最果ての島 (参)
 
   
 
「やっぱり、ここにいたんだ……
 沙希の声に、竜は驚いて振り返った。
 
「竜のお気に入りの場所だものね
……
 夕暮れ時、どんなに疲れていても、白い砂浜の上に腰を下ろし、水平線の向こうに沈み行く夕日を眺めるのが、いつしか竜の日課となっていた。
 
「何を考えていたの?」
 同じように、隣に腰を下ろした沙希が、ふいに尋ねる。
「いろいろとな
……
 
「筑紫に帰りたい?」
……
「筑紫には、待っている人達がいるのでしょう?」
 そう問われると、竜は少し困ったような顔をして、やがて、目を伏せた。
 
「帰りたい
……。だが、帰るのは怖い……
……怖い?」
 沙希は、竜の返事に首をかしげる。
 
「俺は、日本という国から逃げ出したくて
……、だから、宋に行こうとしたんだ……
……逃げる? どうして?」
「いろいろあったのさ
……
 そう言って、竜は答えをはぐらかした。
 
 今、こうしていても、茜の面影が瞼
(まぶた)に焼きついて離れない。忘れようとすればするほど募る想い―― それは、筑紫にいた頃よりも、さらに、強くなっているようにすら感じられた。
 忘れるために出たはずの旅が、却って、その想いの深さを突きつける
……。この皮肉なまでの、めぐり合わせには、竜も思わず苦笑するほどだった。
 
「結局、宋に行くことはできなかった
……。けど、本当に俺が行きたかったのは、どこだったのか……、何だかわからなくなってしまった……
「竜
……
 
「俺は、いつも居場所を探している。流れ者のこの身が、本当にいるべき場所
――。筑紫にいても、京に上っても……、ここがそうだと、どうしても確信が持てなかった……。そして、今も……
 苦悩に揺れる竜の心情が、沙希の胸にも切なく迫った。
 
「私にはよくわからないけど
……、そういうこともあるわよね。いいじゃない。それがわかるまで、ここにいれば……。誰も、出て行けとは言わないわ」
……
「竜の本当にいるべき場所
――。その答えは、きっと、この海が教えてくれる……
 沙希の言葉に勇気付けられて、竜もようやく静かに顔を上げた。
 
「そうだな
……。嵐の中をやみくもに進もうとしても、ただ流されるだけだ。今は、嵐が過ぎ去るのを待つ……、そういう時なのかもしれない……
 それを聞いて、沙希も笑ってうなずいた。
 
「無理に考えるのはよすよ。隼人の足が良くなるまでは、どのみち、ここを動くこともできないんだし
……
 そう言って笑い返す竜に、沙希はふと、ある疑問を投げ掛けてみたくなった。
 
「竜は
……、どうして、あんな恩知らずを助けようとしたの?」
 唐突な問い掛けに、竜も首をかしげる。
「自分も死ぬかもしれないって、思わなかったの? 嵐の海に飛び込むなんて
……
 あの夜の出来事を思い返し、竜は、急にまた顔を曇らせた。
 
「隼人は
……、無理やり海に投げ込まれたんだ……。嵐を鎮(しず)める生贄(いけにえ)だと言われて……
「そんな
……
 
「嵐で、皆、気が動転していたんだ
……。荒れ狂う海の上で、生きるか死ぬか……、そんなぎりぎりの瀬戸際まで追い詰められて、それでも、自分だけは何としても助かりたい……、そういう執念みたいなものが、皆の心を鬼に変えてしまっていた……
 ぽつりぽつりとつぶやく竜に、沙希は信じられない思いで、それを聞いていた。
 
「俺は何もできなかった
……。隼人が海に投げ込まれた時も、黙ってそれを見ていることしかできなくて……
……
「もっと早く気づいていれば
……、止めることもできたのかもしれない。そうすれば、あんなけがをすることもなかったはずだ……
「竜
……
 
「今、一番苦しいのは、他の誰でもない、隼人自身なんだ。心の傷もそうだが、身体の自由がきかないつらさなんて、当の本人にしかわかりはしないからな。もし俺が隼人の立場なら、やっぱり耐えられないと思う
……
 沙希はうなずきつつも、なおも反論した。
 
