最果ての島 (四)
 
   
 
 それぞれの思いが当てどなく錯綜する中、それでも、時だけは瞬く間に過ぎ、ここ西海の孤島でも、季節は夏から秋へと、確実に移り変わりつつあった。
 
 この頃には、隼人の足も順調に回復して、どうにか伝い歩きができるまでになっていた。また、沙希が間に入って、島の者達とも、少しずつだが、交わりを持つようにもなり、そのおかげか、隼人の表情にも、時折、穏やかな明るさが宿るようにもなっていた。
 が、こと竜に対しては、これまでの頑なな姿勢を崩すことはなく、二人の間の溝も、依然として、埋まらぬままであった。
 
 今日も、隼人は沙希の肩を借りて、社の中庭を懸命に歩いていた。漁から戻って、その様子をぼんやりと眺めながら、一人考えに耽
(ふけ)っていた竜は、背後に立ちはだかる気配を察して、すぐさま我に返った。
 
「そろそろ、心を決めねばならぬな
……
 竜はまたも、己が心を見透かされたことに、内心驚きながらも、それを表情に出すことはなかった。
 
「わかっている
……。しかし……
「隼人のことか?」
……
「あの者ならば、もう大丈夫だ
……。おまえの気持ちは、言葉にせずとも、よくわかっていよう。初めて、この島にやって来た頃を思えば、まるで見違えるようじゃ……
 そう言って、佐古は、思い惑う竜と向き合った。
 
「隼人を逃げ場にするではない!」
 厳しい叱責に、竜は絶句する。
 
「己の道は、己自身が決める他ないのだぞ。隼人のためなどと申して、実の所は、己が定めと向き合うことを避けておるだけであろう?」
 その強い眼差しに見据えられて、竜は自らの心の揺れを、隠すことはできなかった。
 
「おまえは、ここで漁夫
(いさりお)として、生涯を終える者ではない。なすべきこと、そして、帰るべき場所がある……
 佐古の一言一言が、竜の、心の奥底に押し込めたはずの想いを、一気に、呼び覚まして行く。
 
「帰りたい
……、筑紫に……。頭、桔梗……、俺にとってかけがえのない、みんなの許へ……。だが……
 言いながら、竜は、腕の紋をきつく握り締めた。
 
「俺には重すぎる
……。次に、どんな試練が待ち受けているのか……。それに耐える自信がない……
 そうつぶやいて、力なくうなだれる竜に、佐古の眼差しも、俄かに、温かみを帯びたものに変わっていた。
 
「竜
……。この島での穏やかな暮らしは、なるほど、おまえの心を癒すことはできよう……。じゃが……、今に耐えられなくなる」
……
「おまえは、何かを追い求めている時にこそ、確かな生の実感を得ることができる。試練を恐れながら
……、その実、そんな極限の世界でしか生きられぬのだ……
 
 その言葉は、竜の胸に、鋭く突き刺さった。近頃、抱き始めていた思い
――、それを的確に言い当てられていたのだから……
 事実、海に出て魚貝を採り、山に分け入り田畑を耕すだけの平穏無事な日々は、次第に、竜に焦りを与えるようになっていた。
 
(こんなことをしていて、いいのか?)
 何度自問したことか
……。その度に、隼人を引き合いに出して、その苛立ちをごまかしていたと言ってもよかった。
 
「おまえの安息の場所は、激動の嵐の中にこそある。そこから逃れたとて
……、何も得るものはない」
……
「今が良い潮時なのじゃ
……。冬が来る前に……
 
 ようやく覚悟の定まった思いの竜は、黙ってこれにうなずいた。
 
(もう自分をごまかすのはやめよう
……。いかに逃げようとも、決して、逃げ切れぬ宿命……。ならば、甘んじて、それを受け入れるしかない……
 
 
 
 その夜、竜は隼人に島を離れることを告げた。
 
「隼人は好きにすればいい
……。筑紫に戻りたければ、一緒に来ればいい。ここに残りたければ、それでもいい。おまえが自分で選ぶことだ……
 隼人は突然のことに、困惑しながらも、その心は既に決まっているようだった。
 
「俺は
……、ここに残る……
 竜自身も、予期していた答えだった。近頃の隼人の様子からすれば、きっと、そう言うだろうと思っていた。
「そうか
……。わかった……
 竜は一抹の淋しさを感じつつも、快く、これに同意した。
 
「一日も早く、足が元通りになることを祈っている
……。最後まで付き合ってやれなくて、申し訳ない……
……
「けど、短い間だったが
……、隼人に出会えて良かった……。今、俺は心からそう思っている……
 そう言って、笑顔を向ける竜に、どうしたことか、隼人はひどくうろたえていた。
 
「なぜだ
……
……
「なぜ、おまえは、いつもそんなふうに笑っていられるんだ!」
 肩を震わせ、声を荒げる隼人を、竜は訝
(いぶか)った。
「俺は
……、おまえに、散々な態度を取って来たのに……。なぜ、怒らない! なぜ、そんなに俺に優しくする……
 そう言い捨てて、顔を背けた隼人に、竜は戸惑いを覚えながらも、穏やかな瞳を向けた。
 
「隼人のことを、信じているからさ
……
……
「俺は、一度もおまえのことを、嫌なやつだと思ったことはない
……。そりゃあ、強情で、乱暴な口ばかりきくけど……、でも、本当はいいやつなんだって、そう信じられるから……
 隼人は愕然としながらも、次の瞬間には、自虐的な薄ら笑いを浮かべていた。
 
