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京に集う者の横顔 (壱) |
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「おい、竜! 伝六と一緒に、六波羅に行って来てくれ!」
荷車に載せられた品々を確認しながら、弥太が大声で呼ぶと、奥から竜が勢いよく飛び出して来た。
「いつもの通り、こいつを家司(けいし)殿にお渡しするんだぞ」
と言って、弥太は一通の書状を差し出した。
「わかってるよ」
笑ってそう答え、竜は大事そうに書状を懐へしまい込むと、伝六と2人して、出かけて行った。
竜が玄武と出会って、既に4度目の夏がめぐって来ていた。
1年の半分を京の七条にある宿で、残りの半分を筑紫で過ごす日々を送っていたが、この間に、竜は随分と言葉を覚え、話もできるようになっていた。その甲斐あってか、近頃は、弥太もいろいろと仕事を任せるようになっていた。
「……竜は?」
寿老が眠そうな目をこすりながら、酒を手に奥から姿を現した。
「六波羅だ」
弥太が答えるや、寿老は急に顔をしかめた。
「……よいのか? 日が落ちるまで戻って来んぞ……」
寿老はぶつぶつ言いながら、酒を口に含む。
「今日は他に何もないからな……。だから、行かせたんだ」
事もなげに答える弥太に、寿老は力ないため息をついた。
「何じゃ、つまらんのう……」
瓶子を逆さまにして、中をのぞき込む寿老を見て、弥太はせせら笑う。
「あいにくだったな……。いくら暇だからって、じいさんの相手ばかり、させてられねぇんだよ」
寿老はむくれ顔で、その場に腰を下ろした。
「しかし、よくもまあ、あんなくだらねえ昔話を、ひねもす飽きもせずやってられるよな。それをまた、文句も言わず、おとなしく聞いている竜も竜だが……」
弥太の当てこすりにも、もはや聞く耳を持たぬとでも言いたげに、寿老は空になった瓶子(へいじ)を、しばらく恨めしそうに眺めていたが、やがて、それを枕にして横になった。 |
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六波羅――。鴨川の東岸、六条辺りに広がるこの地は、洛外にありながら、今や、京の中心ともいうべき要所となっていた。
葬送の地――鳥辺野(とりべの)――にもほど近い、うら淋しいばかりの土地に、清盛の祖父 正盛(まさもり)が、初めて館を構えた頃には、想像だにできなかった情景であろう。
3年という月日が流れる間に、平家一門も世の中も、未曾有(みぞう)の変化を遂げていた。その先触れとなったのが、清盛の突然の太政大臣辞任であった。
そもそも、この太政大臣という職は、いわゆる常設の左右の大臣とは異なり、適任者がいなければ空位とされるなど、いうなれば、名誉職の意味合いが強い。
朝政の実権は、もっぱら左右大臣の許に帰属し、しかしながら、大臣という堅苦しい肩書きだけは、何かにつけて付きまとう――。
元来、血気盛んな武門の出である清盛にとって、そうした煩(わずら)わしさは、どうも性に合わなかったのか……、形ばかりの栄誉の座に、見切りをつけるのも早かった。
とはいえ、名目上は一線から退いたように見えて、嫡男 重盛は既に権大納言に上り、義弟の時忠も参議に名を連ねているからには、自ずと、清盛の意向は色濃く反映され、朝政に与える影響も決して少なくはなかった。
現に、清盛が急な病を得て、重症の床に臥した折にも、『平相国、危篤!』の報には、日頃は快く思っていなかったはずの公卿の間からも、万一の場合の、国政の行く末を危ぶむ声がささやかれた。
ところが、こうした生命の危機的状況にあっても、清盛の政治家としての、その卓越した感性は、失われるものではなかった。
『いよいよ、危うし!』との噂を聞きつけ、病床に駆けつけた後白河上皇に、遺言とばかりに、当時まだ8歳だった春宮 憲仁親王(のりひと・しんのう)の践祚(せんそ)を願い出たのである。
