官 職 〜その1 概略〜 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
古文を読む時に、どうしても避けて通ることのできない官職名。
なぜって……、昔の人って、文章を書く時に、ほとんど実名は使いませんから。左府が……とか、中将が……とか。これって、社長が……、専務が……、なんて言うのと同じノリなわけですが、こんなのはまだ序の口です。 では、ここで質問! 次の文字はいったい何を表しているでしょう? 「博陸」「亜相」「武衛」「羽林」 これがわかる方は、かなりの通ですね。 『平家物語』ではあまり馴染みのないものですが、同時代の公卿日記『玉葉』や歴史書『吾妻鏡』などを紐解くと、よくお目にかかる文字です。 それぞれの読みは、 博陸=はくりく 亜相=あしょう 武衛=ぶえい 羽林=うりん となります。 これは、唐名(「とうめい」とか「からな」と読む)といって、日本の官職名を中国の官称に当てはめて言ったもので、故事に由来するものが多いようです。 平安時代の文学は、大よそ貴族社会を描いたものが大半です。『源氏物語』しかり『枕草子』しかり。そして、そこに描かれる人物は、大抵は、その人の官職の名前で表されています。 もちろん、官職のことを知らなくても、それなりに楽しめますが、知っていれば、また違う一面が見えて来るということもあります。 八省百官と言われる全ての官職については、さすがに無理ですが、ほんのさわりだけご紹介しようと思います。 なお、先ほどの質問の答えも、おいおい出てきますので、もうしばらく、お付き合い下さいませ。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
官職ってそもそも何? | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
遠く飛鳥時代には、大臣(おおおみ)や大連(おおむらじ)といった呼称が使われていましたが、その後、大化の改新・壬申の乱といった政治の混乱期を経て、奈良時代に入り「大宝律令」なるものが制定されました。
ここに、今日、私達が官職と認識しているものの外郭が、世に示されることになったわけです。 しかし、その後も、新しい官を増やしたり、不用となり廃止になる官、あるいは、いくつかの官を統合したり(文部省+科学技術庁=文部科学省といった具合に)と、時代の変遷に従い、何度も修正が加えられ、平安時代に入って発布された「延喜式」でほぼ完成を見ることになります。 「延喜式」とは、延喜5年(905)から編纂に取り掛かったので、そう呼ばれるのですが、完成したのが延長5年(927)といいますから、何と22年もかかっているんですね。さらに、それが施行されたのは康保4年(967)。半世紀も経って、新しい法律だと言われても、何だか真実味がないような……。 とは言え、この「延喜式」はいわゆる決定版だったようで、官職については、それ以降、せいぜい定員の増減ぐらいで、後はさほど大きな改革もなかったようです。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
役所は何でも「カミ」「スケ」「ジョウ」「サカン」 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
朝廷には多くの省庁が置かれていましたが、いずれも四部官(四等官)と言って、長官(カミ)・次官(スケ)・判官(ジョウ)・主典(サカン)の四つの職掌に分けられました。
役所によって、当てられる文字に差異はあるものの、いずれも「カミ」「スケ」「ジョウ」「サカン」と言います。なお、判官・主典は、おおむね、大少に分けられます。 以下は官職名の一例です。
『源氏物語』で、紫の上の実父が兵部卿宮と言いますが、これは、兵部省の長官を勤める親王を意味します。他にも、源氏の中将、柏木衛門督など、耳慣れたものもあるのではないでしょうか。 | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
(2003.7.1 up) | |||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||||
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