○徒然独白○ 管理人のちょっとしたつぶやき
   
 
 映画鑑賞録5『ラスト・サムライ』(03/12/17)
 ハリウッドが、巨額の制作費を投じて、本気で日本の武士道を描く――
 そんなニュースが流れたのは、昨年の秋のこと。以来、半信半疑の内に1年余りが経ち…、先日、ようやく、この目で確かめることができました。
 その感想を一言で言うなら、「大変満足の行く出来」でした。
 映画館に足を運ぶことをためらっていらっしゃる方は、ものの試しと思って、まずはご覧になってみて下さい。
 よく言われる、アメリカ流トンデモ日本視観も否定はできませんが、たとえ、富士山が大きすぎようと、シダ植物が生えていようと、忍者が出てこようと…、そんなことはほんの一瞬のことで、すぐにまた話の本流に引き戻すだけの力が十分に備わった、実に趣の深い作品に仕上がっていたと思います。
 
 が、何と言っても、トム=クルーズ主演と銘打った映画。それも、日本人の中に一人迷い込んだ外国人となれば、いやが上にも目立つ存在なのは必至で、それこそ、全編「トム様PV」を見せられるのではとの不安も、少なからずありました。
 ところが、実際に見てみると、彼の役が狂言回し的な役割を担っているせいもあるのでしょうが、むしろ、日本人キャストを立てる形になっていて、彼らの良い面をうまく引き出しつつ、トム自身もその強烈な個性はそのままに、しかし、彼らの中にうまく溶け込んでいたのは、少し意外でした。
 
 それにしても、このキャスティングを実現させたカンパニーは、ある意味、「凄い!」ですよ。
 もっとも、ハリウッドから見れば、日本国内でのステータスなど、取るに足りないもの。それこそ「ハリウッドがスターを生み出す」ぐらいの気でいるでしょうから、プロダクションの力関係など度外視に、彼らが真に欲しい人材
――彼らの思い描く役柄を、望み通りか、それ以上に演技してくれる、確かな実力の持ち主――を探した、当然の結果なのでしょう。
 実際、選ばれた俳優さん達は、日本国内でも実力派には挙げられながらも、昨今の芸能界の実情からすれば、知名度の方はどうも今一歩の感のある方ばかりで、ややもすれば、地味ともとられかねない人選ですが、適材適所
――この基本中の基本が、どんな緻密なCGにも勝る、素晴らしい効果をもたらすことを、改めて教えられたような気がします。
 
 勝元盛次という文字通り“最後の侍”の精神を体現して見せる渡辺謙。この役にどれほどの俳優が、リストアップされていたかはわかりませんが、今となっては、「この人以外には、とても考えられらない!」というぐらい、それは見事なハマリっぷり。トムとどちらが主役かと思えるほどの大役ながら、「威風堂々」
――その度量の大きさは、トム扮するオールグレンが傾倒するのも無理ないと、納得させるだけのものがありました。
 当初は妹のたかを、娘に設定していた位ですから、恐らくハリウッド側では、もう少し年配の人物を想定してたのでしょう。何しろ、何百という侍の命を預かり、武士団を意のままに動かすことのできる頭目という役柄を考えれば、亀の甲より年の功、それこそ「大御所クラスの俳優でないと…」と考えるのが妥当かもしれません。もちろん、それはそれで、また違ったテイストの作品に仕上がっていたでしょうが、むしろ、この勝元の年齢がやや下がったことで、ほぼ同じ年代のオールグレンに強い関心を持ち、やがて、二人の間に友情が芽生えるという展開にも、より真実味が増し、最後の結末をいっそう印象深いものにしたように思います。
 
 その勝元の右腕ともいうべき氏尾役の真田広之。始めはオールグレンを敵視しながらも、彼の日本の武士道を理解しようと努める姿勢にふれ、次第に理解を示して行くという役柄。出番はそれほど多くなく、台詞も日本語で少しあるのみで、専ら、オールグレンとの木刀での立会いの中で、心理的な変化を見せなければいけない難しさもあったでしょうが、さすがに殺陣はお手の物、その確かな技量に裏打ちされた自信が、誇り高い剣士の生き様を、より鮮明に表していたのではないでしょうか。
 
