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修 羅 の 門 (壱) |
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うだるような酷暑の時節も、いつしか過ぎ去り、ようやく、夏も終わりに近づいたある日のこと、玄武は、竜と伝六を伴い、北嵯峨のさらに奥の山間(やまあい)にある、高雄神護寺(たかお・じんごじ)を訪れた。
かつては、かの弘法大師も庵を結んだという、由緒ある寺であったらしいが、度重なる災禍(さいか)によって、堂舎の多くは失われ、もはや、その面影を偲(しの)ぶことすら難しい。
門も破れ、草木が鬱蒼(うっそう)と生い茂り、いったいどこからが内で外なのか……、それすらも判然とはしない有り様は、およそ、人の営みとは無縁のようなたたずまいであった。
「やけに気味の悪い所だな……」
今にも崩れそうな古ぼけた庵を見て、伝六は小さくつぶやいた。
「おまえ達はここで待っていろ……」
そう言って、一人、庵の中へ入って行った玄武を横目に、伝六はそわそわと、背負って来た荷を下ろし出した。
「何か出てきそうじゃないか?」
どうも、おっかなびっくり……といった様子の伝六を、竜は軽く笑って受け流し、おもむろに辺りを見回した。
近くを流れる清滝川(きよたきがわ)のせせらぎが、かすかに聞こえてくる。木々を渡る風は、わずかながら冷気を含み、未だ、残暑にあえぐ京中とは違い、この洛北の地は、既に秋の趣へと彩られ始めていた。
ふいに、竜の足許に、何かがポトリと落ちた。
2度3度と、か細い摩擦音を立てて、じきに動かなくなったそれは、わずか数日といわれる短い命を燃やし尽くした蝉の成れの果て――。
しばらく、その様をじっと眺めていた竜は、やがて、背後の妙な気配を察して、咄嗟(とっさ)に身構えた。
何か、鋭い切っ先でも突きつけられたかのような戦慄(せんりつ)――そのただならぬ感覚に、竜は言い様のない恐怖を覚え、束の間、呼吸することも忘れた。
「ここで、何をいたしておる……」
恐る恐る振り返ると、そこには、一人の僧とおぼしき男の姿があった。
みすぼらしい身なりで、ひどくやせこけてはいるものの、その目は強い光を放ち、何者をも寄せつけない、峻厳(しゅんげん)なる気に満ちあふれている。伝六などは、あまりの異様さに怖気(おじけ)づいて、慌てて竜の背後に回り込んだほどだった。
「誰の許しを得て、こんな所まで入って来た」
抑揚のない、静かな響きには、しかし、威圧するような重々しさがあった。
「玄武の頭のお供で参りました」
そう答えて、じっと見返す竜に、
「……玄武?」
僧は怪訝そうに、首をかしげる。
「盛遠(もりとお)!」
庵から出て来た玄武の声につられて、僧の鋭い視線もようやく竜の許を離れた。
「忠高……、おぬしか?」
一瞬、目を剥(む)いた僧に、玄武はうなずきつつ、ゆっくりと歩み寄った。
「いったい、何用だ?」
なおも、厳しさの消えない僧の眼差しにも、玄武は余裕の笑みを返す。
「風の便りに、おまえがここにいると聞いてな……」
玄武の、遠慮会釈もない言い草に、僧も、心持ち表情を緩ませた。
「見た通りの粗末な庵だ。何のもてなしもできんぞ……」
素っ気な無く言い捨てて、一人庵へと入って行った僧に、玄武も竜と伝六を促し、その後に続いた。
ところで、この僧 文覚(もんがく)は、元の名を遠藤盛遠といい、かつては、『北面』と呼ばれる院の庁を守る侍だった。
それが、いかなる仔細あってか……、突然の出奔(しゅっぽん)の果てに、その身を墨染めの衣にやつし、諸国遍歴の旅僧となったのは、既に十年余りも前のことである。
以来、数々の荒行難行に挑み、『刃の験者(やいばのけんじゃ)』との異名をとるほどの修験僧となって、京に舞い戻って来たのだが、昨今は、ここ高雄神護寺の荒廃ぶりを憂い、自らの手で再建するべく、この地に腰を据えていた。
薄暗い庵の中に、担いで来た荷を下ろした竜と伝六は、すぐさま、追い立てられるようにして外へ出た。
「大したやつだな……」
庵の外の、朽ちかけた濡れ縁に、用心しながら腰掛けた伝六は、呆れたようにつぶやいた。
「……何が?」
「おまえのことだよ……」
「……」
「あんな薄気味悪いやつと、堂々と渡り合うんだもんな……」
伝六の大げさな言い様に、竜はまた首をかしげた。
「見ていて怖かったぜ……。おまえら二人の間に、何て言うのか……、火花のようなものが散っていたからな……」
それを聞くや、竜も急に神妙な面持ちになった。
伝六に言われるまでもなく、文覚の鋭い眼光は、当の竜が誰よりも感じていた。正直な所、その目に射すくめられ、身動きもとれなくなるほどだった。
そして、張り詰めた緊張の走ったあの刹那(せつな)――、己の心の奥底まで見透かされたような……、そんな得体の知れない不安をも感じていた。
「それにしても、高雄の天狗と呼ばれるだけあるよな。妖しい術を使うっていうのも、案外、本当なのかもな」
「妖しい……術?」
問い返す竜に、伝六は大きくうなずいた。
「何でも、空を飛んでる鳥を、経文を唱えるだけで、足元に追い落としたって話だ」
竜は真顔でそれを聞いている。が、次の瞬間、伝六は、声を上げて笑い出した。
「全く、竜は何でも、すぐ本気にしちまうからな……」
