春 雷 (壱)
 
   
   年が明けて早々の、嘉応3年(1171)1月3日、内裏において、今上高倉帝の元服の儀が執り行われた。
 平家の血を引く帝の元服ということで、それは、一門の威信をかけた、盛大なものとなった。
 
「義兄上
(あにうえ)、ようやく時機がめぐって参りましたな……
 祝宴の余韻も、未だ覚めやらぬ春の宵、時忠は、意気揚々と清盛の許を訪れた。
 
「主上
(おかみ)も、無事、ご元服を済まされたこと、そろそろ……
 臆面もなく、切り出した時忠に、清盛は力ない吐息をもらす。
 
「そうよのう
……。しかし、元服を済まされたとはいえ、主上は、未だ御年11歳……
「しかし、茜も、既に17になります。もはや、悠長にかまえてなどおれませぬ!」
 平素は冷徹で通る時忠には珍しく、昂
(たか)ぶる感情のままに声を荒げた。
 
「大きな声を出すでない
……
 不快といわないまでも、清盛は眉をひそめている。その様相に、時忠もつと次の言葉を飲み込んだ。が、いつまでも、煮え切らぬ態度を示す義兄への苛立ちは、そう易々と納まるものでもなかった。
 
「平家一門が、これからも朝政を握って行くためには、次の帝も、我ら一門の血を引く皇子でなくてはなりませぬ。そのためにも、入内
(じゅだい)は急がねばなりますまい……
 
 これだけは譲れぬ
――という気概で、時忠は再度詰め寄った。が、清盛は無言で耳を傾けるばかりで、その茫洋(ぼうよう)とした眼差しには、いささかのたゆたいの影も見えず、それがまた、時忠には何とも心許なく思われた。
 
「わかっておる
……
 長い沈黙を経て、ようやく清盛も重い口を開いた。
 
「その方の申し状、全く然
(しか)りじゃ……。したが、此度のことは、かつての女院の時のように容易(たやす)いものではない。まずは、摂関家にも有無を言わせぬだけの、十分な根回しが必要。そのためにも、事は慎重に運ばねばならぬ」
……
 
「何をおいても、全てを極秘の内に
……。よいな」
 この時ばかりは、清盛の双眸に宿った、一際強い光彩に、時忠は息も止まらんばかりの威圧を覚えた。
「よう心得ております」
 時忠は、脇ににじむ冷たい汗を感じつつ、神妙に平伏した。
 
(真にわからぬお方よ
……
 
 凡庸にして英邁
(えいまい)――時として、二つの顔を巧みに使い分ける清盛という人物を、時忠も未だつかみきれずにいた。
 
 とりわけ、出家して後の清盛は、片田舎の港湾造営に夢中で、政治向きのことは、この時忠や嫡男の重盛などに全て任せっきりといってもよく、自らはおよそ無関心の体を装っていた。
 
 時忠にしてみれば、類
(たぐい)稀なる美貌を持つ妹という、最高の手駒を駆使して、己こそが、今日(こんにち)の一門の繁栄を築いたという自負はある。
 が、その一方で、どうもこの義兄に踊らされているのでは
……、そんな猜疑心(さいぎしん)もまた、拭(ぬぐ)い去ることはできないのだった。
 
 何しろ、清盛の有する武力が背景にあればこそ、公家社会を自由に泳ぎ回ることができる
――それは、時忠もよくよく承知していた。
 
 因習にとらわれる旧世界にあっては、新興勢力に対する外圧は、並大抵のものではない。
 自らの処世術には、いささかの懸念も抱きはしないものの、しかし、それを最大限に発揮するためには、やはり、防波堤が必要である。
 
(この男を決して敵に回してはならない)
 
 政略家としての鋭い嗅覚
(きゅうかく)が、その危険性に、いち早く警告を発していた。
 そして『名より実を取る』
――この選択をなし得た時忠の賢明さが、平家一門の隆盛を、より強固なものにしているのも確かなことであった。
   
