○徒然独白○ 管理人のちょっとしたつぶやき
   
 
 大河ドラマに思う…2『源義経』(03/9/30)
 '04年(TBS)、'05年(NHK)と立て続けにドラマ化が決定している源義経。
 現状では、久々に源平時代が取り上げられるということで、期待したい思い半分、しかし、キャスト面を考えると、やはり、不安半分といった所でしょうか。
 それにしても、なぜこの時期に、どちらも義経なのか…。
 民放の単発物(放送は何回かに分けるらしいが)はともかく、1年に及ぶ大河枠で義経とは“もったいない!”
――これが発表当時の率直な感想でした。
 
 確かに、源平の中では、もっとも知名度が高く、ドラマティックな生涯を遂げたという点で、魅力ある題材ではありますが、享年31歳が示す通り、彼の活躍した期間は、思うほど長くはありません。よって、長期のドラマ化には、相当の脇ストーリーを盛り込む必要も出てきます。
 実は、これが、近年の大河ドラマが苦戦している元凶で、オリジナルストーリーが冗長になるがゆえに、本来、ドラマの核となるべきものが、どうしてもぼやけてしまうのです。
 もっとも、平清盛や源頼朝といった有名人を大きく取り上げれば、それ相応に、話に膨らみをもたせることもできますが、タイトルを『源義経』と銘打っている以上、実際には、かなりの制限を受けることになるでしょう。
 奥州藤原氏の滅亡や頼朝の征夷大将軍拝命といった、義経死後のエピソードは、バッサリ切り捨てられるであろうことはもちろん、幼少期から青年期にかけての、いわゆる平家隆盛の時代についても、朝廷側の動きはさらりと経過を追う程度に留められ、奥州平泉での義経成長話に終始することになるのでは、との不安も持っています。
 が、ストーリーうんぬん以前に、深刻な影響を与えるであろうと予想されるのが、他のキャスティングの問題です。
 
 主役の義経は、既に発表済みで、周知の通りですが、彼が義経を演じること自体には、特に異を唱えるつもりはありません。というのも、彼が出演するドラマはほとんど見ていないので、演技力うんぬんについて語ることはできませんが、はっきり言って、義経は“大根”でもできる貴重な役の一つです。
 こういうことを書くと、「また馬鹿にして…」などと思われるかもしれませんが、歴史を紐解いてみても、義経ほど裏のないストレートな人物も珍しいのではないでしょうか。まあ、それがゆえに、権謀術数の中をうまく泳ぎきることもできなかったわけですが…。
 しかし、いくら大根でもいいといっても、藤原秀衡・源頼朝・後白河法皇といった、一癖も二癖もあるような人物を前にしても、物怖じしないだけの「度胸」ぐらいは必要でしょうがね。
 
 むしろ心配なのは、清盛・頼朝・秀衡・後白河などの、歴史上重要とされる人物達の扱いです。
 彼らこそが、時代の流れを作った正統派の主役達であり、義経などはその上にのっかった御輿も同然。本来は、そういう下地となった人物に、正当な評価を与え、これを丹念に描いておきさえすれば、義経は何もしなくても、悲劇のヒーローとして存在できるはずなのです。
 ところが、過去のドラマ化を見る限り、せっかくの逸材を随分と無駄にしていると感じざるをえません。
 秀衡は別として、敵対関係となる清盛や頼朝は、義経を正当化するあまり、悪の権化のように描かれ、後白河に至っては、例の趣味?も手伝って、法皇の肩書きを取っ払うと、ただの妖しい坊主(はっきり言うとオ○マ)にしか見えない…。
 こういった発想を根本から変えない限り、かなりの苦戦を強いられるのは、避けられないことと覚悟すべきですね。
 
 ここで、キャスティングについての自論を明かしておきますと、平清盛・源頼朝・藤原秀衡・後白河法皇
――この4人については、名前だけの大物ではなく、少々知名度は落ちても、確かな演技力のある俳優を据えるのが懸命でしょう。
 少なくとも、義経を圧倒するだけの技量と、華(オーラ)がなければ、即失格です。が、これも、義経役の彼との比較となれば、それほど高いハードルでもないでしょうが…。
 
