北国の勇将 (壱)
 
   
 
「巴! 巴はおらぬか!」
 館中に響き渡るような大声に、驚いて廊に出た巴は、床板を踏み鳴らしながらこちらへと向かって来る義仲と行き会い、そのあまりの物々しさに、白くたおやかな横顔を、俄かに強張らせた。
 
「何事にございますか!」
 巴の問い掛けにも、義仲は血まみれになっている男を肩に担いだまま、
「話は後じゃ!」
 とだけ答えて、そのまま足早に奥へと進んで行く。巴も堂に入ったもので、黙って後に続いた。
 
 その後、義仲の一の郎党・今井四郎兼平が遮那王を伴い、館に戻って来たのは、小半時も経った頃であろうか。
 主の気まぐれはいつものことながら、夜も明けきらぬうちから、急に遠乗りに出かけ、それにいち早く気づいた兼平は、眠気も覚めやらぬまま、慌てて後を追いかけたのだが
……
 
 そこに、突如として現れた目を覆うばかりの惨状
――。無数に転がる骸(むくろ)を数える間もなく、当の主は立ち去り、見も知らぬ少年と二人、その場に取り残されて、さしもの兼平もかなり気が動転していた。
 
 しかし、いつまでもこのままというわけにもいかず、ともかく、この少年から事の次第を聞き出そうと、試みに声をかけてはみるものの、すっかり茫然自失の体
(てい)の遮那王は、その場にうずくまったまま、何の答えも返そうとしない。
 
 後の始末をつけるにしても、一旦、館に駆け戻り、郎従の5〜6人も引っ張り出して来ないことには、まるでお手上げなのだが、さりとて、年端も行かぬ少年をこんな所に一人残して行くこともできず
……
 どうにも考えあぐねていた所に、天の助けか
……、鬼若を連れた吉次が現れたのである。
 
「これは、今井殿!」
……吉次か?」
 常日頃の往来で、元より面識のある二人は、互いを認めて、同時に驚きの声を上げた。
 
「お久しゅうございます。したが
……、何ゆえこのような場所に?」
 状況がさっぱり飲み込めず、首をかしげるばかりの吉次に、兼平はとりあえず、自分のわかり得る範囲のことを話して聞かせた。
 
「竜が!」
 深手を負ったと知らされて、吉次もひどく狼狽した。
 
「私のせいじゃ
……。私のために……
 吉次や鬼若の顔を見て、少しは気持ちも落ち着いたのか、遮那王がようやく口を開いた。
 
「賊の一人を打ちもらしておったことに、何ゆえ気づかなかったのか
……
 
 とてつもない力で弾き飛ばされたあの時、遮那王は、自分の身に、いったい何が起きたのかもわかってはいなかった。やがて、倒れ伏す竜を見つけ、これを抱え起こして始めて、己が竜に救われたことを悟ったのである。
 
『今一人
……いたはずなれど……
 
 そう小男がつぶやいたのにも、遮那王は取り立てて気には留めなかった。が、直感でただらぬものを感じ取った竜は、その瞬間、持てる力の限りを込めて、遮那王を突き飛ばしていたのである。
 
 今もまだ背中の辺りに残る鈍い痛み
――、それは、この身を救わんとした竜の必死さがもたらしたもの。もし、あの場に留まっていたままであれば、過(あやま)たず、刃の餌食となっていたのは遮那王自身に違いなかった。
 
「そのように、ご自分をお責めになられますな
……
 吉次は、自責の念に駆られる遮那王の傍らにそっと歩み寄り、両の肩に手を置いた。
 
「誰のせいでもありませぬ。これはやむを得ぬ事故にござります」
……
 
「どういうわけか、竜というやつは危急
(ききゅう)を察することに、事のほか、長(た)けておりましてな。これまでにも、あの者のおかげで命拾いをした者は、一人や二人ではありませぬ。この吉次とて、先日、鏡の宿で救われたばかりにございます」
「吉次
……
 
「強いて申すなら、その人並みはずれた才ゆえに招いた、あやつの身の不運
……。決して、御身一人のせいではござりませぬ」
 そう言って、吉次は、なおも無念の思いに肩を震わせる遮那王をなだめた。
 
