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華々しい行列を見せつけての出立も、粟田口(あわたぐち)を過ぎて程なくの、山科の辺の宿で最初の小休止を取り、ここで、竜も含めた人足全員に、胴丸(どうまる)などの簡易の武具が配られた。
「さすがに、この格好で都の大路を渡ったのでは、あまりに目立ちすぎるからな。それこそ『戦か!』と大騒ぎになるやもしれぬし……」
と吉次は説明したが、一気に物々しさの増す空気に、竜は改めて、東国へ向かう旅の過酷さを推し量り、身の引き締まる思いだった。
実際、これより先の行程は、竜にとって、想像以上に厳しいものであった。
海路と違い、陸路では自らを運ぶものも、自らの足しかない。他の人足達に混じって、駄馬を追い、徒歩(かち)で続くものの、船に手錬(てだれ)の竜にも、馬の扱いは勝手が違い、戸惑うことも少なくなかった。さらに、慣れぬ山道に加えて、肩に食い込む胴丸の重さ、照りつける強い日差しが、容赦なく体力を奪っても行く。
『逃げた道とても、必ずしも平坦(へいたん)とは限らぬのだぞ。むしろ、より険しい道を行くことになるやもしれぬ……』
図らずも、わずか一日目にして、文覚の言葉を、身をもって実感することになった。
普段は、陽気で気さくな吉次も、多くの随行者達を束ねる頭目らしく、厳しい商人の顔を見せる。それは、いつも、伝六と遣り合っていたのとは、とても同じ人物と思えないほどであった。
過酷な旅程だけに、宿についた時の、人足達の羽目のはずし方も半端ではない。豪快に飲んで食べて……、疲れきった竜には、とてもついて行けたものではなかった。
「どうだ? 少しはこたえたか?」
膳にもほとんど手をつけず、虚ろな目をしている竜に、吉次が声をかけた。
「初めのうちは、誰でもそうだ。あまりにつらくて、食い物もろくに喉を通らん……」
それには、竜も全く異論はない。
「他のやつらの手前、おまえ一人、特別扱いするわけにもいかんのでな……」
「わかってる……。大丈夫だ。そのうち慣れるさ……」
ただの強がりでしかないことは、吉次もお見通しだろうが、竜にもそれなりの意地があった。
「まあ、何も考えずに眠ることだ。一日ぐらい食わなくても、死にはせん……。だが、寝不足は禁物だぞ。明日もまた、長い道のりを行かねばならん。ぼうっとしている間に隊からはぐれて、迷子にでもなられたのではたまらんからな……」
などと吉次は笑い飛ばして、直に酒盛りの輪へと戻って行った。そして、言われるまでもなく、その夜は、竜もあっと言う間に深い眠りに落ちていた。
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翌日は東山道(とうさんどう)に入り、起伏はさほどではないものの、前日以上の好天に恵まれ、その過酷さには何ら変わりはなかった。が、昨夜はよく眠れたせいか、随分と身体は軽く感じられた。一行の後を、追うように着いて来ている二人連れの存在に気づいたのも、周りに目を配るだけの余裕が出て来た証拠であった。
一人は僧形(そうぎょう)の大男で、もう一人は深い笠を被ってはいるが、背格好からして、恐らくはまだ子供であろう。
一行が止まれば休み、動き出せば再び歩き出す……といった具合に、後を追っているのは明らかで、吉次もそのことには気づいているふうなのだが、取り立てて何も言わず、あえて素知らぬ振りを通しているようにも見受けられた。
思いのほか順調に進んだこの日は、目的地の近江国鏡の宿(かがみのしゅく)にも、まだ日のあるうちにたどりつき、常の往来で懇意にしている長者の招きで、吉次を始め、主だった者は旅装を緩める間もなく、酒宴の席へと出掛けて行ったが、どうも気乗りのしない竜は、これには同行せず、他の何人かと共に居残っていた。