 紅一点、勝元の妹で、心ならずも夫を殺した仇の世話をすることになる、たか役の小雪。「憎い仇!」という本音をぎこちない微笑でくるみ、兄の命令だからと義務的に接する、言うなれば、日本人特有の「本音」と「建前」の使い分けを地で行く役柄。和服をきれいに着こなしていて、立ち居振る舞いも自然で、ちょっとした仕草や目の動きだけで、心の変化をうまく表現していたと思います。ただ、台詞の少なさが、逆に幸いした節もないではありませんが…。
 
 一方、この作品中では、悪役を一手に引き受ける大村役の原田真人。恐らく、今回のキャストで最も?な人選であり、正直、これほどの大役だとは予想もしていませんでした。最初の登場シーンでは、小悪党の手先ぐらいに思っていたら、とんでもない、こいつが天皇をも操る黒幕本人だったとは…。流暢な英語台詞には、「これで選ばれたのね」と納得させられたものの、日本語台詞になると、どうも棒読みっぽくて、「おいおい」とツッコミたくなったのですが、後から思い返すと、勝元の威厳にビビリながら、精一杯自己主張しようとまくし立てる様などは、根は小心者で、勝元へのコンプレックスに凝り固まっている大村という人物を、意外に端的に表していたかも、とも思えてきました。しかし、これって計算の上での演技なのか、偶然の生んだ産物なのか…、いったいどうなんでしょう?
 
 
 ところで、この映画については、日米ともに、賛否両論、真っ二つの状態。
 特に、アメリカではアカデミー賞レースも絡んで、批評家の間では、やや、否定的な論調が勝っているように見受けられます。
 実際、明治初期を舞台にしていながら、戦国時代さながらの旧式の甲冑に身を固め、剣や弓矢だけで、銃器武装の軍隊に立ち向かう展開は、荒唐無稽だと思いますし、英語が堪能で、好奇心旺盛、捕虜のはずのオールグレンにもフレンドリーに接する勝元が、頑なに近代化を拒否しようとする姿にも、ある種の矛盾は拭い去れません。
 ただ、甲冑や銃火器の扱いについては、古いものと新しいものの対立を、はっきりとわかりやすくする意味で、必要な嘘だったという製作意図には、多少頷ける所もあります。
 いっそ、戦国時代を舞台に、信長の鉄砲隊vs武田の騎馬隊を描いておけば、問題にならなかったのでしょうか(日本の某タイムトリップ映画に、似たようなものがありましったけ?)。
 
 まあ、米側の評価はさておき、日本国内での批評で気になっているのが、「間違った日本観を植えつける」とか「これを事実だと信じたら困る」といった声。
 ドラマや映画を歴史教科書の替りにしてどうするのでしょう。こういう人達って、もしかすると『平家物語』の内容でも、全部史実と信じてしまうのではなかろうかと心配になってきます。
 忘れてもらっては困るのは、いかに名作と呼ばれる歴史小説であれ、ドラマや映画であれ、所詮はよくできた作り物だということ。歴史という枠組みの中で展開するだけで、その実、トレンディードラマと一緒と考えてもいいぐらいです。
 もっとも、そういう古い時代設定を選ぶからには、それなりのこだわりがあって然るべきで、トレンディードラマと同じことをしたいのなら、わざわざ手間暇かけて時代物を作る必要もないわけですけど…。
 
 最後に一言、というか、ご忠告を。
 歴史というものは、人に教えてもらうのではなく、自らの手で調べ、身につけるべき学問です。ドラマや映画を媒体に、興味を深めるのは大いに結構ですが、まかり間違っても、それを鵜呑みにしてしまうのは大変危険ですよ。 
 
  
   
 
 使い捨てのススメ?(03/12/8)
 カメラやカイロにとどまらず、今やコンタクトレンズも使い捨ての時代。
 わざわざ修理という選択肢を選ぶことは、もはや無意味なことなのか…。
  
 先日、DVDプレーヤー(レコーダーではありません)が故障して、修理に出したのですが、保証期間を過ぎていたので、まず、依頼時に1,050円の前払金を求められました。これは、修理した場合は修理代金から差し引きされるものの、修理しない場合も見積り費用として返還されないというものでした。
 そして、修理が完了して、かかった費用はといえば、消費税込みで10,500円…。
 