 逆に“義経”とくれば、いつも最重要視される弁慶役に、大物を配するのは、あまり適切とは思えません。
 最後の最後まで、身命を賭して主に仕えた忠臣という、日本人好みのおいしい役どころではありますが、実は、この弁慶を立派に描けば描くほど、メインの義経が、小物に成り下がってしまうという、困った現象が起きてしまいます。
 そもそも、弁慶がそんな立派な人物だったのなら、どうして、頼朝との仲が険悪になる前に、適切な対処をしなかったのかという疑問もわいてきますし、弁慶が諫言したにも関わらず、義経はそれに耳を貸さなかったとすると、それはそれで、義経の価値も急降下とならざるをえないでしょう。
 極端な話、戦は滅法強いが、政治力は義経に輪をかけた低レベル。こういう、いざという時には、てんで頼りにならない者ばかりを従者にしていたがために、後の悲劇を招いた
――このくらいの設定で丁度いい、というより、それが実態だったように思われます。
 
 とりとめもなく、長々と書いてしまいましたが、要はバランスの問題です。
 主役を食っていい人物と、そうでない人物
――その違いをきちんと押さえておけば、少なくとも“大失敗”はありません。
 さらに、これは大河に限ったものではありませんが、魅力あるキャストというのは、主役を立てるのではなく、引き上げる陣容であることが望ましく、結果として、それがうまくはまれば、かなり見ごたえのある作品になるはずなのです。
 そのことを、ドラマ製作に携わる方々にも、もう一度、見直していただきたいと、切に願ってやみません。
 
 
   
 
 大河ドラマに思う…(03/9/26)
 歴史が好きになるきっかけによく挙げられるNHKの大河ドラマ。かくいう管理人もその一人と言えるでしょう。
 記憶に残る一番古い作品が、源頼朝と北条政子を主役にした『草燃える』。やはり、これが原点ですね。
 もう○十年も前のことなので、もちろん断片的な記憶しかありませんが、比企の乱の炎上シーンや頼家の壮絶死、静御前と大姫が愛する人を思い語り合う場面、鶴ヶ丘八幡宮での実朝暗殺、承久の乱を前にしての尼御台こと政子の大演説など、たった一度リアルタイムで見ただけにしては、意外にはっきりと思い出すことができるのには、自分でも少し驚きです。
 
 これ以後、しばらくは毎年楽しみに見ていましたが、近代・現代路線への移行の時期に少し離れ(この頃は裏番組の○部○察に夢中だった)、時代物復活と共に回帰して(『独眼流政宗』だったかな?)、現在に至ります。
 子供の頃は、歴史のことなど何もわからずに、ドラマの内容をそのまま鵜呑みにしてしまい、後から、色々な本を読むにつれ、史実と異なる部分も多々あることを知って、時には、がっかりしたこともありましたが、それでも、ドラマとしては一種の説得力・求心力といったものがあったようにと思います。
 
 しかし、ここ最近の傾向としては、新解釈!的な内容のものが続き、それも随分と奇をてらった、公共の電波を使って、こんなのを流してもいいのか?と、却って、こちらが心配してしまうような展開。
 昨今はそれにも慣れ、「そう来たか…」「何で?」「そんなアホな!」と毎度ツッコミを入れながら見るという、新しいドラマの見方で楽しませてもらっていますが、これって、あまりにも客観視しすぎて、少しも物語の中に入り込めない=感動できない=ストレスがたまるというつらさもあります。
 また「若者向け」が売りと言いながら、それにしては話がどっちつかずで、何だか中途半端。そもそも、古い時代の、古い価値観に触れることに、醍醐味があるはずの歴史物に、何でわざわざ現代感覚を盛り込む必要があるのか…。第一、コスプレ物と割り切るには大金をかけ過ぎでしょう。
 それに、視聴者の年齢層を絞った作品作りにも、疑問を感じてしまいます。本当に良質の作品は、年代に関係なく受け入れられるものでしょう。むしろ「若者向け」というのは、実は若者を○カにした歌い文句のようにも思われます。
 だからといって「史実に忠実であれ」などと説くつもりはありませんが、できれば、たまには王道を行く『歴史ドラマ』が見たいというのが正直な気持ちです。
 
 さて“巌流島”を終えたばかりの今年の『武蔵』。
 ここに至るまでの時間が、あまりにも長過ぎて(どうでもいい話でひっぱり過ぎた?)、せっかくの目玉も、やや盛り上がりに欠けた感も無きにしもあらずですが、今後は、徳川vs豊臣の決戦や島原の乱といった、歴史的な事象に絡む展開とかで、それはそれで、またまたトンデモ話満載になりそうな予感も。
 しかし、こんなふうに御託を並べながらも、きっと最後まで見続けてしまうのですよね。
 まあ、ネット上には史実との違いについて、御丁寧に解説して下さる方もいらっしゃいますから、新しい知識を得る導入部として見る分には、お手軽素材ということで。
 
