平治の乱前夜 〜ニューフェイスの台頭〜
 
   
   骨肉相食む保元の乱から2年後の1158(保元3)年8月11日、後白河天皇は皇太子の守仁親王に譲位しました。二条天皇の即位です。
 
 元々、故鳥羽法皇の遺志が守仁親王の擁立にありましたから、タナボタで皇位をゲットして、在位3年を数える後白河天皇の退位は、既定の路線だったと言えます。
 また、時を同じくして関白も藤原忠通から子の基実
(もとざね)へと代替わり。こちらはどうも引導を渡されたというのが実情のようで、ともかくも、政界内の世代交代が急速に行われることになったわけです。
 しかし、二条天皇も基実も共に16歳と、朝政を担うにはあまりに年若く、あくまでも実権は、後白河上皇の手に、いわゆる後白河院政の始まりを意味していました。
 
 とは言っても、当の後白河上皇は、皇位を降りた身軽さからか、以前にもまして、当時の流行歌ともいうべき「今様」に深く傾倒するなど、遊蕩三昧の日々を送る始末。
 よって、実際に政務を取り仕切っていたのは、後白河院の乳夫にして、第一の側近である信西で、その辣腕ぶりは「黒衣の宰相」の異名を取るほどでした。
 それにしても、信西がいかに有能な切れ者とはいえ、極官(最高の官職)は少納言止まりの下級貴族で、既に出家の身。これまでの常識ではちょっと考えられない出世ぶりです。
 では、いったい何が、信西の台頭を許したのか
……
 譲位の少し前に、その理由を説明するのに打ってつけの事件が起こっています。
 
 1158(保元3)年4月20日。
 この日は賀茂祭(現在の葵祭)の当日で、祭り見物の桟敷を前に乗合事件が発生。無理に通過しようとする参議 藤原信頼
(のぶより)の車に対して、忠通の従者がこれを阻止しようと押し問答になり、挙句に車を打ち壊したというものでした。
 乗合事件といえば、1171(嘉応2)年7月に平資盛
(すけもり)が引き起こしたものが、『平家物語』にも描かれて有名ですが、実際には、こうした騒動は結構頻繁に起きていて、当事者は「虎の威を借る狐」いうのが相場のようです。
 そして、信頼を資盛、忠通を基房に置き換えれば、この後の展開も見えてきませんか?
 
 事件が起きて間もなく、忠通は閉門、家司の平信範(兵範記の著者)には解官という厳しい処分が下されます。一方、騒ぎの元を作った信頼は、何のお咎めもなしですから、随分不公平な裁定です。
 運の悪いことに、藤原信頼は後白河天皇のお気に入りの寵臣(男色相手と専らの噂)。となると、泣き付かれれば放っておけないのは、孫の受けた仕打ちに猛り狂った清盛と同様です。
 ただ、皇位に就くやんごとない身分のお方というのは、武力をもって暴挙に出るような野蛮なことはしません。そこが清盛と違う所でしょう(但し『平家物語』での清盛限定)。
 何も武力に訴えなくても、貴族社会の中では、閉門・解官は恥辱の極みで、報復としては十分過ぎるものでした。
 そして、こんな片手落ちの裁定を下されても、まるで無抵抗の忠通、というよりは、抵抗できなかったというのが正しく、要は、それほど摂関家の権威は、失墜の途をたどっていたということです。
 これは先の保元の乱の折に、本来、摂関家内部の取り決め事である氏長者を、天皇宣旨による任命という形を取らざるを得なかった点にも表れています。
 
 ところで、藤原信頼についてもう少し詳しく説明しますと、父藤原忠隆の極官が従三位非参議でしたから、ようやく公卿の列に連なることができた「中の上」辺りの貴族になります。
 保元の乱の当時は、従四位下右兵衛佐。このクラスの子弟としては、さほど目立つ出世でもなく、まあ順当な線といった所でしょう。
 ところが、それからわずか2年の間に、位階は従四位下→正三位、官職も右兵衛佐→右中将→左中将→蔵人頭→参議とエリートコースをまっしぐら、きわめつけは、26歳の若さで権中納言に昇進と、超高速の出世を遂げています。
 これは、はっきり言って身分不相応の破格の待遇。いかに後白河院の寵が深かったか、推して測るべし、先に挙げた乗合事件の処分云々にもうなずかざるを得ないでしょう。
 その上、1159(平治元)年7月には、関白基実と信頼の妹の婚姻が成立して、晴れて摂関家と縁戚に。
 これも後白河院の働きかけによるものなのでしょうが、つい先頃に苦杯を嘗めた因縁の相手にも関わらず、これを受け入れる他なかった摂関家。こんな所にもその凋落ぶりが伺えます。
 
 かくして、後白河院政における両雄にまで急成長した信西と信頼。
 しかし、方や学才豊かで己の実力でのし上がって来た博識者。方やビジュアル系で媚びることだけは天才の無能者。
 まるで水と油のようなこの二人が、仲良く「お手て〜繋いで〜」なんてことは、あるはずもなし。
 
 束の間の平和を打ち破る、次なるバトル
――
 そのゴングは、今ここに、高らかに打ち鳴らされたのでした!
    
  2003.8.4up
   
 
   
 
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