 このDVDプレーヤーは、ちょうど2年前に購入した薄型のポータブル仕様。
 実は、昨年の夏にも1度故障して、修理に出しており、わずか2年の間に2度も修理に出すことになろうとは…。ハイテク機器に故障はつきものとはいえ、こうも続くと、どこか欠陥でもあるんじゃないかと、勘ぐりたくもなります。
 前回は保証期間内だったので、無料で修理してもらえたのですが、この時に、今後の参考のためにも、実費の場合にはいくらかかっていたのかを聞いておかなかったことが、今さらながら悔やまれます。
 
 それにしても、約38,000円で購入したものに、10,000円の修理代って…。
 何だか「修理なんかするな! アホ!」と言われているようで、腹が立つやら、悲しいやら…。
 実際、新しいものに買い換えることも考えたものの、「いや、まだまだ使える」との思いから修理することにしたのですが、どうやら、その考え方は改める必要があるようです。
 
 家電製品のメーカー保証期間は概ね1年。
 最近は、量販店などが独自に、5年保証などのオプションを付加できるようにしていますが、ある程度の値段のものについては、多少の出費は我慢してでも、つけておいた方がベターでしょうね。1年って、本当にあっという間ですから…。
 そして、保証期間切れのものは、よほど高額のもの、あるいは、愛着のあるものでないかぎりは、残念ながら、修理より買換を選択する方が無難のようです。
 
 そもそもが、冷蔵庫のように、毎日休みなく動き続けるものも、扇風機やこたつのようにシーズンもので3ヶ月位集中して使うだけのものも、それこそ、月1・2回ペースでしか使用しないものも…、保証期間がみんな同じ1年というところからして、本当は納得いかないのですけどね。
 
 そういえば、今回の修理に関しても、3ヶ月の保証期間がついておりました。
 とりあえずは、これから3ヶ月間、せいぜい使って、不具合が出ないかどうか、十分にチェックしておかねば!
 
   
 
 映画鑑賞録4『陰陽師2』(03/10/27)
 昨今は何でも“パート2”ばやり。
 それも、企画当初より決まっていたわけでなく、「1」の予想外のヒットに気を良くした製作者サイドが、「二匹目のどじょうを狙った」的なものが大勢を占めているのが現状。
 『陰陽師』に関しても、ご多分にもれず、このタイプに当てはまるでしょう。
 
 前作との大きな違いは、ファンタジー色が急激に強まったこと。
 幾つかの小品的な説話が、道尊という存在の許に集約され、一つの作品をなしていた「1」とは異なり、今回は“イズモ”という壮大な神話の世界に絡めて、終始、話が進みます。
 ところが、この“イズモ”が曲者。
 普通“イズモ”と聞けば出雲=島根と連想するじゃないですか。しかし、その発想がストーリーを把握する上で、どうしても邪魔になってしまいます。
 この作品で言う所の“イズモ”は京都近郊の、例えば酒呑童子で有名な大江山のような隠れ里だということなのです。だから、あんな平安装束を纏った人間でも、簡単に行き来できる。
 晴明のことだから、瞬間移動の術でも施したのかと勘繰ったりしましたが、博雅や蜜虫が、後から追って来た時点で「何で?」と思った疑問も、これで一応納得できました。
 まあ、実際にそういう伝承があるらしいので「何をバカな!」と頭ごなしに否定するのは野暮というものですが、少し歴史に興味を持つ者なら、必ずや混同するであろうこの設定には、やはり首を傾げざるをえません。
 そして、陰陽道と神話のコラボレーション。あるいは『ロード・オブ・ザ・リング』の和製版を狙ったのかもしれませんが、少し内容がぶっ飛び過ぎてしまったようです。
 “平安”と“記紀の神話時代”との大きなギャップ。それが、同時に存在することの違和感を、最後まで、拭い去ることはできませんでした。
 
 それにしても、今回の晴明は、はっきり言って「これが天才陰陽師なのか?」というほどの体たらく。
 何かとしくじる場面が多くて、超常性・神秘性みたいなものが希薄になり、妙に人間的になり過ぎたような…。これもボンクラ博雅の影響でしょうか。
 前作のように、これぞ“対決”といったシーンもなく、鬼と化したスサノオを封じ込めるのは姉のアマテラスの役目と、冒険ともいえる女装まで披露した萬斎晴明の奮闘も、どこか空回り。
 問題の女装(女舞)については、これ以上触れませんが、一番の見せ場がこの舞の部分というのは、どんなものなのでしょう。
 前回は、中堅・ベテランの多様な実力派を集め、その中では、晴明も博雅も「所詮は若造」だったのが、今回は一転、アイドル世代の2人を前面に押し立てたため、いい意味では博雅が成長したようにも見えますが、反面、萬斎晴明の“ふけ”具合も気になりました。
 
