聖の企て (壱)
 
   
 
「そいつが済んだら、次は五条中納言様のお屋敷だからな……
 涼しげに言う弥太に、伝六は、ほとほとうんざりとした顔をした。
 
「少しは休ませてくれよ! あっちに、こっちに
……、俺らの身体は一つしかねぇんだぞ。これじゃあ、とても身が持たねぇよ!」
 
「何情けないことを言ってんだ? このくらいのことで音を上げるなんぞ、全くだらしのねぇ
……
 弥太の容赦ない言い様に、伝六も思わず舌打ちした。
 
「吉次の野郎! よくも、竜を連れて行きやがったな! せっかく、あいつが帰って来て、少しは楽になると思ったのに
……
 
「無駄口を叩く間があったら、とっとと仕事を片付けるんだな。そうやって愚痴っていても、減るわけでなし
……
「へいへい。わかりましたよ
……
 伝六の投げやりな答えを聞きながら、おもむろに背を向けた弥太だったが、一向に遠のく足音が聞こえないのを不審に思い、ついと振り返った。
 
「まだ何か文句でもあるのか!」
 伝六は戸口の辺りで、棒切れか何かのように、ただ無言で立ちつくしていた。
 
「おい、どうした?」
 その不自然さを訝
(いぶか)しむ弥太の視界に、程なく、もう一つの人影が現れた。
 
 ひどくくたびれた黒の袈裟
(けさ)を身にまとい、じっと中を見回す眼光鋭い僧形の男――、これまで全く面識のなかった弥太には、それが高雄の聖(ひじり)文覚と知る由もなかった。
 
「何か
……御用で?」
 異様な気配にいささか怖気
(おじけ)づきながら、弥太はぎこちなく声をかけた。
 
「玄武は
……おらぬのか?」
 小さくつぶやいた文覚は、眼前の弥太には目もくれず、宿の中をジロジロと眺め回していた。
 
「お頭は、今出ているが
……。お知り合いで?」
 弥太が尋ね返すのにも、
「おらぬのか
……。それは残念……
 と一人ごちて、なおも、その目はどこか遠くを見つめていた。
 
「あの
……
 たまらず、尋ねかけようとした弥太に、今度は文覚もしっかりと視線を絡ませて、
「すまぬが、玄武に伝えておいてくれぬか?」
……
「しばらく、京を留守にすることになるゆえ、高雄の庵
(いおり)のことをよろしく頼むと……
……
「文覚が、そう申しておったとな
……
 
 一方的にそれだけ告げると、文覚は風のように去って行った。
 残された弥太も伝六も、わけのわからぬままに、唯々、呆然と見送るしかなかった。
 
「何なんだ? あれは
……
 狐につままれたような面持ちの弥太が、まず、第一声を上げた。
 
「驚いたなあ
……。高雄の天狗が、いきなり目の前に現れるんだから……
 伝六の方もホッとするあまり、腰も抜かさんばかりになった。
 
「あれが噂の文覚か
……。おまえの言ってた通り、何とも不気味な感じだ……
「そうだろう?」
 伝六はもっともな顔をして、弥太の同調を誘う。
 
「しかし、どういうことなんだろうな
……。京を留守にするとか、庵を頼むとか……
 早くも、少し冷静さを取り戻した弥太は、ふと、文覚の残して行った言葉の意味を考え始めた。
 
「そりゃあ、どこか旅にでも出るんだろう?」
 相変わらず、いい加減な口ぶりの伝六にも、
「しかし、そんなふうには見えなかったがな
……
 弥太はどうも納得がいかないようで、まだ、首をひねっていた。
 
「それにしても、前々から気になっていたんだけどさ
……
……
「お頭も変なヤツと知り合いだよな。福原から戻って来る度に、高雄詣でも付け届けも欠かさないし
……。いったいどういう関係なんだ?」
 
 と、急に水を向ける伝六に、
……俺が知るわけないだろう!」
 この時ばかりは、弥太も口を尖
(とが)らせた。
 
「けど、ここでは、寿老の次に古株だろう? 弥太は
……
「そりゃあ、そうだが
……。俺だって、今日初めて会ったんだからな!」
 と答える弥太に、伝六もつられて、うなずいていた。
 
「まあ、それを言うなら、お頭自体が謎なんだよな
……。只者じゃねぇって言うか……。小松谷のお殿様とも、古い知り合いみたいだしな……。今をときめく平家の公卿に、わけのわからねぇ坊主……。何とも、奇妙な取り合わせだぜ……
 
 伝六の言うことも、もっともだった。
 玄武の下で働くようになって早十余年
――。利き腕と自負する弥太にも、玄武その人の実像は、未だによくわからなかった。
 
 饒舌
(じょうぜつ)とは言い難い玄武は、全くと言っていいほど、自分の過去を口にすることはなかったし、時たま、寿老との遣り取りを立ち聞いて、わかったことと言えば、かつて、侍だったということぐらいのものである。
 もっとも、弥太にしても、それ以上、知りたいとも思っていなかったのだが
……
 
 今の玄武の人柄にこそ心酔し、その下で働くことが、弥太の生きがいとなっていた。今さら、あれこれ詮索する気もなければ、仮に過去に何があろうとも、その気持ちが揺らぐことなどない。
 一旦、命を預けたからには、何がなんでも、とことん信じ抜く
……、そこが弥太らしい実直さでもあった。
 
「おい、いつまで、そうやって油を売ってるつもりだ?」
 
 座り込んだまま、すっかりくつろいでいる伝六をジロリとにらみつけると、
「そら、行った、行った!」
 弥太は、二度三度と手を打って追い立てた。
 
 伝六はギョッとして、慌てて立ち上がり、
「人遣いの荒さじゃ、吉次といい勝負だよな。竜のやつも、今頃、えらい目にあってるんじゃねぇか?」
 例によって、小憎らしい捨て台詞
(ぜりふ)を残して出て行った。弥太もその後について、ひとまず表へ出る。
 
(竜
……か。今頃、どの辺りだろうな……
 
 京より東が未知の世界であるのは、弥太とても同様である。
 その行方に、一抹の不安を覚えながらも、一方で、あの竜であれば、どうとでもしのぐに違いない
……と、手放しに信じ切っている所もある。
 
 薄曇りをついて照りつける強い日差しの下、弥太はまぶしげに空を見上げた。そして、一つ大きく伸びをすると、また宿の中へと戻って行った。

 
  ( 2005 / 06 / 18 )
   
   
 
   
 
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