訣別の涙 (壱)
 
   
 
 茜の入内は、12月の半ばと決まり、京・六波羅ではその準備に追われ、上へ下への大騒ぎであった。
 
 武門の娘の入内
―― その批判を交わすために、後白河院の養女との名目を取り繕ってはみたものの、主上の父の養女であれば『姉と弟』ではないか……と、またもや、公卿連中の失笑を買う羽目となった。
 が、それしきのことなど、もはやさしたる問題でもなかった。
 
 平相国の力は、既に誰もが認めるところであり、事実、これに反対できる者など、一人としていようはずもなく、何を言っても、所詮は、負け犬の遠吠えでしかない。
 叔父の時忠などは、今回の入内話をうまくまとめたのは己の手柄とばかりに、以前にも増して意気盛んで、嫡男である重盛をも凌ぐ勢いを見せていた。
 
 が、そんな、一門の誰もが、これからの前途は洋々たるものと
……、それこそ、わが世の春とばかりに浮かれさざめく中にあって、重衡だけは、一人、その輪に入る気にはなれなかった。
 当の茜が、喜んで入内を受け入れたのではないことを知るだけに、そのつらい胸中を思うと、とても祝うことなどできはしない。ましてや、祝宴と称し、毎夜のように繰り広げられる叔父達の戯れ興
(ざれきょう)には、嫌悪感すら抱いた。
(いったい、誰のための宴なのだ
……
 
 とはいえ、時ここに至っては、もはや入内を止めることとて、できようはずもない。
 ならば、せめて入内して後の姉が、宮中での暮しに少しでも早く馴染めるように、万全な支度をと、細かな所まで気を配り、日夜、諸事雑多に追われることで、己の憤りを静めようと心がけた。
 
「えらく精が出るな
……
 すぐ上の兄の知盛も、重衡の殊勝な働きに目を細めた。
「そなたと茜は、とりわけ仲の良い姉弟であったからな
……。その大事な姉の入内ともなると、じっとしてはおれぬか……
 いつも愛想笑いなどしたことのない無骨な兄が、珍しく笑顔を見せた。
 
「某
(それがし)にできることなど、さしたるものではありませぬが……
「いや、中々の働きぶりと、父上も誉めておられたぞ。ようやく、重衡も一人前になったかと
……
 知盛にかかると、万事がこの調子で、いつまでたっても、子供扱いを抜け切らない。
 
 重衡より4歳年上の知盛は、10代の頃に、政界の実力者の一人、花山院
(かざんのいん)藤原忠雅の娘を妻に娶(めと)り、既に一子を儲けていた。そのせいか、堂々として落ち着いた物腰が、時に、重衡には実際の年齢差以上の開きを感じさせ、遠い存在に思われることもある。
 
 それでも、幼い頃には、よく遊び相手になってくれたものだった。
 10歳近くも年の離れた宗盛と違い、面倒見も良く、何かというと庇
(かば)ってもくれた。始めに、小弓の手ほどきをしてくれたのも、この知盛だった。
 文武ともに秀でた頼りがいのあるこの兄が、重衡には誇らしくもあり、憧れでもあった。
 
 が、それも知盛が元服して、内裏への出仕に追われるようになると、次第に間遠になりだした。同じ館にあっても、顔を合わせることさえ稀で、たまに姿を見つけて、蹴鞠
(けまり)の相手をせがんでも、以前のように、気安く請合(うけあ)ってはくれなくなった。
 
 無論、大人の世界に仲間入りして、知盛自身、幼い弟に構う余裕がなかったこともあるのだろうが、そんな突然の兄の変わり様に、人知れず淋しさを覚えていた重衡が、厳島での出会いを経て、急激に竜へと心を傾けるようになったのも、ある意味、自然の成り行きだった。
 しかし、そのために、今度は、茜がつらい物思いに苦しんでいる
……。そう思うと、今さらながらに、重衡の胸は痛んだ。
 
「それにしても
……、これからが大変じゃ。茜にとっても、一門にとっても……
 ため息混じりにつぶやいた知盛の目は、重衡を通り越して、はるか遠くを見つめていた。
「武門の身で、王道を行こうとしているのだからな
……。前例のないことだ。茜に対する風当たりも、並大抵のことではあるまい……
 
 知盛もまた、今度の入内を手放しで喜んではいないことに、重衡は心のどこかでホッとしていた。この兄も自分と同じ思いなのだと
……
 
「兄上
……
「うん?」
「父上は
……、何ゆえ、かような無理を押し通そうとなされるのか……
 重衡の問いに、知盛の瞳がわずかに揺らめいた。
 
「姉上をそんなつらい立場に立たせてまで
……、そうまでして手に入れようとなされるものに、それだけの価値があるものか……。重衡にはわかりませぬ」
 
 知盛兄ならば、自分の胸の内もわかってくれるのではないか
……。そんな思いから、重衡は自らの抱える憤りをぶつけてみた。
 
「なぜ、今のままではいけませぬのか? 十分過ぎるほどの位階も官職も得て、この上何を? 一門のこれ以上の栄えを望むは、もはや、傲慢
(ごうまん)以外の何物でもありますまい!」
 つい感情のままに口走ってしまった重衡だが、兄の形相の変化に思わず息を飲んだ。
 
「重衡! 口を慎め!」
 突如として浴びせられた譴責
(けんせき)の声――。大きく見開かれたその目には、憎悪の色さえ感じられる。
 
「父上のお決めになられたことぞ! それを、若輩のそなたが差し出たことを!」
 己の知る限りの兄とは、明らかに違う別人の顔を目の当たりにして、重衡は呆然となった。
 
「一門にあっては、父上の言葉は絶対ぞ! 決して、逆らうことは許されぬ。平相国入道という、大きな柱を中心にまとまってこそ、一門の安泰も図れるのだ!」
 いつになく語気を荒げる知盛の前に、重衡はすっかり気圧
(けお)されていた。
 
「心の中で何を思おうが、それはそなたの自由。この兄も、そこまで口出しをするつもりはない。だが
……、それを安易に表へ出してはならぬ。いかに意に染まぬことであろうと、己の胸の内にのみ留めておけ」
……
「つまらぬ一言が、一門全体を揺るがすことにもなりかねぬ。それほど、嫡流たる我等の立場は重いということだ。いかなる時も、平相国の子であることを、忘れてはならぬぞ!」
 
 知盛の言葉に、重衡は夢中でうなずいた。納得したわけではなかったが、そうしなければ、この兄の勘気からは逃れられそうにない。そんな重衡の畏縮した様子に、知盛もふっと吐息をついた。
 
「少し言い過ぎたか
……。しかし、そなたのためを思うて申しておるのだぞ」
……
「今こそ、皆が心を一つにして、立ち向かわねばならぬ大事の時だ。我等が揺れれば、ひいては、茜の足許さえも危うくさせることになる。私にとっても可愛い妹だ。どんなことがあっても、守り通したい
……。それは重衡とて、わかろう?」
……はあ」
「今少し、一門の人間としての自覚を持て。よいな」
 
 知盛も今度は諭
(さと)すように穏やかに語り掛ける。それは、以前のままの、気の優しい兄の顔だった。
 
「父上がお呼びだ。すぐに参るが良い」
 神妙な面持ちの重衡の肩を軽く叩いて、知盛は静かに去って行った。
 
 
  ( 2004 / 08 / 10 )
   
   
 
   
 
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