 それと、今回の作品を見て、特殊技術の多用がもたらす弊害を、改めて再認識させられましたね。
 リアルさを追求すればするほど、漫画的なおかしさばかりが強調される悪循環。
 あの鬼はまるで○○原人? 動きからして妙にコミカルで、あれを「荒ぶる神」と言われても、全く説得力なしです。ついでに、天の岩戸も、モ○ラの卵?みたいでしたし。
 “怪獣映画”との評にもお目にかかりましたが、これは言い得て妙だと思いましたよ。
 CGを使うことを否定するつもりはありませんが、時と場合によりけり。それに、何でも目に見える形で表せばよいというものでもないでしょう。
 少なくとも、恐怖を演出する場面で、笑いを誘うような表現方法は、適切ではないと思います。
 
 様々な不満要素が満載の「2」を払拭するためにも、ここは「3」に期待したい所なのですが、今度は、もう少し、ドラマの部分を重視していただいて、内容もそんなに奇抜なものでなく、“平安”の風情を堪能できるものでお願いしたいものです。
 
 しかし、早くしないと…、萬斎晴明も賞味期限近し?

 
   
 
  映画鑑賞録3『インファナル・アフェア』(03/10/20)
 香港映画には、まるでなじみのない管理人ですが、マフィアと警察のスパイ合戦というちょっと珍しい題材と、『HERO』で要チェックリスト入りしたトニー=レオン主演に惹かれて、早速、行って参りました。
 原題の『無間道』とは「無間地獄」のことで、その名に違わぬ、もの凄い映画でした。
 今時にしては、CGも派手なアクションもない、一見地味とも思える作品なのに、この衝撃度は何なのか…。見終わって既に3日たった今も、まだ余韻に引き摺られている状態で、こういうことは未だかつてなかったことです。
 
 まずは簡単にストーリーを説明すると主役は二人。
 
 ◇優秀な警察官のラウ(アンディ=ラウ)。実はマフィアのスパイ。
   それも、初めからその意図をもって、警察学校に送り込まれ、そのまま
   警察官となる。
 ◇マフィアの手下のヤン(トニー=レオン)。実は警察官。
   警察学校時代に、その洞察力の鋭さを見込まれ、表向きは退学処分の
   扱いで、潜入捜査官となる。
 
 二人は自分の意思に反して、対極の世界で、本当の素顔を隠して生きることになり、それから10年の歳月が流れます。
 この冒頭シーンは二人とも若い俳優さんが演じていて、これがどちらも今時のイケメン風。でも、本役とは全然似ていないので、クロスしながら移り変わるシーンは、ちょっと違和感が拭えなかったかな。
 10年やそこらの時間経過なら、本役が少し?若作りして、そのまま演じる場合が多いですが、これにはちょっとした理由があるようで、それについては後でまた触れます。
 
 話を元に戻すと、やがて、それぞれの立場で信頼を勝ち取った二人が、ある麻薬密売事件で鎬を削ることになります。
 盗聴器や携帯電話などの限られた手段を駆使して展開する、両者の熾烈な駆け引きは、まさに「手に汗握る!」痺れるような快感。
 観客自身が、二人の正体を知っているからこその、ハラハラ・ドキドキ感―中々ツボをついた心憎い演出です。
 でも、これはまだストーリーの序章。
 この事件をきっかけにして、双方の存在(スパイ)が明るみになり、あろうことか、当の本人達が、ボスや上司からの命令により、互いを追い詰め合って行くことになります。
 そして、この後に衝撃の場面が…続くことになるのですが、まだ公開中なのでネタばれ防止の意味で、ひとまずカット!
 
