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龍王の住む宮 (参) |
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翌朝、清盛から遣わされた小舟で、玄武は竜を伴い厳島の社を訪れた。
海から眺めるよりも壮大且つ華麗な社殿の構えに、竜は唯々、目を見張るばかりだったが、片や玄武の方も、世に名立たる天下人との対面を前に緊張の色を隠すことはできなかった。
丁重な出迎えを受け社に足を踏み入れると、玄武はひとまず竜を控えの間に残して、清盛への拝謁(はいえつ)に臨むべく広間へと向かった。
そして、一人残された竜はおとなしくその場に控えていたのだが、次第に妙な居心地の悪さを感じるようになり、思わず辺りを見回した。
誰かに見られているような……、そんな我が身を突き刺す強い視線――。けれど、振り返って見ても何の姿も認められない。不審に思いつつ居住まいを正してみるものの、やはり誰かが自分を見ているような気がして、どうにも落ち着かないのだった。
「姫様!」
ふいに、どこからともなく甲高い女童(めのわらわ)の声が聞こえて来た。
「このような所においでになられては私が叱られます!」
その声はどうも控えの間のすぐ裏手でしているようだった。
「しっ! 大きな声を出さないで!」
今度は別の童の声が聞こえて来た。先の童が『姫』と呼んだところからすると、どうやら平家の姫君らしい。
「おまえのせいで、ここにいることがわかってしまったじゃない……」
そう言って、大きな丸柱の影から一人の少女が姿を現した。先ほどから竜が感じていた視線の主(ぬし)に違いない。
美しいというにはまだ幼さの残る、しかし、人の目を引かずにはいられない、実に愛らしい少女である。
「おまえが重衡を助けた龍ね」
明るい笑みを向けて、竜に話し掛ける少女に、
「姫様、このような者にお声をかけてはなりませぬ!」
と、後ろに控える童は必死の形相でこれを制した。
「大丈夫よ、相生(あいおい)。ここには私達三人しかいないわ……」
相生なる童女の心配をよそに、少女は好奇心いっぱいに竜の顔をのぞき込んでいた。そして、竜もまた何か強い力に引き寄せられるように、そのつぶらな瞳から目をそらすことができなかった。
「おまえ……、名前は?」
少女の問い掛けに竜は少し考える素振りを見せた。それを見て少女は軽く小首をかしげる。
「リュウ……」
竜は頼りなげに小さくつぶやいた。と、その途端、少女は目を丸くした。
「……リュウ? 本当にリュウと言うの?」
不思議そうに尋ね返す少女に、竜は無言でうなずいた。すると少女は突然袖で口を覆いクスクスと笑い出した。
「……姫様?」
傍らの相生も怪訝そうに幼い主人を仰ぎ見る。
いったい何がそんなにおかしいのか……。ただ、物問いたげな瞳を向けるばかりの竜に、少女もようやくそうと気づいたのか、懸命に笑いをこらえようとした。
「ごめんなさい……。だって、おかしいんですもの……」
「……」
「昨日、重衡が溺れておまえに助けられた時、『龍の背に乗って、大空を舞っているようだった』と言っていたのよ。そのおまえの名前がリュウだなんて……」
そう言って、また少女は小さく笑った。しかし、未だ言葉を解すことのできない竜には、この少女の言っている意味など理解できようはずもなく、なおも首をかしげる他なかった。
「姫様!」
相生は一刻も早くこの場を離れたいと、再び急(せ)かし出した。
「……わかったわ」
とうとう観念したのか、少女もようやく踵(きびす)を返した。しかし、2〜3歩踏み出しただけでまたすぐに戻って来て、もう一度竜の目の前に立った。
「私は茜……、ア・カ・ネ……、わかる?」
鈴を転がしたような軽やかな声音が、竜の耳に何とも心地よく響く。
「ア・カ……ネ?」
竜は小さく尋ね返した。
「そう、茜よ。竜、また会いましょう……」
愛くるしい微笑を投げ掛けて少女は小走りに去り、それを見て相生も慌てて後を追った。
息もつかせぬほどに瞬く間に通り過ぎた、まるで春の嵐のような出会い――。
その甘やかな残り香は痺(しび)れるような気だるさをもたらし、夢うつつの世界へと誘(いざな)わんとする。
そして、竜はそこから逃れるすべもないまま、暗示にかけられたように、いつまでも『アカネ』という名を繰り返しつぶやいていた。
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「玄武にござります」
深々と額ずくや、玄武は落ち着いた低い声で、己の名を告げた。
一段高くなった場所に清盛が座し、じっと見下ろしている。その傍らには、清盛の嫡男重盛(しげもり)と義弟の時忠(ときただ)が控えていた。
