青龍の招く宿縁 (壱)
 
   
  「いったい、どこまで参るのだ?」
 行けども行けども、なお続く山道を、重衡は恨めしげに眺めた。
 
 この日、竜と重衡は、早朝、まだ日も昇らぬうちに六波羅を発って、高雄神護寺
(たかお・じんごじ)を目指していた。
 
 秋も深まり、玄武の命を受けて、文覚の許へ冬支度の品を届けることになった竜に、そのことを知った重衡が、どうしても付いて行くときかず、果ては、茜までも一緒に行くと言い出す始末であった。
 
 結局、茜の方は、徒歩
(かち)での山歩きなど、到底無理なことと、どうにか宥(なだ)めすかしたものの、重衡の同行までは、退けることはできなかったのである。
 
 その重衡が、久方ぶりの遠出に妙に気を良くして、無理に嵯峨野まで足をのばそうと提案したのが、そもそも間違いの元であった。おかげで、随分と回り道をすることになり、清滝川に沿って延々と続く山道に、重衡は荷を背負うわけでもなく身軽でありながら、すっかり息が上がってしまっていた。
 
「少し休むか?」
 振り向いた竜は、額に汗を浮かべるでなく、涼しげな顔をしていた。
 
「何の、これしきのこと。休むには及ばぬ!」
 強がってそう答えてはみたものの、思うように足が前に進まない。そんな重衡の様子を見て、竜もつと笑みをもらした。
 
「俺も疲れた
……。ひと休みしよう……
 そう言って、足場のよさそうな場所を選んで、背中の大きな荷を降ろした。
 
 清滝川の名に違わぬ清らかな流れ
……、その川面に映る木漏れ日が目にまぶしい。耳を澄ましても、聞こえるのは川のせせらぎと、鳥のさえずりばかり……と、そんな静謐(せいひつ)な世界が広がっていた。
 
「すまぬ。足手まといになってしまったな
……
 重衡は急にしおらしい顔になったが、竜はそれには目もくれず、しばらく辺りを見回していた。そして、滾々
(こんこん)と湧き出ている清水(しみず)を見つけると、両手で掬(すく)って口に含んだ。
 
「重衡もどうだ? 少しは楽になる
……
 竜の向けるいつもの笑顔に、いささか心もほぐれた重衡は、同様に自らも手を伸ばし、水を掬ってみた。冷え冷えとした感触に、身体の火照
(ほて)りも、たちまち癒(いや)されるようだった。
 
「冷たくて
……、いい気持ちだ……
 そうつぶやいて、ゆっくりと口に運んだ。枯れた大地を潤すのにも似て、甘露が身体の隅々にまで染み渡る。
「こんなにうまい水は、生まれて初めてだ
……
 たった一口の水が、これほどまでに人に活力を与えるものか
……と、重衡も目を見張る思いだった。
 
「同じ京の内とは思えぬな
……
 一息ついて、辺りに目を向けるだけの余裕もできたのか、重衡は眼前に広がる絶景を認めて、思わず感嘆の声を上げた。
 
「美しいな
……
 古くから数多くの歌に詠まれた小倉山
――その鮮やかな緋色に染め上げられた山容は、まさに、絢爛(けんらん)たる錦の絵巻物を紐解いたような華麗さである。
 
「姉上が御覧になったら、さぞや喜ばれるだろうに
……
 重衡は、泣く泣く諦めた茜のことを思い返していた。女であるために、自由に館を出ることもできない姉が、ことさら哀れに思えてくる。
 
(やはり、どうにかしてお連れすれば良かったか
……
 
 無謀なこととはわかっていても、一抹、そんな後悔も沸き起こる。それは、重衡自身もまた、そうした枷
(かせ)の囚人(めしうど)となる日が近いことを、薄々察していたからに他ならなかった。
 
「おまえがうらやましい
……
 どこか虚ろな声に、竜は怪訝
(けげん)に見返した。
 
「おまえは、いつだって自由だ。好きな時に、好きな所へ行ける。この高雄にも、そして筑紫にも
……。それに引き換え……、重衡はどこへも行けぬ。京の六波羅という、籠(かご)の中に閉じ込められているのだ」
 そう言って、天を仰いだ重衡の目には、悠然と大空を舞う鷹の姿が映っていた。
 
(その行く手を阻むものもない天空にあって、おまえはいったいどこへ行くのか
……
 
 羨望
(せんぼう)の眼差しで、空を見上げる重衡の横顔を、竜はただ、黙って見つめるだけだった。
 
「平相国の子といっても、私は五男だ。他の兄達と違い、出世もおぼつかず
……。甥の維盛(これもり)にも、じきに先を越されよう……。そりゃあ、維盛は嫡流、比べるだけ無駄というものだが……
……
 
「この頃よく思うのだ。こんな中途半端な立場にいるよりも、いっそ、おまえ達と共に、大海原に漕ぎ出して行けたなら
……。父上の言いなりなどではなく、自分で選び取った道を行くことができれば……
 ひとたび口を開くと、胸に抱える苛立ちが、堰
(せき)を切ったようにあふれ出て来る。
 
 嫡流と傍流との違い
――それは、叔父達を見ていると明らかだった。兄重盛に、腰をかがめて、ひざまずく教盛(のりもり)や頼盛(よりもり)の姿は、いずれ維盛に従わねばならない、己が姿にも重ね合わされた。
 
 天下を牛耳る平家一門といえども、総領とその嫡流の他は、只人と変わりはない。
 父清盛が存命の間は、その子として遇されようとも、異母兄重盛の代となれば、その栄誉も、重盛の子である維盛や資盛等に移るのは自明の理である。そして、さらに維盛の代ともなれば
……
 
 同じ子でありながら、生まれついた順序で、たどる人生があまりに違う公家の世界は、重衡には、差し詰め、窮屈
(きゅうくつ)さをもたらすばかりだった。
 
 言ったところで、どうなるものでもないとわかってはいても、それでも、言わずにはいられない
……
 こうした、日頃から抱える不満を容易に口にできるのも、相手が竜であればこそだった。何の言葉も返ってこなくても、ただ聞いてくれるだけでいい
……、そんな軽いつもりだったのだが……
 
「この世に、本当に自由な人間なんて
……、いやしない……
 小さなつぶやきだった。あるいは、それも重衡の空耳だったのか
……
 
 ふいに、ひときわ鋭いさえずりが辺りにこだまし、次の瞬間、バサバサという羽音と共に、深紅の楓の葉が、ひらりと川面に舞い落ちた。そして、それがただ、流れのままに押し流されて行く様を、竜も重衡も、しばらくじっと見つめていた。
 
「誰だって、いろんなものを抱えているさ
……。相国殿でも、俺達庶民でも……、それは皆同じだ」
「竜
……
「俺達と一緒にいても、きっと、同じことを思うだろう
……
 淡々と語る竜に、どうしても納得のいかない重衡は、なおも詰め寄った。
 
「おまえも、そう思っているのか? 自由ではないと
……
 竜の目に、急に暗い影がさした。深く、そして、物悲しい影が
……
 
 触れてはならないものに、触れてしまったのではないか
……。そんな罪悪感にも似た思いに捕らわれて、重衡は、二の句を継ぐことができなかった。
 
「そろそろ行こう
……
 
 気まずい沈黙を破り、竜は言葉少なに言うと、再び荷を背負い、先に歩き出した。重衡は、何となく気まずい思いを胸に抱いたまま、無言でその後に続いた。
 
 
  ( 2003 / 09 / 30 )
   
   
 
   
 
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