月 〜満ち欠けの不思議〜
 
     
     毎晩、同じ時刻に空を見上げると、違う場所に違う形をした月を見つけることができます。
 細長い三日月に半月、そして、まん丸お月様
――
 時の移ろいと共に、日々姿を変える月影は、その変化が人の目から見ても顕著なゆえに、古くから人々の生活に深く関わって来ました。
 
 東から上り、西へと沈んで行くのは太陽と同様ですが、月は地球の周りを24時間50分47秒かけて一周しているので、月の出は毎日およそ50分ずつ遅くなります。このため、同じ時刻を基準にすると、少しずつ東へ移動して行くことになるわけです。
 また、月の光は太陽光の反射によるものですから、太陽・地球・月の三者の位置関係によって、光の当り具合が異なり、それが月の形の変化へと繋がります。
 この形の変化を一般に月の満ち欠けなどと言いますが、これには一定の法則があって、29〜30日を一つの周期として、次のように推移します。

月の形 呼 称 説     明
 1日
06:00
(さく)
新月
月と太陽が同じ方向にあるため、地球からは月を見ることはできません
 3日
08:00
三日月
夕刻の西の空に見える月。月が替って初めて人の目で確認できる月ということで、初月・若月、その細長い形から眉月・月の剣・月の船など多くの異称があります。
 7日
11:00
上弦の月
(じょうげん)
半月。弓の形になぞらえて、弦(真っ直ぐの部分)を上にして沈むことからこの名があります。
13日
16:00
十三夜 特に9月13日の月は、前月の仲秋の名月(8月15日)に次いで美しいとされ、「後の月」と称して月見の宴が開かれました。
14日
17:00
小望月 満月直前の月。特に8月14日は、翌日の仲秋の名月を待ちかねる前夜祭の意味合いをこめて待宵月(まちよいづき)とも言います。
15日
17:30
望月
(もちづき)
満月。地球が太陽と月の間にあって、ちょうど一直線に並んだ状態になります。8月15日の仲秋の名月には、観月の宴が開かれ、収穫したばかりの里芋を供えることから芋名月とも呼ばれます。
16日
18:30
十六夜
(いざよい)
満月よりやや遅く、日没直後の頃に月の出となるので、いざよい(ためらい)ながら上る月という意味
他に一晩中月が出ているため「不知夜」とも
17日
19:30
立待月
(たちまちづき)
立って待っているうちに上る月の意
18日
20:00
居待月
(いまちづき)
立って待つには少し間があり、座って待っているうちに上る月の意
19日
21:00
寝待月
(ねまちづき)
座って待つのも長いので、横になって待っているうちに上る月の意、臥待月(ふしまちづき)とも
20日
22:00
更待月
(ふけまちづき)
夜更けまで待ってようやく上る月の意
23日
00:00
下弦の月
(かげん)
上弦と同様に弓の形になぞらえて、弦(真っ直ぐの部分)を下にして沈むことからこの名があります
27日
03:30
下弦後の
三日月
三日頃の三日月とは異なり、月の出が未明になるため、朝方の東の空に見えます。
29か
30日

(つごもり)
月の末日。月がこもり(隠れる)闇夜になるのでこの名があります。

※「日」の欄の下の時刻は月の出を表していますが、季節によって1時間程度前後しますので、あくまでも目安としてご覧下さい。
 
 月の最初と最後に何やら小難しい漢字が見えます。
 まず「朔」は月が一周してもとの位置に戻ったという意味で、一日
(ついたち)を「朔日」とも表記します。
 一方の「晦」は“暗い”とか“人知れず隠れた”という意味から、月の隠れた闇夜を指し、月隠
(つきごもり)が転じて「つごもり」、あるいは、これが30日に相当することから「みそか」(三十日)とも言います。
 一年の最後の日となる12月の晦を、今も大晦日というのはその名残です。
 こうして「朔」より日を追うごとに満ちた月は、「望月」を頂点として今度は次第に欠け始め、やがて「晦」に至ります。そして「晦」の翌日は再び「朔」となり、新しい月へと移り変わって行くことになります。
 さらに、日々の月の満ち欠けの度合いを表す指標を「月齢」といって、これが現在の「日にち」の基になっています。月齢3の月の出る日が三日で、その夜の月の形を三日月と呼ぶといった具合です。
 
 話は少し変わりますが、先に触れました通り、月は毎日50分位ずつ月の出が遅くなります。
 月の初め頃は日中に月の出となり、日暮れ時から夜もまだ浅い時間帯のうちに沈んでしまいます。昼間は太陽の光に紛れ、うっすらと見えることもありますが、やはり月としての存在感は夕暮れ時のわずかな時間に限られることになります。この頃の月のことを「夕月夜」とか「宵月夜」と言います。
 一方、16日の十六夜
(いざよい)は「不知夜」とも書かれる通り、日没直後の月の出から一晩中空に月があり、この日以降は、夜が明けてもまだ月が残っている状態が続きます。この明け方の月を「有明の月」とか「朝月夜」などと言います。
 「夕月夜」も「有明の月」も、どちらも多く和歌などに詠まれていますので、耳にする機会も多いことと思います。
 
 それにしても、月には様々な異称がありますが、これをざっと見渡して気づくのは、やはり「待」という文字の多さでしょう。とりわけ十五夜以降は「待」ってばかりです。
 昔の人は月を見ることに、よほどの執着があったのでしょう。それも、月を見ないととても眠れないというぐらいの気合の入れ様。
 しかし、よくよく考えてみると、それも無理のないことかもしれません。
 電気のスイッチを入れるだけで、昼と見まごう明るさを簡単に手に入れることのできる現代にあっては、その日が三日月であろうと満月であろうと、大して違いを感じることはありませんが、ほのかな灯明すら貴重だった時代には、夜空を照らす月明かりが一際印象深く、人の心を打つ大きな存在に映ったことでしょう。

 文明の発達によって、現代を生きる私達は、段違いの便利さを得ました。が、その一方で、こうした自然の摂理からどんどん遠ざけられ、まるで身近に感じられなくなっているのも事実で、もしかすると、人が人として生きる上で、何か大切なものを失ってしまったのではと、時に不安に思うこともあります。
 
 せめて、毎晩少しだけ夜空を見上げてみませんか。
 月の姿一つでも、わかることがいろいろあるものです。
 午後8時頃に三日月が見えれば「こっちの方角は西の方だな」とか、半月なら「今日は旧暦の七日頃だから、後7日もすれば満月か…」とか。
 そんな些細なことに思いを馳せるひととき
――それが日頃の疲弊しきった人の心に、わずかなりとも余裕をもたらしてくれるのではないでしょうか。
 ただ、お月様に気を取られるあまり、“前方不注意”なんてことにならないように、くれぐれもお気をつけ下さいませ。
 
   
  (2003.7.15 up)
   
 
     
 
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