「苦しゅうない。面(おもて)を上げるがよい……」
玄武はゆっくりと上体を起こし、清盛の顔を見上げた。
「よう参った。昨日は大儀であった。わが子重衡を助けてくれたこと、この相国、心より礼を申す」
清盛は何のてらいもなく頭を下げた。
「滅相(めっそう)もございませぬ!」
慌てて玄武も頭(こうべ)を垂れる。
「いや、その方がおらねば、今頃わしは我が子を亡くした悲しみに打ちひしがれておったであろう……」
なおも清盛は神妙な面持ちだった。
「恐れながら……、若君を真(まこと)お救い致したのは我が手の者にございます。某(それがし)は何程のことも致してはおりませぬ」
玄武の話に清盛も大きくうなずいた。
「その話は聞いておる。溺れた重衡を泳いで岸まで連れ帰ったとか……。そうじゃ、あの田分けめが『龍の背に乗っておるようであった』などと申しておった……。親の心も知らず……、全く、暢気なやつじゃ……」
清盛は呆れ返った様子で言い捨てた。
「父上……」
横に控えていた重盛がふいに口を挟んだ。
「この厳島は沙竭羅龍王(しゃがらりゅうおう)の姫宮のおわす宮――。あるいは、真に龍王のお力で助かったのやもしれませぬぞ」
真顔の重盛に清盛は一笑にふしたものの、最後には、
「そうかもしれぬな……」とうなずいて見せた。
「若君にはその後、お変わりございませぬか?」
再び玄武が口を開くと、すぐに清盛も視線を戻した。
「何事もなかったようにケロリとしておる。もっとも、昨日はあの後、時子にこっぴどく小言を食うていささか萎(しお)れておったがのう……」
そう言って苦笑を浮かべる様などは、天下の平相国であることを忘れさせるほどに、人間味あふれる風情を醸(かも)し出していた。
「ところで玄武。そなた、相国殿に何やら献上したき品を持参致しておるとか……」
唐突に時忠が話の腰を折った。
この時忠は正室時子の弟で、清盛にとっても共に今の平家の繁栄を築き上げた片腕とも頼む人物である。しかし、芒洋(ぼうよう)とした面差しの義兄に対して、年が一回り若い時忠はその眼差しも刃のように鋭くまるで隙がない。
「はい、仰せの通りにございます」
玄武は携えてきた木箱を控えていた侍に手渡した。侍はそれを捧げ持ちまず時忠の前に据える。
時忠はいかにも勿体(もったい)をつけた様子で箱に結わえられた紐を解くと、絹に包まれた小さな壷を露にした。
「これは……」
驚きとも、感歎ともつかぬ声に清盛の気も逸(はや)る。程なく目の前に差し出されるや、夢中になって眺め回して……、それは珍しい玩具を前にした子供のような無邪気さであった。
「美しい……。この艶(つや)がまたよい……。真にこのような壷は初めてじゃ……」
清盛は満足げに壷を撫でつける。
「お気に召していただけましたでしょうか?」
その目の輝きを見て取り、すかさず玄武は尋ね返した。
「もちろんじゃ……」
清盛は上機嫌でさらに続けた。
「その方の噂は聞いておる……。宋の珍しき品々の目利きにかけては右に出る者はおらぬとな……」
「恐れ多うございます……」
「確か……、以前、一度会うたことがあったな。京の左中将の館で……」
現内大臣藤原忠雅(ただまさ)の息、左近衛中将藤原兼雅(かねまさ)は清盛には娘婿にあたる。
2年ほど前に商いで訪れた折に偶然居合わせたのだが、よもやそれを今も覚えていようとは、玄武自身は夢にも思わぬことだった。
「お心にお留め置きいただき、光栄の極みにございます」
「いや、あの折、中将よりそなたのことをあれこれ聞かされ、すぐさま六波羅に呼ぼうと致したのだが、あいにくと筑紫へ下った後でそれも叶わなんだ……。以来、とんと忘れておったのだが……。やはり縁があったと見える……」
清盛は声高く笑った。が、玄武の方は益々畏(かしこ)まるばかりだった。
「他にも珍しき物はあるのか?」
再び時忠がつぶやいた。その狡猾(こうかつ)そうな笑みには、さすがに玄武も困惑を見せた。
「時忠、ここは神の住まう宮ぞ……。そういう話は京に戻ってからに致せ……」
「はあ……」
義兄の一喝に、時忠はばつが悪そうに言葉を飲み込んだ。
「玄武よ。京に戻ったら、いつでも六波羅を訪ねて参れ。宋との交易のことなど聞きたいことも山ほどあるのでな……」
微笑をたたえながらも、天下人の威厳を漲(みなぎ)らせる清盛に、改めて畏敬の念を抱きつつ、玄武は無言で深く額ずいた。
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( 2003 / 07 / 07 ) |
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