最果ての島 (弐)
 
   
 
 竜と隼人は、しばらくそのまま、巫(かんなぎ)の老女佐古(さこ)の許に、身を寄せることとなった。
 
 隼人は骨折に加え、そもそもの、海に突き落とされた理由が理由だけに、心身ともに、ひどく衰弱しており、とても、今すぐ、この島を出ることのできる状態ではなかった。
 そこで、竜はやむなく、筑紫へ戻ることはひとまず棚上げにして、隼人の面倒を見ながら、島の男達と共に海に出て、漁の手伝いをすることにしたのである。
 
 海に囲まれた小さな島にあって、そこに住む民の暮らしを支えるものは、わずかばかりの田畑と、大いなる海がもたらす鮑
(あわの)を始めとした魚貝の産物であった。漁など竜には初めての経験だったが、潮の流れを読み、巧みに舟を操る技が、思いのほか、役に立つことになった。
 
「この島では、婆様の言うことは、何があっても絶対なのよ」
 佐古の縁者という若い娘沙希
(さき)は、得意げにそう言ったが、果たしてその通り、神に仕える巫である佐古の言葉は、まさしく、神の言葉と信じられており、初めは、竜達をよそ者と敵視していた島の者達も、その一喝で、忽(たちま)ち警戒心を解いたのである。
 
 言葉を交わすようになれば、わだかまりなど、立ち所に、どこかへ消えてしまっていた。それどころか、いつしか、同じ海に生きる者同士の、不思議な連帯感すら生まれ、あのおっかなかった髭面
(ひげづら)の長――(ただす)さえも、竜の舟を操る技量を認め、自ずと、二人は、気さくに語り合う仲になっていた。
 
「だいぶん、ここの暮らしにも慣れて来たようだな」
「ああ、みんな良くしてくれるからな。最初はどうなることかと思ったが
……
 言われて、匡はばつの悪そうな顔をした。
 
「それを申すな
……。こんな所に流れて来るやつも、珍しいゆえ、つい、こちらも身構えてしまってな……
「わかっている」
 必死の釈明をする匡に、竜も理解を示した。
 
 ところで、この匡という男、本を糺
(ただ)せば、松浦本家の流れをくむ、れっきとした武士の家系なのだが、その一族は、長年の土着生活の中で、すっかりこの島に根を降ろし、代々、島長として、領民達の信頼も厚い。
 匡はその厳
(いかめ)しい面相のわりには、意外に年若く、また、根は情の深い、気の良い男でもあった。
 平素は、漁の陣頭にも率先して立ち、これに加わりたいという竜の申し出に、一も二もなく許しを与えたのも、匡の独断に他ならなかった。
 
「それにしても、おまえが手伝ってくれて、こっちは大助かりだ」
「そうか? 邪魔をしていないなら、よかった
……
「何を言う! おまえに舟を任せておけば、わしらも安心して漁に精を出せるからな
……
 
 匡は、控えめで、それでいて、周りへの気遣いも忘れない竜をすっかり気に入り、信頼もしていた。竜もまた、不器用なほど飾らない匡の人柄に、好感を抱くようになっていた。
 
「ここはいい所だな。海も穏やかで、人に優しい
……
「海が優しい
……? おもしろいことを言うやつだな……
 匡は、髭面をくしゃくしゃにして笑う。
 
「確かに、この海は、わしらに多くの恵みをもたらしてくれる。何せ、天子様の御厨
(みくりや)なのだからな」
「天子様の
……御厨?」
 竜には、聞き慣れない言葉だった。
 
「ああ。この海で獲れた魚貝は、贄
(にえ)として京に運ばれ、天子様に献上される。松浦の民は、それを誇りに、毎日漁に精を出しているのだ」
 
 相槌
(あいづち)を打ちながら、竜は少し複雑な思いだった。
 天子
――つまり、帝への献上となれば、それはすなわち、その妃である中宮のもとに送られるのも同然である。こうして、わずかながら、漁の手伝いをすることで、形は違えど、今なお、茜との縁(えにし)が繋がっていることに、竜は深い感慨を覚えずにはいられなかった。
 
「ところで
……、おまえの相棒は、どんな様子だ?」
 匡は、急に黙り込んだ竜を怪訝に思いつつ、話を隼人のことに向けた。
 
……ああ。少しずつだが、良くなって来ているみたいだ……。歩けるようになるには、まだまだかかるだろうが……
 そう答えながら、なおも冴えない竜の表情には、匡もいささか察するものがあった。
 
「沙希のやつが、えらく心配しておったぞ
……。おまえにひどい口ばかりきくとな……
 
 隼人と竜の間は、相変わらず、ぎくしゃくしたままだった。
 足の自由がきかない苛立ちから、隼人は朝な夕な竜に当り散らし、竜もそんな隼人に、どう接していいかわからず、途方に暮れるばかりの毎日である。
 
「隼人も普通の状態ではないし
……、仕方がないさ……。それに、俺も別に気にしてはいないし……
 努めて明るく答える竜に、匡は腕組みして、小さく唸
(うな)った。
 
「まあ、おまえがそう言うのであれば、わしには何も言えぬが
……
「沙希殿がいてくれて、本当に助かっている。匡には、迷惑な話だと思うが
……
 今の竜にとって、匡らの存在は、大きな心の拠
(よ)り所だった。
 