「それにしたって
……、どんな理由があったとしても、やっぱり、隼人の態度は許せないわ。竜の気遣いにも、少しも恩に着ていないし……
「別に、恩に着せるつもりなんてないさ
……。俺は、ただ……、隼人が元通り元気になってくれれば、それでいい……
 と答えるだけの竜を、沙希は、不思議そうな顔で見詰める。
 
「どうして、そんなに隼人のために親身になれるの?」
……
「赤の他人なのでしょう? それなのに
……、どうして、そこまで……
 竜は、見る間に、物悲しげな翳りに覆われた瞳を沙希に向けたかと思うと、そのまま、再び、海の彼方へと目を馳
(は)せた。
 
「昔の自分を
……、思い出すからかな?」
 遠い目をしてつぶやく竜に、沙希は当惑するばかりだった。
 
「人を信じられず、殻に閉じ籠
(こも)って、自分の運命を呪っていた……
……
「ずっと、助けを求めていた
……。そんなふうにしか、考えられない自分が、どうにも嫌で……
「竜
……
 
「隼人を見ていると、あの頃の俺の姿を、見ているような気がしてならないんだ
……。あいつも、今、必死に、助けを求めているんじゃないかと……。俺には、助けてくれる人が現れた。けど、あいつは……
 
 そこまで聞いて、沙希もようやく得心が入ったのか、
「竜は、隼人の心を助けたいと思っているのね
……
「そうできればと、思っている
……。無理かもしれないが……
 ふと、弱気な一面ものぞかせる竜に、沙希は懸命に首を横に振る。
 
「竜にならできるわ、きっと
……。そこまで、隼人の気持ちがわかっているのですもの……。いくらあいつでも、そのうち気がつくわよ」
「沙希
……
 
「もし、わからないようだったら
……、その時は、もう一度、嵐の海に放り込んでやればいいんだわ。婆様は、魚が迷惑するって言ってたけど……
 沙希が笑ってそう言うと、竜もつられて、笑顔を見せた。
 
「そう言えば
……、婆様が変なことを言っていたわ。隼人は、竜に何か負い目があるんじゃないかって……
……負い目?」
「ええ
……。てっきり、嵐で助けられたことだと思ったら、婆様が言うには『もっと深い業(ごう)……』ですって。でも、それを聞いて、急に隼人が顔色を変えたのは確かよ。何か、心当りはない?」
「いや
……。隼人とは、宋に向かう船で、初めて会ったのだから……
 
 振り返ってみても、特に思い当ることなど何もない。
 楊孫徳の船に乗り合わせ、五日と経たぬ間に、あの嵐に遭遇して
……。そもそも、口をきいたのも、嵐の直前の遣り取りが、最初だった。その間に、負い目だの、何だのというようなことがあったとも思えない。
 
「そう
……。まあ、婆様の思い違いってこともあるわね……
 沙希は、そう言葉を濁したが、竜には、あの佐古が、的外れなことを言うとも、思えなかった。
 
 よくよく考えてみると、初めて会った時から、隼人の自分に対する態度は、どこかしら、他の者に対するそれとは違っていなかったか
……? 何か物言いたげな視線が、幾度となく、投げかけられていたような……
 しかし、どれほど思い巡らせてみても、そこから先へは、どうしても考えが及ばない。
 
(やはり、俺には無理なのだろうか
……
 
 ふと、玄武の顔が、思い浮かんだ。こんな時、玄武なら何と言うだろうか
……。そんなことを考えてみる。
 
 あの嵐の夜から、既に二月余りが経とうとしていた。楊孫徳の船が無事であったかどうかは定かでないが、仮に、筑紫の港に戻っていれば、桔梗がどれほど案じているだろう
……。さらには、その桔梗から玄武にも、当然、知らせは行っているに違いない。そう思うと、ひどく気が急(せ)いた。が、さりとて、こんな状態のまま、隼人を残して、一人、筑紫に戻ろうという気にはとてもなれない。
 
 この時の竜には、自分を案じているであろう人々に、心の中で手を合わせながらも、なお、この最果ての島に留まることを選ぶより他に、道はなかったのである。
 
 
  ( 2004 / 11 / 30 )
   
   
 
   
 
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