「鬼若!」
 一転、容
(かたち)を改めた吉次は、所在無げに立ち尽くす男の名を呼んだ。
 
「おぬし、今しばらく、この場に留まり、経でも上げておれ」
……何と? このわしがか?」
 突拍子もないことを言われ、鬼若も目を剥
(む)く。
 
「曲がりなりにも、おぬしも坊主であろう? 盗人とは申せ、死者には経の一つも手向けてやるものじゃ」
 と冷ややかに言う吉次に、鬼若は不満顔で言い返そうとしたが、
「何、これから急ぎ宿に戻り、すぐにも人足どもを寄越すゆえ、それまでの間、番を頼みたいだけよ。これだけの骸をこのまま捨て置くわけにもいかぬからな」
 そのように言われては、反論のしようもなかった。
 
「今井殿、お手数をおかけいたすが、一足先に、この者だけでもお館へお連れ下さらぬか?」
 吉次は向き直り、兼平の前に遮那王を押し出した。
 
「どうにも気がかりなのが竜の容態。某もすぐに後を追いますが、木曽殿には何卒よしなにと
……
 兼平はなおも困惑しながらも、
「わかり申した。では
……
 
 かくして、兼平は吉次から遮那王の身柄を託され、急ぎ館へと駆け戻ってきたのである。
 
 
 
「おう、戻ったか……
 馬の嘶
(いなな)きを聞きつけた兼平の兄・樋口次郎兼光が、すぐさま奥から姿を現した。
 
「朝も早うから、いったい、どうした騒ぎなのじゃ?」
 と訝
(いぶか)しげに尋ねる兼光に、
「聞きたいのは某
(それがし)の方でござるよ。殿の気まぐれは、今に始まったことではござらぬが……
 
 そう答える兼平の脇をすり抜けて、兼光の前に進み出た遮那王は、
「竜はいかがした!」
 と必死の形相で詰め寄った。兼光はそれを胡散臭
(うさんくさ)そうに眺め、次に兼平の方を見遣ると、
 
「殿が連れ帰った下郎
(げろう)ならば、今もまだ、奥で巴が手当てを致しておるが……。しかし、あの傷では、とても助かるまいな……
 途端に、遮那王が眉をひそめた。
 
「でたらめを申すでない! 竜は決して死にはせぬ!」
 急に、声高に食ってかかって来た遮那王に、兼光はいささかたじろぎつつ、
「でたらめも何も
……、傷が深うて、いっこうに血が止まらぬのじゃ。あれで、まだ息があるのが、むしろ不思議なくらいよ……。まずは、いらぬ期待は持たぬのが懸命……
 と容態のほどを説明すると、遮那王は声もなく蒼然と立ち尽くした。
 
「兄者、今そのようなことを申されずとも
……
 遮那王の動揺ぶりを見て、兼平が慌ててたしなめると、兼光も気まずそうにうつむいた。
 
 と、そんなどんよりと沈む空気を一掃するように、この家の主、義仲が姿を現した。
 着衣の至る所を、不自然な色合いに染め上げているのは、言わずもがな、竜の流した血の跡であろう。既に乾きかけたそれは、黒味の強い紅に変色し、その仁王立ちになった様などは、地獄の獄卒を思わせた。
 
「兼平、戻っておったのか
……。して、いかが相なった?」
 真っ先に尋ねかけられ、兼平はつと歩み寄ると、
「それが
……、あの後、吉次と出会いましてな……
 
……吉次? あの金売り商人か? なるほど、あやつの手の者であったか……
 義仲は腕組みをして、大きくうなずいた。
 
「後の始末はあちらで引き受けると申しましたゆえ
……。吉次も間もなく訪ねて参ろうかと思いますが、この童だけでも先に伴ってほしいと頼まれまして……
 と言って、兼平は後ろにいる遮那王を返り見た。
 
「ほう
……、先ほどの」
 義仲も興味深げに遮那王を見つめる。
 
「竜は
……、竜は助かるのであろうな!」
 真摯に訴えかける遮那王に、義仲はふうっと一つ息をつくと、
「さて
……、どうであろうな……。これまでに、あれほどの血を流して、助かった者などわしは知らぬが……
……
 
