東国への道 (壱)
 
   
 
「本気かよ!」
 不意打ちのように、竜から奥州下向を打ち明けられた弥太と伝六は、ただもう唖然とするばかりだった。
 
「おまえ、わかっているのか? 奥州がいったいどういう所か
……
 まず口火を切った伝六は、
 
「東国の果ても果ての、そりゃあもう、とんでもねぇ僻地
(へきち)なんだぞ。そんな所に、何を好き好んで出かけて行こうって言うんだ? どうせまた、吉次の野郎に言いように丸め込まれたんだろう」
 と、けんもほろろに捲くし立てた。
 
「まあ、落ち着け」
 見かねた弥太が、とりあえず、なだめようとはしたものの、
「何だよ! 弥太は竜が東国へ行くのに賛成なのか?」
 と、逆に噛み付く始末であった。
 
「賛成も何も
……、竜が自分で決めて、それをお頭が許したのなら……、俺達が口を出すことじゃねぇしな……
 およそ、他人事のような曖昧
(あいまい)な口振りの弥太に、伝六は一つ歯軋(はぎ)りしたかと思うと、そのまま、プイと背を向けて、奥の部屋に引き籠(こも)った。
 
「伝六!」
 慌てて後を追おうとした竜だが、やにわに肩を弥太に引き戻された。
 
「放っておいてやれ
……
「けど
……
「あれで
……、おまえがいなくなるのが淋しいのさ……
……
 
「日頃、いくら一人前の口を利いていても、中身の方は、相変わらずガキのまんまだからな
……。内心、おまえの身に何か起きやしねぇかと、気が気でねぇんだろうよ」
「弥太
……
「前に、おまえが行方知れずになったと知らされた時も、しばらくは、えらい落ち込みようだったからな
……
 少し意外な気もする竜だったが、そんなことを聞かされると、一抹、後ろめたい思いも胸をよぎる。
 
「竜
……、一つだけ聞いておくが……
 遠慮がちに切り出され、竜もひとまず向き直ると、
「本当にいいんだな」
 一転して、真顔で弥太が尋ねた。
 
「吉次の頼みを断れねぇから
……、それで、仕方なく承知したわけじゃねぇんだよな」
……
「その
……、何だ……。おまえはいつも人のことばかり考えて、それに合わせちまう所があるから……、どうにも気になってな……。もし、断りづらくて……、それでなんだったら……
 
 弥太らしい気の回し方が、竜にはいささか心苦しくも思われたが、すぐに小さく首を横に振ると、
 
「そんなことはないさ。そりゃあ、最初のうちはあまりにも唐突すぎて、これはまた、担がれているのかとも思ったけど
……。けど、話を聞いて、真っ先に『行きたい……』と思ったのは確かだから……。宋へ渡る話が持ち上がった時もそうだった。でも、それを言い出す勇気が、どうしても持てなくて……。頭が『行け』と言ってくれるのを心のどこかで期待していた……
 
 文覚に言われて、はっきりとわかった。
 東国へ
―― 答えはとうに出ていたのである。しかし、その一言を口にするにも、誰かに背中を押してもらわなければ前に進めない……。そんな己の不甲斐なさが、我ながら、もどかしくも思われる。
 
「今はただ、とにかく行ってみたい
……。東国という見も知らぬ世界を、是非ともこの目で確かめてみたい……。それが、今の正直な気持ちなんだ」
 
 真摯
(しんし)に訴えかける竜に、弥太もようやくその本気を理解したようで、
「そうか
……。だったら、俺はもう何も言わん……。おまえも胸を張ってここを出て行けばいいんだ」
「弥太
……
「あの臍曲
(へそまがり)のことなら心配はいらんぞ。あいつのことだ、一晩寝たら、何もなかったような顔をして起きてきやがるに違いねぇ」
 
 そうあってほしいものと、竜も心の中で願った。重衡の時のように、気まずい思いのまま別れたくはない。
 
「それより、竜。勝手知らぬ陸路だ。くれぐれも、この前みたいな、無謀なことだけはしてくれるなよ
……と言いたい所だが……、どだい無理な話だな」
 口にしたそばから、弥太は自嘲気味にクスリと鼻で笑う。
 