昨日ほどの疲労感は残っていないものの、それでも、まだ陸の旅に身体も気持ちもついていかない。夕餉(ゆうげ)をどうにか無理にも胃に流し込むと、すぐに横になり、直に眠り込んでいた。
しかし、あまりに早く床に就いたせいか、夜更けにふと目が覚めてしまった。あるいは、辺りにむせ返る酒気や、すさまじい轟音(ごうおん)のせいか……。すっかり酔いつぶれた連中が、所かまわず高いびきで寝転がっていた。
ひどく息苦しさを覚えた竜は、暗がりの中を、足の踏み場を探しつつ外に這(は)い出ると、一つ深呼吸して天を仰いだ。
月の出の遅い夜空は、瞬く星々で埋め尽くされ、手を伸ばせば触れられそうに近い。瀬戸内の船の上からのそれとは、随分と違う眺めであった。
「どうした? 眠れぬのか?」
ふいの声に驚いて振り返ると、吉次の姿があった。
「しっかり眠っておかぬと、明日がまたつらいぞ」
またもや、からかい半分に言われて、少し辟易(へきえき)とした思いの竜は、
「そういう吉次こそ、こんな夜更けまで飲んでいて大丈夫なのか?」
と皮肉っぽくやり返したが、
「なに、酔い覚ましに厩(うまや)を見回って、その後で一刻(いっとき)ばかり眠れば、このくらいの酒はすぐに抜ける」
何気なく答えた吉次に、竜はハッと気づかされたように瞠目(どうもく)した。
「……いつもそうなのか?」
竜の問いの意を察して、吉次はわずかに顔を歪(ゆが)めると、
「人足どもは文字通り大事な足だからな。たらふく食わせて、飲ませて、眠られせねばとても身がもたん。こっちは、昼の間に、馬の背に揺られながら一眠りもできる。夜中の見回りぐらい大したことでもない」
平然と言ってのける吉次に、竜はなおも少し当惑しながら、
「吉次はすごいお頭なんだな……」
「……何だと? 今頃、気づいたのか?」
いささか不満げに言う吉次に、竜は笑って大きくうなずく。思わず噴き出した吉次は、そのまま傍(はた)の濡れ縁に腰を下ろすと、竜にも隣に座るよう促した。
「どうだ、こういう旅も、たまにはいいものだろう?」
「……ああ。余計なことを考えずにすむから、気は楽だ……」
聞きながら、吉次は小さく相槌(あいづち)を打っていた。
「吉次、ありがとう……」
「……何がだ?」
「あのまま京にいたら……、俺は気が変になっていたかもしれない……」
「……」
「足手まといになるのを承知で、それでも俺を連れ出してくれて……、感謝している……」
そう言って、頭を下げる竜に、吉次はしばし唖然としつつ、やがて、声を立てて笑い出した。
「おまえは何かと気を回し過ぎだ。俺は人手が足りずに困っていた。だから、おまえに頼んだ。ただ、それだけのことだ。他意はない。それに、どこの世界に、足手まといをわざわざ背負い込む(しょいこむ)阿呆(あほう)がいる? おまえは、口答えもしなけりゃ、仕事も早い。全く、人足の鏡だ。伝六のやつに頼まなくて正解だったよ……」
「吉次……」
「そういう余計な気遣いは、今後は一切無しだ。俺は、他のやつらとおまえを区別するようなことはしない。もし、本当に足手まといと判断すれば、その時は、容赦なく捨てて行くから覚悟しておけ。いいな」
吉次の強い口調に、竜もにわかに表情を引き締めた。それを見て、また苦笑をにじませながら、吉次は竜の背中をポンと一つ叩くと、
「おい、何を神妙な顔をしてやがる……。大丈夫だ、おまえなら……。死と背中合わせの大嵐を、二度も乗り越えてきたのだろう? それに比べれば、何ということはない。東国は確かに京から見れば、鄙(ひな)には違いないが、都人が言うほど、野蛮な所でもない。平泉など、京にも勝る大都なのだぞ。その富裕の様は、平家一門なんぞ足許にも及ばぬ。黄金が生み出す、真(まこと)のこの世の栄華――。今度の旅で、おまえの価値観を存分に覆(くつがえ)してやる!」
意気盛んに語る吉次に、竜はただぼんやりと聞き入っていた。
(……真のこの世の栄華?)
