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「本気かよ!」
不意打ちのように、竜から奥州下向を打ち明けられた弥太と伝六は、ただもう唖然とするばかりだった。
「おまえ、わかっているのか? 奥州がいったいどういう所か……」
まず口火を切った伝六は、
「東国の果ても果ての、そりゃあもう、とんでもねぇ僻地(へきち)なんだぞ。そんな所に、何を好き好んで出かけて行こうって言うんだ? どうせまた、吉次の野郎に言いように丸め込まれたんだろう」
と、けんもほろろに捲くし立てた。
「まあ、落ち着け」
見かねた弥太が、とりあえず、なだめようとはしたものの、
「何だよ! 弥太は竜が東国へ行くのに賛成なのか?」
と、逆に噛み付く始末であった。
「賛成も何も……、竜が自分で決めて、それをお頭が許したのなら……、俺達が口を出すことじゃねぇしな……」
およそ、他人事のような曖昧(あいまい)な口振りの弥太に、伝六は一つ歯軋(はぎ)りしたかと思うと、そのまま、プイと背を向けて、奥の部屋に引き籠(こも)った。
「伝六!」
慌てて後を追おうとした竜だが、やにわに肩を弥太に引き戻された。
「放っておいてやれ……」
「けど……」
「あれで……、おまえがいなくなるのが淋しいのさ……」
「……」
「日頃、いくら一人前の口を利いていても、中身の方は、相変わらずガキのまんまだからな……。内心、おまえの身に何か起きやしねぇかと、気が気でねぇんだろうよ」
「弥太……」
「前に、おまえが行方知れずになったと知らされた時も、しばらくは、えらい落ち込みようだったからな……」
少し意外な気もする竜だったが、そんなことを聞かされると、一抹、後ろめたい思いも胸をよぎる。
「竜……、一つだけ聞いておくが……」
遠慮がちに切り出され、竜もひとまず向き直ると、
「本当にいいんだな」
一転して、真顔で弥太が尋ねた。
「吉次の頼みを断れねぇから……、それで、仕方なく承知したわけじゃねぇんだよな」
「……」
「その……、何だ……。おまえはいつも人のことばかり考えて、それに合わせちまう所があるから……、どうにも気になってな……。もし、断りづらくて……、それでなんだったら……」
弥太らしい気の回し方が、竜にはいささか心苦しくも思われたが、すぐに小さく首を横に振ると、
「そんなことはないさ。そりゃあ、最初のうちはあまりにも唐突すぎて、これはまた、担がれているのかとも思ったけど……。けど、話を聞いて、真っ先に『行きたい……』と思ったのは確かだから……。宋へ渡る話が持ち上がった時もそうだった。でも、それを言い出す勇気が、どうしても持てなくて……。頭が『行け』と言ってくれるのを心のどこかで期待していた……」
文覚に言われて、はっきりとわかった。
東国へ―― 答えはとうに出ていたのである。しかし、その一言を口にするにも、誰かに背中を押してもらわなければ前に進めない……。そんな己の不甲斐なさが、我ながら、もどかしくも思われる。
「今はただ、とにかく行ってみたい……。東国という見も知らぬ世界を、是非ともこの目で確かめてみたい……。それが、今の正直な気持ちなんだ」
真摯(しんし)に訴えかける竜に、弥太もようやくその本気を理解したようで、
「そうか……。だったら、俺はもう何も言わん……。おまえも胸を張ってここを出て行けばいいんだ」
「弥太……」
「あの臍曲(へそまがり)のことなら心配はいらんぞ。あいつのことだ、一晩寝たら、何もなかったような顔をして起きてきやがるに違いねぇ」
そうあってほしいものと、竜も心の中で願った。重衡の時のように、気まずい思いのまま別れたくはない。
「それより、竜。勝手知らぬ陸路だ。くれぐれも、この前みたいな、無謀なことだけはしてくれるなよ……と言いたい所だが……、どだい無理な話だな」
口にしたそばから、弥太は自嘲気味にクスリと鼻で笑う。
