悪 夢 (壱)
 
   
 
 奥州平泉へ向かう吉次一行の旅も、その後は順調に進み、近江国から美濃国を経て、早くも、信濃国に差しかかっていた。
 
 鏡の宿で盗賊に襲われたのを契機に、竜の口添えもあって、二人の同行者
――京の鞍馬寺より出奔してきた『遮那王』なる稚児と、法師武者の『鬼若』こと武蔵房弁慶―― も一行に加わっていた。
 その遮那王は、どういうわけか竜をひどく気に入ったようで、何かにつけ、まとわりついて離れようとはしなかった。
 
 よくよく見れば、十五という歳のわりに、どこか幼なげにも映る遮那王は、ふとした拍子に、遠い昔の、出会ったばかりの頃の重衡の姿も思い起こさせ、その度に、竜は胸苦しさを覚えながら、しかし、一方では、心に開いた空洞も少しずつ埋められて行くような
……、そんな奇妙な思いにもとらわれていた。
 
「竜、おまえも、平泉に参ったことがあるのか?」
 その日も、一行の最後尾を並んで歩いていた遮那王は、何とはなしに竜に尋ねかけた。
 
「いえ
……。平泉どころか、京より東へ参りますのもこれが初めて……。西の筑紫との往来ならば、常のことでしたが……
 と笑顔で答える竜に、
「筑紫か
……。では、船に乗ったこともあるのだな」
「それはもう、もちろんのこと
……
「良いなあ
……。私も常々、一度は乗ってみたいと思っていたのだ」
 と言って、目を輝かせる遮那王に、傍らの鬼若は鼻で笑った。
 
「御曹司には、ちと無理にございましょうな
……
……?」
「船酔いで醜態をさらすのが目に見えてござる
……
「何と!」
「海の上はそんなに甘くはござらぬよ。第一、御曹司は泳げますまい。遊び心でお乗りになっては、命取りにもなりましょうぞ」
 からかい半分に言われ、遮那王はキッと鬼若を見据えた。
 
「そう申す鬼若はどうなのだ!」
「某は、幼少のみぎりより熊野水軍で育ち申した。海の厳しさは、誰よりもよう存じておりまする。それゆえ、こうして、ご忠告申し上げておるのでござる」
 きっぱりと言い返され、遮那王はいっそう忌々しげに鬼若をにらみつけると、
「鬼若にできることならば、この遮那王にもできぬはずはない! そうであろう、竜
……
 急に話を向けられて、竜も咄嗟のことに言い淀んだ。が、真摯に自分を見つめる瞳に、いつまでも、答えを返さないわけにも行くまい。
 
「海は
……、その時々で、様々な顔を見せまする。包み込むように優しいこともあれば、人を拒むが如く荒々しいことも……。それゆえ、どんな時も油断はできませぬ。確かに、甘く見ておっては、足をすくわれることにもなりましょう……
 竜は言葉を選びながらゆっくりと答えた。
 
「さように、難しいものなのか?」
 鬼若の言には、まるで耳を貸そうとしなかった遮那王も、俄かに神妙な顔つきになった。
 
「それは
……。私などは、いつの頃からか、当り前のように船に乗っておりましたゆえ、それが難しいことかどうか……、考えてみたこともござりませぬ。なれど……、荒れ狂う海を前にしては、人など無力な存在でしかないことだけは、よう存じておりまする……
 鬼若も端で聞きながら、無言のまま、大きくうなずいて見せた。
 
「と申すと
……、嵐にでも遭うたことがあるのか?」
「はい。波に攫われ、当てもなく漂い続けて
……。あの時ばかりは、さすがに死をも覚悟いたしました……
「何と
……。して、いかがしたのだ!」
 いっそう目に力を入れて尋ねる遮那王に、竜は少し唖然としながらも、にっこりと微笑み返すと、
「幸いにも、小さな島に流れ着いて
……、そこの民に助けられました。おかげで、こうして今も、共に旅をすることができましてございます……
 
 途端に、遮那王もホッと息をついた。
「そうだな
……。しかし、無事で何よりであった」
 
 子供らしい、感受性の鋭さのゆえか
……。他人事でありながら、一喜一憂するその様は、何やら微笑ましい。が、一方で、その面に浮かぶ無邪気さが、時に、竜を困惑させもする。なぜなら、今はもう、それが、必ずしも、この少年の心からのものではないことに、気づいてしまっていたから……
 
 そうあれは、行動を共にするようになってすぐのある夜のこと
――。遮那王は皆が寝静まるのを待ちかねたように、そっと床を抜け出し、そのまま、一刻余りも戻っては来ない……ということがあった。
 それも、一夜限りのことであれば、あるいは、気にも留めなかったのであろうが、次の夜も、また次の夜も、夜ごと同じ行動を繰り返したのでは、竜もさすがに見過ごしにはできなくなり、思い切って、こっそり跡をつけてみたのである。
 
 静まり返った闇の中に、コツコツと響く小さな音
――。それを頼りに竜は裏山へと分け入った。
 先へ進むにつれ、木を打ち据える乾いた音に混じり、荒々しい息遣いも耳に付くようになり、やがて、すぐ間近に確かな気配を感じた竜は、咄嗟に傍らの大樹の影に身を潜めた。
 
