺殿に移ったのは、入内の日の十日余り前の承安元年(1171)12月2日。同じ日、院殿上にて入内に関する詮議が行われ、この場で「徳子」という名前が定められたことも含め、彼女の大叔父にあたる平信範の著『兵範記』に詳しく記されています。
しかし、入内が成ったとはいえ、17歳の徳子と、11歳の高倉天皇。清盛の望む夢が現実となるまでには、結果的に7年もの歳月を要することになり、その間に起きる、一波乱二波乱に、重衡もまた翻弄されることになります。
   

   
2004年8月17日「訣別の涙」2をアップ
 
  今回登場するのは、ご先祖様をたどって行くと、何と、あの紫式部の“兄弟”に行き当たるという藤原邦綱。
藤原氏でも傍流に位置するため、出世の難しい家柄でしたが、かなりの大金持ちだったらしく、京のあちこちに豪邸を持っていて、今ある京都御所も、元は邦綱所有の邸宅が提供されたものと言われています。
なお、この邦綱さんは、今後も重衡と大きな関わりを持つようになります。(何しろお●さんになるわけですから)
   

   
2004年8月10日 第2節「訣別の涙」1をアップ
 
  またまた、更新が遅れてしまい、まことに申し訳ありません。
今節は再び京に戻り、茜姫の入内までの顛末を描いていますが、お久しぶりの知盛さんの登場です。
歌舞伎の「碇知盛」(義経千本桜) などでも広く知られ、平家武将の中では、不動の人気ナンバー1を誇るお方ですが、本作では、あくまでも、重衡の方が主役ですので、残念ながら、脇役に甘んじていただきます。というか、筆者の中では、知盛は一ノ谷の合戦を境に「名将に変身!」との位置づけですし…。
なお、知盛の正妻については、正確な出自は未だ不明ですが、『平家後抄』の説に従い、忠雅の娘“雅子”と設定しております。
   

   
2004年6月30日「消えぬ残影」3をアップ
 
  第2節はこれで終了です。
筑紫編にも関わらず、ここまで名前しか出てこなかった桔梗姐さんがようやく再登場。(といっても、最後の方でほんの少しですが…)
迷いのどつぼに、はまってしまった竜を残して、次節は冬の京に舞台を戻し、平家の人気キャラのあの方も再登場となります。
   

   
2004年6月15日「消えぬ残影」2をアップ
 
  中国人キャラが増殖中?の今節、楊孫徳と張梁、楊と天趙といった、宋人同士の会話は、本来、中国語であるべき所ですが、いくら何でも、筆者には中国語の台詞なんて、逆立ちしても書けっこありませんから(汗)、全て日本語で押し通しております。
今後も、こういうシチュエーションは多々出てくるとは思いますが、どうぞ、ご容赦下さいませ。
   

   
2004年5月25日「消えぬ残影」1をアップ
 
  今節は舞台を筑紫に移し、新たなオリキャラも加わって、これまでとは、少し趣の異なる内容になっております。
なお、一応、念のため、お断りしておきますが、ここに登場するのは、全て架空の人物で、特にモデルとした実在人物もいません。
くれぐれも、これを史実などと思い込まれませぬよう(そんなのありえない?)ご注意下さい。
   

   
2004年4月22日「迷い矢」2・3をアップ
 
  第1章から数えて、3度目の登場になる建春門院滋子。
『平家物語』では、あまり語られていないこともあって、世間一般の知名度の方は、かなり低めですが、その数少ない登場場面で、強烈な印象を残すのは、以仁王を「嫉(そね)んだ」という表現でしょうか。
 
そもそも『平家物語』自体、平家滅亡後の鎌倉政権下に成立した作品だけに、源氏挙兵の布石を敷いた以仁王を正当化する意味でも、生前の彼が、長らく不遇をかこち、それが、平家一門に連なる建春門院の仕打ちによるものだったとするのが、好都合だったのでしょう。
 
何しろ、後白河院と平家を結ぶ絆としての滋子の役割は大きく、もしも、彼女が後白河院よりも長く生きていたなら、その後の、あんな事件、こんな事件も未然に防がれ、平家一門の末路は、180℃違ったものになっていた可能性もあります。
 
佳人薄命
――。鎌倉幕府成立の立役者は、案外、この滋子だったのかもしれません。
   

   
2004年4月8日 第2章スタート「迷い矢」1をアップ
 
  昨年暮れの最終更新から気づけば早3ヶ月余。
「お待たせしました」の第2章の連載開始は、まずは、重衡vs維盛の激論(?)から。
 
当時の15〜6歳といえば、もう立派に成人扱いされていたでしょうし、現代の同年代と比較して、精神的にもっと大人だった、ともよく言われますが、実際の所、今と昔で、人間の成長速度に、それほど大差があったとは思えないんですよね。心身共に。
 
もし、そのまま現代に置き換えるとしたら、高校生ぐらいの彼らが、果たして、政治レベルで恋愛や人生を捉えるほど、ドライな思考回路を実際に持っていたのか…。
案外、現代人以上にロマンチストだったんじゃないか…。
そんなことを、あれこれ考えながら書いていたので、やや現代よりの甘い印象になっているかもしれません。
 
なお、これまで1節丸々のアップで更新してきましたが、今章より、2回ないし3回ぐらいに分けて、その分、間隔は狭めてアップしていきたいと考えています。
 
また、本文中の文字サイズを、これまでのポイント指定(11pt)から、キーワード指定に変更しておりますので、適宜、ブラウザの「文字のサイズ」等で調整してご覧下さい。
 
 
   

   
   
   
   
 
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