聖の企て (参)
 
   
 
『文覚捕わる!』の報は、玄武はもちろんのこと、京童をも大いに驚かせた。
 
 院御所法住寺殿
(ほうじゅうじどの)への乱入のみならず、高雄神護寺の再建のために『千石の庄の寄進を!』と直訴にまで及び、それが聞き入れられないとなるや、御前にて悪口雑言の限りを並べ立てるなど、その余りに傍若無人な行いが、遂には院の怒りを買う所ともなり、即刻、検非違使の下役に引っ立てられたのだという。
 
 その後、文覚の身柄は、右京権大夫源頼政に預けられたが、やがて下った裁定は伊豆国への配流
――。頼政の嫡子仲綱が国の守を務めていたこともあるが、政治犯並みの遠流(おんる)という最も重い刑罰に処せられようとは、誰しも予想し得ないことであった。
 
「畜生! 馬鹿にしやがって!」
 騒動から数日が経ったある夜のこと、放免
(ほうべん)の溜(たまり)で、一人の男が吐き捨てるように言い放った。
 
 放免とは、検非違使庁の最下級の職で、犯罪人の探索や捕縛、あるいは流人の護送の役目に当る、言わば下っ引きのようなものである。
 その名の通り、かつて罪を犯した囚人ながら、裏社会の事情をよく知ることを逆手に取り、特に赦免
(しゃめん)されて、召し使われている者達なのだが、元が罪人なだけに素行も悪く、役人の威光を笠に来て乱暴を働く者や、何かにつけ賄賂(わいろ)を要求する者も、後を絶たなかった。
 
「どうした? 何をそんなに怒ってやがる?」
 憤懣
(ふんまん)やる方ない様子のその男を、他の仲間達が取り囲んだ。
「どうしたも、こうしたもあるものか! あの、くそ坊主!」
……
 
「心づけしだいで、自ずと扱いが変わるのがここの流儀
――。『金のある知り人があれば文遣いをしてやる……』と親切で言ってやったものを、何て抜かしやがったと思う?」
「さあて
……
 
「やれ、上等の紙を出せだの、字が書けぬからわしに書けと、文句ばかり申して
……。挙句に、書いたら書いたで、宛名は清水の観音房(かんのんぼう)だと! 人を愚弄(ぐろう)するにも、程があるというものだ!」
 
「清水の観音房ねえ
……。そいつは恐れ入った」
 聞き役に回っていた男達は、呆れた体
(てい)で顔を見合わせた。
 
「何でも、あの坊主、相当、頭がイカレてるって話しだ
……。真面目に取り合うと、こっちが、馬鹿を見る……
「いくら、暮し向きに困ったからと申して、よりによって、院の御所に物乞いに参るとは
……
「痴
(し)れ者の程が、わかろうと言うものだ……
 それぞれが言いたい放題に悪態をつく。
 
「まあ、明日の朝には、この京から追っ払われる身だ。せいぜい、言いたいことを言わせておけ
……
 放免達は、日頃の憂さを晴らすように散々に嘲り笑い、いつの間にか、その場に忍び入っていた者にも、まるで気づかぬ有様だった。
 
「その痴れ者に、会わせてもらいたいのだが
……
 ふいの声に、男達は咄嗟に身構え、一斉に振り返った。と、そこには、大きな甕
(かめ)を抱えた、一人の男が立っていた。
 
 
 
「あと半時したら役替りだ。それまでの間だからな……
 案内して来た男は、無愛想に言い捨てると、そそくさと立ち去った。
 
「おぬし
……
 見上げた文覚が我知らず絶句する。
 
「思ったより、元気そうではないか
……
 にこやかに言う玄武にも、文覚は不快げな顔をのぞかせた。
 
「何をしに参った!」
「相変わらず、つれない申し様よな
……。せっかく訪ねて参ったものを、他にもっと言い方もあろう……
「あいにく、これが、生まれついての性分でな
……
 文覚のすねたような口ぶりに、玄武は苦笑を浮かべつつも、直に真顔になり、
 
