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さて、熊野参詣中の清盛の許にも、都に起きた変事の急報が届けられました。
「えらいことになった!」と初めは慌てふためいたものの、次々にもたらされる続報によって、ある程度の状況を把握した清盛は、急ぎ京に取って返します。
血祭りに上げられたのは、あくまでも信西とその一族であり、平家一門には何の類も及んでいないと、清盛は判断したのです。
留守中の六波羅が襲われたわけでもなく、また、帰京の途にも何の襲撃も受けなかったことから見ても、その判断に間違いはなかったようです。
六波羅に無事帰りついた清盛は、早速、娘婿の信親、つまり信頼の息子を父の信頼の許に遣わしました。その一方では、成憲には、絶縁状を突きつけたことでしょう。
清盛は信西とも縁戚にありましたから、連坐という最悪の事態を回避するためにも、信頼との関係は友好に保ち続ける必要がありました。
しかし、これは信頼に対してと言うよりは、その背後にいる人物を強く意識してのことでしょう。
かくして、信頼等の立てた『信西抹殺計画』は、めでたく達成されたわけです。
邪魔者がいなくなった今、念願の近衛大将は手にしたも同然。この調子なら、行く行くは大臣も夢ではない……。信頼は目の前に広がる輝かしい前途に、一人酔いしれていたことでしょう。
ここで疑問に思うのは、信西を失脚させた信頼が、二条天皇や後白河上皇を幽閉して、自ら天皇のように振舞ったとされる『平治物語』の記述。
そもそも、信頼の威勢の源は、後白河上皇の異常過ぎるほどの寵愛にあったはずです。
上皇の威光を笠に着なければ、何もできなかった男が、果たして、その上皇からも脱却しようなどと考えるものなのか……。
こういう信頼のようなタイプの男は、むしろ、自分を庇護してくれる者の下で、いつまでもぬくぬくと、ぬるま湯生活を続けていたい……。しかし、その庇護者が敵とみなした者は、自分にとっても敵と、激しい憎悪を露にする……。
これは極論かもしれませんが、今時の幼児性の抜けない、キレやすい青少年像と、どこか重なり合うように感じられてなりません。
そして、こんな信頼の性格を知り抜いた上で、『信西抹殺』をほのめかした者がいたとすれば……。
自分という人間の存在意義を認めて欲しい余り、常識では考えられないことまでやってのけてしまう無謀さ――、何だか想像するだけでも哀れに思えて来ます。
話を元に戻しますと、信西がいなくなったことで、後白河上皇には怖れる者はいなくなりました。
最高の地位に就く二条天皇は我が子であり、たとえ天皇といえども、実の父親を疎略に扱うことができないのは道理でしょう。その近臣に至っては、いわずもがなです。
またまたタナボタで、今度は、政治の全権まで手中に収めてしまった後白河上皇――、もしかすると、あなたって天才?
父の鳥羽法皇も、まるで気づくことのなかった我が息子の資質。
庶民の娯楽『今様』を愛し、その上手と聞けば、遊女であろうと招き寄せたとの逸話を残す、成人君主には程遠い人間臭さ――それが実は、人間の心理を巧みに読み、弱味をついて自在に操るすべを身につけさせたとしたら……、あの世で鳥羽法皇もさぞや感嘆されたことでしょう。
しかし、故鳥羽法皇の遺言を守るべく、二条天皇に仕えている近臣からすれば、これは憂慮すべき事態でした。
あくまでも中継ぎ役ということで、渋々認めた後白河即位が、よもや、院政を敷いて、自ら政権を担うようなことになろうとは……。
おまけに、これまではブレーキの役割を果たしていた信西を失い、その暴走に拍車をかけかねない信頼が、側近として大きな顔をしているようでは、とてもまともな政治が行えるはずがない。
太政大臣以下の閣僚の重鎮達は、大いなる危機感を持って、これを打開する動きに出ます。
二条天皇を中心とする天皇親政の実現――彼らにとって、これが最後の切り札でした。
長い歴史を紐解いても、朝廷の最高権威は天皇の許にあるのが普通であって、院政など、ここ数十年の間に行われるようになった、例外的な政治形態です。
それを元に戻すことに何の問題があろうかと、かなり強気の姿勢を打ち出した長老達でしたが、上皇一派と一戦交えようにも、如何せん、こちらには武力がありません。
先の信西打倒の褒美に、四位の位と、播磨守という上国の国司の座を得た源義朝が、信頼から離れるはずがなく、源氏を敵に回して戦うとなれば、これはもう、平家を味方に引き入れるよりほか、道はありませんでした。
では、誘いを受けた清盛はどうしたのか?
このままの情勢であっても、信頼との縁戚関係を友好的に維持してゆけば、それなりにおいしい思いができるわけですから、無理に上皇を敵に回してまで、危ない橋を渡ることもない、との考えもあったでしょう。
ただ、一つ気になる点――それは、義朝の昇進でした。
これまで、絶対的優位を保っていた相手が、一気に自分と肩を並べようとしている――。
武士には武士の意地が……、ここに付け入る隙がありました。
清盛から「諾」との返答を取り付けたことで、ついに長老達は腹を決めます。
それは、これまで沈黙を通して来た公卿達の、密やかなる逆襲の始まりを意味していました。
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