   
 
 映画鑑賞録2(03/9/1)
 夏休み最後の日曜日、8月3本目の映画を見たのでその感想などを
 
『HERO』(英雄)
 中国語の映画は恐らくこれが初体験だと思います。
 アクション系はあまり好みではないのですが、予告編の映像の美しさに魅かれてつい行ってしまいました。
 が、正直言って、話の筋については、一回見ただけではとてもわかりにくいです。
 後に中国最初の統一国家“秦”の始皇帝となる秦王の命を狙う三人の刺客の精鋭をたった一人で討ち取った剣士が、対決した時の子細を秦王に報告するという回想形式で話が進むのですが、同じ決闘シーンがバージョンを変えて三度も出て来るため、どれがどれやらと、だんだん頭がこんがらがって来ます。
   (1)赤−剣士の偽の報告
   (2)青−秦王の推測
   (3)白−実際の決闘
 色調の統一された三種類の再現映像が挿入され、ミステリーの謎解き的に真相が二転三転するという、かなりややこしい作りになっているのが、逆に観客の興味をそいでしまい、やや凝り過ぎの観があります。
 ただ、見終わった感想は、話の筋などは別にどうでもいいかという感じでした。
 絵巻物を見ているような映像の美しさもさることながら、音に対するこだわりが半端ではありません。雨の音・風の音・刃の打ち合う音…。大迫力という点ではハリウッド映画の方に軍配が上がるかもしれませんが、静寂の中に際立つ繊細な音使いなどは絶妙です。
 それに話の筋がどうのこうのと言いましたが、実際、ラストシーンには胸にせまるものがあって、涙腺が緩みそうになったのも事実です。この作品が訴えかけるメッセージのようなものは、十分伝わっていたと思います。
 但し、一つ難を言えば、売り物のワイヤーアクションは見慣れていないせいか、どうも動きに違和感が感じられてちょっと…とは思いましたが…。
 登場人物のネーミングも無名(ウーミン)・残剣(ツァンジェン)・飛雪(フュイシュエ)・如月(ルーユエ)・長空(チャンコン)と、読みこそ違え、やはりそこは漢字文化圏の日本、各々のイメージに合ったセンスの良さが感じられました。
 ところで、エンドロールは中国語と英語が併記されているのですが、人物名の英語訳が、
 "Nameless"・"Broken Sword"・"Flying Snow"・"Moon"・"Sky"
 さすがにこれには、英語圏でのヒットは中々難しいのではと、一抹の危惧を抱きましたね。
 確かに意味は合っていますが、しかし、そのままズバリ直訳されると…、どうも漢字の持つ趣や微妙なニュアンスのようなものがぶっ飛んでしまい、この作品の良さが半減するようで残念に思われます。
 1時間50分とやや短めの上映時間ですが、中身が生死に関わる重い題材でもあるため、この位で丁度よいのではないでしょうか。
 しかし、これを見てNHKの大河『武蔵』を見ると、何か妙にまったりとしたムードが漂っていて、これでいいのか?と突っ込みを入れたくなりましたね。
 刺客と剣客の違いこそあれ、命の遣り取りをしているという緊張感がまるでなく、こんな調子で巌流島に突入してしまって、本当に大丈夫なのでしょうか。
   
 
 映画鑑賞録1(03/8/18)
 お盆休みの間に、いくつか映画を見たので、その感想など
 
『踊る大捜査線2』
 今夏一番の話題作。前作はテレビ放映で済ましたのですが、今年に入って、急に映画に目覚めたもので、やはり大画面で見ておくかと足を運ぶことに。
 実は織田裕二主演の映画は『T.R.Y』に続いて今年2本目。
 別に彼のファンというわけではなく、作品自体に興味があったのですが、"織田裕二"のPVのような出来に、少しがっかりした思い出が。
 やはり織田裕二=青島刑事の方がしっくりときます。
 毎回、組織至上主義を掲げる本庁の管理官に、青島刑事が独自の持論をもって挑むという展開ですが、今回の管理官が真矢みき扮する女性管理官沖田。
 ドラマのスペシャル版から、筧利夫扮する新城が高圧的な管理官として登場しましたが、前作映画のラストで、少し現場の気持ちに共感するような形になっていたので、新兵器の投入となったのでしょう。
 元ヅカ男役の経験を生かして、女性初の管理官の冷酷でヒステリックな面をうまく出していましたね。最終的に、管理官を更迭されてしまいましたが、もし次作があるなら、是非とも、彼女の逆襲を見てみたいと思いました。毎度毎度、青島刑事にしてやられる本庁という図も、少しマンネリになってきたように感じますし。
 それでも、お馴染みのメンバーが勢ぞろいするのは、やはり嬉しいもので、今回はSATの隊長さんが、結構おいしい役回り。青島刑事との場面では、その昔の『お金がない!』を彷彿させますが、"借金とり"から隊長さんとは、大したご出世です。
 ご丁寧にも、今回の公開に合わせて、過去のテレビドラマ編を全て再放送してくれたので、買ったばかりのDVDレコーダーに録りだめたりと、どっぷり『踊る〜』の世界を満喫できました。