「何か申し残しておきたいことでも、あるのではないかと思うてな
……
 そう言って、文覚の前に腰を下ろした。
 
「あの日、わざわざ訪ねて参ったそうではないか? 高雄の寺のことを頼むと
……。おぬし、こうなることを覚悟の上で、あのような無謀な真似を……
 
 文覚は、玄武の問い掛けには答えず、
「竜は、東国へ参ったのであろう?」
 あっさり話の矛先を交わされ、玄武も一瞬口籠った。
 
「ああ
……。宗高に着いてな……
「そうか
……
 玄武の返答に、文覚は一つ大きくうなずいて、
「わしも、己の天命に従うたまでのこと
……。あの寺を再建する……、その天命を全うするために……
 
「したが、それで捕えられ、遠国
(おんごく)に流されたのでは、何にもならぬではないか! これでは、捨て石に過ぎぬ!」
 思わず玄武も声を荒げた。が、
「そう思うか?」
 文覚は、少しも気に病むふうもなく、むしろ、笑みさえも感じられる双眸
(そうぼう)を、玄武に向けた。
 
「この世に、無駄なことなど、何一つありはせぬ。一見、捨て石に見えることが、これからの世を大きく変える礎
(いしずえ)となることもある」
 
……
 
「確かに、わしの願いは院の耳には届かず、かような仕儀とあいなった。じゃが
……、此度の事で、少なくとも、院も、あの荒れ寺をどうにかして復興したいと願う、痴れ者の存在には気づかれたはず……。それだけでも、何もせずにおった頃よりは、一歩前に踏み出した……。そう思わぬか? 最も愚かなることは、何もせぬうちから、その可能性すら自らの手で摘み取ることじゃ……
 
……
 
「わしは、必ず戻って参る。高雄の寺をこの手で再建するために、この世に生を受けた身なれば
……、この命が終わる時もまた、それを成し遂げた時じゃ……。此度の流刑も、そのための試練の一つに過ぎぬ」
 文覚の凛とした風情に、玄武は返す言葉もなく、思わずうつむいた。
 
「おまえが、うらやましい
……
 ようやく聞き取れるほどの、小さなつぶやきだった。
 
……何がだ?」
「己の生きる道を、はっきりと見定めている
……
……おぬしはそうではないと?」
 文覚は、いたって穏やかに問い掛けた。
 
「俺は
……、いつまでも、靄(もや)のかかった闇をさまよい続けている……。どこへ向かえばよいのかもわからず。いつも、『これでよかったのか?』と自問して……。おまえのように『これだ!』と言える道標(みちしるべ)を見い出すこともできぬまま……
 そう言って、なおうなだれる玄武に、文覚は鋭い視線を投げかけた。
 
「わしには、とうにそれを見つけているように思えるが
……
……
「見つけていながら、それと向き合うことを怖れておるだけであろう
……
……何と?」
 
「玄武
……。天命とは、必ずしも、公明正大なものとは限らぬのだぞ。時には、人の謗(そし)りを受けるものとてもある……
……人の謗りと?」
 玄武は、やにわに文覚を見返した。
 
「今の世では正しいと思われることも、あるいは、次の世ではそうではないやもしれぬ
……。かと思えば、今の世では、世間の誹謗(ひぼう)に曝(さら)されることとても、次の世では、賞賛に値するものとなるやもしれぬ。人が人を評することに、絶対はない。その時々の、人間の都合の良いように、その価値も変わるもの……
 
「それは
……、俺に与えられた天命が、今の世の、人の謗りを受けるものだということか?」
 目を剥
(む)いて迫る玄武に、文覚は静かに首を横に振った。
 
「それはわからぬ
……
「盛遠!」
「わしには、己の天命は見えても、他人のそれは、しかとは見えぬ
……
 
「なれど、竜の天命は見えたのではないのか! 天下に野心を持つものを、その運命の渦に引き込み、翻弄すると
……、そう申したではないか!」
 
「あの者は、人ではない
……
 
 文覚の返答に、玄武も一瞬、我が耳を疑った。
……何と? 今、何と申した?」
 
「あの者は、人であって、人でない
……。人の姿をした、神だ……
……?」
 驚きのあまり、玄武は声を失った。
 
「無論、肉体そのものは、人のそれだ。だが、その心の奥底には、神が住まっている
……。いかような経緯(いきさつ)でそうなったかは、このわしにもわからぬが……。しかし、それゆえに、移ろい行く時の中で、ただ一人、年も取らず、姿形も変わらず、その心根も変わることはない……。あの者に出会う度に、人は己の老いに気づかされ、失なわれたものの重さを改めて思い知らされることにもなろう……
 