「尋常では、今夜一晩もつか
……。もはや、これ以上は手の施しようもないのでな。生きるも死ぬも、後はもう、あの者の命運次第……
 これが最後の宣告となったか
……、遮那王もようやく目の前の現実としかと向き合う覚悟を定めた。
 
「ところで、おぬしはいったい何者だ? その風体から察するに、どこぞの稚児のようでもあるが
……。しかし、只人ではあるまいな。大した剣の遣い手と見たが……
 
 茫洋
(ぼうよう)とした瞳の中にも、時折、値踏みでもするような鋭さが感じられ、遮那王はわずかに瞳を揺らめかせたものの、今一度、心を奮い立たせ義仲と向き合った。
「人に名を尋ねられるなら、まずは御身自ら、名乗られるのが道理
――
 遮那王は負けまいと、義仲をにらみつけた。
 
「これは気の強い小童
(こわっぱ)じゃ……
 からかい半分に笑われて、生来の武者の本能に火がついたか、遮那王はいっそう目に力を入れて、義仲を見据えた。二人のにらみ合いは一しきり続いたものの、やがて、
 
「木曽次郎・源義仲
――。これで、よろしいかな?」
 義仲は薄く笑い、穏やかに答えた。それを聞いて、一つ小さく息をついた遮那王も、
 
「我は、先の平治の戦で無念の最期を遂げられた左馬頭・源義朝が末子、幼名牛若、今は遮那王と申す!」
 と高らかに名乗りを上げた。
 
「ほう
……
 思わず声を上げた義仲に、遮那王はことさら誇らしげに胸を張った。
 
「その方が鞍馬の暴れ馬殿か。風の噂には聞いておったが
……。これは、思わぬ形で、従兄弟殿との対面が叶うたというわけか……
 遮那王はしばし呆気に取られた。
 
 従兄弟
――、義仲の父故帯刀先生(たてわきせんじょう)義賢(よしかた)は、遮那王の父義朝の弟であったから、なるほど、血筋の上では二人は確かに従兄弟同士の間柄ということになる。
 
 そのことは、遮那王とても、遠い昔に、誰かから聞かされたような記憶もあるのだが、しかしながら、実際に顔を合わせるのは、これが初めてのこと。しかも、幼くして鞍馬寺へ入れられ、ほんのつい先頃まで、世俗と隔てられた世界に身を置いていた遮那王にすれば、今ここで、急に祖父を同じくする同族と知らされても、いったい、どのような反応をすればよいのか、まるでわからなかった。
 
「して、かの金売り商人について、いったい、何処
(いずこ)へ参られるおつもりか?」
 なおも困惑している遮那王に、義仲はさらに問いかける。
 
「何処に参ろうと某の勝手にござろう!」
 弱みを見せまいと、遮那王は吐き捨てるように言い返した。が、それを聞きながら、義仲は不敵な笑いを浮かべた。
 
「吉次の行き先は、言わずと知れた奥州平泉。大方、北方を牛耳
(ぎゅうじ)る夷狄(いてき)の力にでもすがろうとの魂胆であろう?」
 図星を指され、遮那王は絶句した。
 
「まあよい
……。ここは源氏の領内。安心して、まずは旅の疲れを癒されよ……
 余裕の表情で言う義仲に、遮那王は悔しさのあまり歯噛みした。
 
「殿、このような所で何を? 早うお召し替えを…」
 ふいに、背後に現れた巴が促した。それに小さくうなずき、悠然とその場から立ち去った義仲に、遮那王は如何ともし難い思いを抱えて、これを見送った。
 
「遮那王様
……と申されましたね」
 巴は客人に対する礼として軽く会釈をした。
 
「どうぞ、この先をお進み下さいませ。兼光兄上、ご案内を。私もまた、折を見て、様子を伺いに参りますが、吉次殿がおいでになるまでの間、かの者のことは遮那王様にお頼み申します」
 と頭
(こうべ)を垂れた巴は、兼光に目配せして、すぐさま義仲の後を追った。
 
 兼光は一つ咳払いして先に立ち、
「では、参られるか」
 遮那王も神妙にうなずいて、無言のまま後に従った。
 
 
  ( 2005 / 09 / 02 )
   
   
 
   
 
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