「まあ、あの吉次が何十遍と行き来していて、毎度、何食わぬ顔をして現れるんだから、まず心配はねぇだろうが……。頭や桔梗だけじゃねぇんだぞ。俺も伝六も寿老だって……、みんなおまえの帰りを待っている……。そのことだけは、何があっても忘れるなよ。いいな!」
最後は、念押しをするように真剣な目で見つめられ、
「もちろん、よくわかっているさ……。それに、だから行けるんだ……。待っていてくれる人達がここにいる……、俺は一人じゃない……、そう信じられるから……」
と、少し照れ笑いを浮かべながら答えた竜――。その心に、もはや迷いの影はなかった。
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吉次一行が京を後にしたのは、初夏の気配も漂う四月半ばのことであった。
都大路を何十もの駄馬を連ねて行き過ぎる行列ともなると、通りがかりにふと足を止めて、これを見送る者も少なくはない。そこかしこにできた人垣を目の端に置きながら、ゆっくりと隊列の半ば辺りを歩いていた竜は、やがて、遠目に弥太と伝六の姿を見つけ、わずかに瞳を揺らめかせた。
「奥州土産は何を頼むかな?」
弥太の予想した通り、伝六は次の朝には、もうケロリとしたものだった。
「どうせなら、筑紫じゃお目に掛かれねぇものの方がいいよな」
「海豹(あざらし)の皮とかな……」
つと、弥太の合いの手が入ると、
「そりゃいいな……。この際、吉次からは貰えるものはしっかり頂いておけよ。だいたいが、おまえに頼めばタダで済むとぐらい考えていそうだからな」
訳知り顔で竜に釘を差す辺りも、すっかりいつもの調子に戻っていた。
「おまえがいねぇ間、その皺寄せは全部おいらに回って来るんだからな。とっとと片をつけてすぐにも戻って来いよ」
取ってつけたような憎まれ口も、伝六らしい照れ隠しであることは、誰の目にも明らかだった。
「ああ、奥州までおよそ一月の旅と言うから……、遅くとも秋には戻って来られるだろうさ」
竜はそう軽く請け合い、宿を後にして来たのである。
沿道に立つ二人との距離が次第に縮まり、直にすぐ真横を通り過ぎた。が、互いに声をかけ合うこともなく、ただ見交わすだけの、それはヤケに呆気ない別れだった。
「おい、いいのか?」
と顎(あご)をしゃくる吉次にも、
「別れの挨拶は宿を出てくる時に済ましてきたから……」
言葉少なに答えて、竜は努めて視線をまっすぐ前に定めた。
見送られることには慣れていないし、淋しくないと言えば嘘になる。多くを語れば、声の震えを感づかれるかもしれない……。そう思うと、今は、吉次と目を合わすことすら憚(はばか)られた。
「どうだ? こんな風に都大路を練り歩くことなんぞ、おまえも初めてだろう」
竜の様子に察するものでもあったのか、吉次は急に話の矛先(ほこさき)を変えた。
「これも平泉の御館(みたち)の勢威の程を示す儀式のようなものでな……」
「……儀式?」
「平家ばかりではないぞ……と、世に知らしめるためのな……」
声を低めて耳打ちする吉次に、竜は思わず首をかしげた。
「まあ、その話はおいおいとな……。今はこの京の町をしっかりと目に焼き付けておくことだ。あるいは、これが見納めになるやもしれぬかならな……」
からかい半分で言っているのは百も承知だが、もちろん竜もその覚悟を持って、今回の旅に加わっている。
ふと歩みを止め、竜はおもむろに振り返ると、霞たなびく大路をゆっくりと見渡した。
再びこの地を踏むことができるかどうか……、その確証はない。が、もし、それが叶ったなら……、今度こそ、重衡とも心を開いてじっくりと向き合おう……。そのためにも、やはり何としても、生きて戻らねば……。
その固い決意を胸に、竜は踵(きびす)を返すと、再び東を指して歩み始めた。
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