「俺がどういう人間か
……、そいつを知れば、そんな綺麗事など言っていられなくなるさ……
……隼人?」
 この日の隼人は、明らかに、いつもと様子が違うと、竜も感じていた。
 
「俺は、ずっと前から、おまえのことは知っていた。もう五年にもなるのに、忘れられず
……。いや、忘れるどころか、前にも増して、俺の心を追い詰めて行く……。巫(かんなぎ)の婆の言った通りだ……
 竜には隼人の言わんとしていることが、どうにも見えてこない。
 
「まだ、わからないのか?」
……
「五年前のあの日、仏像を盗んだのは
……、この俺だ!」
 
 隼人の告白に、竜は呆然となった。
 俄かに蘇ってくる凄惨な記憶
――。盗みの疑いをかけられ、袋叩きに遭って……。人を人とも思わぬ理不尽な責め苦で受けた悲しみは、今なお、竜の心の奥深くに残っていた。
 
「おまえに死にも等しい屈辱を与えた
……。その俺を、おまえは許すことができるのか!」
 竜の思考は、すっかり麻痺して、とても、言い返す所ではなかった。
 
「あの時、俺は
……、おまえがひどい目に遭っているのも、見て見ぬ振りをして、やり過ごした。捕まれば俺も同じ目に遭わされる……、怖かったんだ……
……
「物心ついた頃から、親も兄弟もない孤児
(みなしご)で、その日のねぐらも、食う物もない惨めな毎日だった。通りすがりの男に、金目のものを持ってくれば、たらふく食わしてやると言われて……、つい、それに乗っちまった……。今にして思えば、ほんの一時の、夢でしかなかったのにな……
「隼人
……
 
「五年が経って、忘れかけていたのが
……、思いがけず、同じ船に乗り合わせた……。俺は、あの時の復讐をされたような気がした。おまえは、見違えるように、立派なご身分になっていたからな……。妬(ねた)ましかったよ……。もし、あの時捕まっていたのが、俺だったら……。自分のやったことを棚に上げて、そんな馬鹿なことを考えもした……
 
 体のいい逆恨みだった。が、そんな隼人の気持ちも、竜には、よくわかるような気がした。
 竜にしても、あんな目に遭ったればこそ、玄武にめぐり合うことができたのではないか
……。あるいは、この隼人に差し伸べられるべき手を、自分が奪ってしまったのかもしれない……。そんな思いが頭をよぎり、とても隼人を責める気にはなれなかった。
 
「俺は
……、そういう情けないやつなんだ……。おまえの慈悲に縋(すが)る価値もない……
……
「一人で生きてきた
……。誰にも頼らず、誰からも頼られずに……。信じられるのは俺自身だけと……、ずっと、そう思っていた……。だから……
 声を詰まらせた隼人の目には、いつしか、涙があふれていた。
「隼人
……
 
「まさか、助けてもらえるとは、思わなかった
……。俺なんかのことを命懸けで……。そんな馬鹿なやつ、この世にいるわけないと思っていたんだ……
 うつむいた隼人の膝は、止めど無くこぼれ落ちる涙で、見る間にびっしょりと濡れていた。
 
「隼人
……、もういい。おまえの気持ちは、よくわかったから……
 竜はたまらず、隼人の手をとり、何度もうなずいた。
 
「もう過ぎたことだ
……。俺は今もこうして生きている。それに、あのことがあって、玄武の頭とめぐり会えたのも事実だ……。誰かを恨みに思う気持ちなど、とうに、どこかへ消えてしまっている……
「竜
……
 
「だから
……、もう何も言うな……
 そう言って、向けられた竜の笑顔が、隼人には神々
(こうごう)しいまでに、まぶしく見えた。
 
「今ならよくわかる
……。玄武の頭は、おまえだから引き取ったんだ……。もし、俺が同じ目に遭っていたとしても、そうはしなかっただろう……。俺みたいな、性根の曲がったやつのことなど、はなから気にも留めなかったろうさ……
「そんなことはない
……
「いや、そうなんだよ!」
 隼人は涙の跡をぬぐおうともせず、竜の目をしかと見返した。
 
「俺は
……、この島で、もう一度生まれ変わりたい……。おまえのように、人を信じて、生きて行きたい……。今、心の底からそう思っているんだ。そして、こんな気持ちにしてくれた、この島と、ここに住むみんなのために、俺も何かしたい……
 隼人の決意に触れ、竜もまた、感極まって、涙がこぼれ落ちそうになった。
 
「竜、この恩は、一生忘れはしない! おまえのためなら、何だってする。だから
……、何か事ある時には、俺のことを必ず思い出してくれ……
「隼人
……
「その時までには、少しは、頼りになる男になっているから
……
 隼人は、涙でグシャグシャになった顔で笑いかけ、竜も涙をこらえ、懸命に笑ってみせた。
 
 かくして、五年という長い歳月を経て、心の奥底に抱え続けてきたしこりを、ようやく、取り除くことができた隼人と竜
――。一つ苦境を共に乗り越えたこの二人の間には、新たに、友情という名の強い絆が結び合わされていた。
 
  ( 2004 / 12 / 03 )
   
   
 
   
 
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