「……」
「ただの噂さ。そんなものは、どうせ出まかせに決まってるだろう? 祈るだけで鳥がバタバタと落ちるなんてのが想像できるか? 絶対にありえねえよ」
腹を抱えて笑い転げる伝六に竜は少しムッとしながらも、ふと妙な脱力感に襲われて、何も言い返すことはできなかった。
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「お互い、よくぞ今日まで、生き延びてきたものだ……」
しばしの沈黙を破り、先に口火を切ったのは玄武だった。
「おぬしの噂は、いろいろと耳にしておる……。飛ぶ鳥落とす勢いの平家一門を相手に、結構な羽振りだそうではないか……」
皮肉めいた文覚の口ぶりにも、玄武は不快な顔も見せず、ただ苦笑をにじませた。
「軽蔑するか?」
「……」
「おまえの最も嫌うことであろう?」
そう言って、玄武は文覚の顔をのぞき込む。
「他人の生き方に、わしが、何かを言えた義理でもない……。強き者に靡(なび)くは、世の人の道理――。それで富を手にすることができて、結構なことではないか……」
文覚の返答は、淡々としたものだった。
「人生というやつは、真に、摩訶不思議(まかふしぎ)なものだ……。侍を捨てた折には、かようなことになろうとは、想像だにしなかった……。ただ、野垂れ死ぬしかないと思っていたものを……」
自らの歩んだ道のりを振り返り、玄武は感慨深い思いに浸っていた。が、文覚の方は、そんな玄武の話も上の空で、じっと庵の外に目を向けていた。
「どこの国の者だ?」
問われて、玄武もその視線の先を追う。
「……竜のことか?」
文覚は微動だにせず、うなずきもしない。
「筑紫で、ひょんなことから拾ったのだが……、わからん。まあ、向こうではよくあることだ。取り立てて、知りたいとも思わんしな……」
依然として、文覚は瞬き一つせず、ただ一点を凝視し続けていた。
「竜が……、どうかしたか?」
怪訝に問い返す玄武にも、文覚の反応は思いのほか鈍い。
「いい目をしておる……。このわしをも、突き通すほどの……」
ようやく口を開いた文覚は、ゆっくりと玄武の方に向き直った。
「だが、気をつけろ。あの者は、おぬしに災いをもたらすやもしれぬ……」
「……災い?」
玄武は耳を疑った。
「強い気を感じる……。恐ろしいまでに、研ぎ澄まされた……」
「……」
「おそらく、当の本人も気づいてはおらぬのであろうが……。その力は、この世を極楽にも、地獄にも変える……」
「まさか……」
思いがけない話に、玄武は瞠目(どうもく)した。
「現に、おぬしを修羅の世界に引き込もうとしている……。そもそもが、平家との結びつきとて、あの者によって、もたらされたものではないのか?」
「それは……」
玄武は返す言葉に詰まった。
確かに、竜が重衡を助けたことで、六波羅への出入りを許されて……、それが、全ての始まりだった。
もし、あの一件がなければ、到底手にすることのできなかったであろう、平家御用商人の肩書き――それのもたらした富は、計り知れないものがある。
しかし、そのことが、なぜ、己を修羅の世界に引き込むことになるというのか……。玄武には、文覚の意図することがまるで理解できなかった。
「あの者を手中に収める者は、天下をも取り得る……」
「……天下だと?」
玄武はもう、唖然とするしかなかった。
「しかし、手放した者は、必ずや無惨に滅び去ろう……」
そう語る文覚は、あくまでも真顔だった。
「僧にあるまじき言動だな。天下を取るだの、滅びるだのと……」
強気の物言いとは裏腹に、その声に現れたかすかな震えが、玄武の狼狽(ろうばい)の程を示していた。
「わしは真のことを申したまで……。信じようと、信じまいと……、それはおぬしの勝手だ」
なおも、迷いの内にある玄武の眼(まなこ)を、文覚はじっと見据える。
ひとたび捕えられれば、とても逃れ難い視線の呪縛(じゅばく)――、そこから、玄武はやっとの思いで気を逸(そ)らした。
「忠告には感謝しておこう……」
と答えた玄武は、一見、平静を取り戻していた。
「また、折を見て、食料など届けさせる……」
「それはかたじけない……」
目の前にあるのは、つい先ほどまでとは、まるで別人のような涼しげな面――。
玄武は、何か鉛でも飲み込んだような、そんな重苦しい思いを胸に、やがて、高雄を後にした。
『その力は、この世を極楽にも、地獄にも変える……』
玄武は、文覚に告げられた言葉を反芻(はんすう)していた。
(竜のどこに、天下を迷わす力があるというのか……)
あまりに奇想天外な話ではないかと……。しかし、そう思う一方で、玄武の心の中に、何かしら、引っ掛かるものがあるのもまた事実だった。
文覚の言うように、竜が重衡を助けたのも、偶然などではなく、その不思議な力によるものだとしたら……。
それでも、その端正にすぎる面立ちには、いささか不似合いな無邪気さをのぞかせつつ、伝六とじゃれ合う様を見て、玄武は、心中を黒雲のように覆う不安を、必死に掻き消そうとした。
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( 2003 / 08 / 26 ) |
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