平家の力をその身をもって知る竜には、それを凌(しの)ぐとも言われる奥州藤原氏の財力など、壮大なあまり、まるで想像もつかない。吉次も、そんな竜の戸惑いの程を察しつつ、得意げにさらに話を続けた。
「そもそも、俺がこの商いを辞められぬのは、京にばかりいては、この国の真の姿が見えぬからだ。京での平家一門の羽振りの良さを見ていると、それこそ、これが永久に続くようにも思われる。だが、京を一歩出れば、それが、単なるまやかしに過ぎぬことがよくわかる。東国や奥州には、京や平家の力の強い西国とは全く違う世界がある。そして、そこに住む人もまた様々だ……。多くの人物と出会うことは、何よりの財産だ。いざという時のために……」
「……いざという時?」
「京のお方は、どなた様こなた様も、東国武士の力を侮(あなど)り過ぎている。いつ何時、大きな争乱が起きても不思議はない……。なれば、その時、いったい誰を頭上に戴(いただ)くか……、それを見誤らぬことが肝要だ。己の命をも託すことのできる人物を……」
語るほどに、吉次の目は、一段と輝きを増していた。
「俺達は、自らが大きな力を手にすることはできない。だが、その力を握る者を、選ぶことはできる……。今は確かに平家の天下だが、それは俺達にとって、さほどの不満もないからだ。そりゃあ、公卿の面々は煮え湯を飲まされて、良い気はしないだろうが、所詮は内裏という小さな世界の中だけの話だ。とりたてて、俺達庶民にまで、そのしわ寄せが来ているというわけでもない。しかし、これから先……、もしも、巷(ちまた)の多くの民をも苦しめるような政(まつりごと)を行うならば……、その時は、こっちにも考えがある……」
吉次の話は一気に熱を帯び、竜にはもはやついて行けなくなっていた。やがて、吉次もそのことに気づいたのだろう、急に話の腰を折った。
「まだ京を離れて、三日と経っていない……。俺にしてみれば、ここもまだ京の内だ。旅を続けて行けば、否が応でも、俺の言っていることがわかるようになる」
そう言って、笑いかけた吉次が、急に首をすくめた。
「少し、冷えて来やがったな……」
夏が近いとは言え、京の町中と違って、夜分はかなり冷え込む。
「もう一回りして、俺も休むかな……」
あくび混じりに軽く伸びをする吉次を横目に眺めながら、竜はおもむろに切り出した。
「吉次、一つ聞いていいか?」
「……何だ?」
「ずっと気になっているんだが……、俺達の後をついて来る二人連れ……」
言われて、なぜか、吉次の顔が見る間に険しくなった。
「あれは、いったい……」
「知らん振りしてろ! くれぐれも、口なんかきくんじゃないぞ!」
頭ごなしに叱りつけるなど、吉次にしては珍しい動揺の仕方だった。
「けど、一人はまだ子供みたいだし……」
「いいから、あいつらには何があっても関わるな! こっちは断ったのに、勝手について来やがるんだ……。俺の知ったことか!」
と、不機嫌そうに吐き捨てたものの、怪訝(けげん)に見つめる竜の眼差しに、ふと我に返ると、
「おまえは何も気にすることはない……」
吉次は妙なごまかし笑いを浮かべて、つと立ち上がりかけた。が、それとほぼ同時に、微かな気配を感じた竜が、咄嗟(とっさ)にその袖を引っ張っていた。
「……どうした?」
竜は吉次を制して、聞き耳を立てている。
「……竜?」
「何かが近づいて来る……。人か、獣か……。人なら十人……、いやもっとだ……」
「何だと!」
吉次も耳をそばだててみるものの、別段、何も聞こえてはこない。が、玄武から、竜の人並みはずれた、異変を察知する能力は聞いていたため、それを疑うことはなかった。
「おまえはここでじっとしていろ。くれぐれも手出しはするなよ!」
と、強く念を押して、スッと竜から離れると、吉次は人足達を呼びに館へ駆け戻った。
その間にも、不ぞろいの足音は確実に近づいてきていた。竜は矢も楯もたまらず、ともかく厩へと向かった。相手が盗賊であれば、まずはそこが狙われるに違いない。馬達も異変を察しているのだろう、嘶(いなな)きの声が次第に高くなっていた。
竜が厩にたどり着くか着かぬかのうちに、裏山の木立の間に、いくつもの松明の火が見え隠れしたかと思うと、一斉に鬨(とき)の声が上がった。暗闇の中のこと、確かな人数まではわからなかったが、およそ三十人近い集団であろう。
吉次に追ったてられた人足達も、まろびつつ、三々五々に姿を現しはしたものの、いかに屈強の男達といえども、何分、起き抜けで、まだ酒も抜け切っておらずでは、足元すらおぼつかない。ましてや、闇の中から突然現れた一団に、気も動転していた。
賊徒達は各々(おのおの)が打ち物を片手に、闇を巧みに利用して、死角を突いて来る。丸腰の竜に、なすすべなどあろうはずもなく、応戦するどころか、逃げ惑うことしかできず、何かに足を取られ転んだが最後、じりじりと壁際に追い詰められ、ついには、振り下ろされた太刀に、思わず目を伏せた。