 次の瞬間、何かが素早く目の前を過ぎ去ったかと思うと、天に向けてザッと風が巻き上がった。と同時に、へし折られた枝先が足元を転がり、それを追いかけるように、再び地上に舞い降りてきた影は、その後も、せわしなく木立の狭間を飛び交い、寸刻たりとも、一つ所に留まることはなかった。
 
(何という身の軽さか
……
 
 さながら、とりまく木々を敵に見立て、ひたすらに打ち込むその姿は、あたかも阿修羅でも乗り移ったかのような残虐な気に満ち溢れ
……。ふいに飛び出そうものなら、わずか一撃でこの世の者ではなくなるような……、そんな絶対的な恐怖心にも支配されたひと時――
 
 あの夜のことを、未だもって、竜はどうしても忘れることができずにいた。
 が、今こうして、どこかあどけなさも残す優しげな容貌を前にしていると、何もかも、一夜の悪い夢ではなかったか
……との疑念も湧いてくる。
 
(いったいどちらが真の顔なのか
……
 
 日々、この少年にとらわれていく自分に、わずかながら逡巡
(しゅんじゅん)を覚えながらも、それにもまして、飽くなき好奇心は、その一挙手一投足も見逃さずにはおかない……。これでは、いっそう深みへとはまり込むのも自明の理というものであろう。
 
……どうかしたのか?」
 ふいの声に我に返ると、遮那王が怪訝に顔をのぞき込んでいた。
 
「いえ
……、何でもありませぬ」
 慌てず答えて、穏やかに微笑み返した竜に、遮那王は軽く首をひねりつつ、
「しかし、海とはさほどに恐ろしいものなのか
……
 と、さらに続けた。
 
「さて
……、それは、何も海に限ったことでもござりますまい。この間のように盗人に襲われて、それで命を落すことも……。たとえ地に足がついていようと、必ずしも安全とは申せませぬ」
「なるほど
……。それもそうだな……
 遮那王も大きく相槌を打つ。
 
「あるいは、人はいかなる時も、常に死の危険と背中合わせにある
……。そのことを忘れさせぬために、天は時に嵐を起こし、恐ろしい災難にも見舞わせるのやもしれませぬな……
 竜はしみじみとつぶやいた。
 
「遮那王殿も一度は海へおいでなされませ。海はいい
……。青い空の下、風を切って大海原を行くその気持ちの良さ……。心の迷いも何もかも吹き飛ばされまする。遮那王殿にも是非とも味わっていただきたい……
 その光景を思い浮かべて、遮那王もつい夢見心地になった。
 
「これは何としても乗らずにはおれぬな。いっそ、奥州までも船で参れば良いものを
……
 そう言って、遮那王は無言で歩き続ける吉次を見た。同道を認めたとはいえ、吉次は、未だもって、遮那王達に気を許そうとはせず、言葉少なに、素っ気無い態度を取っていた。
 
「船であれば、これほどの多くの荷でも、簡単に運べるのではないのか? 険しい山道もなかろう?」
 と、遮那王はなおも吉次の顔色を伺っていたが、
「船は風まかせ
……。順風の時はよいが、風に嫌われては、先行きの見通しすら立ちませぬ。決められた時期に、平泉に到着するのがこの吉次の役目なれば……、陸を行くしかないのでござる」
 吉次はにべもなく一蹴した。
 
「うまく行きませぬな
……
 鬼若のしたり顔に、遮那王は憮然として、
「盗人に荷を奪われては、何にもなるまいに
……
 と、ひとりごちた。が、これには、吉次もどうやら反論はできないようだった。
 
「確かに
……、これからは、少し考えねばならぬな……。こうも度々、盗人に襲われるようでは、命がいくつあっても足りぬからな……
 吉次は、竜に向かって言った。
 なるほど、海路であれば、船を出してしまえば、海賊の心配はあっても、対処の備えもそれなりにできる。さらに、海の上では、当然身動きが取りづらく、襲う側にも危険が増すことになるため、その意味では、陸路に比べて安全とも言えなくはなかった。
 
「だが、考えようによっては、船旅でなかったのは幸いであったのやもしれぬ。いくら何でも、船の後を着いて行くのは難しい。それに、あの盗人も、良き助け舟となった。おかげで、こうして、吉次の一行に同道することが叶うたのだからな
……。これで、道に迷う心配もなくなった……
 無邪気に言う遮那王に、吉次は急に深いため息をついた。
 
「遮那王殿
……。確かに、平泉までご一緒に……とは申しました。されど……
「秀衡公がお会い下さるかどうかはわからぬ
……、そう申すのであろう? わかっておる。心配致すな。きっと、お会い下されるに違いない……
 遮那王はケロリとしたものだったが、吉次の方は、ますます頭を抱えた。
 
「やはり、間違っておったのではないのか? 全く、俺の頭痛の種が、増えるばかりだ
……。竜、おまえのせいだからな!」
……
「おまえが余計なことを申すから
……
 と恨みがましく言う吉次に、竜は何も答えなかった。
 
(そうかもしれない
……
 
 遮那王の人と成りも知らず、ほんの軽い思いつきで吉次に勧めたのは、今にして思えば、あまりに無責任ではなかったか
……
 再び漠然と胸の内を覆う不安めいたものが、竜からわずかな反論の言葉も奪い取って行った。

 
  ( 2005 / 08 / 05 )
   
   
 
   
 
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