 毒気にでも当てられたような玄武の狼狽を尻目に、文覚はなおも続けた。
 
「平重衡と竜が、いかに、互いを引き合う強い絆を持とうと、所詮、重衡は生身の人間
――。周りに流される弱さを持つ人間は、どんな苦難の中でも、己の意志を曲げることを知らぬ竜の強い信念の前では、卑屈になることしかできぬ。そして、その思いは、やがて、竜を疎(うと)んじ、憎むことにもなるであろう……
……
「それが、いずれ対立することになると
……、そう申した訳だ」
 
 玄武は、先日の小松谷での重衡との遣り取りを思い返していた。
 あの時、ふと不安にも駆られた重衡の強さと脆
(もろ)――。その危惧(きぐ)も、やはり思い過ごしではなかったということか……
 
「玄武、おぬしだけやもしれぬ。あの二人の、どちらの思いも理解できるのは
……
……俺が?」
 さらに不可解なことを口にする文覚に、またもや玄武は唖然となった。
 
「なぜか、そう思える
……。だが、それが、おぬし自身を苦しめることにもなろう……
……
「両極にある二人の心は、激しく引き合い、反発し合う
……。そして、その狭間に立つおぬしは、どちらにつくこともできず、あるいは、その心を引き裂かれることになるやもしれぬ……
 
 文覚の言うことは、玄武にはどうも、容易に理解し難いものばかりである。
 自らが、その運命を京にまで運んだ竜のことならばいざ知らず、なぜ、重衡までも
……。いつも一方的に投げ掛けられる文覚の言葉に、己はただ、翻弄されているだけではないか……
 
 さりとて、文覚の発言は、どんな時も、その的の真ん中を射抜かずとも、遠くかけ離れていることもない。それだけに、玄武の胸中を襲う不安も、計り知れぬものがあった。
 
「おい、そろそろ刻限だ!」
 放免の甲高い声に、玄武はようやく我に返った。
 
「京を発つ前に、おぬしに会えてよかった
……
 文覚は神妙な面持ちで、頭
(こうべ)を垂れた。
「高雄の寺のことを、くれぐれも
……
「わかっている
……
 玄武は、小さくうなずいて、ゆっくりと立ち上がった。そして、放免の男に促されるまま、歩を進めようとしたその背に、さらに、文覚はつぶやきかけた。
 
「玄武よ
……
……
「迷うた時は
……、己の内なるものを、しかと見据えてみよ。己の真から欲するものは、ただ一つ……。それを見誤らぬ限り、たとえ、人の謗りを受けようと、後で悔いることはない。悔いなくば……、人の謗りなど、吹き過ぎる風に舞い踊る、木の葉が如き軽きもの……。意に介することもない……
 
(己の真から欲するものを
……
 
 玄武は背を向けたまま、文覚の最後の言葉を噛み締め、静かに去って行った。それを見送りながら、放免達は、媚
(こ)びた笑いを文覚に向けていた。
 
「金のある知り人が、ちゃんといるではないか。囚人に会うために、一甕
(ひとかめ)の酒を手土産に……。やけに気前のいいことだ……
「ついでに、もう少し、施しを頼んだらどうだ? 旅の道中も、ずっと楽になるぞ
……
 
 そんな男達の忠告にも素知らぬ風で、文覚はいきなり経を唱え始めた。その凄まじい大音声には、誰も彼もが思わず耳を押えるほどだった。
 
「うるせぇぞ!」
「ここは寺ではない!」
 
 男達の怒鳴り声に、文覚はフツと読経をやめると、
「その方達のために、御仏に祈ってやっておるのだ。この世で、最も有難い施しをしてやっておるのに、うるさいとは罰当たりめが!」
「何だと!」
 
 言い返す前に、またも文覚は読経を始め、男達は我慢がならず、遂には逃げ出した。そして、それはこの夜一晩中、続けられることとなった。
 
 かくして、翌朝、流人文覚は配所の伊豆へと向けて旅立って行った。
 廃寺の再興の志半ばでの流刑
――。しかし、このことが、また新たな局面を切り開くことにもなる。そして、あるいは、文覚の真の狙いも、そこにあったのかもしれない。
 
 
  ( 2005 / 07 / 03 )
   
   
 
   
 
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