 
 
『パイレーツ・オブ・カリビアン』
 こちらも何かと話題の作品。ディズニー映画ということで、もっと子供向けかと思っていたのが、どうしてどうして、大人が見てもわくわくするような内容でした。(私が子供なのかも?)
 謎の海賊を演じたジョニー・デップはさすが!
 とにかく、超濃いメークに金歯まで施し、少しカマっぽいしぐさで怪しさを演出、その掴み所のなさはまさに適役でしたね。
 善とも悪ともいえないダークヒーロー、夢見る少女ではない管理人には、こういう人物の方がツボにはまってしまいます。
 『ロード・オブ・ザ・リング』の金髪のレゴラス王子から一転、黒髪の精悍な青年に扮したオーランド・ブルームもいい感じで、ファイティングシーンも決まっていました。ただ、レゴラス王子ファンには、かなりの違和感があるかも?
 ヒロインもおとなしいお嬢さんタイプではなく、芯が強く勇敢で逞しいという、いかにもアメリカ的な女性像。婚約者がいながら身分違いの幼馴染?に惹かれるなど、『タイタニック』のヒロインとどこかダブル所もあります。
 呪いのかかった髑髏印の金貨をめぐる攻防は、二転三転と畳み掛けるように展開し、2時間20分の上映時間もあっという間。アラを探せばストーリーの流れなどに多少の疑問はあるものの、お決まりのハッピーエンドで安心して見られました。
 そうそう、これからご覧になる方は、エンドクレジットも席を立たずに見てみて下さい。最後の最後に、ちょっとしたおまけ映像がついてますよ。

 
 
『シンデレラ』
 NHKのBSで放送されたものです。以前Wowowでの放送を見ていたのですが、あまり知られていない作品なので、ついでにご紹介しておきます。
 これもディズニーの制作ですが、「ビビディ・バビディ・ブー」のアニメ版ではなく、実写版のテレビ映画で、1955年にジュリー・アンドリュース主演で制作されたものの二度目のリメーク版(1997年)とか。
 この作品の凄い所は、メインキャストのほとんどが黒人で占められている点です。
 タイトルロールのシンデレラに歌手のブランディ、魔法使いの妖精?にホイットニー・ヒューストン、そして、王子の母親の王妃役にウーピー・ゴールドバーグと、日本でもお馴染みの豪華メンバー。
 加えて、王様が『タイタニック』の設計技師役が記憶に新しい、白人のビクター・ガーバーで、ウーピーとの息子のはずの王子役は、なぜかアジアンのパオロ・モンタルバン(フィリピン系アメリカ人)と、まあハチャメチャなキャスティング。
 あまりに奇をてらい過ぎて、興ざめと見る向きもあるかもしれませんが、中身の方は、ミュージカル界の巨匠リチャード・ロジャースが楽曲を手掛けているだけあって、いたって王道を行くミュージカル映画。
 ブロードウェイ・ミュージカル『アニーよ銃をとれ』のリバイバルでトニー賞受賞のバーナデット・ピーターズがシンデレラの継母、'01年のトニー賞作品『プロデューサーズ』のロサンゼルス公演('03.5月)で主演したジェイソン・アレクサンダーが王室の執事役と、その道のプロが脇を締め、きわめつけが、今年のアカデミーで作品賞等を受賞した『シカゴ』のロブ・マーシャル監督が振付と、何とも贅沢なコラボレーション。
 何より、耳馴染みのよい音楽と、意外にはまっているそれぞれの演技に、珍妙なキャスティングもそれほど気になりませんでした。
 ただ、今回は二カ国語放送で、歌の部分だけオリジナルに切り替わるため、声のトーンの落差に違和感があったのが残念です。子供向けのためにとられた措置なのでしょうが、こういうミュージカル映画では、声優さんの人選にもう少し配慮がほしい所です。
   
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