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「やっと帰って来たな……」
竜と伝六が宿に戻ると、一人の男が待ち受けていた。
「何だ、吉次か……」
伝六がうんざり顔で言い捨てる。
「いったい、どこをほっつき歩いていたんだ? こんな時間まで人を待たせやがって……」
言いながら、吉次と呼ばれた男は、一つ大きな欠伸(あくび)をした。
「どうせ戻るのは、夜だって言ったでしょうが……」
それ見たことか……と、言いたげの弥太を尻目に、吉次は伸びをして立ち上がった。
「待ちくたびれて、眠っちまうところだったぞ……」
金売り吉次――、そう言えば、この当世、京で知らぬ者はいない。
東の果て、陸奥(みちのく)は奥州(おうしゅう)平泉(ひらいずみ)から、毎年、砂金を運んで来る。玄武が西海を制する商人とすれば、この吉次は、東国を制する商人ともいえよう。
玄武とは旧知の仲とかで、京にいる間は、この七条の宿にも、足繁く出入りしていた。
「まあ、二人とも元気そうで何よりだ」
吉次は竜の目の前に立つと、ニヤリと笑いかけた。年の頃は、玄武とさして変わりあるまい。
玄武と同様、巷(ちまた)の民と比すれば結構大柄な男で、竜と並んでも、さほどひけをとらない偉丈夫である。
が、一見豪放な質(たち)に見えて、人当たりの良さと抜け目なさが同居する相好(そうごう)は、京と奥州の間に立って、常に大きな商いを手掛ける、その辣腕(らつわん)ぶりをも髣髴(ほうふつ)させた。
「いつ京に?」
「夕べ遅くにな」
およそ一年ぶりの再会を、竜は素直に喜んだ。というのも、吉次は、京に出てすぐの頃の、まだ言葉を満足に操ることのできなかった竜にも、好意を持って接してくれた、数少ない人間の一人であった。
東国の様々な民と交わりのある吉次にしてみれば、大した驚きでもなかったのだろう。むしろ興味津々といった様子で、人前に出ることを嫌がる竜を、無理やり引っ張り出しては、あちらこちらへと連れ回したこともある。
それも盛り場や色里といった、怪しげな、竜には、いっそう気の引ける場所ばかりで、つまらない騒動に巻き込まれることも二度や三度ではなかったが、そうした苦労も、今になって思い返すと、人と打ち解けるすべを身に着けるのには大いに助けとなっていた。
「此度(こたび)は砂金を千両に、絹を三千疋、駒も十頭はくだらねえ」
いつものことながら、得意満面の吉次の話を、竜は楽しげに聞いていたが、傍らの伝六は、何か考えをめぐらすように、じっと黙り込んでいた。
「……どうした? 伝六」
いつもと違う伝六の様子には、竜もすぐに気がついていた。
「吉次……、何か企んでるだろう?」
そう言って、伝六はじろりと吉次をにらみつける。
伝六は重衡と同い歳ながら、相変わらず小柄で面立ちも幼いのだが、その外見に反して、大人達の腹の内を探る機微(きび)には、存外、長けた所がある。
「……企むって?」
竜は首をかしげて、伝六から視線を移すと、吉次は観念したように、頭を掻(か)いた。
「相変わらず、察しのいいやつだな……」
苦笑いを浮かべる吉次にも、伝六はなおも表情を崩さない。
「実は……、ちょいと頼みがあってな……」
「頼みって……、俺達に?」
竜に問われて、吉次は神妙にうなずいた。
「京に戻って来たのはよいのだが……、例によって、人足どもは揃いも揃って、どこの遊里に消えちまったのか……、とにかく姿が見えねえんだ。まあ、飲み代が切れりゃ、じきに戻ってくるだろうが……。で、それまでの少しの間、おまえらに手伝ってもらいたいと思ってな」
吉次は、ばつが悪そうに切り出した。
「どうせ、そんなことだろうと思ったよ……」
伝六はそう言い放つや、どっかと腰を下ろした。
「砂金は重いから、大変なんだよな……」
「手間賃ははずむ。何だったら、いつもの倍出してもいい……」
吉次は、伝六の前で手を合わせた。
「そんなこと言って……、いつも人足に逃げられてるのは、どこの誰だよ!」
伝六はそっぽを向いて、取り付く島も無い。ならばと、吉次は竜の方に向き直ると、ひどく大仰な体(てい)で、袖にひしと取り縋った。
「竜、この通りだ。頼む!」
もはや、恥も外聞もない……とばかりに、何度も頭を下げる吉次には、竜もいささかたじろいだ。
「俺とおまえの仲じゃないか。なあ、竜……」
吉次は、もうほとんど、泣き落としにかかっていた。
「竜、吉次の言うことなんて、あてにならねえぞ」
伝六は腕組みしたまま、またもにらみつけてくる。答えに窮した竜は、苦し紛れに天を仰いだ。
「おい、弥太、何とか言ってくれよ……」
このままでは埒(らち)が明かないとばかりに、吉次は弥太に加勢を求めた。
「俺の知ったことじゃねえよ。人足に逃げられる吉次が悪いんだろうが……」
弥太にも一蹴され、どうやら吉次も進退が極まったらしい。
「冷たい奴ばっかりだな……」
がっくりとうなだれた吉次の、あまりのしょぼくれ様を見て、竜もとうとう思い切った。
「わかったよ……」
その一言で、吉次の顔は、瞬く間に明るくなっていた。
「やっぱり、おまえって、いい奴だよな……。恩に着るぞ」
そう言って、竜の節くれ立った手を取ると、思いっきり握りしめた。
「全く、甘いんだからな。竜は……」
弥太は苦笑しつつ、ふて腐れている伝六に目を向けた。
「しょうがねえな……。竜一人にやらせるわけにはいかねえ。俺も手伝ってやるよ」
やにわに立ち上がった伝六は、もったいぶった様子で、吉次に言った。ところが、
「おまえはもういい」
手のひらを返したように、吉次はあっさりとこれを断った。
「何言ってるんだよ……。遠慮するなって……。手伝ってやるから……」
伝六は、尚も恩着せがましく、吉次の肩を二度三度と叩く。
「手間賃はいつも通りだぞ」
竜の手を離し、向き直った吉次は、にべもなくそう告げた。
「ちょっと待てよ! さっき、倍出すって言ったじゃねえか!」
伝六は血相を変えた。それを見て吉次は、ニヤリと笑みを浮かべる。
「そりゃあ、あの時すぐに『うん』と言ってればな……」
「……」
「人の足下を見やがって……。焦(じ)らせ過ぎだ。商いは潮時を計って、時機を逃さずだ。覚えておけ!」
吉次はしてやったりと、得意げに伝六を見下ろした。
「ケチ!」
「何とでも言え! これが商いの常道だ」
身勝手な持論を説く吉次に、伝六はついに癇癪(かんしゃく)を起こした。
「そんなことだから、人足に逃げられるんだよ!」
「何だと!」
こうなると、二人とも互いに揚げ足を取り合うばかりで、とても収拾がつかない。もはや子供の喧嘩である。
「これが本当に、東国を牛耳ってるお頭なのかね……」
弥太はすっかり呆れ返っていた。そして、竜も二人の遣り取りを、ただ笑って見ているだけだった。
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