乱 調 (弐)
 
   
 
「竜の行方がわからぬとは……、それは真のことなのか!」
 呆然とする重衡に、玄武は無表情のまま、首を縦に振った。
 
「何ということじゃ
……
 悪い予感がまさに的中した形に、重衡は衝撃のあまり言葉を失った。
 
「突然の大嵐に見舞われ、なすすべもなかった由。生きて戻れた者がおっただけでも、奇跡というより他ない惨状であったとか
……
 よどみなく仔細
(しさい)を語る玄武に、重衡は見る間に怒りを露わにした。
 
「何ゆえ
……、そなたは竜を止めなんだのだ! 何ゆえ、宋になど行かせたのだ!」
 重衡の怒声を聞きながら、玄武もまた、福原で桔梗からの便りを手にした折の、己が醜態を思い返していた。
 
(やはり、宋になど行かせるのではなかった!)
 
 身も世もなく悶え苦しんだのは、玄武とても同じであった。
(俺が行けと申したばかりに
……
 
 桔梗があれほど案じていたものを
……。さもわかったふうな御託を並べ、聞く耳すら持とうとしなかった愚か者は、いったいどこの誰であったか……。悔やんでも悔やみきれない自責の念に苛(さいな)まれ、さしもの玄武も、ついには、何も手につかなくなるほどであった。
 
 が、筑紫へ赴くこともままならず、日々、焦燥の色を増すばかりの玄武に、あにはからんや、とりあえずの落ち着きを取り戻させたのは、寿老の何気ない一言だった。
 
「人の寿命ほど、推し測るに難しきものはない。何処
(いずこ)におろうと、何を致しておろうとも……、死ぬ時は死ぬ……、そういうものじゃ……。真に死んだのであれば、あやつも、それまでの男であったということ……
「寿老
……
「したが
……、万に一つ、生き延びておるとすれば……、これはもう、底知れぬ強運と申すより他あるまい……
 
 この時、玄武はふと何かを気づかされた思いだった。
(そうとも、あの竜が、このようなことで命を落とすはずがない!)
 
 単なる願望や妄想などではない。そう、玄武自身も忘れかけていたことだが
……、かつて、誰よりも早く、竜の非凡な才を見抜いていた―― ある男の言葉が、俄かに真実味をもって、蘇えってきたからに他ならなかった。
 
 やがて、玄武は適当な口実を設けて、京へ戻ると、今一度、それを確かめるべく、急ぎ洛北高雄へと向かった。
 
「おぬしならば
……、竜が、今、いかなることになっているか、わかるのではないか?」
 玄武は、藁
(わら)をも縋(すが)る思いで尋ねた。しかし、
「わしは陰陽師ではない。そのようなことなど、預かり知らぬ
……
 と、文覚の返事は、相も変わらず、素っ気無い。
 
「わしにわかるのは、自然の摂理に従い、起きることのみ
……。人の生き死になど、わかりはせぬ。それがわかるのは、天の力のみ……
 一縷
(いちる)の望みも絶たれとばかりに、すっかり意気消沈している玄武に、文覚はその様を眺めつつ、急に不敵な笑みを浮かべた。
 
「案ずるには及ばぬ
……。どうせ死にはせん。天命を全うするまでは、いかなることがあろうと……
……天命とな?」
 玄武は、咄嗟
(とっさ)に、文覚の目を見返した。
 
「人は、この世に生を受ける時、必ず天より何某
(なにがし)かの命題を与えられる。おぬしも然り、このわしとて……。そして、それを全うした時、再び天に帰るのだ……
……
「此度のことは、その天命を放り出して、逃れようとした、いわば天罰
――。いかに逃れようとしたところで、所詮、逃げ切れぬものを……。愚か者めが!」
 文覚は、嘲
(あざけ)るように吐き捨てた。
 
「竜が悪いわけではない! 俺が行けと
……、そう申したのだ。あいつはそれに従ったまでのこと……。愚かなるは、この俺の方であった……
 
「いかにも、おぬしも阿呆
(あほう)に違いない。だが、最後の最後、行くと決めたのは、竜自身に他ならぬ。いくらおぬしの勧めであれ、それに否と答える気概が無くていかがする! 元を正せば、そうした心の弱さが、かような事態をも招いたのだ!」
 文覚は珍しく激昂
(げきこう)し、その苛立ちを抑えるように、ギリリと歯軋(はぎし)りした。
 
「しかし
……、そもそも、竜の天命とは、いったい何なのだ? おぬし、以前にも、妙なことを申したであろう。竜には、この世を極楽にも地獄にも変える力があると……
 ついと、にじり寄る玄武にも、文覚は深い吐息をつき、遠い目で虚空を見つめていた。
 
「そうよのう
……。例えてみるならば、天が振るう双六の賽(さい)のようなものか……
……どういうことだ?」
 奇妙な例え話に、玄武は怪訝
(けげん)に首をかしげる。
 
「竜というやつには、どうにも人を惹
(ひ)きつけてやまぬ何かがある。それは、おぬしとて、既に気づいておろう?」
……ああ」
 
「わずかなりと関わりを持った者の、その悉
(ことごと)くが、あの者のなす事の一つ一つにも、激しく心を揺り動かされ、やがては、いかにしても、己がものにしたいという欲望に駆られる。とりわけ、天下に強い野心を抱く者は……。いや、その欲望こそが、天下への野心そのものと、言うべきであろうな……
 