 
 
 
 
   
 
 
 
   一連の儀礼行事も滞りなく、やがて、京での雑事も一段落着くと、清盛は再び福原へ発ち、六波羅にもまた、いつもの平穏な日常が戻って来ていた。
 
 そんなある日の昼下がりのこと、重衡は注意深く辺りを伺いながら、滑り込むように茜の部屋に忍び入った。
 
「どうだ?」
「重衡様
……
 並べ立てられた几帳の影から、相生が不安げに重衡を見返す。
 
「案ずるな。習字に励んでおられる姉上の気が散ってはならぬゆえ、しばらくは、誰も近づくなと申してある」
……はい」
 いつにもまして、優しげな眼差しを向ける重衡に、相生は恥ずかしさで、いっそう身の置き所のない心地だった。
 
「おまえには、いつも世話をかけるな
……
「いいえ、私は何とも
……。唯、姫様が御無事にお戻りになられるか……、そればかりが案じられて……
「何、心配はない。竜が一緒だからな
……
 重衡は、相生の不安を一蹴するように軽やかに笑う。
 
……さようでございますね」
 そうは言われても、相生にしてみれば、やはり気が気ではないのだろう。うつむき加減の青白い横顔は、なおも晴れやらぬままであった。
 
「それにしても、姉上にも困ったものだ
……。半年も前にした約束を、未だに覚えておられたとは……
 
 あれは、昨年の秋のこと。
 高雄行きを諦める代わりに、次の桜の咲く季節には、必ずや、京の町に連れ出してほしいとせがまれて
……、その場の成り行きで、つい首を縦に振ってしまったのが事の始まりだった。今にして思えば、何という浅慮(せんりょ)であったか……
 
 もっとも、当の重衡は、そんな口約束をしたことすら、日々の忙しさに取り紛れ、すっかり忘れ果てていたものを
……、やがて、梅の香が漂い始めた頃から、茜はしきりに例の約束を持ち出すようになって……
 以来、顔を合わせる度にせっつかれ、その度に、苦し紛れの言い訳をしては、どうにか交わしていたものの、重衡としても、内心では、姉の気持ちもわからなくはなかったので、不本意ながら、あれこれ思案をめぐらした。
 
 そして、思いがけず、父清盛が福原に発ち、母の時子も不在になる好機を得て、密かに、館を抜け出す手筈
(てはず)を整えたのである。
 が、それもこれも、竜やこの相生の協力があってこそ、ようやく実行に移せたことであった。
 
「そうだ。いい物を持って来てやったぞ」
 重衡は懐に手をやると、小さな包みを取り出し、相生の前に広げた。
「まあ
……
 唐菓子の甘い香りに、相生も思わず頬を緩ませる。
 
「少しばかり拝借して参ったのだ。何、心配せずともよい。庫裏
(くり)の菓子が、1つ2つ消えた所で、誰も気にするものなど、おりはせぬからな」
 言いながら、重衡は一つ手に取ると、無造作に口の中へ放り込んだ。そのあまりに子供っぽい仕草に、相生は呆れながらも、ついつい、可笑しさが込み上げてくるのを懸命にこらえようとした。
 
「私が外を見張っておるゆえ、おまえはこれでも食べて、ゆっくりとくつろいでおれ。何なら、昼寝をしていてもよいぞ。鬼のいぬ間に何とやら
……と申すだろう」
 そう言って、軽く目配
(めくば)せする重衡に、相生は唖然(あぜん)とした。
 
「姉上のことならば何の心配もない。竜に任せておけば安心だ。京の町のことは、この重衡などより遥かによく存じておるし、とにかく頼りになる男だ。万に一つも、姉上を危険な目に遭わせることはない」
 重衡は胸を張って言い切った。
 
 が、それも気休めになるどころか、相生の胸に、新たな不安をよぎらせていようとは
……、この時の重衡は、気づく由もなかった。
 
 
  ( 2003 / 11 / 21 )
   
   
 
   
 
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