ところが、次の瞬間、その刃(やいば)は竜を傷つけることなく、それを振るった主(あるじ)もろとも、地面に転がっていた。見上げると、例の二人連れの少年の方が、太刀を手に微笑んでいた。その顔を見て、竜はハッとした。
かつて、京の五条の橋で見かけた立ち回りの片割れ――。
重衡が『遮那王(しゃなおう)』と言っていた、あの稚児(ちご)と瓜二つであった。同時に、連れの僧形の男もまた、その背格好からして、あの時の荒法師に違いないと思い当たっていた。
「大事ないか?」
遮那王の問い掛けに、竜は、夢中でうなずいた。それを見て、遮那王はにっこりと笑いかけると、争いの渦中へと勢い良く飛び込んだ。
あの五条の橋の時そのままに、軽やかに舞う蝶の如き動きが、立ち向かう者のことごとくを翻弄(ほんろう)する。
その凄(すさ)まじいばかりの太刀さばきには、微塵(みじん)のためらいもなく、わずか一撃に頽(くずお)れて行った男達は、いずれも急所を刺し貫かれ、既に息がなかった。
虫も殺さぬような涼やかな容貌をしたこの少年が、その夜、血祭りに上げた屍(しかばね)は幾体に及んだことか……。
ただ、呆然と見つめるばかりの竜は、その激しさ、残忍さに、胃の腑(ふ)をかき回されるような苦しさを覚えながらも、なぜか、そこから目を逸(そ)らすことができなかった。
白々と夜の明け始めた頃――、賊の立ち去った後は、さながら、合戦でもあったかのような散状を呈していたが、幸いにも、馬も荷も一つとして奪われることなく、人足達も、多少の刀傷を受けた者はいたが、皆無事であった。
「遮那王殿……」
吉次は、遮那王の許に歩み寄ると、頭(こうべ)を低くした。
「今夜のことでは礼を申し上げる。荷を奪われずに済んだのも、あなた様のおかげにござりまする」
吉次は、丁寧な口上を述べた。
「礼には及ばぬ」
遮那王は、無邪気に笑いかけた。が、吉次はなおも表情を崩すことはなかった。
「しかしながら……、平泉にお連れすることだけはできませぬ! このことは、先日、はっきりとお断り致しました!」
吉次の毅然とした物言いにも、遮那王はまるで意に介するふうもなく、ただ笑顔を返すばかりだった。
「わかっておる……。我らは、勝手に旅をしておるだけのこと。気に致すな……。さあ、参るぞ、鬼若(おにわか)」
遮那王は鬼若と呼び掛けた荒法師を促し、すぐに引き上げて行った。二人の遣り取りを黙って眺めていた竜は、何とももどかしい思いでそれを見送った。
「吉次……、あの二人は、どうして平泉に行こうとしているのだ?」
竜に問われて、吉次は少し困った顔をしたが、やがて、その素性について語り始めた。
かつて、平家に敗れた源氏の棟梁の遺児である遮那王は、平相国の恩情により、出家を条件にその命を助けられ、鞍馬寺に預けられた。
ところが、十五にもなろうという齢(よわい)を迎えてなお、出家を拒み続け、いつの日か、武将となって平家を討ち、父の敵を取るという大望すら抱いているらしかった。そして、日ごとに強まる出家への周囲の動きに危機感を抱いて、平家の力の及ばぬ平泉に連れて行って欲しいと、吉次に頼んだのだという。
「平泉の御館(みたち)は、京の内裏と事を構えることを、極端に嫌われるお方だ。そんな所へ、遮那王殿をお連れしてみろ……、どういうことになるか……」
吉次としては、何としても、承知はできぬと言うのである。竜には、政(まつりごと)のことなどよくわからなかったが、少なくとも、遮那王なる少年が、平家の重衡とは全く逆の立場にあるということだけは理解できた。
勝者を父に持つ重衡と、敗者の子である遮那王――、二人のこれまでの足取りには、天と地ほどの差があった。
しかし、その悲惨な生い立ちに反して、時に人懐っこい笑顔を向け、時に非情なまでの冷酷さを露わにするこの少年に、竜は何か強く心を惹きつけられるものを感じていた。
「吉次……。これだけの荷を運んでいたら、今夜みたいなことが、この先、どれだけあるか……。荷を奪われては、平泉にも行けぬのではないのか?」
痛い所を突かれたか、吉次も答えに窮した。
「荷を平泉に無事届けるのが、今の俺達の役目だろう? あの二人がいれば、心強いと思うが……」
竜は、吉次の商人としての気質に訴えかけた。実際、また同じようなことがおきないという保証はない。その意味では、華麗な太刀さばきを目の当たりにしたばかりである。吉次の中にも、商人らしい計算が働き始めていた。
「どうしたって、俺達の後をついて来るのなら、いっそ……。それに、平泉の御館殿が、お会いになられぬかどうか……、それは、行ってみなければわからないのではないか?」
竜の言葉に、吉次の中の牙城(がじょう)は、脆(もろ)くも崩れ去っていた。
「うまく話を掏(す)り替えやがって……。おまえ、実は、とんでもない策士なのではないか?」
「……?」
「俺の負けだ」
そう言って、一つため息をつくと、すぐに吉次は、遮那王達の後を追いかけて行った。
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