「天下への野心だと?」
 
「竜の心に映るは、その者の真の姿
――。それはやがて天に伝わり、この世を治めるにふさわしい者を選ぶ決め手ともなる。近づく者をその運命の渦に引き込み、心の奥底に隠された本性を、白日の許にさらすことが、言うなれば、竜に与えられた天命――。しかし、それがために、竜自身もまた、自らの持つ強い力に翻弄されることになろう……
 
「それが
……、竜をその手におさめる者が、天下を取ると……、そう申した意味なのか?」
 玄武は人知を超えた壮大な話に、気の遠くなるような目眩
(めまい)を覚えた。
 
「あの者の真実を見抜く力の前では、いかなる詭弁
(きべん)も通用はせぬ。なればこそ、その目に叶うた者は、真の天下人たる資格をも得ることになる……
 
「しかし
……、その理屈でいくならば、平重衡殿こそ、最も天下に近いということになるぞ。あの二人の間には、目に見えぬ強い絆がある。現に、竜の危機を夢に見たとも、申しておられるそうだからな……
 
「重衡が、平家の棟梁となるのであれば
……、あるいはのう……。確かに、あの二人を結ぶ絆は何よりも強い。だが……、同時に、二人を引き裂こうとする力もまた、並外れて尋常なものではない。それがために、竜は京を離れねばならなくなった……。そうであろう?」
 
「それは
……
「欲と欲が絡み合うて、平家一門は、内も外も修羅の世界
――。自らの栄華を、その手で摘み取ることになるとも気づかずにな……
 
 玄武は愕然とした。文覚の言葉が仮に真実とすれば、平家は竜を手放したことになるのか
……。ならば、その先にあるものは……
「やはり、平家は滅ぶと?」
 玄武も思わずつぶやいていた。
 
 しかし、それまでの雄弁ぶりはどこへやら、一転、貝のように口をつぐんだ目前の男は、ついに、その答えを明らかにすることはなかった。
 
 
 
「いかがしたものか……
 長い沈黙を経て、ようやく人心地ついたのか、重衡は静かに口を開いた。
「何ぞ、竜の行方を探る手立てはないものか?」
 玄武もまた、長い夢想から我に返り、ゆっくりと顔を上げた。
 
「いいえ。今はただ、待つより他ありますまい。何せ筑紫と京では、あまりに遠く離れておりまする。仮に竜の無事が知れたとて、その便りが京にまで届くには、早くて数日、場合によっては、一月近くを要することもござりますれば
……
 文覚を訪ねたことで、既に玄武の中では、竜の生死に不安を抱く気持ちなど、すっかり薄らいでいた。
 
「そのように悠長な! そもそも、おまえは心配ではないのか! いかなる危険に、さらされておるやもしれぬと申すに
……。おまえがこれほど薄情な男とは、思いもしなかったぞ!」
 重衡にいかに痛罵
(つうば)されようと、玄武の心は、もはや揺らぐものではなかった。
 
「我らの商いは、常に、命がけにございます。京を一歩離れた時から、死をも覚悟せねばなりませぬ」
「何と
……?」
「海路を行けば時化
(しけ)や海賊が……、陸路とて盗賊に流行り病……、命をおびやかすものを数え上げれば、きりがありませぬ。ましてや、宋へ渡るとなれば、なおのこと……
 きっぱりと言い切った玄武に、重衡は返す言葉もない。
 
「重衡殿には、よもや、お忘れではございますまいか? 竜が、そんな簡単に死ぬような、柔
(やわ)な男かどうか……。かつて、あなた様の危急(ききゅう)を救ったあの竜ですぞ!」
 
「忘れるはずがなかろう! 竜はこの重衡の命の恩人じゃ。なればこそ、その身が案じられてならぬのだ! 何としても、生き延びてくれておることを願わずにはおれぬ
……
「ならば
……、あれの無事を信じて、ここは大人しくお待ち下さりませ!」
……
 
「生きておりまする
……。いかなることがあろうと、生きて、我らの許に戻って参るのが、竜の務め。それを違(たが)えて何としましょうぞ!」
 玄武の鬼気迫るほどの迫力に、重衡はすっかり呑まれていた。
 そこまで信じきれる玄武の強さの、何と羨ましいことか
……
 
「もうよい
……。ようわかった……。今はただ、そなたの申すとおりに……
 
 いかに心が逸
(はや)ろうと、公務も何もかも放り出して、すぐさま筑紫へ下るなど、現実には許されることではない。あるいは、この晴れることのない苦悶にも、目を背けることなく向き合う……、それが、今の自分に与えられた試練なのかもしれない……。重衡はそう考えることで、ひとまず、自分自身を納得させようとした。
 
「したが、玄武。どんな些細なことでもよい、何か知らせが入れば、必ずこの重衡の耳にも入れよ!」
 これだけは譲れぬと、重衡も必死の形相で訴える。
 
「しかと、心得ましてござります」
 玄武は口元を真一文字に引き結び、深々と平伏した。
 
 ふっと肩で息を吐いて、おもむろに外を見遣った重衡は、夜空に皓々
(こうこう)と照り映える、清(さや)かな月明かりに目を留めた。
 
(今宵のこの月を、竜
……、おまえもどこぞで眺めているのであろうか……
 
 万に一つも、この身が月に成り代わり、尋ね人の影を探すことはできないものか
……
 絵空事じみたことと、笑われようとも、この夜の重衡は、本気でそう念じたいと、切に願ってやまなかった。
 
 
  ( 2004 / 11 / 10 )
   
   
 
   
 
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