「何、あいつが好きで世話を焼いておるのだ。我が妹ながら、あの跳ねっ返りには手が負えぬでな。あれに付きまとわれては、隼人の方が、さぞや、閉口しておろうがな
……
 そう言って、豪快に笑い飛ばす匡にも、竜はただ、曖昧な微笑を返すだけだった。
 
 
 
「また、こんなに残して……。きちんと食べなきゃ、治るものも治らないわよ!」
 沙希はそう言って、膳にはほとんど手をつけずに、横になったままの隼人の顔をのぞき込んだ。
 
「毎日じっとしていて、腹が空くわけがないだろう!」
 隼人は投げやりに答えて、寝返りを打つ。
「せっかく、竜が隼人にって、持って帰って来たのに
……
 
「誰があいつの世話になどなるものか!」
 例によって、すぐに癇癪
(かんしゃく)を起こす隼人に、
「もう十分世話になっているくせに
……
 沙希は呆れ顔でつぶやいた。
 
「ねえ、隼人。どうして、竜をそんなに嫌うの?」
「うるさい! 嫌いなものは、嫌いなんだ!」
 これまた、いつものように、つっけんどんに、答えるだけの隼人に、
「竜も馬鹿ね
……。あんたなんかを助けようとして、危うく、自分も命を落すところだったんだから……
「何だと!」
 沙希の足蹴
(あしげ)ざまな言い様に、隼人はカチンときて、半身を起こした。
 
「だってそうでしょう? 命の恩人に、一言のお礼も言ってないじゃない!」
「誰も、助けてくれと頼んだ憶えはない! あいつが勝手にしたことだ!」
 と、隼人は、腹立ち紛れに吐き捨てた。
 
「竜が、どれだけ、あんたのことを心配していると思ってるの!」
……
「普通はできないことよ。兄さんも呆れてたわ
……。一人でさっさと筑紫に戻ればいいのに、あんたのことを放っておけないからって、ここに残ったんじゃない。おまけに、ただ世話になるのは申し訳ないって、漁の手伝いをして、あんたの分まで働いてるのよ。なのに、その言い草はないでしょう!」
 沙希は向きになって、隼人に詰め寄った。
 
「それが、大きなお世話なんだよ! いつ、俺がそんなことを頼んだ? 押し付けがましいにも、程がある!」
……
「俺がいてそんなに迷惑なら、海に放り込むなり、山に打ち捨ててくれるなり、好きにしてくれ!」
「隼人
……
「その方が、俺もせいせいする! どうせ生きていたって、仕様のない人間なんだ
……。いっそ、死んじまった方がどれだけ楽か……
 
 そう言い放って、また、すぐに横になった隼人だったが、それっきり、すっかりおとなしくなった沙希が気に掛り、おもむろに見返した。と、その顔を見て、ギョッとした。沙希は、目にいっぱい涙をためていた。
 
「どうして、そんな悲しいことを言うの? 死んだ方がましだなんて
……。せっかく、助かったっていうのに……
 返す言葉のない隼人は、沙希のすすり泣く声に、柄にもなく、しおらしい気分になっていた。
 
「海に放り込んでは、魚が迷惑する
……
 ふいに、佐古が姿を現した。
「婆様
……
 沙希は慌てて涙を拭い、隼人の傍らから退く。
 
 神の声の代弁者である佐古には、その場の空気を一変させるほどの、何とも言えない威厳があった。同時に、その鋭い目の光は、人の心を巧みに読み取る力をも感じさせた。そして今、その佐古の眼差しは、じっと隼人に向けられていた。
 
「おまえ
……、何ぞ、竜に負い目でもあるのではないのか?」
 佐古の言葉に、隼人は明らかな動揺を示して、すぐさま顔を背けた。
 
「負い目って
……、そりゃあ、命を助けてもらったんですものね」
 と、軽くあてこする沙希にも、
 
「いや
……、もっと深い業(ごう)が見える……。おまえの心の奥底に渦巻く、後ろ暗い猜疑(さいぎ)の炎が……
 
「うるさい!」
 そう怒鳴ったきり、ふて寝を決め込んだ隼人を見て、佐古は、沙希に席をはずすよう促した。
 
「それほどに苦しいか?」
 二人きりになったことを確認すると、佐古は再び口を開いた。
 
「あの者の優しさは、心にやましさを持つものには、あまりにまぶしすぎる
……。素直に受け入れることのできぬのも、道理やもしれぬ」
……
「しかし、だからと申して、いかに目を逸らしたとて、逃げおおせるものでもない。いや、むしろ逃げれば、それだけ、おまえの中の呵責
(かしゃく)の念は、いっそう重さを増すばかりじゃ……
 
 背を向けたままの隼人に構わず、佐古は独り言のように、淡々と続けた。
 
「隼人よ
……。その業と、しかと、向き合う勇気を持てぬ限り……、おまえは一生救われぬぞ!」
 
 それだけ言い置いて、程なく、佐古も出て行った。そして、一人取り残された隼人の胸には、佐古の残した冷たい響きが、いつまでも、こだまし続けていた。
 
 
  ( 2004 / 11 / 25 )
   
   
 
   
 
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