上皇にとっても、かねてより懸案の愛し児(めぐしご)の即位となれば、異論のあろうはずはなく、それは、時経ずして実現の運びとなった。
待望の平氏の流れをくむ帝の即位――。
時期尚早とも思われたこの難題を、清盛は、自身の生死をも駆け引きの道具にした荒業で、見事成し遂げたのである。もっとも、憲仁親王は妻時子の妹の子であり、清盛自身とは何ら血脈はなかったのだが……。
しかし、平家にとって、またとない好機が訪れたことに変わりはなく、何より、新帝即位の吉報に勇気づけられてか、あれほど病苦にのた打ち回ったはずの清盛が、見る見る好転し、死地を脱したのである。
病を境に出家して、名を浄海(じょうかい)と改めて後も、未だ幼少の帝を擁して、摂政の位は摂関家にあらざる出自に、望むべくもないものの、外戚としての有効な追い風を背に、廟堂(びょうどう)において絶大なる力を振るったことは言うまでもない。
一門の叙位任官は引きもきらず、昨今の向かうところ敵なしといった様相には、さしもの摂関家ですら、影の薄い存在となりつつあった。
そんな平家隆盛の世にあって、この六波羅も発展の一途をたどり、今や、その広大な敷地に、一門の邸宅がひしめき合っていた。
清盛の弟 教盛(のりもり)の門脇殿(かどわきどの)、頼盛の池殿(いけどの)、そして、嫡男 重盛の小松殿(こまつどの)――。
その中でも、ひときわ大きな館――泉殿(いずみどの)――が、清盛とその家族の住まいとなっていた。
竜と伝六は、その泉殿に荷車を運び込むと、弥太の言い付け通り、預かって来た書状を家司に手渡した。
「竜!」
待ち構えていたかのように、重衡が現れ、竜を奥庭へと引っ張って行く。
清盛の五男 重衡も、既に齢15歳を数え、厳島で初めて会った頃には、竜の肩にも及ばなかった背丈もぐんぐん伸び、今ではその目線も、さほど変らないほどである。
まだ顔つきの方には、幾分幼さが残っているものの、母方の血を受け継いだと見えて、その涼やかな目許には、怜悧(れいり)な気質があふれていた。
「待っていたのよ。中々来ないのですもの……」
奥庭では、重衡のすぐ上の姉の茜姫が、侍女の相生(あいおい)と共に、待ち受けていた。
あの厳島での可憐なばかりの少女も、早16歳となり、まぶしいほどの艶やかな光を放っていた。
「今度は、瀬戸内の海賊の話をしてくれるって、言っていたでしょう?」
茜は目を輝かせて、竜にせがんだ。
厳島での一件からこの方、玄武は六波羅への出入りを許され、自然と竜もよくここを訪れるようになっていた。そして、重衡と茜は、仕事を終えた竜を捕まえては、こうした語らいの時を楽しんでいたのである。
重衡は、実兄の宗盛や知盛に対して、兄弟であっても、年が離れているせいか、どこかしら近寄り難いものを感じており、一つ年上の茜とは気は合うのだが、姉と弟という関係も、それはそれで微妙なものがあり、何でも気安く話せるものでもなかった。
そんな重衡にとって、命の恩人ともいうべき竜は、庶民でありながらも、なぜか、心を許すことができ、時に、兄のようにも思える、頼もしい存在だった。それは、竜にとってもまた同様で、自分に心からの好意を寄せる重衡のためなら、どんなことでもしてやりたいと思われて、今や、この二人の間には、身分を越えた強い信頼の絆が生まれていた。
竜は、まだどこか、たどたどしい言葉ながら、己が目にしたこと、耳にしたことをつぶさに語って聞かせ、その数々の不思議の話に、重衡と茜は、まだ見ぬ西海の地を、頭に思い描いては、我が事のように驚き、歓声を上げたりと、全くもって退屈するということを知らない。
こうして、楽しい時間は瞬く間に過ぎ、寿老の案じていた通り、竜の帰りは、夜になるのが常のことだった。
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( 2003 / 07 / 18 ) |
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