 刑事物とはいえ、アクションは極力抑えた、どちらかといえば緻密な心理劇。
 絶えず二人を対比して話が進み、例えば密会の場所は、ヤンと上司のウォン警視は、ビルの屋上のような、いつも日の当たる場所で、ラウとマフィアのボスの場合は、映画館の暗闇の中とか。
 ラウには婚約者がいて結婚準備中。ヤンは恋人と別れ、孤独の中で、任務と現実の板ばさみに悩み精神科に通院中。
 しかし、ヤンはその精神科医との対話に安らぎを得るものの、ラウは婚約者の前でも善人を演じ続けている。
 そして、ヤンには警察官としてのプライドがあるが、ラウにはマフィアの一員であるトラウマが常につきまとう。
 これほどまでに、徹底して、二人の主人公を対極に据えた設定も珍しいような気もします。
 
 さらに、この作品の最大の特徴は、全三部作になっていること。
 今回の1作目は、時間軸でいくと2番目に当たり、香港では既に封切られている「2」が、これより過去に遡って、冒頭の若い二人のイケメン俳優達が、主役で活躍するらしい1番目の部分。
 そして、その後に控える「3」が、今回の「1」の後日談という構成になっているようです。
 つまり、「2」に関わる部分は、完全に端折られていて、現時点では観客の想像任せの部分が多く、そのため、話の流れがつかみにくい=わかりにくい欠点があります。
 随所に張り巡らされた伏線から、パズルを一つ一つはめ込んで行くような、ミステリーの謎解き的な楽しさも、受け取り方は人それぞれ。
 そういうことは面倒で、簡単明瞭が一番!という方には、「わけがわからない」と一蹴されてしまうでしょう。
 
 とりわけ、正真正銘の警察官となったラウが、なぜ、いつまでもマフィアのボスの言いなりになっているのか、その辺りの事情が説明不足で、逆に、潜入捜査官のヤンとウォン警視との関係の方が、まだわかりやすいため、観客の心情としては、ついヤンの方に感情移入してしまのも仕方のない所。
 ゆえに、最後の結末には、どうしても、後味の悪さが拭い去れない。
 この辺りが秀作にも関わらず、今一つ観客動員が振るわない元凶とする意見もあるようです。
 
 でも、私的には、あの結末も、それほど意外なものでも、悪いものでもありませんでしたよ。
 それまでの話の流れから、きっとこうなるだろうなあ、これしかないのだろうなあと感じていたので、却って、反響の大きさにビックリしています。
 例えとしては少し変かもしれませんが、どこか『必殺仕事人』に似たようなテイスト。
 きれい事だけでは生きて行けない。『水戸黄門』や『暴れん坊将軍』のように、何でも「正義は勝つ!」「勧善懲悪」では片付けられない。
 理路整然と、すんなり白が白、黒が黒で決着をつけられれば、それは確かに痛快なのだけれど、現実には、白に近いグレーあり、黒に近いグレーありと、そんなに単純に分別できるものではない。
 だから、こういう生き方しか選べない人間がいても、それはそれで仕方がない…と、まあ、こんな心境でしょうか。
 
 それに、もしかすると、これもある意味、製作者側の意図するものなのかもしれません。
 この「1」ではあえて、ヤンの悲哀を前面に出して、わざとラウをクールな悪役に配し、その「なぜ」の部分が、次なる「2」「3」によって次第に解明されて行く…という手法が取られているとするなら、「2」を見て再び「1」を見ると、これまでの印象も大きく変わるのかもしれない。
 それを確かめるためにも、「2」の公開が待たれる所ですが、果たして、日本でちゃんと見られるのだろうか…。
 この映画を私が見たのは、土曜日のお昼でしたが、さほど大きくないシアターでも、入りはまばらと、公開2週目とは思えない淋しさ。
 まあ、「お金を出してまで、暗い気持ちにならなくてもいいだろう」との声も聞こえてきそうですが、あの『踊る〜』が何百万規模の大ヒットを誇っていて、この作品の注目度がこれほどまでに低いのは、国民性の違いがあるとはいえ、宣伝不足の責任も大いに問われるべき所でしょう。
 それに、楽しむことももちろん大事ですが、たまには、ダークでシビアな世界に、ドップリ浸ってみるのも悪くありませんよ。明るいものを見れば、世の中が明るくなるというものでもないですし。
 人をどこまで信じていいのか…、そして、信じることができるのか…。
 そんなことをじっくりと考える、良い機会になると思いますよ。
 
 
   
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