「まあ、あの吉次が何十遍と行き来していて、毎度、何食わぬ顔をして現れるんだから、まず心配はねぇだろうが
……。頭や桔梗だけじゃねぇんだぞ。俺も伝六も寿老だって……、みんなおまえの帰りを待っている……。そのことだけは、何があっても忘れるなよ。いいな!」
 
 最後は、念押しをするように真剣な目で見つめられ、
「もちろん、よくわかっているさ
……。それに、だから行けるんだ……。待っていてくれる人達がここにいる……、俺は一人じゃない……、そう信じられるから……
 と、少し照れ笑いを浮かべながら答えた竜
――。その心に、もはや迷いの影はなかった。
 
 
 
 吉次一行が京を後にしたのは、初夏の気配も漂う四月半ばのことであった。
 
 都大路を何十もの駄馬を連ねて行き過ぎる行列ともなると、通りがかりにふと足を止めて、これを見送る者も少なくはない。そこかしこにできた人垣を目の端に置きながら、ゆっくりと隊列の半ば辺りを歩いていた竜は、やがて、遠目に弥太と伝六の姿を見つけ、わずかに瞳を揺らめかせた。
 
「奥州土産は何を頼むかな?」
 弥太の予想した通り、伝六は次の朝には、もうケロリとしたものだった。
 
「どうせなら、筑紫じゃお目に掛かれねぇものの方がいいよな」
「海豹
(あざらし)の皮とかな……
 つと、弥太の合いの手が入ると、
「そりゃいいな
……。この際、吉次からは貰えるものはしっかり頂いておけよ。だいたいが、おまえに頼めばタダで済むとぐらい考えていそうだからな」
 訳知り顔で竜に釘を差す辺りも、すっかりいつもの調子に戻っていた。
 
「おまえがいねぇ間、その皺寄せは全部おいらに回って来るんだからな。とっとと片をつけてすぐにも戻って来いよ」
 取ってつけたような憎まれ口も、伝六らしい照れ隠しであることは、誰の目にも明らかだった。
 
「ああ、奥州までおよそ一月の旅と言うから
……、遅くとも秋には戻って来られるだろうさ」
 竜はそう軽く請け合い、宿を後にして来たのである。
 
 沿道に立つ二人との距離が次第に縮まり、直にすぐ真横を通り過ぎた。が、互いに声をかけ合うこともなく、ただ見交わすだけの、それはヤケに呆気ない別れだった。
 
「おい、いいのか?」
 と顎
(あご)をしゃくる吉次にも、
「別れの挨拶は宿を出てくる時に済ましてきたから
……
 言葉少なに答えて、竜は努めて視線をまっすぐ前に定めた。
 
 見送られることには慣れていないし、淋しくないと言えば嘘になる。多くを語れば、声の震えを感づかれるかもしれない
……。そう思うと、今は、吉次と目を合わすことすら憚(はばか)られた。
 
「どうだ? こんな風に都大路を練り歩くことなんぞ、おまえも初めてだろう」
 竜の様子に察するものでもあったのか、吉次は急に話の矛先
(ほこさき)を変えた。
 
「これも平泉の御館
(みたち)の勢威の程を示す儀式のようなものでな……
……儀式?」
「平家ばかりではないぞ
……と、世に知らしめるためのな……
 声を低めて耳打ちする吉次に、竜は思わず首をかしげた。
 
「まあ、その話はおいおいとな
……。今はこの京の町をしっかりと目に焼き付けておくことだ。あるいは、これが見納めになるやもしれぬかならな……
 
 からかい半分で言っているのは百も承知だが、もちろん竜もその覚悟を持って、今回の旅に加わっている。
 ふと歩みを止め、竜はおもむろに振り返ると、霞たなびく大路をゆっくりと見渡した。
 
 再びこの地を踏むことができるかどうか
……、その確証はない。が、もし、それが叶ったなら……、今度こそ、重衡とも心を開いてじっくりと向き合おう……。そのためにも、やはり何としても、生きて戻らねば……
 その固い決意を胸に、竜は踵
(きびす)を返すと、再び東を指して歩み始めた。
 
 
  ( 2005 / 05 / 23 )
   
   
 
   
 
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